この日を忘れない2020年6月1日!

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

この日を忘れない2020年6月1日
 僕は、2020年6月1日という日を生涯決して忘れないだろう。ひとつは、僕の新刊「ちょっと お話ししませんか」(ドン・ボスコ社)が発売された日として。それから、もうひとつは、孫の杏樹が、いよいよ今日から、東京賢治シュタイナー学校の新一年生として登校した日なのだ。

 今日は、あいにくの雨。それに、杏樹の母親の志保は、この日に限ってどうしてもはずせない朝の仕事が入ったので、僕たち老夫婦が杏樹を送っていった。車で送ってくる人も、駐車場から即学校に連れてくるのではなく、付近をゆっくりと手をつないで散策してから学校に入りましょう、という賢治の学校らしい方針なので、僕がよく柴崎体育館に泳ぎに行く時に自転車で通る、小川のほとりの散歩道を、傘を差しながらゆっくり学校に向かって行った。つないでいる杏樹の手のぬくもりがじーんと伝わってくる。僕の心もじーんとしている。

写真 賢治の学校への通学初日の杏樹と三澤
賢治の学校への道


 最初は、3月末まで保育園に行っていた杏樹が、入学式までの約2週間家にずっと居るのをどうしよう?と心配していた我が家族であったが、それどころか、まるまる2ヶ月間、杏樹は、ほとんど友達にも会うことなく、ずっと朝から晩まで僕たちと一緒に生活していた。
 午前中は僕が仕事をさせてもらうこととして、志保や杏奈や妻が杏樹の面倒を見たり、あるいは、杏樹はひとりで絵を描いたり、いろんなひとり遊びをしていた。午後になると、今度は僕が杏樹の係となって、多摩川の土手や河川敷や、高幡不動の裏山や、郷土の森や、いろんなところに連れて行った。

 ただ、その生活が、今日からただちになくなるわけではない。当面は3交代制での登校なので、月曜日の今日行った後は木曜日だという。それから6日土曜日にあらためて入学式があって、次の週はまた様子を見ながら決まってくるという。
 今朝の杏樹は、6時過ぎに起きてゴキゲンで、
「隣に座る子いいこかなあー?とーもだちにーなれるかなあー?誰でも最初は一年生!ドキドキするけど、どーんと行けー!」
などと、「ドキドキドン一年生」という歌を歌っている。

 授業は、8時から10時なので、アッという間に帰ってきた。わずか2時間とはいえ、久し振りに午前中からフル稼働だったので、帰って来るなり、
「お腹がすいた!」
と言って、あたりにあるものをみんな食べて、やっと落ち着いた。
 まあ、刺激がなかったものね。でも、人のことを笑ってはいられない。その意味では、僕も同じ。この生活にしっかり慣れてしまっているので、社会復帰するのは大変かも知れない。

 一方、新刊「ちょっと お話ししませんか」(ドン・ボスコ社)は、本当に待ちに待った本日発売だ!
真生会館の「音楽と祈り」講座を毎月受講してくれていたドン・ボスコ社の編集者Kさんから、最初の出版依頼のメールが届いたのが昨年8月2日のこと。それから、仕事の合間にチョコチョコと原稿を書いては添付メールで届けていた。
 僕もKさんも、最初は、「音楽と祈り」講座のレジメから起こした原稿を小冊子にまとめて、というような気軽な気持ちで始めたのであるが、あるまとまった量になった時に、
「ここまで書いたら、逆に、今の自分の信仰心とこれまでの軌跡とを、まだ網羅し切れているともいえない気持ちになったなあ。もうちょっと書きたいなあ」
と思うようになった。すると、その気持ちをまるで察していたように、Kさんは、
「もうちょっと書きません?」
と言ってきた。
「え?マジ?いいの?」
ということで、今の分量になった。

 お願いがあります。みなさん!この本を瞞されたと思って読んで下さい。キリスト者だけを向いて書いた本ではありません。むしろ、音楽家としての僕をよく知っているけれど、そんなに宗教に関心がない方にこそ、手に取っていただきたいのです。
 音楽の話題も豊富だけど、その音楽を、僕がどのように受け取り、自分の中で培養して、自分の演奏や作曲の原動力としていくのか、あるいは、実際の音楽活動の中で、何に留意しているから、こういう行動になっていくのか、などがあますことなく書いてあるので、ひとりの音楽家の生き方の例として興味を持ってくれれば嬉しいです。

動き出した街と環境
 さて、次女の杏奈も、まとまったメイクの仕事が一段落してホッとしているらしい。僕の近辺でも、やっと東京バロック・スコラーズなどを始めとして、合唱団などの練習を再開させる方向で動き始めている。二次感染を心配している人も多いけれど、お願い、コロナちゃん、このままおとなしく収束してください!

 緊急事態宣言の間は、まるで街の空気も重く止まっていた感じであったが、少しずつ活気が戻ってくるのはいいね。ただ、緊急事態宣言中に良いことが全くなかったわけではない。夜お散歩すると、空気がとてもきれいなので驚いたし、家に居ても、車の騒音がなくて、ずっと静かな夜だった。最近またうるさくなってきたね。
 後から気が付いてみたら、毎年ゴールデン・ウィークまで引っ張る僕の花粉症が、びっくりするくらい起きなかったのだ。思い返してみると、びわ湖ホールにいる時に、アレグラを買ったのが最後だったなんて信じられない!また、今年は黄砂やPM2.5も、僕の知っている限り、あまり飛んでこなかったよね。
 このように環境的には素晴らしかったが、では、このまま原始時代のようになればいいのかというと、そういうわけにはいかないよね。なかなか難しい問題だ。でも、動き出した街をもう止めたくないなあ!

テレワーク演奏という幻想
 先日、東京バロック・スコラーズの役員達とZoomというミーティング・アプリを使って会議をした。会議だから、音楽の演奏のように厳密ではないといっても、結構タイムラグ(時差)には悩ませられる。ひとりのひとが一方的にしゃべっている間は問題ない。でも、
「ではこれについて誰か意見があるひとはいますか?」
となると、いっぺんにしゃべってしまったり、今度はみんなで待ち合ってしまったりと、ちょっとしたタイミングがズレるだけで、これだけやりにくいのかとあらためて思う。
 また、会議にはヘッドフォンを付けるのが望ましい、何故ならば、スピーカーで流しっぱなしにすると、自分の喋った声が相手のスピーカーから流れたものを時差付きで拾ってしまって自分の声に惑わされるし、相手にも不快な思いをさせてしまうから。

 さて、その会議で議論した項目の中に、こういうものがあった。東京バロック・スコラーズでは、6月中旬から練習再開を考えているが、練習会場には入室制限があって合唱団員全員は入れない。その制限は数日前までわずか16人であったが、昨日確認したところ25人までOKとすることを決定済みだという。このように今後も変化しうるらしいが、いずれにしても制限ギリギリまでの団員数で練習をし、それをZoomでリアルタイム配信しようというアイデアが議論されたのだ。
 画像は僕の指揮している姿を中心に一方的に流し、相手は自分の音声をミュートにして、自宅で勝手に歌うというもの。本当は、それを聴きながら自宅団員も一緒に歌って、それを僕が注意出来たりすればいいんだが、残念ながら、そうした双方向でのやり取りは出来ないんだ。

 Zoomは会議用なので、時差がハンパでないため、そもそも音楽用には無理なのであるが、ヤマハで開発したNETDUETTOでは時差が最小限に抑えられるという。しかしながら、その場合でも難しいのだ。何故ならアプリが優秀であったらあったで、今度は、一緒に参加している人のネット環境のクオリティが問われるのだ。
 分かり易く言うと、まず発信元のネット環境が、高速LANのケーブル付きであることは勿論のこと、全員が同じハイクオリティでないと意味がないのだ。ある人はスマホ参加で、しかもWIFIにすらつながっていない、なんていうことになったら、そもそも双方向は成立しない。
 それにやっぱり、タイムラグは、限りなくなくなったとしても、ゼロじゃないと、音楽の場合、どう考えても、双方向リアルタイムは難しいよね。
「贅沢言ってる場合じゃない」
とか言われても、こればっかりは仕方ないんだよね。
 Rinascerò,rinasceraiを歌ったロビー・ファッキネッティが最近、テレワークでの演奏を出したろう。



 あれもね、リアルタイムでやっているように見えるけれど、それは不可能なんだ。格子の画面に瞞されてはいけない。
恐らく、まずクリックのテンポを設定し、それに従ってドラムスの人が演奏した映像を撮影し、そこから、それぞれがその音(テンポ)を聞きながら撮影したか、音声だけ先に撮った可能性もある。いずれにしても、歌を聴いていいなとアドリブで反応したり、あのギター、イカすなと思って、それに対しておいしいオカズを入れるとかいう3人以上の同時演奏は出来ないんだ。
 それぞれがオンタイムで演奏したと思っても、どうしてもタイムラグが生じてしまうし、ネット環境に少しでもバラツキがあると、ドラムとギターとの間でさえ、自分に入ってくる音にズレが生じる。同じビートに合わせてでも、撮るのは必ず独りずつだし、それぞれの画像を最終的に、同じビート上にまとめる編集作業が不可欠だ。
 どうしても双方向でやりたいというのなら、たとえば、まずドラムスを撮り、それを聴きながらベースを撮り、そのタイミング合わせの編集作業をして、編集されたドラムスとベースの音源を聴きながら歌を録画し、また編集作業をして、今度は、ドラムスとベースと歌の音源を聴きながらギターが入り、みたいな作業を延々と繰り返すことだな。
 これって、すでにライブ演奏とはほど遠いし、それぞれが家でやることでもないだろう。なんていったって編集する人が一番大変なので、本格的ミキサー機器の整っている録音スタジオでやるのが現実的だ。そうなると、録音スタジオにミュージシャンが順番に入って録画すれば済むことだし、どうせ録音スタジオに入るならば、いっぺんに入ればいいんじゃん。あー、バッカみたい。

 なので、テレワークで、みんながそれぞれの家にいながらのインターラクティブな同時演奏というのは、単なる幻想だ!ああ、人々が三密になって同じ空間にいながら演奏出来るというのは、なんと素晴らしいことなんだろう!
「これからはテレワークの時代だ!」
なんて簡単に言うなよ!

あの人は誰?
 5月31日日曜日の明け方、夢を見た。何人かでキャンプをしていたのだろうか。その中には、長女の志保や孫の杏樹もいたような気がする。その人たちから何故か僕ひとりだけ離れて、付近をブラブラ散策した末に、川のほとりに辿り着いた。すると、そこに掘っ立て小屋のようなものがあって、誰かが住んでいた。

 その人が振り向いた。吸い込まれるような暖かい笑顔にハッとした。それから自然に会話が始まった。何を話したかよく覚えていないが、そんなに真剣に話した印象でもないし、重要な内容でもなかった。でも、ただの日常会話でもなかった気がする。
 その内、彼が歩き出したので、僕も一緒に連れ立って歩いた。市場に出た。彼が、商人に親しそうに話しかけた瞬間、向こうに元のグループがいるのを発見したので、僕は自然に彼から離れて、彼らのところに戻った。
「どこに行ってたのよ?」
というような会話をしているところを、彼が僕のそばを挨拶しながら通り過ぎて行った。その瞬間、グループのみんなが黙った。見ると、みんなあっけにとられている。誰かが言った。
「あの人・・・誰?」
「なんで?」
僕は、不思議に思って訊ねた。
「だって・・・とっても不思議なオーラが出ている・・・」

 そこで目が覚めた。まるで、かぐわしい香りがあたり一面にただよっているような印象だ。その人のオーラに、僕も包まれているようで、心は、いいようのない至福に溢れている。あの人の顔を思い出していた。静かで、優しい目をしていて、すべてを許し、すべてを受け容れているような物腰。

 僕は、あの人のように生きたいと強く思った。そこで、自分自身を振り返ってみると、まず僕は、おしゃべりが過ぎるなと思った。あまりに自分の事を人に伝えたくて、あの人のように、「まず人を全面的に受け容れるところから人と関わりを持つことを始める」という態度に欠けるなと、ごく自然に思えた。勿論、職業が指揮者だし、あまりに物静かになっていても困るということはある。
 でも、そういうことではなく・・・要するに・・・僕は、あの人のような静かで平和なオーラを出したいと思うのだ。澄み切った水面が、あたりの景色をきれいに映し出すように、あの人は、まったく波立たない内面で、僕をみつめ、僕を映し出し、何もしないでも、あの人といるだけで、僕はより良い僕になれると思った。そんな人に僕はなりたい!それ以来、僕はあの人のことを忘れたことは片時もない。

「あの人って・・・もしかしてイエス?」
とも思った。いやいやいや・・・そんな大それたことを考えてはいけない。そんなはずはない。もしかしたら、これが、よく言われるところの、僕のハイヤー・セルフという存在かも知れない。どちらにしても、これだけは確信するけど、彼こそ、僕がこれから手本とするべき人間像であるのだろう。
 とても有り難いのは、“反省”とかする前に、理想像を見せられることで、自然に、自分に何が足りないのか、何が劣っているのか、何を目指せばいいのかを、一瞬にして提示していただいたこと。そして、何故か、僕は将来あそこまで行ける、という確信が持てること。
 もしかして、これもデジャブの一種?でもね、デジャブだったら、もっと僕に似ているよね。あの人の見かけは僕には似ていない。むしろ風貌はイエスに似ている。それに年齢は三十代半ばくらい。
 そういえば、ここのところほとんど毎日、カトリック立川教会に行って瞑想しているだろう。聖堂に入って座ると、毎回十字架上のキリスト像を見つめながら、
「今日も来ました」
と心の中で言う。すると神の家に戻ったという安心感が僕を包み、僕はとってもしあわせになる。その気分に似ている。
 ただ、十字架上のイエスの顔は、夢とは違う。まあ、十字架に架かっているのだから、あんな優しい目なんてできないだろう。

あの人は誰?



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