「わ」の会の挑戦

三澤洋史 

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いよいよスキー・キャンプ申し込み~来週から
 GO TOキャンペーンが来年2月もまだ続きそうなので、ここで「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプの申し込みを開始することにした。ただし今日ではない。今日の記事を見れなかった人にも、なるべく均等にチャンスを与えてあげたいから、申し込みを一週間延ばすので、知り合いに行きたい人がいたら、その間に伝えてあげてください。

 来週の「今日この頃」で新しいメルアドを発表しますので、そのアドレスに申し込んで下さい。その後でGO TOトラベルの申し込み方法をお知らせします。

 断っておきますが、宿泊をカーサビアンカにしなければ、キャンプそのものは人数無制限だから、あわてる必要は全くありません。全てのレベルで申し込み可。また、今回は早割は行わないので、年を越して申し込んでも同じ額です。

 カーサビアンカ宿泊を希望の方は、定員20名にするけれど、20名必ず入れるわけではありません。何故なら部屋は14室しかなく、その内の1部屋は三澤家が使用するので、1人部屋を希望の人が多ければ、その分収容人数が少なくなります。
 その一方で、ベッド数は1部屋につき最大5つあるけれど、5人詰め込むのは、家族以外お薦めしません(というよりお断りします)。常識的に考えると、一部屋2人まででしょうかね。それでも、どちらかが感染した場合、濃厚接触者になるから、気をつけないといけません。

 ということで、いよいよ申し込みを開始します。来週発表するけれど、申し込み開始日時を発表して、その時間より前は無効にします(折り返しこちらからメールして、再度送信するように要請すると思うけれど)。

初めての人のために、申し込み募集要項をつけておきますので、よく読んで下さい。  


「こうもり」東京公演無事終了
 12月6日日曜日。喜歌劇「こうもり」の幕が閉じると、僕は舞台袖で待機し、カーテンが開くと共に舞台上に走り込んでいった。ほぼ満席といってもいい客席では全員がマスクをしている。でも、3月にびわ湖ホールで味わった、拍手のないガランとした空間の味気なさとは裏腹に、拍手を浴びるって本当に嬉しい。ブラボーは禁じられているので、キャストが出てきても拍手だけなのはやや寂しい感じがするが、みんな喜んでくれているのは肌で伝わってくる。
 先週の記事で、初日の幕が開いただけでも奇蹟的だと書いたが、感染者がどんどん増えているこのコロナ禍において、5回公演を全員元気で乗り切れたって、本当に信じられない。

 この後は、12月10日から札幌に飛び、札幌文化芸術劇場Hitaruで12月13日日曜日と15日火曜日の2回公演。それもどうか無事に終わりますように。

「わ」の会の挑戦
 指揮者の城谷正博(じょうや まさひろ)さん(次からはいつものように城谷君と呼ぶ)は、僕と同じに筋金入りのワグネリアンである。新国立劇場の中では、僕が合唱指揮者で、彼がソリストたちを束ねる音楽コーチをしているが、演目がワーグナーとなると、お互い目の色が変わって、練習の合間の会話も弾む。
 しかしながら、劇場内では、ある意味ふたりとも、公演指揮者の元で働くいわゆる中間管理職だ。こんなに長く一緒に仕事をしていても、城谷君がマエストロとなって、自分のワールドを全開にさせるのを観る機会というのは、ありそうであまりなかった。特にワーグナーの場合は。

 それが、ふとしたことから「わ」の会という、城谷君がシリーズで続けているワーグナー演奏会に足を運ぶこととなった。というのは、今回はピアノ伴奏を2台にして、その第2ピアノ奏者として、長女の志保が依頼されたからだ。それで、決して暇をもてあましていたわけでもないけれど、親馬鹿としてノコノコと足を運んだというわけである。

 歌手たちも、みんな常日頃新国立劇場に出入りしている人たちが多く、しかもピアノ伴奏でしょう。ということは、僕にとっては、いつもの稽古場とあまり変わらないな、という感じで、気楽に聴き始めた。しかし「ラインの黄金」の冒頭のサウンドを聴いてただちに姿勢を正した。
 第1ピアノを弾いている木下志寿子さん(いつものように志寿ちゃんと呼ぶ)のピアノがとてもしなやかで美しいのだ。フォルテではポーンと小気味良く音が立ってくるが、少しもやかましくない。そうした志寿ちゃんのピアニズムに乗せられて、志保も志寿ちゃんに寄り添い、二人でえもいわれぬサウンドをあたりに漂わせていた。パリで勉強して「夜のガスパール」を卒業試験で弾いた志保の方向性も、志寿ちゃんとかけ離れてはいないのだ。
 それから3人のラインの乙女たち(今野沙知恵、花房英理子、藤井麻美)が入ってきた。3人とも豊かな声でハーモニーも秀逸。友清崇さんのアルベリヒが乙女たちに絡んできた。友清さんは、クリングゾルなどは合っているのは分かっていたが、こういう役柄は初めて。でも、素晴らしいよ。ちなみに彼は、最近まで新国立劇場合唱団のメンバーだったし、花房さんは現メンバーだ。頼もしい限りだ。

 楽しい。すごく楽しい!もちろん僕がワーグナー好きで隅々まで知っているというせいもある。しかし、隅々まで知っていれば知っているほど、もしつまらない演奏だったら耐えられない。じゃあ、この演奏は何が楽しいんだろう?
 あっ、そうだ。みんなとってもワクワクしてやっているんだな。それがこの場の雰囲気を作っているのだ。そして、その真ん中にいるのが、我らの城谷君というわけだ。やっぱりさあ、大事なのはワクワクだね。
 「ラインの黄金」の乙女の場面から、その後のあらすじを通って、「ワルキューレ」に至るまでは、字幕で簡単なストーリーを説明する一方で、城谷君編曲のライトモチーフ集が2台ピアノで流れていく。芸大作曲科出身で指揮科に転科した城谷君のさり気ない、それでいてゆるぎないこだわりの一面。
 そして気が付いたら「ヴォータンの告別」の場面にまで飛んでいた。この名場面では、オケで潜ってしまう音型が、ピアノでくっきりと浮かび上がっている。たとえばオケだったらオーボエ1本のフレーズが、弦楽器と同等の量感を持っている。こういうところは、ある意味オケとはまた違った味わいで楽しい。

 後半は、「タンホイザー」第3幕抜粋。僕が来年やる「ワーグナー・ガラ」の個所と割と重なっている。エリーザベトを歌う小林厚子さんは、僕の恩師である中村健先生門下の後輩で、通常はイタリア・オペラばかり歌っていて、僕の指揮で「蝶々夫人」を歌ってくれたりもしたが、最近ワーグナーを歌い始めたのだ。 今回は、エリーザベトの「お祈りのアリア」だけでちょっと残念だったけれど、美しいリリックな声で、これからもどんどんワーグナーを歌って欲しい。
 大沼徹さんの歌が巡礼の合唱まで流れ込んでいくので、どうするのかなと思ったら、ピアノでさらっと弾いてさらっとカットして、さらっと「夕星の歌」に進んだ。こうした処理は見事。これなら合唱がなくても出来るね。常に合唱ありきで物事を考える僕には、新しい視点だ。
 ラストシーンもそう。3人のラインの乙女たちを使って3声の女声合唱を歌わせた。よくハモっていて、下手な女声合唱よりずっと良い、って、ゆーか、この3人、このまま「魔笛」の童子もできるじゃないか。それからラストだけ男声ソリストたちなどが加わって、きちんと終わりました。さすが!

 名コレペティトゥール城谷君も、このような自分の確固たるフィールドを持っている。歌手たちはみんな彼からきちんとした指導を受けて、ドイツ語の発音もドイツ語的表現も秀逸。演奏会の規模は大きくはないかも知れないが、内容がしっかりしていて、さらにそれを理解して聴いてくれる固定客も付いている。これが城谷君の挑戦。ブラボー!
 恐るべきピアニスト志寿ちゃんと相まって、こうした人材がいる限り、我が国のワーグナーは安泰だ。

 帰りがけに志保にLINEを送った。
「『わ』の会、志寿ちゃんと志保のコンビがとても良かった。もちろん志寿ちゃんのリードが素晴らしいんだけど、志保も成長したねえ。嬉しい晩です。今、調布駅」

2020年とはどういう年だったか
 コロナに悩まされた2020年であったが、僕は今、別のことを考えている。もしかしたら、2020年というのは、将来、振り返って見た時に、もの凄い転換期だったとみんなに語り継がれる年になるのではないか・・・と。
 その意味で、とても有意義で実りある年になっていたのではないだろうか。「なっていた」という表現を使ったのは、まだそのことに目覚めていない人が多いし、僕自身も最近になって気が付いたばかりだから。

 善と悪との戦いが水面下で行われている。その悪は、まるでミヒャエル・エンデの「はてしない物語」の「虚無」のように世界中に蔓延していた。人々はしかし、それが悪であるとは気が付かなかった。
 もう間もなくなんらかの結果が出るだろう。その時、人々は驚きながら知るであろう。こんなに長い間、我々はアンチクリストの支配下にあったのか、と。そして、こんなに長い間、瞞され続けていたのか、と。

 僕は、仕事から離れた静かな生活の中での瞑想や祈りなどを通して、自分の意識の次元がしだいに上昇してきたことを感じている。いわゆるスピリチュアルな人たちの言うところの「アセンション」といわれている状態に近いのではないかと思われる。
 そのやや覚醒した目から見て、不思議に思うことがあった。それは、何故、人々の意識もアセンションに向かって行かないのか?何故、いつまでも物質主義、拝金主義の奥底に沈んだままなのか・・・と。
 だがそれは、闇の勢力が巧妙に仕掛けていたからだと気が付いた。民を愚かなままで置くように・・・と。この社会的状態を永続的に維持するように・・・と。朝はワイドショー、夜はバラエティー番組ばかり観ている人達は、実に巧妙に欺かれ続けていた。その間は安泰だ、と闇の勢力は思っていた。

 さらに今年になって、コロナ禍のどさくさに紛れて、ますます暗躍していた闇の勢力ではあったが、選挙に際しては、焦りのあまり尻尾を出し始めてしまった。それによって、おびただしい人たちがその存在と行動に気付きはじめ、もはやどんなに覆い隠そうとしても不可能な状態に追い込まれている。

 さて、そうなると、これまで闇の勢力に買収されるか脅迫されるかして(恐らく両方だろう)、事実を隠蔽したり虚偽の情報を意図的に流していたメディアの膨大な罪も、同じく暴かれてしまうことになる。
 そしてその先には、大きな意識の改革の波が押し寄せるのではないか。いや、そうなってほしいと僕は祈る。

 実は、我が国の政府は、そのことを知っているのではないかと僕は思っている。ふたつのことで。

 ひとつは経済のこと。みなさんは、特別定額給付金や持続化給付金あるいはGO TOなどで、国がお金をバラまいてしまって大丈夫なの?と思いませんか?国は貧乏にならないのか?インフレにならないの?とか思って心配になるでしょう。ところが、本当は大丈夫なのだ。何故ならそれは、「これが大丈夫でないと思わせておかないと困る人たちのために、今の経済制度があるから」
であって、別の経済制度を構築すればいいだけの話なのだ。
 どういうことかというと、今の経済制度は、大資本家に都合の良いように成り立っている。つまり分かり易く言うと、現代では、「会社は物作りをする社員のため」でなくて「会社は投資家のため」になっているじゃないですか。
 つまり、お金を右から左に動かすだけで巨額の富を得ている人たちに都合が良いために、今の貨幣制度が成り立っているのだ。
このしくみは、恐らく将来変わる・・・と我らのバシャールが未来の目から言っている。闇の勢力さえなくなれば・・・。

 ふたつめはコロナのこと。GO TOが来年の7月まで延期になりそうだろう。政府は恐らく知っている。コロナそのものの存在が虚偽ではないが、コロナに対するマスコミなどによる恐怖の煽りが茶番であることを。僕も、それには早くから気付いていたから、この「今日この頃」でもしばしば取り上げていた。

 あの夏の感染拡大の時期にGO TOを立ち上げ、この冬の感染拡大の時期に延長を決めたのは、政府が愚かなためでもないし、経済最優先のために無理矢理でもない。それは、政府の、
「分かってね」
という合図であると僕は思っている。
 そもそもコロナ禍そのものが、2020年に起こるであろう陰謀を誤魔化すために意図的に起こした混乱という可能性が否定できない。日本がアメリカほどひどくないのは、闇の勢力の射程距離から離れているため。メディアはずっと煽り続けているけどね。

 ここまで読んで、「全く信じられない」と思った方は、無理に信じなくていいです。いずれ結果が出ます。しかしながら、僕が望んでいた結果が出なかった場合は、たとえば尖閣諸島は決して戻ってこないだろうし、香港の運動家たちは獄から決して出られないだろうし、下手をすると台湾に軍が差し向けられてしまうかも知れないのだ。
「え?そこにつながっているの?」
と言うかも知れないけれど、そこにつながっているのだ。

少なくとも、世界は和平から遠ざかる。



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