「マエストロ、私をスキーに連れてって2021」キャンプ最終案内

三澤洋史 

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天使の梯子~稀有なるイリュージョン
 孫の杏樹は、通っている立川のシュタイナー学校に朝7時半に登校する。そのため彼女は朝6時に起き、7時過ぎに家を出る。夜は8時までに就寝する。僕は、杏樹が学校に上がるまでは、毎朝6時過ぎに散歩に出ていたが、そうすると、午後から夜までかけて仕事がある日は、起きている杏樹に一度も会えなくなってしまう。
 そこで散歩のスケジュールを変えた。朝食をみんなで食べて、長女で母親の志保が運転する車に、杏樹と一緒に乗って、学校の近くの駐車場まで行く。それから家までの約1時間の道のりを散歩コースにしたのだ。コースは立川から国立方面に向かってだから、東の空を向いて、多摩川沿いの土手の上や空の広い田園風景の中を歩く。

 すると、曇りの日には、よく雲間から“天使の梯子”と呼ばれる美しい光景を見る。太陽の光が雲間から地上に降り注いでいるのである。この原稿を書いている今日(2月8日月曜日)も、東の空に美しく扇状に光る何本もの筋が広がっていた。天使の梯子は“ヤコブの梯子”とも言う。この言葉は、創世記に由来する。

創世記第28章12節
彼(ヤコブ)は夢を見た。
先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも神の御使いたちがそれを登ったり下ったりしていた。
その後、神はヤコブに対し、
「あなたが今横たわっている土地をあなたとあなたの子孫に与える」
「わたしはあなたと共にいる。あなたがどこに行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る」
と言った。

 ただね、僕はあんまり「ヤコブの梯子」とは呼びたくないなあ。だって、昔、東響コーラスでシェーンベルク作曲のオラトリオ「ヤコブの梯子」をやった練習日初日の記憶が甦ってくるのだ。
 無調でめちゃくちゃ込み入っている超困難な音楽。
「さあ、やりましょう!」
と振り始めたけれど、誰も歌い出さない。歌い出せない。そこで僕は言った。
「なんでもいいから、とにかく声を出して!」
勿論、それからパート毎に、ピアノをガンガン叩いてもらって、ゆっくりゆっくり練習を始めたことは言うまでもない。
 と、初日は大変だったけれど、その後、東響コーラスの団員たちはみんな死ぬ気で頑張ったので、仕上がりは素晴らしかった。でもさあ、トラウマではないけれど、今でも「ヤコブの梯子」という言葉を聞くだけで、あの初日の、
「どうしよう・・・・」
と、途方に暮れた記憶が甦ってくるのだ。あはははははは!

 「天使の梯子」を見ながらふと考える。
「あの一番端の、めちゃめちゃ斜め横に筋が伸びている陽光って、ホントにあんな風に降り注いでいるんだろうか?もし陽光が辿り着いた地上に今即座に行ってみたら、あんな角度で降り注いでくるのだろうか?つまり、北の空から超斜めに降り注いでいるのだろうか?
 いや、違う!太陽の光は、あの地においても、今僕が見ている通りの「南東の方向」から真っ直ぐに降り注いでいるはずだ。その場合、自分が光の中にいるはずだから、その人にとって“天使の梯子”そのものは見えるはずはないのだろう。
 太陽を見るって不思議だ。太陽は、本当は地球よりもずっと大きいので、どこにいても、ほぼ平行に地球に光を注ぐ。だから、ここから10キロ離れても100キロ離れても、南東だったら同じ南東にいるのだ。
 不思議なのは、その認識の仕方だ。たとえば、僕たちが太陽を真横に見ながら車で移動する。すると太陽はついてくる。近くの景色ほど、高速でどんどん過ぎ去って行っても、一番遠い太陽は、車の速度と一緒にどこまでもついてくるではないか。

 凄いな、遠近法って!これって、この三次元宇宙を僕たちが認識するために、僕たちの目というか脳の認識モードが「単にこう設定されているだけ」なんだよね。だから、「天使の梯子」も、もっとマクロの眼から認識した場合、ものすごく大きい太陽の光が、小さい地球の上空の雲の穴を通過した際には、本当は、限りなく平行に進んで各地に降り注ぐはずなのに、あんなに広がった“嘘の光景”を見せられているわけだ。
 つまり、あれは“嘘”なんだ。すくなくとも、遠くで見るところのあの光線の角度は、どこにも存在しないものなんだ。でも、なんて美しいイリュージョンなのだろう!僕たちの世界って常にこうなんだ。時間も空間も。見た通りではないのだ。

 この世界の物理的法則って完璧なんだけど、これ自体がイリュージョンだと思わないかい?つまり、我々の空間認識のために、「ということにしておこう」というわけだ。だから、
「私は、目で見たもの以外信じません」
という人は、実は何も見ていないのだ。

この認識を、みなさんの悟りに至る第一歩にしてくれると嬉しいな。


天使の梯子 (出典:Wikipedia)

 

「マエストロ、私をスキーに連れてって2021」キャンプ最終案内
 新型コロナ・ウイルスの影響で、昨年の春から夏過ぎまで収入が激減したため、今シーズンのスキーへは果たして行けるのかな?という心配はあったが、結果として今までのところ、例年よりもゲレンデに出ている回数は多い。
 昨年12月の「こうもり」札幌公演の際の、テイネ・スキー場と札幌国際スキー場をシーズン・デビューとして、年末の白馬五竜スキー場、年が明けてからは、川場リゾート、神立(かんだつ)スノウ・リゾート、そして先日はガーラ湯沢と、いろんなスキー場を回っていいる。

「このコロナ渦でスキーなんかやってる場合か?」
という意見もあるだろう。でも、もう僕は迷わない。自分の音楽活動も含めて、ある決心したのだから。
 音楽もスポーツも、全ての人間の活動において不要不急というものはない。家に閉じこもって、コロナが通り過ぎるのをじっと息を殺して待てと?ふざけんじゃない!僕たちがこの世に生まれてきたのは、やるべきことをやるためだ。人生には限りがあるのだ。発想や行動が内向きになって、価値あることに何も触れなくなって、感動も情熱も失って、少しくらい長く生きたって、何の意味がある?

 今の僕は、2つだけ「自分の人生を賭けるに値する」と思われるものを持っている。ひとつは、勿論、自分が職業としている“音楽”。もうひとつが“スキー”なのだ。え?そんなに?と思われるだろうが、「そんなに」なのだ。
何ででしょうね。理屈じゃないのだ。それは、かつて思春期に僕を捉えた音楽と一緒なのだ。

「音楽がお好きなんですね?」
たまに言われる。
「あはははははは・・・好きかあ・・・いや、そんなもんじゃないんだけどね」
 好きなんて呑気なもんじゃない。それはあっちから勝手にやってきたのだ。そして、僕の心臓を強引にわしづかみにし、有無を言わせず魂を情熱の嵐の真っ只中に放り込んだ。それに抗うことは不可能であり、それ以後、音楽から離れて生きることなど考えられなくなってしまった。
 かくして僕は、この歳になるまで、現役として音楽に包まれた生活を続けることを許されている。いや、許されているどころか、それは僕にとって、いと高きところからの至上命令であったのだ。

 もうひとつの「人生を賭けるに値する」スキーは、学生時代なんとなくやってはいたが、本当の意味での遭遇を果たしたのは、2009年の年末であった。ふたりの娘達に誘われて、どちらかというと気が進まないまま、湯沢中里スキー場に行った。
 しばらくやっていなかったので、リフトに乗る前と後にコケて、頂上に上がってみたら、斜面があまりに急なので、板を脱いで歩いて降りたほどだった。でも、家に帰って来たら何故かもうハマっていた。またまた久し振りに、例の“情熱の嵐”が吹き荒れたのだ。
「何故、今?何故、スキーなんだ?」
と僕は自問自答した。でも、同時に僕はこう思った。
「この情熱は知っている。何だか分からないが、この情熱に従っていけば、必ずどこかに辿り着くのだ。音楽がそうだったように」

 不思議だ。僕の人生は、いつも現象が先に現れる。しばしば、それが何を意味するのか、自分でも分からない。しかし、必ず答えは後からやってくる。例えば僕は、東京バロック・スコラーズの活動を「21世紀のバッハ」と名付けた。無責任のようだけど、その時、僕自身、その言葉の意味がよく分かっていなかった。頭の中に浮かんだだけ。でも強烈に・・・・分かっていたのは、その答えがいつか必ず来るということだ。

スキーの答えは出ようとしている。

 スキーに取り憑かれて1年後くらいかな。ある時スキーが、僕の日常生活で直接感じ得るスピードを超えた。その時、恐怖が僕を包み、全身には鳥肌が立った。しかし同時に、僕の魂の中で何かが弾け、眠っていた野性が目覚めた。僕の魂は、純白の翼を得て、天に向かって飛翔していった。

 それだけではない。昨年から始まったコロナ渦によって、僕の魂は大きな進歩を遂げた。思索や瞑想などを通して、僕は、自分の魂の中の核の部分、すなわち“真我”というものに目覚め、新たな覚醒を体験した。
 そして今シーズンを迎えたが、スキーとの関わりに劇的な変化が訪れていたことに気付く。スキーの上達は、言葉を変えると、テクニックの習得を通してひとつひとつ自分の恐怖心を克服していくことだ。人は恐怖心でもって自分自身の魂と向かい合うが、その葛藤が、日常生活の中で生まれた心の塵を追い払ってくれる。
 その結果、心の中に埋もれている一点のような“核である自分”、すなわち時空を超えた“真我”なるものを見出すきっかけを与えてくれるのである。つまり、スキーの滑走中の僕の魂は、深い瞑想をしているのととても近い状態なのだ。

 音楽とスキーに、こんな角度からアプローチしている僕の「マエストロ、私をスキーに連れてって2021」に参加する方は、それだけで大いなる恩寵を受けるでしょう。でも、別に怪しい宗教団体のような集まりではないからね。

 今シーズンのキャンプの申し込みの出足は、皆さんの予想通り遅いです。勿論コロナの影響です。緊急事態宣言が延長されて継続中だし、最初言っていたGO TOも、しばらく復活する可能性はないでしょう。
 でも、こんな不思議な関わり方をしている音楽家のキャンプを覗いてみようと思う方は、躊躇なく参加してください。

あらゆるレベルの方を募集。
角皆優人君たち超一流講師による4回に渡る濃厚なレッスンと講演会などを通して、マルチ的な面からスキーの魅力をたっぷりと味わってもらえます。
上級クラスは、コブに挑戦!
締め切りは、講師派遣の都合上、キャンプ一週間前の2月20日までとします。
宿のカーサビアンカもまだ空いています。
募集要項を読んで、下記にメールしてね。
maestro.takemeskiing.special@gmail.com

では、待ってます!  


「タンホイザー」続編
 今日から3日間は仕事的にはオフ。久し振りにまとまった休日。何故なら、本来ならば「タンホイザー」のオーケストラ合わせなのだが、合唱団を全員入れると黒川にある読売日本交響楽団の練習場が三密になってしまうため、合唱団は本番会場である東京文化会館でのオケ付き舞台稽古で初めてオケと合わせることになってしまった。これはこれで心細いが仕方ない。
 その代わり、天から(コロナから?)与えられた休日を有意義に使おう。ということで、今日は、この原稿を書き上がったあと、孫の杏樹をアシスタントに使って、特性のトマトスープを作ります。明日は川場スキー場に行ってきます!あさってはねえ、ちょっと角皆優人君から、ある作曲を頼まれたので(その内、話します)、その構想を練ろうかな。
 昨年は、休日が果てしなく続いたので、「早く仕事したい!」と思うだけだったけれど、こうして仕事の合間に与えられた休日の嬉しさって、本当は贅沢なことなんだな。

 「タンホイザー」の通し稽古は、順調に進んでいた。日本人ってドイツ語の発音を教えても、しばらく言わないでいると、だんだん子音が緩くなってきてしまう。そこで僕は、通し稽古の前に合唱団を集めてこう言った。
「一度、めちゃめちゃオーバーに、語頭のFreudeなどの子音や、語尾のbeglücktなどの子音を発音してみよう。
こんな風になっちゃうよ、という感じで、笑っちゃうようなくらい出すんだ。
指揮者のヴァイグレさんには何も言わないでおくから。それでマエストロが、それはいくらなんでもやり過ぎでしょ、と言ったら『成功』ということにしよう」
それで、みんな一生懸命強く発音した。第2幕が終わった時、僕はさりげなくヴァイグレ氏のところに行って、
「合唱団の発音、どうですか?」
と訊いた。すると彼は、
「良くなったじゃない。今日初めて聞こえた子音も多いよね」
だって。やったぜ!

 それで僕は合唱団を再び集めて言った。
「ヴァイグレさんね、別に驚かなかったよ。あれがドイツ人にとって普通なんだ。ただね、これから本番までの間に、みなさん個人の問題としてトライして欲しいことがある。
それは、ドイツ人的には、最終的にあのくらい子音を飛ばして欲しい。ただ、僕が見ていると、そのために皆さん明らかに力みすぎている。
ドイツ人は、あれだけ飛ばすためにもっとずっと脱力しているんだ。ま、子供の頃からドイツ語をしゃべっているんだから無理もない。彼らは、どこでどれだけ抜いたらいいか経験的に知っているんだ。
日本人が同じだけ飛ばそうとすると、力が入りすぎるために、肝心の母音が飛ばなくなってしまったり、声帯が硬くなって声が美しく出なくなってしまう。
なので、到着点は分かっただろうから、これからは、どうやったら力まずに同じように子音が飛ばせるか、ひとりひとりがいろいろ試して研究して欲しい」

 ヴァイグレ氏は、この合唱をとても喜んでいる。
「凄いぞ。ドイツの合唱団も負けているよ」
二期会からは、来年の「パルジファル」の合唱指揮の発注も受けている。これは当初からヴァイグレ氏の指揮だ。なんと楽しみ!
それにしても、僕が合唱に関わっていて、何といってもハッピーなのは、バッハと、そしてワーグナーだ!

練習を続けてこそ
 僕がオペラ以外で関わっている2つの団体、すなわち東京バロック・スコラーズと、高崎「おにころ」合唱団は、このコロナ渦の中、毎週欠かさず練習を精力的に行っている。

 東京バロック・スコラーズでは、緊急事態宣言で20時以降の自粛要請が出たため、水曜日夜の練習が出来なくなってしまった。しかしながら、もともと土曜日の午前練習を頻繁に行っていたため、夜はしばらくあきらめて、当面は土曜日練習を毎週にして土曜日オンリーに切り替えた。
 すると、平日夜間よりも土曜日の午前中の方が、自分も安心だし、家族の不安も少ないというので、団員はかえって来やすいとのことである。

 次の演奏会は、3月21日、武蔵野市民文化センターでのレクチャー・コンサート。タイトルは「巨匠の創作の足跡~バッハとパロディPart 2カンタータからミサへ」というもの。
 レクチャーで、元曲のカンタータと転用したミサ曲を聴き比べたりするため、演奏会の曲自体は、カンタータ79番、179番と小ミサ曲ト長調と、やや短めだ。そのため、演奏会に向けて慌てなくていいので、練習はとても丁寧に行っている。特に、発声法や音符の処理の仕方など、団員にこの際だから徹底させようとして、結構厳しく練習を付けている。団員も必死でついてくる。

 「おにころ」合唱団も、毎週土曜日、休むことなく練習を重ねている。驚くべき事には、欠席する人がほとんどいないので、みんな毎週楽しみに出てきて、見るからにとてもエンジョイしていることだ。
 本番は7月で、まだまだ先だが、すでに演出家の澤田康子さんも、振り付けの佐藤ひろみさんも何度も訪れ、僕もコラボしながら練習を進めている。澤田さんには演技論を、佐藤ひろみさんにはダンスの基本や歩き方などのレクチャーも混ぜながら、実にエキサイティング。

 このコロナ渦で、練習そのものが出来ない団体も多いだろう。でも、僕は声を大にして言いたい。団体は練習してナンボのものである。練習が出来ない団体に限って、内部がギクシャクしている例も少なくない。

 今だから言えることだが、僕の予想は正しかったと思う。
「冬になったら、どっちみち感染者は増えると思う。だってみんな冬に風邪とかインフルにかかるのだから、そういう人が、より感染力の強いコロナにかかったって不思議はないだろう。だから、夏の内に、練習でも本番でもやれるものはやってしまった方がいいのだ。リモートでも何でも使って、なんとしてでも練習をやるのだ。要は、やる気が大切なんだ」
 こう僕は声を大にして主張していた。僕のいうことを信じて活動した団体は、今、歓びと生き甲斐を手に、健全な運営をしている。

 思い出してみよう。マスコミはいつでも恐怖を煽っていた。夏にキャバクラとかを抜き打ち検査しながら感染者を増やして、
「今のニューヨークは二週間後の日本です」
なんて言っていたけど、今から振り返って見たら、感染者や重症者の数なんて取るに足らないものだったろう。
 
 もちろん、真冬の今は仕方ない。でも春になったら、もうマスコミの言うことなんか信じては駄目です。みなさん、生きるのです!真の人生を、歓びを持って!

ウイルスとは?バシャールの見解
 何故、僕がポジティブなことばかり言うかというと、これにはれっきとした理由があるのだ。

 ウイルスというのは、自分で細胞分裂ができなくて、僕たちの身体のDNA(コロナ・ウイルスはRNA)に自分の情報を書き込んでいき、身体のタンパク質を使って増殖していくだろう。そのウイルスが細胞に書き込む情報について、未来の宇宙人であるバシャールはこう言っている。

その情報とは、エネルギーの波動が共振しているもので、身体が弱くなるという特定の周波数を持っている。
あらゆる免疫抵抗をシャットダウンする情報が入っていて、細胞から免疫系への情報を遮断する情報が入っている。

たとえば、ある人がもともと毒素によって、すでに免疫系がすでに少し弱くなっているとしたら、ウイルスは毒素の波動を真似て、ますますその人の免疫を弱くさせる。
あるいは、ストレスによって免疫系が弱くなっている人の場合は、ウイルスはストレスの波動を真似て、さらに免疫系を抑制していく。

ウイルスにはインテリジェンス(知性)がある。
すでに免疫系を弱くしている原因となっているものの波動を真似する。
言ってみれば、元からある原因にタダ乗りしている。

人の生活の状況や身体のコンディションは、本人が下した選択の結果。
ウイルスにかかりやすくなっているコンディションを自分で作っているので、ウイルスと一種の合意ができている。

     「未来人に教えてもらった病気の秘密」(VOICE)より
 僕は、バシャールを読む以前から、それに近いことを考えていた。でも、この文章を読んで、その裏付けを得た気がしたし、ウイルスの本質をかなり理解できたのだ。バシャールの言っている“毒素”や“ストレス”を、「マイナス思考」や「ネガティブ思考」に置き換えたら、僕が思っていた事そのままなのだ。すでに基礎疾患のある人が感染したら重症化しやすいのも、これで全て理解できる。

 また、この本が出版されたのは2018年なので、当然コロナの話ではないのだが、リウマチのところで、バシャールはこんな内容のことを言っている。
“あなた”がものすごく調和に欠けた状態なので、“あなた”自身が病原体のようになってしまっているのです。
しかも、どの病原体よりも最も優先度の高い病原体と認識され、免疫系に攻撃されるのです。
 これって、コロナで言うところのサイトカインストーム(免疫の過剰防衛、そのことによって自分の細胞を傷つけてしまう)にとっても似ていませんか?

 バシャールが言うには、300年後の地球では、もう病気というものはなくなっているそうである。では、その状態に至るまでの間に、人類は、何に気をつけ、どう生きていったらいいのだろう?また、どのようなプロセスを経て、病気というものが絶滅する世界が実現していくのだろう?
 ひとことではとても言えないので、詳しく知りたい方は、是非この本を読んでみて下さい。ああ、やっぱりな。そうだよね。それしかないよね。というのが結論だが、その入り口は、「ワクワクに従って生きる」ということと「どんな時にもポジティブに」ということから始めるんだ。

「置かれた場所で咲きなさい」の原詩
 先日アップした、真生会館「音楽と祈り」講座2021年1月のYoutube映像で、僕が朗読していた詩を、あらためてここに書き出してみた。本当は、朗読中の映像に字幕を出してもよかったのだが、時間がなかったのと、日本語だけ出すのもなあ・・・とか・・・やっぱ出すのは英語でしょう・・・とか・・・いやいや、両方でしょう・・・とか迷いに迷って、この際ですから耳でじっくり聴いていただきましょう、ということに落ち着いたのだ。

この詩は、シンプルだけれど、読めば読むほど良い詩だ。

"Bloom where God has planted you."
「神様が植えた場所で咲きなさい」(訳:三澤洋史)

Please bloom  where God has placed you. 神様が置いた場所で咲いてください
Rather than give up,  make the best of your life, ギブアップする(諦める)よりむしろ、人生のベストを尽くしなさい
and bloom like a flower. そして花のように咲きなさい
To bloom is to live happily. 咲くということは、幸せに生きることです
Let your joy make others happy. あなたの喜びで、他の人々を幸せにしましょう
Your smile is contagious. あなたの幸せは伝染しやすいので
When you are happy  and show it by your smile あなたが幸せで、それを笑顔で示すならば
Others will know it  and are happy too. 他の人々も幸せとは何かを知って幸せになれるのです
God has planted you  in a special place. 神様は、あなたを特別な場所に植えたのです
If you know it  share it with others, あなたがそれを知って、他の人々と分かち合えば(シェアーすれば)
your personality will shine.  あなたの人格は輝くでしょう
It is that "shine"  which we call "Bloom" まさにこの“輝き”のことを言っているのです 私たちが「咲く」と呼んでいるのは
When I bloom in the place, where God has placed me 神様が私を置いた場所で、私が咲く時
My life becomes a beautiful flower, in the garden of life. 私の命は、人生という庭で、美しい花となるのです。
Bloom where God has planted you 神様が植えた場所で咲きなさい。
Reinhold Niebuhrラインホルド・ニーバー 1892-1971  
アメリカの神学者、プロテスタント信者 ユニオン神学校教授



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