ソーシャル・ディスタンスの「トスカ」

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

スノー・ドルフィンたち、白馬に集結せよ!
 緊急事態宣言が出ているこんな時にナンですが、引き続き「マエストロ、私をスキーに連れてって2021」キャンプへの参加者を募集しています。実際にスキーに行った人は分かると思いますが、スキー場は、コロナ感染の観点から言ったら、実は世界で一番安全な場所だと確信しています。

 特にスキーをしている最中は、戸外ということもあって、3密になるいかなる条件にも当てはまりません。それにもかかわらず、角皆優人君たちインストラクターは、全員マスクを付けながらレッスンしています。
 リフトに乗っても、それぞれが手袋をしているため、接触感染の可能性はゼロだし、スキー場内ではマスクの徹底を義務づけられているから、滑走中のみならず、レストランなどの施設内においても、みんなマスクないしはネックウォーマーで鼻や口を覆っています。
 
 今回の申込者は勿論、例年よりも出足は遅いのですが、たとえばその中には、会社の事情があって、自分が所属している合唱団に参加出来ていないけれど、スキーだけはしたいし、気をつけていれば合唱よりは安全ではないかと、キャンプへの参加を決めた方もいらっしゃいます。
 ずっと家に閉じこもって、コロナが終息するまで待つ人を僕は否定したりしませんが、もうこの状態が1年近く続いていますし、この先ただちに状況が変わるとは思えません。そのうち精神的におかしくなってしまったら、なんのための人生でしょうか。
 だから、コロナとの共生、すなわちwith Coronaという考えでないと、この先やっていけないと思いませんか?むしろその中で、メンタルな健康を保っていくことこそが、その人の免疫力を高めるとの研究結果もいろいろ出ています。
  新型コロナウイルスによる不安やストレスなどの心の問題に対処するために
  メンタル疲れと免疫力に関する調査2020 (養命酒製造株式会社)

 僕は、昨年末、札幌でのテイネ及び国際スキー場での初スキーに始まり、白馬での3日間、そして1月4日には川場スキー場と、あえて積極的に滑っています。滑る度に、内面からしあわせ感に満たされ、体からもエネルギーが充満してくるのを感じます。度重なるPCR検査もすべて陰性です。
 攻撃は最大の防御なり。勿論、マスク、手洗い、うがいなど、最大限に気をつけるのは勿論です。でもワクワクする人生を放棄するのは得策ではありません。

2月26日金曜日午後:プレキャンプ
2月27日土曜日及び28日日曜日:「マエストロ、私をスキーに連れてって2021」キャンプ


さあ、雪質最高の2月末に、スノー・ドルフィンたち、白馬に集合せよ!
そして、抑圧された自己を解放し、大空にはばたかせよ!

これからの10日間
 恐らく、日本国民の95パーセント以上の方達は、僕がここで書いていることの意味が分からないかも知れない。分からなくてもいい。でも、いずれ明らかにされる。

 世界は大きな転換期を迎えている。そしてこれを書いているまさにこの時にも、その転換期における最も重大な事柄が水面下で進行しているに違いない。それは、もしかしたら、今このタイミングでの我が国の緊急事態宣言発令とも無関係でないかも知れない。

 よく推理小説であるではないですか。犯人だと思っていた人が全然そうではなくて、よもやこの人が、と思われていた人が、実は真犯人だったということが・・・。正しい人と嘘をついている人。外側からは分からない。でも、嘘をついている人の内面には平和がない。嘘に嘘を重ね、他人を封じ込めることに成功したとしても、雨漏りがどこかから漏れるように、事実は滲み出てくるものだ。その反対に、正しい人は何も恐れることはない。

 これは、ある価値観と別の価値観との相克ではない。むしろ、神とバール信仰との戦いであり、善と悪とのせめぎ合いである。この戦いに善が勝利しなかった場合、世は舵無き航海となる。

 今はこれ以上は言えない。しかし、来週の「今日この頃」で、僕は一体どういう記事を書くことになるのであろうか?楽しみでもあり恐くもある。

僕は至高なる存在を信じている。
人類がここで踏ん張らなければ、我々に輝く未来はない。   


ソーシャル・ディスタンスの「トスカ」
 1月5日火曜日から、新国立劇場では「トスカ」の合唱音楽練習が始まった。その前の日から、新型コロナ・ウイルスの感染拡大による緊急事態宣言発令が具体性を帯びてきたため、関係者達はみんな「トスカ」のプロジェクトも中止になるのでは?と、不安を募らせていたに違いない。しかし、どうやらイベント関係に関しては、制限付きではあるが、中止にはならないらしいという情報が入り、ほっとした。

 「トスカ」では、62人の合唱団員がソーシャル・ディスタンスをとって練習するスペースが確保出来ないため、全体をふたつのグループに分けて、前半後半でメンバーを入れ替えて音楽練習をした。同じ内容を2回繰り返すのだが、相手が違うと気になる個所にも違いが生まれ、全く同じというわけにはいかない。
 指揮者のダニエレ・カッレガーリやカヴァラドッシ役のフランチェスコ・メーリをはじめとする主役外国人達は、すでに昨年末の内に来日を済ませ、立ち稽古への準備万端。合唱団や僕たちスタッフは、音楽練習最終日の1月8日金曜日にPCR検査を済ませ、またまた全員陰性を確認してから(凄いと思わない?)、次の日の立ち稽古に突入していった。

 1月9日土曜日。新国立劇場地下2階のAリハーサル室では、2000年の初演以来ずっと演出家アントネッロ・マダウ=ディアツの演出補として立ち稽古を仕切っている田口道子さんが、きびきびと指示を与えていく。
 ミラノ在住の道子さん(以下道子さんと親しみを込めて呼ばせていただく)には、2011年のスカラ座研修の時にいろいろお世話になった。彼女は、あの厳しいスカラ座の楽屋口を涼しい顔で“顔パス”だし、僕を招聘してくれた合唱指揮者ブルーノ・カゾーニ氏とも、友達のように親しげに会話していた。
 でも、ほとんどイタリア人化している道子さんは、ソーシャル・ディスタンスを維持しながらの立ち位置では、ディアツの演出意図から大きく離れてしまうのが耐えられず、
「もう、何よこれ、やってられないわよ!」
と、至る所でつぶやき(というより悪態をつき)、今にも稽古を放棄しそうだ。それを、僕と演出助手の澤田康子さんがふたりで、
「まあまあ・・・」
と、稽古を途切れさせないためになだめていく。ちなみに、ディアツは2015年に84歳で亡くなっているので、彼が怒ることはないのであるが、この舞台を観たらやっぱり嘆くのかな?それでも、精一杯コーディネートされていると思う。道子さん、澤田さん、ありがとう!

 やんちゃな聖歌隊の子ども達が堂守をからかいながらグルグル回る愉快なシーンは、演出通りにやるのはほとんど不可能。そこでは、小柄な新国立劇場合唱団員も児童合唱に混じっているが、歳のいっている大人の団員に対して道子さんはわざと、
「あら、あんた、まだ子供やってんの?」
とからかう。
 立ち稽古の間に僕はすかさず、
「ねえ道子さん!子ども達が堂守の周りに集まってくるタイミングで、大人達を前に走り込ませて、両側で歌わせてもいい?」
と提案する。なぜなら、児童合唱は最高音部を担っていないので、大人の歌う声部が充分に響かないと、音楽的に成立しないからだ。

 壮麗な第1幕ラストのテ・デウムの場面では、ソーシャル・ディスタンスを考慮したら、どう見ても助演と62名の合唱は舞台に乗り切らない。しかし、第2幕以降はカゲ・コーラスしかないため、セレモニーが始まる前に聖水を額(ひたい)にかざし十字を切る人たちの姿を出したりして、衣装を着た団員達をなんとかして舞台上で披露させたいと、道子さんは気を遣ってくれる。そういう思いやりは、彼女自身も舞台人だからだ。
こんな風に、いろいろ苦労しながらやっている。

 緊急事態宣言下では午後8時以降の外出が制限されている。それで劇場では、夜公演の開始時間を検討中。今後の稽古も、なるべく午後7時くらいまでに終わらせようとしている。いろいろ不便なことも多いけれど、合唱団のみんなは、前回の緊急事態宣言の時のことを思ったら、公演そのものが中止になるよりはましだという気持ちだから、けなげに文句一つ言わずにやっている。  


「タンホイザー」の新たな挑戦
 劇場の外では、二期会の「タンホイザー」の合唱指揮を行っている。新国立劇場が出来るまで、二期会は僕にとって最重要な組織であった。ここで僕は、若杉弘さんをはじめ沢山のマエストロと出遭ったし、ここで沢山の学びを得、自分の音楽を吟味し、その可能性を延ばしていった。

 その古巣への回帰ではあるが、しかしながら、今の僕にとっては、新たな戦いの場である。新国立劇場合唱団をすでに20年近くも率いている僕とすれば、自惚れているように聞こえるかも知れないが、「うまくできて当然」という評価の中にいる。
 毎日顔を合わせて、数々のオペラ合唱を仕上げてきた新国立劇場合唱団のメンバーは、確かに僕が次に何を指示するかもかなり予測できるし、新しい作品においても、僕がどんな仕上がりを目指しているかという想像もできるかも知れない。
 だから逆に、二期会合唱団という別の土俵で、僕がどのような音楽を構築できるのか、シビアな批評家や音楽愛好家達は興味津々というか、”お手並み拝見”という感じなのではないだろうか。
 まあ、とはいえ、僕はそういうことはあんまり気にならないんだけどね。相手がアマチュアであってもプロであっても、どんな人たちを前にしても、同じように全力で取り組むことに変わりはない。ただ同じアプローチをするのとは違う。僕は常に、一期一会の出遭いを楽しみ、相手とのコラボによって生まれるものの違いを楽しんでいる。そしてそれぞれの団体から最もその団体らしい、それでいてベストの状態を引き出そうと全力を尽くすのである。

 明日は最後の音楽練習で、その後立ち稽古が始まる。二期会合唱団といっても、男性は、新国立劇場にも行き来しているメンバーが多いし、特に年配者は僕ともいろんなところでこれまでに仕事をしてきている。だから男声合唱は、予想通りの良い響きで仕上がってきている。
 その反面、女性は、研修所の若いメンバーばかりなので、声の鮮度はあるのだが、最初ワーグナーの様式感と全く相容れない歌い方をしていたので、どうしようかと思った。古参の男性メンバーなどは、
「三澤さん、男声を相手に稽古している時は楽しそうだけれど、女声の時はマジ恐いッスね」
と言う。確かに、
「その変なビブラート、いい加減でやめなさい!」
と言ってシーンとなる場面とかが何度かあったな。僕はのべつ幕なし同じ幅のビブラートをかけるのが大っ嫌いだし、いくら美声だからといって、センプレ・フォルテで音色の変化もない、知性もデリカシーもない歌は受け入れられないのだ。未だに、オペラはピアノと書いてあっても大きく歌っていいんだ、なんて思っている歌手が世の中には存在しているのだ。
 しかし、年が明けたら、その女性達も急に変化してきた。彼女たちも、それぞれに思うところがあったのだろう。こうなると、元々のクオリティは低くはないので、立ち稽古も本番も楽しみになってきた。

 二期会もコロナ禍で、いろいろ変更があった。新国立劇場の「トーキョー・リング」以来の再会を楽しみにしていた演出家キース・ウォーナーが来日できなくなったのは、とても残念だ。
 僕が最初にバイロイト音楽祭で初めて働いた1999年に、ウォーナーは「ローエングリン」で颯爽とバイロイト・デビューを飾ったが、そのウォーナーを「トーキョー・リング」で招聘するため、新国立劇場からVIPの人たちがやって来て、僕は通訳も兼ねてその交渉の場に何度か立ち会うことを許された。その後、バイロイト音楽祭での成功を機に、ウォーナーはどんどんビッグな演出家になっていったのだ。
 彼が立ち稽古の時に口癖のように言っていたのは、
「ワーグナーはストーリー・テリング(おなはしの語り)を音楽を使って実現しているんだ」
ということ。そして、音楽で表現されたドラマや、深層心理や、哲学的意味などに、ウォーナーは驚くほど精通していて、副指揮者のチーフとして彼と関わった僕の日々は、今の自分のワーグナー演奏の根幹を成しているといえるのだ。
 ウォーナー氏が来日できないのはとても残念ではあるが、今回の「タンホイザー」は、フランス国立ラン歌劇場との提携で、一度同劇場で上演されたウォーナー氏演出プランに基づいているものであり、演出補のドロテア・キルシュバウム女史によるオンラインでの立ち稽古がすでに始まっている。合唱団の立ち稽古初日は、少し遅れて1月15日からである。とても楽しみだ。

 指揮者のアクセル・コーバー氏の来日も叶わなかった。コーバー氏の演奏は生で聴いたことはないのだが、2018年のバイロイト音楽祭で「さまよえるオランダ人」を指揮しており、年末のNHKのFMで僕はその解説をしている。その時の印象によると、キビキビとしたテンポ感で全体を手堅くまとめあげていた。「タンホイザー」では、また少し曲想が違うので、楽しみにしていたのだ。
 しかしながら、代役として、すでに読売日本交響楽団常任指揮者で来日中のセバスティアン・ヴァイグレ氏と決まったということで、これはこれで楽しみではある。

また、中間報告をすると思います。では。



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