多忙な週末が戻ってきた
11月7日土曜日、13時30分。高崎線新町駅を降り立った僕は、新町公民館に向かった。「モツベン」と呼ばれている「モーツァルト・レクィエムを勉強する会」の練習に行くためである。この会の由来はこうである。
まず、モーツァルトの命日である12月5日の深夜に、ウィーンのシュテファン大聖堂(モーツァルトの葬儀を行った教会)で、モーツァルト・レクィエムを演奏するツアー企画があった。指揮するのは僕で、オケはシュテファン大聖堂管弦楽団、ソリストはウィーン歌劇場のアンサンブル・メンバーからということである。
そのために、東京、名古屋そして高崎の3個所で、ツアーに参加して合唱を歌うメンバーを募集し、6月から練習を開始しようとした矢先、新型コロナ・ウイルス感染者が増えて、そのツアー企画自体が立ち消えになってしまった。
ところが、高崎はたくましかった。企画は流れたが、
「せっかくだから自分たちでモーツァルト・レクィエムを細々と勉強しない?」
と、指導者の猿谷友規(さるや ともき)さんが言い出して、それに同調する人たちが集まって「モツベン」が新たに生まれたのだ。
そもそもこのツアーを企画した「フルスコア インターナショナル/ヴィガーK2株式会社」という長い名前を持つ旅行会社では、合唱練習の費用はツアー参加費の中から捻出されるので、月謝のようなものはとらなかったが、高崎では、ちょうど7月下旬に公演を計画していた「おにころ」の練習を夜間にしていた時期でもあり、よく分かっていない人たちがその前の時間の「レクィエム」練習に参加してしまったので、主催者があわてて臨時にその人たちだけ参加費を徴収するという場面もあった。
そんな風だから、ツァー計画が立ち消えになってしまった後でも、場所を高崎市内から、無料で貸してくれる新町公民館に移して、自分たちでひとりひとりがレッスン料を払って、猿谷さんを中心にモツベンをやり始めたというわけである。
僕は、その趣旨に大いに賛同し、「おにころ」の練習に行く日には、
「どうせお金もないだろうから、僕の分はおにころでもらうから、ついでということで、手弁当で良いよ」
と言って「モツベン」に参加した。今回が2回目。合唱団を組織したというわけではないので、10人程度の参加者だが、ひとりひとりは熱心に関わって歌っている。それに、勉強会なので、練習の合間に僕が語るモーツァルト及びそのレクィエムにまつわる様々な“うんちく”にも、興味深く耳を傾けてくれている。
猿谷さんは、
「大合唱もいいけど、こういう隠れ家的な集まりもいいですよね」
と言っている。
その一方で、本来のウィーンのツアーは中止ではなく、来年に延期になった。しかしながら、来年の12月5日には、すでにイギリスの団体が同じような企画を組んでいて、その団体のキャンセルを狙っていたのだが無理らしいため、命日のツアーはあきらめて10月23日土曜日にシュテファン大聖堂でコンサートをすることになった。
でも、まだまだコロナ禍で、今ツアー参加の有無を問いかけても良い結果が望めないため、それぞれの場所で練習会を先行させて、春頃になってコロナの様子を見てから、あらためて申し込みをしてもらおう、という方針になった。東京でも、その方式で練習会が始まった。
さて、そうなると、この「モツベン」という自主的団体との関係が微妙になってくるが、それはそれ、これはこれという感じで、あまりこだわらないでやっている。ツアー会社の方としても、いずれにしても年が明けたら、ツアーを睨みながらの会社主催練習会を、モツベンとは分けてきちんと構成しなければと思っているだろうが、とりあえずは、自分たちが何も負担することなく、勝手に練習をやってくれているので、一石二鳥の部分もあるのだ。
なんだろうね。この群馬のユルさ。しかしながら、単にユルいだけではない。ユルさの陰にあるしぶとさが凄いのだ。このコロナ禍で、未だ練習再開できない団体が少なくないが、止まっている団体はたいてい「これだけの条件が整わないとできない」という前提条件にこだわっている場合が少なくない。
でも、音楽団体というものは、練習をやってこそ、その存在意義を確認し合い、喜びを分かち合いながら発展していくものだ。その意味では、僕もきっと群馬の「ユルさの中のしぶとさ」を持っていたのかも知れない。だから、高校1年生でバイエルも弾けない中で指揮者になりたいと思ったし、実際、こうしてなれちゃったのだ。ユルくなければ、とっくにムリムリと思って諦めたさ。
さて夜は、午後7時から、群馬音楽センターの隣のシンフォニーホールで、「おにころ」の練習。どんどん団員が集まって来て、もの凄い熱気。今日は、演出の澤田康子さんが来て、基礎演技の指導。澤田さんは、たとえば手を使っての「喜び」「悲しみ」「怒り」「落胆」などの表現の方法を丁寧に指導していく。
途中の休憩で澤田さんといくつかの打ち合わせをした後、午後8時過ぎ、僕は、再開した和気藹々でいて活気に満ちた練習場をあとにし、高崎駅に向かう。その晩の内に新幹線を乗り継ぎ、東京、名古屋を通って刈谷まで行かなければならない。
東京駅で、わずかの連絡時間の間に売店で買い物をする。東海道新幹線の中で秋の味覚に彩られたお弁当を開き、ちっこくって偽物っぽい松茸やショボいエビフライなどをつまみながら、アサヒ・スーパードライの500ml缶をプシュッと開けて飲む。
久し振りだな。こんな生活。全然ロマンチックでもなければ素敵でもない。体にも良くない。だいたい僕は、ビールを缶から直接飲むのは好きじゃないんだ。
でもさ。春から夏の終わりまでなんにも仕事がなくて、ずっと家にいて、夕方の6時過ぎには落ち着いて夕御飯を食べて、という、とても健康的な生活をずっと続けていたけれど、たまにはこんなヤクザな夕食も、めちゃめちゃエキサイティング!
午後11時半。刈谷の名鉄インに到着。ちょびっと飲み足りなくて、チェックインしてからコンビニでウイスキーのポケット瓶と小さい氷とソーダ水を買って部屋飲み。ますますヤクザ。でもね、やっぱり疲れていたみたいで、ちょっと飲んだだけですぐ寝ちゃった。朝起きたら、冷蔵庫の中で溶けかかった氷がちょっと淋しそうだった。
11月8日日曜日。10時から愛知祝祭管弦楽団の練習。来年の演奏会は「ワーグナー・ガラ(仮題)」ということで、「タンホイザー」「トリスタンとイゾルデ」「ローエングリン」「パルジファル」からの抜粋である。