1拍目は叩いちゃいかん!

三澤洋史 

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「魔笛」の下ごしらえ完了
 先週は、新国立劇場合唱団と「魔笛」の音楽稽古をしていた。合唱団員は、縦2メートル、横1.5メートルのソーシャル・ディスタンスを取り、さらにマスクをして歌っている。最後列の団員とは距離はあるが、普段、オペラの舞台では、そのくらい広がって歌うことは特別なことではないから、大きくズレることはない。
 それでも何度かは、
「特に後ろの人は、ピアノの響きを聴いて、それに乗って歌うのでは遅れるので、なるべく指揮の動きに合わせてね」
と、アンサンブルの鮮度を保つために言わなければならなかった。音楽稽古で指揮に注目するという意味では、かえっていいかも知れない。

 基本的にマスクをして歌うことが要求されている。みんなよく従っている。まだ茅野の新日本空調での実験の結果は出ていないが、先日朝日新聞でも記事として出ていたように、一般的にも僕の可視化実験の印象としても、不織布マスクが結構優秀で、逆に言うと、これ以上高くて素晴らしいマスクを買う必要はないように思われる。

 マスクをした歌唱は、勿論クリアー感は多少失われるが、予想したほど音量が損なわれているわけではない。オーケストラと一緒でも声が消されることはないと思われるので、見栄えさえ考えなければ、コンサートでマスクを付けても演奏としては成立はする。
まあ、オペラでは、本番だけはノーマスクがベターなことは勿論である。

 最終音楽稽古では、それぞれの場面を列ごとに分けて歌わせ、その時歌っていない人には他人の歌を聴いて暗譜のために使うように、という指示を出して、何度も何度も繰り返して、頭に叩き込ませた。

 これは、料理で言えば、下ごしらえの段階だね。これから立ち稽古に入って、実際の調理に入るわけだ。でも、材料の仕入れと下ごしらえこそ、おいしい料理の鍵を握る、大事な段階なのだ。合唱指揮者は、地味に見えるかも知れないが、実にやり甲斐のある仕事だし、僕にとってはまさに天職だと思う。ということで、ひとまず下ごしらえ完了!

スキー・キャンプ一気に実現へ
 「マエストロ、私をスキーに連れてって2021」キャンプの宿泊がなかなか決まらなくて困っていたが、なんと閉店したはずのペンション・カーサビアンカから連絡があって、コロナ禍の影響でよその土地への転居が無理となったため、細々とであるが、白馬五竜で営業を続けているとのこと。そこで早速、スキー・キャンプの宿泊の面倒を見てもらうことをお願いした。このことで、一気に今度のシーズンのキャンプも実現に向けて踏み出せそうだ。

 ただ、このコロナ禍で、まだいろいろ詰めなければならないことがある。来年2月終わりのコロナ状況は、現在では分かるべくもないが、キャンプそのものは、レベル毎に班に分かれるし戸外なので、人数がいくら増えても何ら問題はないだろう。
 また、講演会はソーシャル・ディスタンスを取れば出来るとしても、懇親会については、うーん、どうなんだろうなあ?とか、そもそも友人同士での同室を許可するか?とか、宿泊の定員をどうする?とか、不確定要素がまだ多い。

 間もなく申し込みを開始しますが、そうした問題が、皆さんが申し込むにあたって、全てクリアになっているはずもないので、申し込み後の多少の変更は覚悟の上でお願いします。まだ、いくつか確認をしてからなので、申し込み開始は11月に入ってからかな。早く申し込まなければと慌てて、以前のアドレスにアクセスしないでくださいね。多分閉じてはいないと思うけれど見ないからね。
新しいアドレスを開設しますから、待っててね。

キャンプは、2021年2月27日土曜日及び28日日曜日に開催します。
2月26日のプレ・キャンプも予定しています。

 その前に、キャンプの講演会よりもずっと長い時間取って内容もしっかり詰まっている、角皆君のフリースタイル・アカデミー主催の、僕のZoomレッスンにみなさん参加して下さい。
11月1日日曜日、朝の9時30分から。演題は「スキーと音楽の深い関係」。
アクセスはこちらから。

1拍目は叩いちゃいかん!
 指揮法のZoomレッスンをやって分かったことがある。受講者のほとんどにある傾向性が見られることだ。それは第1拍目だけ、常に「叩き」をやってしまうこと。

 Youtube「スーパー指揮法」でも言っているけれど、「叩き」というのは、基本的にリカバリーのためのテクニックで、オケがグチャグチャになった時にそれを使うと即座に合わせられるが、「叩き」そのものは音楽的ではないので、僕の指揮の技法は、「叩き」を中心に組み立てられてはいない。
 とはいえ、叩きを避けているわけでもない。「叩き」を含む放物運動を完璧に行うことは、指揮の運動の重要課題であるので、僕も、ベルリン芸術大学指揮科に在籍していた時代には、毎日の日課を「叩き」から始めていた。同時にサイトー・メソードで「しゃくい」と呼ばれる、振り子運動も、完全に物理的法則に従って動けるように、限りなく練習したものだった。

 さて、僕のスーパー指揮法における基本図形は、「叩き」を作らない曲線のみで成り立っている。各拍には、周到に角を作らないようにし、レガート・ラインをなぞるようにしている。この図形は、恩師である山田一雄先生から受け継いだものだ。


4拍子の図形

 しかしながら、いろんな指揮法の本を読んでみると、たいていは、もっと直線ラインで角のある図形を基本にしている。4拍子で考えた場合、特に4拍目から1拍目に渡るラインでは、真下に振り降ろす1本線を、1拍目の点後にそのままなぞって2拍目に向かうわけだから、1拍目の点近辺で何が起こるかというと、瞬間的に真逆に向かうための激しい「叩き」(衝突)が生じるわけだ。そうすると、同じ1本線を往復するわけだから、ゆったりとしたレガートの音楽で「ふりこ運動」をしようと思っても、どうやっても「叩き」になってしまうのは必至だ。


他のメソードの図形

 では1拍目が「叩き」ではどうしていけないのか?それは、叩いてしまうと、連続して流れていく音楽のラインが、どうしても途切れてしまうからだ。
「指揮とは、打点によって拍を刻む行為」
と思っている人が多い。確かに拍がきちんとテンポ通りに刻めないと、指揮として成り立たないのは当然だ。しかしながら、本当は、
「指揮とは、拍を示しながら最終的には音楽を表現する
行為であって、拍の提示もその中に入ってはいるけれど、とどのつまりは、奏者が、指揮者の運動を見ながら、楽譜に書いてある音符の羅列から「相応しい音楽表現に到達する」ための手助けをするものだ。
 そして、その音楽表現は何によって示すことが出来るかというと、打点ではなく「ライン」によってなのである。すなわちそれは、打点と打点の間の加速や減速の割合の変化で様々な表現をすることに他ならない。よって、そのラインはなるべく角のない美しいシュプールを描くべきなのだ。
打点そのものは、実は、なくて済むならば、ない方が望ましいのである。
 実際、打点は、なくても奏者には分かる。そのことを僕はYoutubeの「ふりこ運動」で示した。ふりこやブランコは打点を作らないが、真下に来た時に「あ、今だな」と分かる。重力の関係で最大速度となる真下のポイントを中心に、前後の加速と減速との割合が一定であれば、我々は、弧を描く一線上にある架空の点を予感できるからである。
 だから指揮者の描くシュプールは、レガートの場合、F1のレーシング・サーキットのようになる。特に第1拍は、ヘアピンカーブのような形状となるが、少なくとも行き止まりになって車をバックさせなければならないようには、けっしてならないのだ。

 この点にはっきり気付いたのは、ある受講者のお陰だ。彼は、他の拍はとっても音楽的なのに、何故か第1拍目だけ非音楽的になって音楽の流れが常に途切れてしまっていた。僕は、どうしてなんだろうと思ったが、よく観察したら問題点が分かってきた。
 どんなにゆったりした音楽であっても、彼は常に1拍目だけ「叩き」を行ってしまっていたのだ。彼自身もそれが音楽的でないのは分かっていて、時々は1拍目の点で一時停止をし、そこから2拍目までのラインを始めていた。
 この問題は、そんなに深刻でもないように思えるかも知れないが、実は大問題だ。何故なら、音楽は第1拍目でダイナミックやテンポが変わり、新しい表情となることがとても多いから。ここで叩かれたり止められたりしてしまうと、その度に奏者はまるで「見棄てられた」ような気持ちになってしまうのだ。
 逆に、第1拍目を叩かずに、第1拍目から第2拍目までのラインを明確に描くことによって、第1拍目から始まるフレーズやモチーフのコンセプトがどれだけはっきり奏者に伝わることだろう。

 また彼は、レガートを音楽的に表現するために、「叩き」を躊躇することから、1拍目の叩きの点後の跳ね上げが小さく、僕から見ると2拍目に「横入(よこはい)り」してしまうように見えた。こうすると、2拍目までの動きが小さいし、それ以降の動きも位置が低く小さくなってしまう。その結果、指揮全体の動きがせせこましいものになってしまうのだ。
 ラインで音楽を見せるということは、ラインを最大限まで大きくできる可能性を持っていた方が表現として有利なので、僕は彼に、基本的に1拍目の後のシュプールは、真上までなぞった方が望ましいこと、また、2拍目以降も、もっと表現のパレットを広げることを指摘した。
 すると、これらを矯正しただけで、彼の指揮は見違えるように音楽的で、フレーズも伸びやかに表現できるようになった。元々かなり優秀な人だけに、ひとつ問題が解決しただけで、上達の振れ幅が大きかったのが僕には嬉しかった。
彼は言う。
「これまで勉強してきた図形がこうだったのです。今、全て謎が解けました」

 僕はハッと思って、他の受講者の図形にも注意を向けてみた。するとみんな、僕のYoutube映像は観てくれているので完全に直線的な人はいなかったが、1拍目に関しては、多かれ少なかれ点を叩いてしまう傾向があった。それをひとりひとり矯正したら、それだけで受講者からそれぞれの“音楽”が発信されるようになった。

 世の中に流通している指揮法は、僕には過剰防衛に思われる。指揮者は、
「合わなかったらどうしよう」
という恐怖症に陥りながら指揮しているし、それを生徒にも教えているように思われる。
 一方、カラヤンもアッバードもクライバーも、叩かなければ合わないようなオーケストラを相手にしていないということもあるけれど、むしろオケが合った先に、どんな音楽を構築するか?ということがメインの動きをしている。
 アマチュアのオーケストラや吹奏楽に練習を付ける場合、僕も割り切って、最初は結構「叩き」を使って指揮をする。けれど、アンサンブルが合ってきたら、もうなるべく「叩き」は手放さないといけないと思っている。
「もし自分が叩かなくなったら、また合わなくなるんじゃないか?」
と恐れていたら、いつまでたっても相手は独り立ちできない。相手がアマチュアだったらなおのこと、独り立ちさせるよう導かなければならない。過保護の子供を手放さないよう甘やかしておいてはいけない。そして指揮法も、奏者と“大人の付き合い”ができるよう導くものでないといけない。

 「教えつつ学ぶ」という言葉があるが、この歳になって受講者から学ぶことが多い。そして、それはそのまま自分の指揮法に生かせるのだ。



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