僕の起こしているアクション

三澤洋史 

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動き出す予感
 明け方(5月4日月曜日)久し振りに夢を見た。そういえば、ここのところずっと夢も見ないでぐっすり眠れていたなあ。6時に目覚まし時計をかけているのだが、たいてい数分前に目が覚めて止め、パッと起きてお散歩に出ていた。
 でも今朝方は違った。結構な土砂降りの音が安眠を妨げたので、
「ああ、今日はお散歩に行けないんだな」
と思いながらトイレに行き、水を一杯飲んでまたベッドに入った。それから7時過ぎまでダラダラと浅い眠りをむさぼっていたのだ。

 夢には、親友の角皆優人君と、何故かこのホームページのコンシェルジュのSさん夫妻が出てきた。東京バロック・スコラーズ(TBS)の合宿をするというので、何人かのTBSのメンバーがいたと思うのだが、なんだかみんな知らない人ばかりだった。
 僕は、合宿施設の宿泊の手続きをしようとしていた。しかし申込書を見てもチンプンカンプンで困っていたら、横からいつの間にかSさんが現れて教えてくれた。でも、教わっても、どこに何を書いたらいいかさっぱり分からない。Sさんの奥さんのHさんが、そんな僕を見て笑っていた。
 角皆君はバイクに乗っていた。土手の下の石ころだらけの道を、モーグルのように細かいS字を描きながら飛び跳ねて、もの凄いスピードで駆け抜けていった。あいつやっぱり頭おかしいな、と思って笑ったが、自分もやってみたいなと思った。
 へええ、こんなこと初めてだ。高校生の時もそうだったけど、つい最近までは、音楽の話はともかく、スポーツに関しては自分とかけ離れていた奴だったのに、やってみたいなんて・・・さては、いよいよ自分も頭おかしくなってきたかな・・・と思ったところで目が覚めた。

 目が覚めて、とっても人恋しくなっている自分を発見した。そういえば、ここ一ヶ月、ずっと家に居て、ほとんど家族しか会っていない。でも、それで満足していて平安な日々を過ごしていた。ところが、まさに今朝、僕の中で何かが変わった。

 ステイ・ホームはいいのだが、人との接触があまりに少ないと、「この巣ごもりさえしていれば外敵から安全」という内向きの気持ちばかりが広がってきて、このままいったら、新型コロナ・ウイルスの感染者がゼロにならないと、緊急事態宣言も解除にならないのではないか、と心配になる。それに、世間全体にもそのような恐れが広がっているような気がする。
 また、いろんなことに潔癖症の日本人は、他人に対しても同じような潔癖さを求め、それから外れている人に対しては、陰湿なイジメのようなことを行ってしまう傾向がある。ある例を挙げよう。
 ある朝、僕たち家族は全員で散歩するために家を出た。でも志保と杏樹だけは、途中で別のルートをゆったりと辿って行ったので、僕と妻そして杏奈の3人は一番長いルートを歩いていた。折り返し点にさしかかる頃、気温が高かったし、ガッツリ歩いていたこともあって、息が切れてきたので、3人とも無意識にマスクを少し下にズラして鼻を出していた。
 すると、僕たちとすれ違った自転車に乗ったおばさんが、
「鼻出してるし!」
と吐き捨てるように言いながら通り過ぎていったのだ。
 僕たちはそれを聞いて思ったね。どうして僕たちは批判されなければならないのだ?近くに人はいなかったし、そのおばさんだって瞬間的に通り過ぎただけなので、誰かにうつす可能性もゼロだし、関係ないでしょう。
 また、以前は、いろいろな店に対して行政が自粛要請をしていたのに、パチンコ屋だけにはどうして野放しなのかなあとは思っていた。しかし一度、「パチンコ屋も自粛するべきだ」と誰かが言い出して、そこに焦点が当たり出したら、今度はまるで魔女狩りだ。
「あそこが開いている。あそこも閉めない!けしからん!」
という感じ。僕はそういった日本人の発する圧力に恐怖感すら覚える。

 この雰囲気が出来上がってしまうと、みんなは自分で自分の首を絞めるようになって、もう二度と緊急事態を解くことが出来なくなる。ちょっと緩めた途端に、また感染者が急増してオーバーシュートが起こる、という恐怖感のみが巷に蔓延し、互いが互いに対して疑心暗鬼になり、監視しし合い、責め合って、恐ろしい社会が出来上がる。いや、もうすでに出来上がりつつある。僕にとっては、新型コロナ・ウイルスよりもこちらの方がずっと脅威だ。ウイルスは肉体を破壊するだけだが、陰湿な監視社会は精神を蝕むからだ。

 これまでの僕は、この緊急事態宣言の社会下で、たっぷりと家族の絆を確認し合い、しあわせを噛みしめ、内に霊的エネルギーを充電した。しかし、今日からの僕は、その霊的エネルギーをもって再び意識を外に向けるよう、促されているようだ。
 とはいえ、すぐに街に出て行って沢山の人と交わるとかいう意味ではない。そうではなくて、これは念の問題だ。僕たちは、これ以上ただ無為に自分の殻の中に閉じこもって時間を止めていてはいけない。恐れの感情をいたずらに自らの中で増殖し、人を引きずり落とすような波動を社会に向けて発信していてはいけない。
 そうでないと、このままいったら経済もどんどん崩壊し、新型コロナ・ウイルスの感染による死者よりも自殺者の方がどんどん増えていくのは必至だ。だからみんな、自分の出来ることで動きだそう。

僕の起こしているアクション
 夢のお陰で、意識が外に向き始めたのはまさに今日かもしれないが、僕は活動を止めていたわけではなかった。外に出て行って練習をつけたり本番で指揮するような仕事はゼロだったし、午後は杏樹と遊んでいて、本当に子供時代に戻ったような生活をしていたけれど、実はここのところ結構忙しかったのだ。

 浜松バッハ研究会団長の河野周平さんは、ずっとバッハ研が練習中止に追い込まれていて、団員のモチベーションが落ちるのを心配し悶々としていた。そんな矢先、Youtubeに公開した僕の「音楽と祈り」講座の映像を観て、
「これだ!」
と思ったという。
 そして早速メールを送ってきた。
「会場が閉鎖して練習が出来ないので、なんとか自宅でみんなが練習出来るように、あの講座の要領で、練習ビデオを作っていただけないでしょうか。謝礼は払います」
そこで僕は、差し当たって5月に行って練習を付ける予定だったSanctusとOsanneの練習ビデオを、志保にピアノを弾かせて作り、河野さんに送った。
 すると、予想していたよりも沢山謝礼をくれるという。そこで僕はまたメールを書いた。
「これはいくらなんでも多すぎます」
するとメールの返事が届いた。
「実は、この非常事態におけるお見舞いの意味も含めて金額を決めました」
「有り難いですが多すぎるので、それでは、あと何か作って欲しい曲はありますか?どちらにしても、Pleni sunt coeli et terraのゆっくりな「音取り音源」をこれから作ります」
「もし出来ましたら、ミサ通常文のジャーマンラテンでの読み方についてのレクチャー・ビデオをお願いしたいです。折角ですので、今後他の団体やソリスト達も利用できるように、保存版として全文にわたって収録いただけると有難いです」

 別に、人から情けを掛けられるのをプライドが拒むというわけではない。でも、謝礼をいただくなら、自分が実際に行った労力に見合う分でないとなんだか申し訳ないのだ。なので、僕はその河野さんからの発音ビデオの申し出を喜んで受けた。そして、浜松バッハ研究会の提供してくれた資金で、最終的には、いろんな団体がそれを使えるようなドイツ式ラテン語発音学習ビデオを作ることを決心した。
 ただこの配信の仕方であるが、いろんな団体に使ってもらいたいとは思っているけれど、Youtubeのオープン配信にして、誰でも好きにどうぞ、というのは、ちょっといろんな意味でうまくないような気がする。僕が善意でやっても、誰かに利用される可能性もある。そこに関しては、ネットの場合は気をつけないといけない。ちょっと考えてみよう。

 さて、僕は浜松バッハ研究会のために、練習ビデオに引き続き、Pleni sunt coeliフーガの音取りファイルを作成することにした。Finaleで譜面を作り、そこからmidiファイルに起こす。それを元に、Sop.1をフルート、Sop.2をオーボエ、Alto1をイングリッシュ・ホルン、Alto2をクラリネット、Ten.をアルト・サックス、Bassをテナー・サックスの音色にして、ピアノ音源の上に、Sop.1ファイルだったら、それぞれの声部が響き渡る中から特にSop1の声部が際立って聞こえるように音量調節したWAVE(音声)ファイルを6種類作って、河野さんに送った。
 それからミサ曲のドイツ語式ラテン語発音のビデオを作成した。これもWAVEでもいいかも知れないが、口の形が見えた方がいいと思い、あえてビデオにした。録画途中で杏樹が乱入してきたり、「緊急事態宣言が発令されています」という市内放送が外から聞こえてきたり、いろいろ自宅で録画というのは邪魔が入るものだが、やっと仕上げて送った。

 それとは別に、ウィーンのシュテファン寺院でのモーツァルト・レクィエム・ツアーの練習が、本当は5月から始まるわけであったが、できないので困っているというので、僕は、
「浜松から頼まれてこういうことをやっていますよ」
と言ったら、是非うちでもお願いしますというので、ミサ曲のついでにレクィエムのドイツ語式ラテン語発音のビデオも作成して送った。主催者には、この後5月中に音取りWAVEと練習ビデオを作る予定。
 さらに、中断している「おにころ合唱団」のための練習ビデオと、東京バロック・スコラーズのためにも、新しく始める小ミサ曲ト長調の音取りWAVEと練習ビデオを作成予定。

 これらは、収入のためにやっているのではない。とどのつまりは、少しでも人の役に立つことで、自分が音楽家としてこの世で活動しているのだということを自分に確認したいのだろう。

 巷では、リモート・テレワークでの演奏があちこちで試みられている。その中には素晴らしい演奏も多いが、それを実現するためには、通常の演奏では考えられないくらいの努力をしなければならないことを僕は知っている。
 ピアニストの志保は、Zoomというアプリを使ってネット会議をしたり、リアルタイムで歌手の個人コレペティ・レッスンをしているが、彼女が家でピアノを弾いて、ネットの向こう側で生徒が歌った場合、どうしてもタイムラグ(時間差)がネックになると言う。まだレチタティーヴォの伴奏だったらいいが、アリアなどが始まると、こちらが相手の歌を聴かないでどんどん弾いていかないと曲にならないらしい。
 それはよく分かる。新国立劇場でさえ、副指揮者が使うモニター・テレビを、アナログからデジタル・テレビに変えた途端、そのタイムラグには悩まされたからね。通信そのものの速度は速くても、そのデータをコンピューターが解析するのに時間がかかるのだ。データ量が少ない音声ファイルならば許容範囲だが、映像となると膨大なデータだから、どんな優秀な機器でもタイムラグをゼロにすることは出来ない。

 まあ本当は、お互い息と息との微妙なやり取りこそが、音楽の一番の醍醐味なので、どんなに努力しても、同じ空間で共に音楽を奏でるという行為に優るものはない。でもね、そうも言ってられないわけよ。ネットだけはウイルスが通れないからね。今は、できることを、よりよい道を探りながら見つけ出し、歩み出さなければ、何も始まらないんだ。

覚醒に向かう手引き
 静かな隠遁生活を送っているとはいえ、僕は情報に関しては決して疎いわけではない。新聞には毎朝かなり目を通すし、夜のニュース番組も必ず観る。同時に、自分がYoutube配信をするようになってから、Youtubeもよく観るようになった。
 Youtubeでは、政治的な映像、様々な陰謀説、そしてスピリチュアルな映像もよく観る。政治的なことでは、テレビでもそうだけど、恐怖感を煽り、それに便乗してスタンドプレーを繰り返す小池都知事と、八方美人で決断力に欠ける安倍首相を見ていてうんざりするだけだ。また、野党の、ただ揚げ足取りだけの突っ込みには本当に腹が立つ。あの人たち、力を合わせて、この日本をどうにかしようとする善意の意思はないのかね。安倍さんが右と言ったら左、左と言ったら右と言っているだけじゃないの。誰だってできるよ。
 陰謀説に関しては、毒のワクチンを作って人口削減をもくろんでいるビル・ゲイツが、新型コロナ・ウイルスに関しても怪しいだのという映像を観ていた矢先、旭日大綬章という勲章をもらったと聞いて驚いた。何故このタイミングでこの人に?日本はこの人のお先棒を担いでいるのか?などとも思ったけれど、正直言って僕自身は、そんなことどうでもいいのだ。

 その一方で、スピリチュアルな映像には、根拠のないものや、ただ「これからは良くなるだけです」というだけの楽観的なものも多いが、ある種の映像には大いに感化される。そうした玉石混淆の中で、
「霊的覚醒が進んでいる目安になる14のこと」
という内容の映像には少なからぬ影響を受けた。まさにそこには、僕が今目指したい事ばかり描かれていた。
 誤解を受けることを恐れて映像自体はあえて紹介しないでおこう。でも、下の項目を読んでもらいたい。悪いことは何も書いてないだろう。みなさんも、これを読んで、受け容れられる方は受け容れてください。
ちなみに、僕は今後、これを参考にしながら、自分自身の霊性を深めていきます。小さい字は、僕の解釈を書きました。

  1. 自分を評価できるようになる
    良くも悪くも、自分を正当に評価しよう。良いところは誉めてあげよう。
    謙虚すぎることは自分を卑下することにつながる。
    良い意味での自信をもつことが大事。
  2. 自分や他人の弱さを受け容れられるようになる
    自分の弱さを受け容れられるようになると、他人の弱さも自然に受け容れられるようになる。すると他人をジャッジしたり責めたりする必要を感じなくなる。
  3. 目的や計画がプラン変更になる
    自分が変わってくると、それまで自分の人生で目標にしていたものが変化するようになる。
    価値観が変わると、具体的な計画も変わってくる。
  4. 何からでも学んでしまう
    全て自分の人生で起きることは、学びの対象であると自然に思えるようになる。
    損をしたり失敗したと思う時でも、ただでは起きないと思えるようになる。
  5. 孤独が好きになる
    自分の内部が満たされていると、「人と一緒に居ないと不安」という感情がなくなり、自分ひとりの時間を大切にするようになる。
  6. 身の回りの人間模様が様変わりする
    今まで気が合っていたと思っていた人と、なんとなく合わなくなり、それまで関心がなかった人と、新しいつながりを求めるようになる。
  7. 宇宙の全てと深いつながりを感じる
    自分の存在そのものや、自分の周りに起きることなど、全ての事に意味を感じ、自分が大きな世界とつながっていることを実感できるようになる。
  8. 大きな物語を生きているように思える
    自分の人生そのものが、ひとつの物語をリアルタイムで作っていると信じられるようになる。
    その物語の進行を楽しめるようになる。
  9. それまでのライフスタイルがつまらなくなる
    それまでとても楽しいと思っていたことに対して、しだいに取るに足らないものだと思われてくる。
    反対に、それまで興味のなかった、より高次の喜びを得たいと思うようになる。
  10. くだらないおしゃべりに興味がなくなる
    ゴシップや人の噂などがどうでもいい事のように思われてくる。
    もっと価値のある深い内容の会話を他人と欲するようになる。
  11. 正直さと誠実さを重視するようになる
    人を自分の利益のために利用するとか、人を支配したいとかいう生き方に興味を感じなくなるので、人に嘘をつく必要がなくなる。
    他人と、対等で真摯に向き合う関係を欲し、相手が喜んでくれることを行いたいと思うようになる。
  12. 健康になる
    肉体だけでなく精神も健全になる。
    内側から霊的エネルギーを発するようになり、自分の内部から元気の素が溢れている状態になる。
  13. 人にやさしくなる
    自分自身にやさしくなり、自分自身を愛し、精神に余裕が生まれてくると、人に対してもリラックスして接するようになる。
    他人をそのままで受け容れる。
    誰に対しても、善意に満ち、思いやりに溢れ、やさしくなる。
  14. 死を恐れなくなる
    命が、この世だけのものでないことを信じられるようになり、死がすべての終わりでないことを受け容れられると、より高次な価値観に従って生きるようになる。
    死に対する恐怖がなくなると、全てにおいて魂は解き放たれて、真の自由を獲得することが出来る。
    この魂の絶対的自由こそが人生の目的である。



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© HIROFUMI MISAWA