新刊本に対する竹下節子さんの評

三澤洋史 

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真生会館「音楽と祈り」7月の講座
 真生会館「音楽と祈り」講座は、毎月第4木曜日が基本なのだが、今月は「おにころ」の上演する週にあたっていたため、第3木曜日に変更し7月16日となる。まあ、今となっては、「おにころ」がないので、いつでもいいんだけどね。なので、先月からすぐに講座の週がやってきた感じがする。

 6月の講座では、「音楽に於ける調性と調性感がもたらす表現の世界」という演題で、たまっていた音楽表現への想いを一挙に吐き出した感じであったが、講義が終わってから、ひとりよがりだったかなと思ってやや反省した。
 とはいえ、さいわい、僕に感想をくれるような間柄の人たちからは、批判どころか、「目が覚めました!」のような賛辞が多かったけれど、講座のタイトルである「音楽と祈り」という趣旨からはややはずれていたので、今月はそちらの方面にもやや舵を切ります。
 その一方で、調性のことについて語ったならば、その先もう一歩踏み込んで表現の世界の奥義を語らないと、中途半端で終わってしまうような気もする。こういうことは、プロの音楽家なら経験論として知っているけれど、案外、一般の方達に分かるように説明する機会というのは少ないと思うのだ。もしかしたら、こういう内容を本にしたら売れるかも知れないな、とも思える。

 さて、今月の演題は「技巧とインスピレーションの狭間で」。3部に分かれている。

第1部「ベートーヴェン宿命の調性について」
 これは、先月に内容を盛り込みすぎてタイム・オーバーになってしまい、説明出来なかったもので、要するに先月の内容の繰り越し分。どうしてもこれだけは語っておきたいのである。
 ベートーヴェンの宿命の調性。それはハ短調である。ちょっと思い出してみただけでも、ピアノソナタ「悲愴」、ピアノ協奏曲第3番、交響曲第3番「英雄」第2楽章「葬送行進曲」、交響曲第5番「運命」、コリオラン序曲など、どんどん出てくるし、どの曲も、ベートーヴェンがベートーヴェンであるゆえんの、ベートーヴェン・ワールド全開の作品ばかりである。
 ベートーヴェンといえば、悲劇、運命との葛藤、激情がウリと言われているが、実はそこだけに留まっていない。それが単なるステレオタイプのものだけだったなら、これほどまでに人の心を打ち、人を内面から癒やすことなど出来なかったであろう。
 ベートーヴェンのハ短調の曲の中には、人の魂を内側から奮い立たせる爆発的なエネルギーが宿っており、「生きるとは何か?」とか「我々は何とどう戦って、何を勝ち得ていくべきなのか?」といった人生の本質的な問題を強引に投げかけてくるが、同時に、彼の内面は実にナイーブで傷つきやすく、それだけに傷ついた魂へのシンパシーを求めている。エネルギーと癒やしの力。このふたつの要素が、彼のハ短調の音楽の中に内在しているのである。

第2部「和声について」
 これは多分とっても楽しい時間だと思う。和声とメロディーとの関係を語りながら、僕は、かつて中学校時代にモウモウ楽団の音楽室でピアノを弾きながら行っていた即興演奏を再現してみるつもりだ。
 あの頃、「平凡」などの雑誌では、必ず歌謡曲の歌詞が載っていたけれど、そこにコードネームが付いていた。僕は、曲を歌いながらそのコードネームに沿ってピアノで伴奏を付けていたが、その内、同じコードネームの上に別のメロディーを即興で弾いてみたり、コード展開のパターンを覚えて、それぞれのパターンに従って作曲してみたりした。
 たとえば「ドミナント進行で遊んでみよう」というコーナーでは、「枯葉」「白い恋人達」「別れの朝」などに見られるAm-Dm7-G7-C-F-Bm7(b5)-E7という独特のコード進行を持つ曲の上に即興演奏を繰り広げたり、クラシック音楽の中にも、その進行を持つ曲を探したりする。
 さらに、「主和音から始まらない音楽」では、シューマン作曲、歌曲「クルミの木」や「詩人の恋」冒頭の「うるわしき5月」 、それにワーグナー作曲、楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲の、いわゆるトリスタン和音などに触れ、和声のもつ色彩感や陰影が、我々聴く者の心理にどのような影響を与えるかを語ってみるつもりだ。

第3部「瞑想~インスピレーション、そしてテクニック」
 宗教についてもそうだけれど、人は何かについて、いたずらに懐疑的になるかと思うと、その反対に、何でも無駄にありがたがり、神格化し、崇拝してしまう。では、音楽の中の何がどう霊的なのか?音楽を生みだしている人たちの、何にどうインスピレーションは働きかけるのか?それと技巧との関係はどうなのか?これまで、あまり具体的に語られることのなかった音楽の奥義の部分に、僕はあえて踏み込んで語ってみようと思う。
 ひとつだけネタバレ。みなさんはガッカリするかもしれないけれど、演奏においても作曲においても、ほとんど・・・ほとんど大部分は、実は・・・技巧です。偉大な芸術家は、偉大な職人から始まるのだ。技巧がなければ何も成し得ないのだ。演奏家も聴衆の前で弾く場合、技巧に不安があったら自由ではいられず、場合によっては、思うことの10分の1も表現できなくなってしまう。
 「人事を尽くして天命を待つ」というが、人事を尽くさないと天命は来ないのだ。しかし・・・天命が来るというのも事実である。さあ、その人事と天命との関係はいかに?

 ということで、興味は尽きません。6月の講座は、映像に撮ってYoutubeで配信などと考えていたけれど、未だに実現していません。何故なら譜例だのいっぱい載せなくてはいけないため、映像にするためにはとても大変なのだ。カメラの前に向かって話すだけでは、あまり伝わらないような気がする。それは今月の講座も一緒。
 それよりは、いっそのこと読み物にした方がいいと思っている。この真生会館の「音楽と祈り」講座は、9月から毎月第4木曜日で再開するが、8月がお休みなので、もしかしたら、8月中に画像を盛り込んだ文書を作り、このCafe MDRで発表するのが最も現実的かも知れないなと考えている。あるいは、「ドミナント進行で遊んでみよう」のような内容のものだけはYoutubeでもいけるかな・・・なんて、いろいろ考えてはいるのですよ。

ラテン語ミサ曲に関わったかけがえのない日々
 僕の著書「ちょっと お話ししませんか」(ドン・ボスコ社)は、予想していなかったことがらをも引き寄せる。

 ある時、ドン・ボスコ社の編集者から連絡が入った。ある教区の聖職者からメールでお問い合わせがあったそうだ。
 「思うところあってラテン語のミサ曲を作曲したけれど、自分は音楽については専門外なので、その曲が公にするに耐えられるか、新刊本の著者である三澤氏にチェックしてもらって、出来たらオルガン伴奏譜を作っていただくことなどできないでしょうか?」
という内容の依頼であった。
 そこでその方(仮にA氏と呼んでおく)とメールでのやり取りが始まった。まず、A氏がPDFの添付書類で送ってくれた楽譜の中に、ややクリアでないところ(たとえば、手書きで書いた歌詞がどの音符に付いているかなど)があったので、自分で譜面作成ソフトFinaleで歌詞入りの譜面を作り、「これで良かったですか?」と聞きながら、摺り合わせを始めた。
 その際、僕の方も、相手がそれなりの立場にある人にもかかわらず、無遠慮だとは思ったが、いくつかのアドヴァイスをして、ラテン語のアクセントや語感を生かすためには、こういう進行の方がいいのでは?とか、メロディー・ラインをこう変えたらベターでは?など、恐れ多くも提案してみた。
 A氏も、それに快く応じてくれた。彼にも強い想いがあることを随所で感じたが、それはかえって僕にとっては嬉しかった。ものを作る人には熱いものがなくっちゃ!とにかく、ふたりで根気よく解決策を探す旅に出た。双方悔いが残らないよう「主張」と「配慮」を繰り返し、とうとうベストな方法を見つけ出すことが出来た。後から数えてみたら、メールのやり取りは15往復にも及んだ。でも、とても充実した楽しいやり取りであった。

 実はその頃、僕の心は、緊急事態宣言発令中よりずっと沈んでいた。宣言がとっくに解除されたにもかかわらず、人々が必要以上にコロナを恐れていて、いっこうに動き出さない世の中を残念に思っていたのだ。
 特に、練習場状況や音楽家にとっての否定的な環境に、いいようのない閉塞感を覚えていた。その一方で、不用心な若者達の行動が、夜の街を賑わし、感染者数だけが鰻登りに上昇していく。
 名古屋のモーツァルト200合唱団をはじめとして、愛知祝祭管弦楽団、浜松バッハ研究会、志木第九の会など、みんなきちんとした練習再開のメドが立っていない。少なくとも7月の声を聞けば、ぼちぼちと再開出来るのではないかと、みんな思っていたのではないか?それを楽観的だと誰が責められよう。
 高崎の「おにころ合唱団」も、来年に延期された公演に向かって再び立ち上がろうとしているけれど、特に合唱には無条件で貸さないという公共施設が、いつになってもその態度を崩していない。
 こうした状態がずっと続いている内に、それぞれの団体でみんなのモチベーションが落ちてしまったら、各団体は存続の危機すら迎えてしまう。

 また僕は、公演がみんな中止になって無収入が続いているであろう新国立劇場合唱団のメンバーのことを思っていた。まるで、自分の会社の従業員に給料を払ってあげられない社長のような気分で・・・・。彼らみんな春から収入ゼロで、この状態が秋まで続くのだ。
 夏までの公演は、コンサートも含めてみんな中止になってしまったからもうジタバタしても仕方ないが、では、9月になったら本当に次のシーズンの演目に向けての練習は始まるのだろうか?立ち稽古及び公演において、合唱団はどう三密を防いで動き、歌えるのか?劇場はいろいろ考えているらしいが、新国立劇場が建っているのは、連日新規感染者が200人越えしている東京のど真ん中。歌舞伎町まで歩いて行ける距離。
 僕がいくら、その数は鵜呑みにしてはいけないと叫んでも、数はひとり歩きして、社会はどんどん恐怖で内向きになっていく。こんな状況では、秋が来て冬が来ても、活動を再開することすら不可能なのでは、と心配したとしても不思議はないでしょう。

 そんな閉塞感の中にいる僕を、このミサ曲に関わる日々が救ってくれていた。少なくとも、今自分はA氏の想いを形にしようと努力している。このミサ曲が世に出た時に、みんながなるべく好きになってくれるように、僕はメロディーという体に和声という衣装を着せているのだ。なるべく似合うように、そして引き立つように努力しながら。

 A氏の曲は、決まった拍子を持たないグレゴリオ聖歌風の単声メロディー。だから、このままアカペラで歌っても良いと思うが、とりあえずグレゴリオ聖歌にオルガン伴奏譜がついている例として、カトリック聖歌集のオルガン伴奏譜を学習してみようと思って開いた。
 すると、逆にA氏のメロディーの新しさというか独創的な部分が浮かび上がってきた。こういってはなんだが、カトリック聖歌集のラテン語典礼音楽の伴奏譜はとてもつまらない。リアルなグレゴリオ聖歌には、伴奏は蛇足以外のなにものでもないんだなと思った。それだったら、メロディーをユニゾンで弾いた方がずっとましだ。
 その一方で、A氏のメロディーを眺めていると、きれいな和声が心の中に響いてくる。ああ、この響きで伴奏が作れる、と予感した。また、これはソプラノ、アルト、テノール、バスの4声体にするような楽曲ではないけれど、同声2部ならきれいに響くかなという気がしてきた。
 こうして具体的に伴奏譜付きの楽譜がどんどん出来上がっていった。拍子を持たないメロディーが、たゆたうように流れていくので、ハーモニーに関しても完全に機能和声だけでは処理できないところがある。そこで、旋法的処理を施してみたかと思うとまた機能和声に戻るというイレギュラーな離れ業を繰り返していたが、それが一定の作曲スタイルを形成していったので、ああ、この響きのテイストで全体をまとめ上げられる、と作りながらだんだん嬉しくなっていった。作曲は、ひとつの作品の中でコンセプトやテイストがブレないということが何より大事なのである。

 Finaleというソフトは、単純な4分の4拍子とかが続く音楽は簡単に打ち込めるが、こうした拍子を持たない楽曲は、とても手間がかかる。拍子を持たないように見えても、あらかじめ拍子を設定しなければならないから。たとえば拍子のウインドウで8分の23拍子とか設定して、音符を書き込んで、それからいちいち「拍子を表示しない」という設定にするのだ。次の小節は8分の25小節とか、その次は8分の31小節とかいう風に。
それで作り上げて、やり取りしている内に、
「ここに8分休符をひとつ入れましょう」
という話になると、また大変。でもね、これをやったので結構グレゴリオ聖歌の記譜の達人になった。知らない方には教えますよ。答唱詩編とかも大変だけど、もういろいろが分かったからね。

 さて、曲がほぼ出来上がってきたので、キーボードをオルガンの音色にして弾きながら歌ってみた。驚いた。夢中で作っていたので気が付かなかったのだが、結構良い曲に仕上がっていた。
 もともとラテン語を勉強した聖職者だけあって、A氏のメロディーが、ラテン語によくマッチしていて歌い易かったことには気付いていた。しかしながら、伴奏譜のハーモニーに乗って全体がどんな風に響くのかということに関しては、僕にも当初は仕上がり状態が見えなかった。
 でもこれなら、一地方教区に縛られることなく、全国レベルで発表してもおかしくないのでは、と思い、それを正直にA氏に告げた。
「私の名前など、何の力にも箔にもなりはしないけれど、三澤がこの曲を評価し、太鼓判を押した、とおっしゃってくださって構いません」
と書いたら、A氏は素直に喜んでくれた。

 恐らくその内、何らかの形で、このミサ曲は公に出るであろう。そのあかつきには、作曲者の名前もお知らせすると思うし、どんな曲かも皆さんの耳にお届けしたい。僕も、次のミサ曲を作曲する時には、これに似たスタイルで作ってみるのもいいかも知れないと思い始めている「今日この頃」である。

新刊本についての竹下節子さんの評
 パリ在住の竹下節子さんが、僕の「ちょっと お話ししませんか」を読んでくれて、その感想をご自身のブログに書いてくれた。竹下さんは、僕がこれまで遭った全ての女性の中で、最も知的で聡明な人だと断言するが、そういう人が僕の本を読むと、こんな風に感じるのか、と、いろいろ教えられることが満載であった。
https://spinou.exblog.jp/31447206/
 先の真生会館の記事でも触れたテクニックと表現に関して、竹下さんは、「マイナスからゼロへの過程」及び「ゼロから無限大まで」という表現に共感をもってくれているが、僕よりももっと掘り下げて、的確な表現で僕の言い足りないところを補ってくれているのがありがたい。

 また、僕の父親の「遣え!遣ってくれ!そうしないと親として一生後悔することになる」という言葉に、涙が出たと書いてある。ああ、竹下さんていいひとなんだなあ、と素直に思った。
 この本って、カトリックの会社から出版されているだろう。でもさ、信仰生活って、教会にどれだけ通ったかとか、そういうんじゃなくって、結局その人の信仰というものが、実際の人生の中で、どのような想いや行動に落とし込めるか?ということが大事じゃないですか。
 また、どういう言葉に何を感じるか?とか人の情というものに、どれだけ踏み込めるか?とか、そこまで行ってはじめて、信仰というものがその人の内面でどのように生きているか、あるいは内面をどのように支えているかが分かるというものだ。
「遣え!遣ってくれ!」
という言葉を読んでも、「ふうん」で終わってしまう人がほとんだと思うし、書いた僕自身、読者にそこでピンポイントに感動してもらおうとも期待していなかったので、特に表現を強調したわけでもなかった。でも、そんな風に読んでいただいたら、著者冥利に尽きます。

 あとね、こういうことが書いてあった。
「三澤さんのこの本にはフランス人作曲家はフォーレしか挙げられていなくて、しかも、フランスは音楽の大消費国だけれど、フランスは作曲に恵まれないって・・・」
 そこですぐに竹下さんにお詫びの返事を書いた。たしかに僕は、竹下さんと違って、まだフランス・バロックにきちんと出遭っていないんだよね。そこのところについては、全く竹下さんの言う通りです。勉強します。いつか必ず出遭います。

 ただね、古典派からロマン派までに限定すると、あの頃、パリに集った、リストやショパンなどは、みんなお登りさんで、そこで、ハンガリーやポーランドという故郷を思いながら活躍していた。
 彼らは成功したからよかったけれど、モーツァルトや若き日のワーグナーは成功を夢見てパリに渡り、それぞれ深い挫折を体験しながら帰って行った。モーツァルトは、その地でお母さんを亡くしたんだ。
 そんな風に、当時のパリが偉大な音楽産業の街であったことは事実で、偉大な才能をボーダーレスに受け容れる鷹揚さと、安易に見棄てる残酷さとを併せ持っていた。
ヴェルディは、パリ・オペラ座からの依頼で、無理してフランス語で「ドン・カルロス」初稿5幕版を書いた。現代では、特別な機会以外はこの版は用いられていない。
 ワーグナーの「タンホイザー」パリ版は、果てしなく続くバッカナーレで、タンホイザーが耽溺していたエロスの世界がこれでもかと描かれているが、最終的に魂の救済を描くこのドラマにとっては、そちらの方にバランスが行きすぎることはいかがかと思われる。しかも、自分のお抱えのダンサー達を観に来る裕福なパトロン達の為にバレエ・シーンを延ばしたのに、パトロン達は通常2幕以降に来るのが習慣だったため、結局不評であった。
 そういうところって、現代の芸能界みたいで、「売れないとしょうがない」といった大都会の気まぐれと我が儘の中で、偉大な芸術家達も翻弄されていたのだ・・・・ええと、何を書いていたんだっけ???あ、パリの悪口書いていてもしょうがないんだよね。

 ただドビュッシー以降、あるいは印象派絵画以降のフランスは素晴らしいではないですか。偉大なる創作の地として立派に位置づけられています。実は僕は、ドビュッシーは現代音楽作曲家として、シェーンベルクやウェーベルンなどとは比べ物にならないほど評価している。
 響きは無調には聞こえないけれど、機能和声から逸脱したという意味では、ミュージック・セリエルが死んだ現代においても、大きな意味を持っているのだ。あの「イパネマの娘」を作曲したアントニオ・カルロス・ジョビンも、ドビュッシーへの傾倒から、数々のヒット曲を紡ぎ出したのだ。あの、メージャーセブンスの軽やかな響きはドビュッシーから来ている。それに引き換え、シェーンベルクに傾倒して大衆の心を掴んだ作曲家っていないだろ。ははは、ざまあみろ!
ということで、どんどんハズれてきていますが、竹下さんのブログを読んで下さい。

バイエルン放送協会の飛沫実験
 バイエルン放送協会が、バイエルン放送合唱団の団員を使って、飛沫実験をしたレポートがネットに公開されている。本当は、全文を丁寧に訳してみなさんにお届けしたいところであるが、時間がないので要点だけかいつまんで書いてみる。
 ドイツの音楽界、特に合唱界では、合唱というものが、最も飛沫が飛び、新型コロナ・ウイルスの感染拡大を促すものとして警戒されていた。特に3月8日、オランダのアマチュア・コーラスが「ヨハネ受難曲」演奏会を行った際、130人の合唱団員の内、なんと102人が感染するという大規模なクラスターを引き起こしてしまってからは、合唱に対する警戒はマックスになったという。
 それに対して、ミュンヘンのドイツ国防軍大学の研究では、「歌唱における飛沫は、日常会話のそれとほとんど変わらない」などという楽観的な結論を出したりしてみたが、それでは先の合唱クラスターについての説明がつかない。労働組合がいろいろ騒いだりしたのを受けて、バイエルン州立政府は、「歌唱の場合は、前後6メートル、横3メートル互いに距離を取らなければならない」という極端に厳しい規制を出したりと、ドイツ国内でも様々な混乱が続いていた。

 そうした中、二人の学者が行った実験は(気晴らしにやってみようかという偶然の産物であるが)、煙草の煙を歌手に吸わせて歌いながら吐き出させ、それをレーザー照射で可視化して、 高速カメラで撮影し解析するという画期的な方法で行われた。
 そして、そこから導き出された結果は、ある意味、歌手や合唱団員にとっては朗報となったという。ただし、歌唱空間の換気状態にかなり負うところがあるという結果ももたらすこととなった。

 一般に飛沫と言っても2種類ある。我々が唾として肉眼でも見える大きな飛沫。これは、確かに子音を強くしゃべったり歌ったりした時には、大量に空気中に出されるが、母音での歌唱だけだと、ほとんど問題にならないという。それに、この大きな飛沫は、比較的近い距離で下に落ちてしまうので、見かけよりは安全である。
 それにひきかえ、もうひとつの、ドイツ語でAerosolアエロゾルと呼ばれる“もや状”の飛沫の方が問題である。これは5ミクロンから大きくとも10ミクロン、すなわち0.005mmから0.01mmの極小の粒子を持っていて、大きな飛沫よりもずっと長く空中を漂うのだ。
 しかも、ちょっと不安になるのは、マスクをした場合、大きな飛沫は防ぐことが出来るが、アエロゾルは、マスクの間からいとも簡単に外に出て行くといわれる。また、意外にアエロゾルは、口から吐き出された後、前方だけではなく、頭部を中心にして横方向にも流れていく。

 とはいえ、煙草での実験の最終結果だけ言うと、歌唱の場合、縦が互いに2メートルから2・5メートル、横が互いに1・5メートル離れることが必要ということである。何故なら、合唱団の場合、互いに同じ方向を向いているので、対面しているよりはずっと安全なのだそうである。
 そうすると・・・向かい合って話し合っている方が、相手のアエロゾルを直接吸い込む確率がずっと高く危険だということになる。まあ今日は、これに僕の個人的感想を加えることは慎もう。サイトの映像は、ドイツ語の分からない方にも、結構伝わると思うので、興味のある方はどうかご覧になって下さい。



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