喜歌劇の醍醐味

三澤洋史 

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真生会館「音楽と祈り」11月講座
 真生会館「音楽と祈り」11月の講座は26日木曜日。今月の演題は、ズバリ「コロナ渦におけるクリスマス~断絶から融和へ」。
章ごとの見出しは以下の通り。

第1章 黙想~感謝~そして再び
これは、ドン・ボスコ社の月刊誌「カトリック生活」12月号に寄稿した僕のエッセイと同じタイトルだ。内容もそれに準じたものである。
コロナ渦において、僕自身が「音楽は果たして無用なのか?」と問い続けた心の軌跡。
黙想によって気付かされた神の慈悲。
そのことによって自分の生活が感謝に彩られるようになったこと。
また、今年は特に「心から味わうクリスマス」になるであろう、ということを語ってみようと思う。 
第2章 コロナがもたらしたもの
コロナは、その感染力をもって、瞬く間に全世界を制覇した。
しかし皮肉なことに、そのことによって、全ての人類がつながっていることを証明して見せた。
コロナは、その恐怖で人々の間に断絶や差別、排除の意識を炙り出したが、それは、とりもなおさず、人類がこれから向かうべき“融和への道”を指し示している。 
第3章 受難を考えないでイエスの生き方を探る
人類の罪のあがないのために十字架に掛かって死んだイエス。
そのシンボル化だけのためにイエスはこの世に来たのではなかった。
山上の説教を中心にイエスの思想を紐解いていくと、驚くべきことに気付く。 
第4章 待降節Adventusの意味
待降節とは、教会暦の1年の始まりである。待降節の意味を共に考えようと思う。
第5章 ルター精神の継承とバッハの創作力
ルターは、一般会衆が積極的に礼拝に参加出来るように、誰でも歌える単純なメロディーを持つ「コラール」を編纂した。
今回取り上げるのは、「来たれ、異教徒の救い主」Nun komm,der Heiden Heiland。
これは、古くから伝わるグレゴリオ聖歌のメロディーを借用して、ルターが編曲及び作詞をした、最も有名なコラールの内のひとつ。


ルターのコラールと元曲

(画像クリックで拡大表示)

バッハは、このコラールを使用して、待降節第1主日のためのカンタータ61番(1714年12月2日初演)と62番(1724年12月3日初演)を作り、オルガン独 奏のためにBWV659、BWV660、BWV661と3曲のオルガン・コラール(コラー ル幻想曲)を作曲した。
バッハは、ルターの民衆に寄り添う精神を継承しながらも、その一方で、自分の芸術家としての創作力をあますことなく表現している。
底辺と頂点との両立。
その綱渡りのような芸当に、驚くべき巨匠の技を見る。

「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプの続報
 「マエストロ、私をスキーに連れてって2021」キャンプの募集をもう開始しなければならないのだが、ちょっと躊躇している。

 本当は、「GO TOトラベルが連休くらいまで伸びそう」と言われていたので、カーサビアンカの大野氏と、申し込みの手順などについて打ち合わせしていて、もう今週くらいには案内を出そうと思っていた。でもねえ、ここのところにきて感染拡大していて、なんだか雲行きが怪しいではないですか。GO TOも見直すなんて言っているし・・・・。

 カーサビアンカでは、コロナ対策として、僕たちのファミリーを除くと20名に定員を絞ると言っていたので、いきなり申し込みをしてしまうと、たまたまその週だけ僕の「今日この頃」を見なかった人たちに不公平になるので、あらかじめ申し込み開始日時を決めて少し猶予の時間を置き、「その日のその時間から」申し込み開始とするべきだと思っている。
 また、20人とはいえ、部屋数は14しかないので、誰でも相部屋というわけにはいかないのも悩ましいところ。家族ならば全然問題にならないのだが、友達同士といっても、完全に自己責任で相部屋を任せて良いものか?

 とにかく、何があっても、キャンプそのものはやりますよ。そのキャンプが僕と角皆君の講演を含むことにも変更はありません。GO TOに関しては、こういう手順となると思います。
 まずキャンプ参加希望者は、いずれにしても僕が提示する新規のメールアドレスに申し込んでもらいます。その内、カーサビアンカに宿泊希望の方は、僕が名前などの情報をカーサビアンカに伝えます。カーサビアンカの方では、その日程の晩は、外部の宿泊客はストップしているので、僕が送った名簿の方だけ受け入れるようにしてもらうわけです。
それから、GO TOの申し込みは、あらためてネットで行ってもらいます(その方法は教えます)。
 
 カーサビアンカに20名の定員があったとしても、キャンプそのものには定員は元々ありません。生まれて初めてスキーを履く方から、超上級者まで、全てのレベルに対応(必要に応じて講師を派遣)するので、宿泊を考えなければ、全員間違いなく受け入れ、きめ細かい対応をします。ということで、キャンプの申し込みは100パーセントできます。
 ただし、このキャンプは、原則として講演と一体になっているので、講演をするカーサビアンカと宿泊所が近い方が便利です。  


喜歌劇の醍醐味
 新国立劇場「アルマゲドンの夢」は、今日で千穐楽。コロナの感染がじわじわと広がる中ではあるが、みんな細心の用心をしながら、ひとつひとつの公演を丁寧にこなしている。その一方で、「こうもり」の立ち稽古が進んでいる。

 最近気が付いたのだが、こうした喜歌劇の稽古場の波動って、とっても高いのだね。バシャール風に言えば、毎日ワクワクしっぱなしで、コロナの長いブランクの後だと、なんだか感激屋になってしまって、毎回泣いちゃうくらいエキサイティング!

 外国人キャストひとりひとりが実に個性豊かで、「こうもり」という喜歌劇のそれぞれのキャラクター像を膨らまし、さらにカリカチュアしていく。アデーレ役のマリア・ナザロワは可愛いし、みんな歌もうまいし、アドリブ連発で、オペレッタはこうでなくちゃ、という感じだが、その中でも特に、留置所の看守フランク役のピョートル・ミチンスキーの目力(めぢから)の演技は圧巻!
 フランクは、これから監獄で嫌でも顔を合わせることになるアイゼンシュタイン(ダニエル・シュムッツハルト)と、互いにフランス人として偽名で紹介され、オルロフスキー公爵に、
「では、お互い、お国の言葉(フランス語)で話してもらいましょう」
と言われてタジタジ。そのうろたえた表情にお腹の皮がよじれそう。

 指揮者のクリストファー・フランクリン氏は、サンフランシスコに生まれたが、音楽教師だった父親がベルリンで教えていたため、ベルリン育ちだという。アメリカで沢山仕事している。でも、家はイタリアのルッカというトスカーナ地方の町(プッチーニの生誕地)にあり、イタリア人の奥さんと4人の子供がいる。
 12歳、6歳、3歳・・・あれ?一人足りないぞと思ったら、6歳の子供は双子だそうで、しかも写真を見せてもらったら、なんと男女の双子なのだ。パスポートはアメリカ人だが、家系はイタリア人だそうだ。それなので、英語、ドイツ語、イタリア語を自由に操れる。僕とはドイツ語で話している。
 こうした、練習の合間のマエストロとの会話が楽しい。今更外国人が珍しいわけでもないのだが、だって最近まで、こんな生活僕の周りから消えていたじゃないですか。ドイツ語を自由にしゃべれるだけで嬉しくて仕方がない。マエストロも、知らない外国で構ってくれるのは嫌じゃないようだから、すっかり仲良しになった。

 オペラって、みんなで集まって一緒に創り上げていくでしょう。誰かのアクションが誰かに飛び火して、少しずつ盛り上げていって、思いがけなく良いものができちゃったりする。
 キャスト同士は勿論のこと、指揮者と合唱指揮者だって、コミュニケーションを密にしていることが、稽古場の風通しを良くし、思わぬ所に思わぬ影響を与えたりする。いや、そんなことを期待してマエストロと付き合っているわけではない。僕は、ただ本当にこの仕事が天職だと思いながらエンジョイしているだけ。
 でも、こんな風に「楽しい」と思える稽古場の時はね、それがそのまま本番の舞台になっていくのを僕は自分の経験から確信しているのだ。

ヨーロッパ人は勇敢か?
 イタリア語のレッスンに毎週1回通っている。教師は、それなりの年配のイタリア人女性。ナポリ湾の外海にカプリ島と共に浮かぶイスキア島の出身。文法はすでに一通りやっているので、1時間ただおしゃべりするだけだが、時々先生は、
「ほら、それ直接法でも言えるけど、接続法を使った方が知的だわね。はい、言ってみて!」と急に意地悪になる。
「ええと・・ええと・・・fossi・・・avrebbe・・・」
という風に、いつまでたっても上達しない。
 だってレッスンとレッスンの間に勉強しないんだもの。だからこそ、行くことがすべてなので、コロナ渦においても、休むことなく通い続けていたわけだ。少なくとも退化はしていないだけが取り柄。

 会話は、世間話のようなものが多いので、イタリア人の生の思考経路が感じられて興味は尽きない。たとえば、先日のレッスンで、彼女は声を強めてこう言い切った。
「イタリア人も、今は我慢してんのよ。今はね・・・。でもね、クリスマスが来たら、もう我慢なんかしないわよ。ファミリーで集まること、おしゃべりをしながら飲んで食べること。買い物をすること。これは何があったってハズせないのよ。死んだってハズせないのよ!」
 こういうところが日本人と全然違うところ。良い悪いの問題ではない。勿論、それが欧米でのコロナ感染拡大に歯止めがかからない一番の要因となっているのだろう。日本どころではない大変な状況だというのに、ヨーロッパのマスクをかけている人の割合は、いまだに60パーセントから多くとも70パーセントまでに留まっているというのも分かる気がする。

 振り返って我が国を見てみると、お盆の頃、田舎に帰りづらかったじゃないですか。身内でさえ、「来ないで欲しい」という雰囲気だったじゃないですか。イタリア人には全くないってさ、そういう雰囲気は。それに、彼らのメンタリティというものは、人に行動を制限されればされるほど、むしろ反抗的になり、脅かされたってすかされたって聞きはしないこと。誰にも教わらなくっても、そういう人たちなのだ。

 それで僕は思ったね。日本という国は、きっと恐がりの人が多数派なので、“恐がりの人を中心とした文化”が出来上がっているのではないかと。マスクをしないでお店に入る人がいたら、白い目による周囲の無言のバッシングを感じるだろう。だから、コンビニに入ろうとして、
「いっけねえ、マスク忘れた!」
と気付いて、入るのをやめたりするじゃない。少なくとも、僕には何度かあった。
 東京から来たというだけで「帰れ!」と張り紙を貼られたりする、ということも、みんな良いことだとは思わないにせよ、日本という国は、要するに「恐がっている人にやさしい」世間なのだ。

 その反対に、いまだにマスクをはずしてハグをしたりホッペにチュッチュチュッチュするのをやめない欧米人たちは、逆にそれをしないと、
「何だお前、俺を信用していないのか?臆病なのか?」
みたいな、逆の意味での強制の文化が出来上がっているのかも知れない。
 だとすると、「帰省の自粛を促したりマスクの着用をを強制する文化」と、「ハグやキスを強制する文化」のどちらがいいのだろうか?道を無言で歩いているだけなのにマスクをするのもナンセンスだけれど、ハグの強制はいやだなあ。まだマスクの強制の方がマシかなあ?う~ん・・・どちらとも言えない・・・・その点では、僕は、恐らく普通の日本人よりかは、ちょっとだけ欧米人寄りかも知れない。

 ヨーロッパ人は、そんなだから、宗教改革やフランス革命のようなものが達成できたのかも知れないと、僕は思っている。
「流血を厭わず、明日の世界を夢見て事を起こす」
エネルギーを持っているから、揺るぎないように見える既存の体勢を根底からひっくり返すような行動が可能なんじゃないか。
 ひるがえって、我が国の改革は、明治維新であれ、戦後であれ、きっかけはみんな外圧によるものだ。通常はむしろ忖度の文化であり、「長いものには巻かれろ」とか「寄らば大樹の陰」とかいう、エゴで互いを庇い合いながら監視し合う、臆病なムラ社会である。僕は、日本人のそういうところは嫌いなんだ。だから自作ミュージカル「おにころ」で、村人達の閉鎖的な心は、開かれていかなければならないと訴えたわけだ。

 でもね、ではヨーロッパ人の方が勇敢なのか?という問いには、だからといって簡単に「そうだ」とは言わないんだ。そうかも知れないしそうでないかも知れないと答えるしかない。
 というのは、彼らはいつも深い理念があって行動しているわけではないのだ。見ていると、もっと単純で、我慢できないものには本当に我慢ができないだけ。案外、単にわがままだから、というオチなのかも知れないとも思う。
 しかし我が儘だとしても、それを押し通すことが「命より優先」となったら、やはり尊敬に値するかも知れない、と、けなしたらいいのか誉めたらいいのかよく分からない「今日この頃」です。



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