もと海さん、中村健先生と結婚

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

新国立劇場、始動!
 昨日の10月4日日曜日、ベンジャミン・ブリテン作曲「夏の夜の夢」で、新国立劇場の新シーズン初日の幕が開いた。
そして今日、すなわち10月5日月曜日。僕は久し振りに、新国立劇場内の“いつもの”稽古場の指揮者用の椅子に座り、モーツァルト作曲「魔笛」の合唱音楽稽古を始めた。

 始めてみると、何のことはない、昨日と変わらないと錯覚するほどの“日常の風景”がそこにあり、その風景にすっぽりと溶け込んでいる自分がいた。しかしながら、よくよく考えてみると、中断した「ホフマン物語」の最後の合唱稽古から、なんと半年以上も経っているのだ!
 そしてその間に、稽古も本番も全く消えた果てしなく長い歳月がそこに横たわっていたというのに、あまりにも当たり前に、僕は新人団員のためにドイツ語の発音の見本を自ら示してから、リズム読みを団員達にさせて、それからゆっくりのテンポで音をつけて歌わせ・・・・あれれれ、こんなはずじゃなかったぞ。もっと特別なことだろう。これって・・・だって半年ぶりだよ・・・半年・・・・。
 ところが、歌わせてみて目が覚めた。感動が全身を包んだ。やっぱりプロの合唱団の声だ。パワフルでありながらしなやかで、量感があるが威圧的ではない、僕が約20年かけて求め続けてきたサウンドが、半年のブランクでも失われていなかった。その喜び!

ここから再び始まるんだ。僕の日常が。
僕はまるで長い冬眠から覚めたように、新しい光と風を感じている。

もと海さん、中村健先生と結婚!
 久し振りにソプラノの内田もと海さんからメールが来た。
「この夏、天使が舞い降りました」
という謎の文章と共に、僕の声楽の恩師である中村健先生が号泣している写真が飛び込んできた。
「ははあ、健先生ったら、またどこかの演奏会に行って、感動して泣いているんだな」
と思いながら、何枚かの添付写真を見ていったら、最後に証書のようなものが付いている。

私ども  中村健 
           内田もと海は、
9月1日に入籍し、9月10日にシルバーシティ武蔵境にて、
結婚式を致しました。
もっともっと愛していきます。
命の続く限り愛していきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
え、ええええええっ!

写真 結婚式で中村先生が内田もと海さんの手を取って号泣
結婚式


 中村健先生はもう88歳。最初の奥さんは、我が国のプリマドンナのうちのひとりである中村邦子さんであるが、1996年に亡くなっている。その後、いつからか、しだいに足が悪くなった健先生を、もと海さんがかいがいしく介護している姿を、新国立劇場をはじめいろんなところで見るようになった。
 健先生は、僕の「おにころ」を観に、わざわざ高崎まで来てくれたり、昨年夏はMissa pro Pace初演にまでも来てくれた。最近どんどん感激屋になってきて、僕のミサ曲のあとの楽屋エリアでも、
「素晴らしかったよ、本当に良かったよ!」
と言いながら号泣してくれていたので、今回の写真もまたどこかの演奏会かなくらいに思っていた。
「なあんだ。結婚式かあ。それじゃ泣くわな・・・・おっとっとっと・・・なんて素晴らしいんだろう!もと海さんらしい生き方だなあ!」
と、僕は手放しで彼女に賛辞を捧げる。

 僕は直接接していないのだが、もと海のお父さんは評判の人格者だったそうだ。当然、彼女もとってもお父さん子であったというが、お父さんは早くして亡くなってしまった。そのお父さんの愛情への恩返しの想いもあるのかな?でも、勿論そんなセンチメンタリズムだけでは、結婚にまで漕ぎ着けるわけがない。
 一方僕は、弟子として、健先生の暖かさと包容力をよく知っている。僕の著書「オペラ座のお仕事」でも書いた通り、国立音楽大学声楽科にいた僕が、指揮の勉強をしながら無事卒業することが出来たのは、寛容な中村健先生のお陰なのである。
 だから、その歳になって、もと海さんのように献身的な人を伴侶に得るということは、まさに健先生の人徳の成せる業以外の何ものでもないことを確信している。

写真 妻からの結婚祝い 
妻からの結婚祝い

 ということで、昨日(10月4日日曜日)、国立にあるもと海さんの家に、妻の作ったロウソクを伴ったフラワー・アレンジメントを届けに行った。その日は午後から、孫の杏樹が通っているフラワー・アレンジメントの教室で、ハロウィン特集をやるというので、杏樹はハロウィンのコスプレのいでたちで同行した。
 いろいろ結婚に至るまでのいきさつを聞いたりして楽しいひとときを過ごした。結婚したとはいえ、健先生は、基本的には老人用の施設に入っている。でも、それでもお互い満足なのである。ならば他人が何をか言わんである。

写真 内田もと海さんと杏樹
内田もと海さんと杏樹


おふたり、末永くおしあわせに!
健先生、愛に溢れて溢れて、残りの人生を輝いて進んでいってください!
今世だけでなく、来世もあるでよ!

写真 内田もと海さんの家で妻、杏樹と3人
内田さんの家で

Rinascerò, rinascerai録画してYoutubeへ
 緊急事態宣言が発令されて、日本全国の動きがストップした時、僕はロビー・ファッキネットRoby Facchinetto氏が発信したRinascerò,rinascerai(僕は甦る、君も甦る)のYoutube映像にとても力づけられた。


 ファッキネット氏は、新型コロナ・ウイルス感染による被害の最も多かったベルガモの聖ヨハネ23世病院のために、この曲の版権を寄贈し、Youtubeをクリックするだけで、寄付がその病院の医療団に渡るようにとりはからった。
 その曲自体に感動すると共に、僕は、音楽家たちが自分たちの存在意義を否定されて無力化に沈んでいる中、映像という手段を通して価値のある行為を行っているファッキネット氏に大いなるリスペクトを捧げ、自分が再び音楽活動を再開した際に、真っ先にこの曲を演奏したいという想いを胸に秘めていた。

 それがようやく叶う。僕が音楽監督を務めている東京バロック・スコラーズでは、10月17日土曜日に、僕自身が編曲したRinascerò,rinasceraiの混声合唱版の譜面を使って、イタリア語と日本語の二つのバージョンの録画をし、編集してYoutubeで発信する。そして勿論、編曲の許可をくれたロビー氏へその報告をする。

 僕は、この混声合唱版だけでなく、ソリスト用編曲が2種類、教会用のオルガン伴奏版、女声三部合唱版などの編曲を行い、僕に申し込んできてくれた人や団体に無償で提供していた。雑誌「カトリック生活」などが、その旨を載せてくれたりしたお陰で、予想していたよりもずっと多くの人が利用して、その中にはビデオを送ってくれたり、YoutubeのURLを知らせてくれたりして、ちょっとした交流が生まれて、やって良かったなと思ってはいたけれど、本人がそれを発信する機会を持てなかったことだけが心残りであった。だから、僕とすると、待ちに待った録画である。

 僕だけではないと思うが、このコロナ禍で自分と向き合うことを余儀なくされ、いろんなことを突きつけられ、いろんなことを思い、自分の人生そのものについて思索した。コロナがあって良かったという心境には未だ至ってないが、少なくとも、コロナのお陰で気づかされたことは少なくない。
 この題名の元になったrinascereという動詞はriとnascereの造語で、リピート(繰り返し、再び)のリと「生まれる」ということなので、「再び生まれる」「再生する」という意味である。このnascereの名詞はnascimento「誕生」だから、それにriが付いたrinascimentoは、フランス語にするとrenaissanceルネッサンスである。
 この録画は恐らく僕の人生にとってもルネッサンス的な意味を持つだろう。コロナ禍から再び甦った時に、自分は一体、何をあえて手放し、何を掴んだのだろうか?東京バロック・スコラーズの皆さんも、どうか、ひとつひとつの歌詞に自分のコロナ禍での様々な想いを重ねつつ、聴いてくれる人たちに新たな希望を与えられるような、素晴らしい映像を撮ろうよ。基本、笑顔でね!

「マエストロ、私をスキーに連れてって2021」やるぞ!
 コロナ禍のため、今度のスキー・シーズンでは、本当にスキーができるのかな?と懐疑的であった。冬にコロナやインフルエンザがどのようになるのか分からないし・・・何よりも、夏の間に、スキーをするための資金を充分に稼いでおいた、というにはほど遠い状態であったから。
 とはいえ、いずれにしても全くやらないという手はないだろう。宇宙人バシャールも言っている。
「ワクワクすることを第一にしなさい」
と。
 
 ちなみに、バシャールというのは、ごくごく最近になって知った。神様は子供の頃から信じていたけれど、宇宙人に関しては、宗教的あるいはスピリチュアルなものと結びついて考えたことはなかったからだ。
 ところが、最近Youtubeを意味もなくサーフィンしていたら、突然ダリル・アンカの早口英語が耳に飛び込んできた。驚いたことに、彼の言っていることが僕の常日頃思っていることと全く一緒だったのだ。
 その時ふたつのことを思った。
「これはヤバイ。僕も日頃、ワクワクが大事と言っているし、自分の著書にも書いている。そうした僕の考えは、全く誰にも教わらないで僕自身から出てきたものなのに、もしかしてバシャールからの受け売りとかパクリだと誤解している人が世の中にいたら嫌だな」
もうひとつは、
「もしかしたら自分も、宇宙人?」
まあ、ワクワクに従って生きるのは、全ての人にとっての真理だ。それを僕が言おうが、バルタン星人が言おうが、構いはしない。

 まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、僕がワクワクすることを行うことは、宇宙の命令でもあるので、まずとにかく決めちゃおうぜ!

「マエストロ、私をスキーに連れてって2021」キャンプをやります。ただし1回だけです。
2021年2月27日土曜日及び28日日曜日
それ以上のことは、まだ何も決まっていません。これまで使っていたペンション・カーサビアンカがこの間のスキー・シーズンが終わってからクローズしたので、ただいま代わりの宿泊及び講演会などの場所を探しているところです。
 でも、参加したいなと思っている方のために、とりあえずスケジュール表に書き込んでおいていただきたいので、日程だけ出したわけです。いずれ、もっと詳細が決まった段階で、正式に申し込みを開始するので、それまで待っていてください。

今後の講演
 真生会館の「音楽と祈り」講座の10月のテーマは「死者の月とモーツァルトのレクィエム」。10月22日木曜日10時30分から12時まで。

 11月は、カトリック教会における年間の暦が最後の時期に入ると共に、11月1日が諸聖人の祝日、次いで2日が死者の日となり、ミサの途中で語られる書簡の朗読も、終末について語られることが多くなることで、死者の月という位置付けがされている。それにちなんで、死者の月の説明と共に、モーツァルトの最晩年の未完の作品である「レクィエム」をテーマに語ってみる。

 「モーツァルトのレクィエム」にまつわる様々な謎と共に、この曲が何故これほどの傑作であるのかについてあますことなく述べてみるつもりだ。特に、この曲は、ただ傑作というだけではなく、モーツァルトの書いた他のどの曲にもない、ある際だった特徴があるのだ。
 この話題は、あまりに面白く興味深い。1回こっきりではもったいないので、いつかZoomによるリアルタイム講演会を開催し、より開かれた人たちに知らせてあげたいと思っている。

 11月1日は、朝の9時30分から、角皆優人君が行っているスキーZoomレッスンでお話しする。テーマは「音楽とスキーの深い関係」。
 これは、スキーをする人と、音楽を聴いたり演奏したりする人の両方にとって、とても興味深くかつ意義のある講演になると信じている。特に、音楽を運動力学の点から語り、スキーや水泳などと結びつけて論じることは、これまで音楽家からの発信は、あまりなかったかも知れないが、僕は、音楽家にもっと、自分たちがアスリートであるという意識を濃厚に持って欲しいと思っている。

 指揮者など、人に自分の音楽を正しく伝達できてこそ成り立つ職業なのに、エモーションとフィーリングのみで音楽が表現できると思っている人が多い。無意味に曰く言い難しという感じで腕を動かしているので、その元で演奏している楽員が、
「よく分かんねーけど、とりあえずこんな感じかな?」
と思って、半ば当てずっぽうで弾いていたりもする。指揮者も指揮者で、オケから出てきた音像が、自分の意図したイメージにホントに相応しいかどうかよく分かんないで、つまり指揮する方も演奏する方も、双方よく分かんないで、なんだかよく分かんないものが出来上がって、なんとなくハテナって感じながら、まあいいのかな・・・という演奏って、結構世の中多いよね。

あ、そこのプロ楽員の方、うなずいてますよね。

 でももし、指揮者の伝達方法が純粋物理的法則に従ったものであることを完全に認識したならば、こんなにもオーケストラが自分の手足のように動いてくれるのか、と思うほど、明確な方向性が打ち出せるのだ。そうなると、今度は、指揮者が、そもそもどれだけ明確なイメージを事前に持っているか、ということが問われるわけよ。で、本当は、そのイメージこそ、まず最初にアーティストが取り組まなければならない問題でしょ。
 一方、ピアニストやバイオリン奏者などの世界では、メカニックの世界での過当競争が行われているけれど、何を自分は表現したいか、どんな音楽を奏でたいか?というものがないと、そもそも音楽家になった意味がないじゃない。そして、何を表現したいかがあって初めて、ではそこに到達するためにどうすればいいのか?が追求されるのだ。

 一方、それはスキーにも言えることである。ひとつだけ言っておきたいが、僕は、この先どんなにスキーが上手になっても、競技に出場するつもりはない。何故なら、僕にとってスキーは競技ではなくアートなのだ。すなわち、自分が他の誰でもなくて自分であるという自己表現をする媒体なのである。

 では、自分が楽しければいいのだから、テキトーに滑っていればいいのか、というと、それは断じて違う。僕は自分なりに最も美しいと思われるスキーをしたい。そして、その美は、機能美でないといけない。
 たまにパソコンが壊れて新しく自作する時、僕はマザーボードを惚れ惚れしながら眺める。様々な機能をひとつの板に落とし込めるこの技!無駄を省き、最も能率の良いように並べられた各パーツ。それの結晶は、通常のアートの美しさとは違うが、別の意味での美を僕に感じさせるのだ。それは、恐らく物理学者が、ひとつのシンプルな数式をじっと眺めながら、
「美しい・・・」
とつぶやくのに似ている。
 さて、では僕が追求するスキーにおける機能美とは何か?それを語ると、最終的に指揮法の放物運動やふりこ運動などの物理的運動に戻ってくるんだな。

 ということで、スキーヤーは勿論のこと、音楽関係の人たちに沢山参加していただきたいZoomレッスン(講義)です。是非申し込んで下さい!

 さらに11月になると、二期会の「英語の歌研究会」からもZoomによる講演を頼まれている。こちらは内部の団体なので、あまりオープンに宣伝するものではないが、宗教音楽について語るつもりだ。しかし、こんなにZoomを活用するとは、半年前に誰が想像したであろうか!

Zoomの可能性は、まだまだ広がっていく!



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