緊急事態宣言のあり方にもの申す

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真  これから僕が語ることは、新国立劇場合唱指揮者という公の立場でではなく、いち個人としての記事です。文責はすべて僕自身のみに帰することとなります。

 緊急事態宣言が4月25日日曜日から発令され、新国立劇場では25日の「ルチア」千穐楽公演が中止になった。しかもそれが公式に発表されたのは、なんと前日24日の13時30分であった。
 こんな重大な決定で、それによって、おびただしい施設や団体、あるいは関わる人々に影響を与えるというのに、どうしてこんなギリギリまではっきりとしなかったのか?もちろん、ちょっと前から、今回の緊急事態宣言は、飲酒を伴う店のみならず、イベントなど大規模な範囲に広がりそうだという話になっていたのは知っている。
 しかし、そもそもこのような厳しい決断に落ち着くならば、少なくとも1週間くらい前に対象をはっきり絞り込んでくれないと困ると思うのは、僕だけではないだろう。

 23日金曜日の午後、僕は新国立劇場内で公演とは別の打ち合わせがあったのだが、劇場に入ると職員達がバタバタしていて、どうもそれどころではなく、打ち合わせは一方的にキャンセルされた。緊急事態宣言の開始日である25日の「ルチア」が公演中止になるかどうかで、確認を急いでいるという。
 しかし、はっきりしない。その晩は23日金曜日の「ルチア」第3回目の公演。楽屋入りした合唱団員達は、互いに、
「俺たち、どうなるのかな?」
と話し合っている。
 劇場側は、勿論知らんふりはしていない。もし中止になるのなら、公演終了までに、キャストやスタッフ全員に知らせます、と言っていたが、公演が終わっても結論は出ない。
「明日、追って連絡します」
と音楽スタッフにも合唱団達にも告げられたので、みんなあきらめて帰るしかなかった。
 国立という名前が付き、国直属の下部組織である新国立劇場が2日前でもその状態なのだから、他の団体は推して知るべし、ということだろう。とにかく、新国立劇場の職員達が、真摯に、そして必死に対応してくれたことだけは強調しておきたい。

 その晩の「ルチア」公演では、観客はかなり入っていてキャスト達は絶好調。千穐楽は日曜日でもあるので、きっと満席に近い状態だろう。もうあさってだよ。もし明日中止が発表されたとしたら大変だ。劇場は、前日公演キャンセルによる観客への払い戻し手続きをただちに始めないといけないし、公演には外国人指揮者や歌手達もいるので、いきなり、
「明日の公演なくなりました」
と言わないといけない。中止による大規模な損失と関係者への補償など様々な手続きに、劇場側はてんてこまいになるのは必至だ。
 当日は、きっと知らないで来てしまう観客もいるだろうな。
「いつ決まったんだ?」
という怒りの問いに、
「昨日の午後でした」
では示しがつかないだろう。

 25日日曜日早朝。新聞を広げたら、「国立劇場、国立演芸場、国立能楽堂、国立文楽劇場、新国立劇場、歌舞伎座、新橋演舞場、4月25日から5月11日の主な公演を中止」(朝日新聞25日朝刊)と、当然のように名指しで中止を決定されているではないか。
 その一方で、プロ野球に対しては、「無観客、25日は混乱などを避けるため有観客」、Jリーグに対しては「無観客の方向で調整中」だって。ふざけるな!新国立劇場も、「25日は混乱などを避けるため有観客」にしろ!外人キャスト達も女性指揮者のスペランツァ・スカップッチさんも、2週間の隔離を耐え、ずっと体調管理しながらここまできて、あとたった1回の千穐楽で職務を全うできたというのに・・・。

 新国立劇場では、昨年の秋(今シーズン開幕)以来、それぞれの公演で、キャスト、スタッフ、オーケストラのメンバー達全員が、何度もPCR検査を受けつつ全員陰性の状態で、全てつつがなく進行させて今日に至っている。
 その背景には、みんなとても気をつけながら、会話を控え、稽古場でも舞台上でもソーシャル・ディスタンスを余儀なくされながら、どうやったらドラマ的リアリティを壊さないか悩みつつ、とにかく芸術の火を絶やすまいという使命感を持って関わってきたことが挙げられる。
 聴衆も、ルチア役のイリーナ・ルングが、あんなに素晴らしい歌唱を披露しても、ブラボーの声ひとつ挙げず、じっと拍手だけで我慢している。クラスターなど全く出ていない。聴衆も含めると、膨大な人数の努力の賜物です。みんな真面目に精進しながら、ここまでやってきたのです
 それなのに、これだけの“実績”に全く目を向けずに、こう一方的に中止にさせられて黙っていられるわけないだろう!25日公演を行うことで、いったいどれだけの新規感染者が新国立劇場から出るというのか?

 巷では、「オリンピックなどできないんじゃないの」という声が聞かれていた。でも、僕は、それに関しては傍観者であった。芸術と同じで、最初からあきらめたりマイナス志向にならないで、みんなで努力したなら、もしかしたら達成できるかも知れないと思っていたのだ・・・あるいは、思い込もうとしていたのかも知れない。

 でももし、そのオリンピック開催のために、こうして頑張ってきた我々の努力を容赦なく切り捨てるのなら、僕は、今日この日から反五輪開催論者になることを断言する。緊急事態宣言が解除されたあかつきには、感染者が見事に減って、そこにバッハ会長が来日されて、一気に五輪ムードを盛り上げて・・・というシナリオでしょうか?そううまくいくんでしょうか?
 それどころか、東京オリンピック、パラリンピックでは、最大1万5千人の選手が参加すると言われている。今ここで感染を押さえ込んだとしても、日本よりも桁違いに感染者数も死者も多い海外から、どんどん選手やコーチ達が入国してきて、新たに様々なコロナの新種株が国内に持ち込まれ、オリンピック後、感染が爆発的に拡大しても、もうその時には終わってしまっているので、別にそれは構わないというのか?

 本当に国民の命を大切に思うならば、今ここでこんな不自然な締め付けをやる前に、オリンピックを中止ないしは再延期した方がずっと賢明だ。みなさん、僕の言っていること、間違ってますか?誰か僕を説得してください!

東京、大阪、京都、兵庫においては、
映画館休館
美術館、博物館休館
映画館も美術館も博物館も、みんなおとなしくしているでしょう。クラスターとか出ていますか?今後どんどん出ると思いますか?
三越伊勢丹、そごう、西武、東急百貨店、京王百貨店、高島屋など、ほとんど全ての大手デパートが、一部売り場などを除いて軒並み臨時休業
デパートって、そんなに危ない?
サンリオピューロランド、よみうりランド、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン休業
でも、東京ディズニーランド、東京ディズニーシーは営業継続
何故?
東京都ではなくて千葉県だから?
だったら東京という名前使わないでいただきたいね。
千葉ディズニーランドって言いなさいよ。
って、ゆーか、普通に考えて、よみうりランドとディズニーランドでは、どっちが危ない?
よみうりランドを締めてディズニーランドを開ける理論的根拠を説明せよ!
遊園地、テーマパーク、バッティングセンター、ゴルフ練習場は、無観客ならOK。
え?意味が分からないんですけど。
ふざけているの?
もし大真面目で、こういう指令を出したとしたら、この国大丈夫か?と心配になってしまう。
 そこで調べてみた。それらの施設を、撮影や動画配信、劇団員の稽古に使うなら良いとのことだ。でも、どうしてそこをわざわざピンポイントで指定するのだ?・・・と思っていたら、実は、そのへんてこりんな指令のお陰で、今日の「ドン・カルロ」の合唱音楽稽古が出来たと、新国立劇場のマネージャーから言われた。
 つまり、こういうことだ。観客を入れて公演を行う施設としての新国立劇場は閉館せざるを得ないが、無観客を前提とした施設として、公演やそのための練習をするのは良いそうなのだ。
 現にバレエ部門では、5月1日土曜日から8日土曜日までの「コッペリア」公演を無観客ライブ配信で行うことを決定し、今日から劇場入りして稽古するそうだ。
 「ドン・カルロ」についても、5月11日に緊急事態宣言が解除された後、どうなるかは分からないけれど、とりあえず「無観客で」ということにすれば、劇場内での練習は可能ということになったそうだ。

書店は通常営業可。でも古書店は休業要請。
  あのさあ・・・いい加減にしろよ。
  これ一体誰がどういう基準で決めたんだ。
 しかも、今回の緊急事態宣言での休業協力金が、なんともショボい。大手百貨店など1日の売り上げが数億円にもなるのに、休業協力金は20万円。あははははは!笑っている場合ではないよ。

「要は、ゴールデン・ウィーク中にステイホームさせることです」
という理由も分からないでもないが、もう一年以上もステイホームばかり言い続けてないで、一体どこがどう危なくて、どこはそんなに危なくないのか、あるいは、どの行為が具体的に危なくて、どの行為はいいのか、国民にきちんと教育する姿勢が、政府にもマスコミにも全くないのが一番の問題だ
 ちなみに、その点については、僕は茅野市での飛沫の実験に立ち会ったし、何人かの感染症の専門医ともコンタクトを取って勉強しているので、正確に理解しているつもりだ。でも、そういうことについてマスコミでは一切触れずに、ただただ昨年からずっと恐怖だけを煽っているのだ。これは一種の犯罪と言ってもいい行為である。

 レストランでお酒を出さないというのも、だったら、みんながコンビニでお酒を買って、路上でマスクもしないで飲むのは、レストランで食事の傍らにワインを置くよりも安全だというのですか?

 本当に自粛基準があまりにグチャグチャで行き当たりばったりだから、誰も納得しないんだよ!

 こういうの見ると、
「ほら、日本はみんな無観客にして、オリンピックに備えてやっていますよ」
という、世界に発信する単なるデモンストレーションにしか過ぎないのがミエミエで、本当に人の命を守ろうという動機から必死でやっている気がしないんだよね。

みなさん、どう思いますか?

しあわせ・・・でもヘビーなひととき
 4月24日土曜日は、名古屋で東海グスタフ・マーラー交響楽団の練習。初回練習であった前回は、アウトラインだけ示し、
「あとはやっておいてくださいね」
と言い残して東京に戻ったが、マーラーってスコアを読めば読むほど、そう簡単にひとりで「やっておく」なんて出来ないほど、どの楽器奏者にとっても難しい。
 マーラーという人は、当時は作曲家としてよりも、生業としてはむしろオペラ指揮者で、毎日生のオーケストラの音に触れていたわけだから、それぞれの楽器に対して変に熟知していて、楽器の限界ギリギリのことを要求している。

 それなので、そんな簡単に、
「みんな前回から驚くほど上達したね。もうこのまま演奏会ができますね」
という状態になるはずがない。
 加えて、僕の方も2度目の稽古ともなると最初からシビアな眼で臨むわけよ。今日ある程度形をつけておかないと、次は5月2日、3日の練習で、本番は4日だからね。大変!
結果的に言うと、まあ今回は結構スパルタでした。

 一番気になったのはバランス。でも、一般的に言うような「バランス良く」というのではない。マーラの場合、いろんな意味でとっても「とっ散らかっている」。それを体裁良く整えるべきか、その「とっ散らかっている」ままにやるのか、意見が分かれるところだ。
 僕は結局、自分の子供っぽいところでマーラーと繋がっているのを感じるので、「とっ散らかっている」まんまを大事にするタイプではあるが、練習中、たとえば第1楽章展開部の途中(練習番号49番)のピッコロ4本プラスEbクラリネットで演奏する超高音メロディーがあまりにうるさかったので、
「おい、君たち、いくら何でもそれはないだろう。うるさいんだよ!」
と言ったら、一同大爆笑。
 そうなのだ。ピッコロの最高音のcは、88鍵あるピアノでも最高音。人間が音程として聴き分けることのできる音域は、約20ヘルツから4000ヘルツまでと言われているが、このcはなんと4186ヘルツある。しかもこれを、なんと4人のピッコロ奏者で吹くのだ。1番フルートを吹くプレイヤーは、普通ピッコロに持ち替えたりなんかしないのだ。頭おかしいだろ、マーラーって。
 第1楽章で僕の一番好きな個所がどこか知ってる?それはね、展開部の最後からドラムマーチで再現部の第1主題が出るまでの個所。マーラーのソナタ形式の展開部って、ベートーヴェンやブラームスのように音楽的に「展開」するのではない。モチーフの断片をパッチワークのようにあっちこっち散りばめて、特に展開部の終わりでは、まるでおもちゃ箱をひっくり返したよう。どうにも収まりがつかないのを、突然割り込んでくる無関係なテンポのドラムマーチで誤魔化して、
「失礼しました。今のはなかったことに・・・では始めに戻りま~す!」
という感じで、無理矢理再現部。なんて馬鹿馬鹿しく楽しいんでしょう!これで怒ってしまうような、あまり真面目な人は、マーラーには向かないんだよね。

 マーラーのテンポ・ルバートは、彼がオペラ指揮者である発想から来る。第1楽章の最後の練習番号73番の2小節前では、僕もオペラ指揮者だから、たっぷりやるぜ。また、愛らしい第2楽章でもリタルダンドが頻繁に書いてあるけれど、そのニュアンスの意味は、オペラで体に入っているから、言われなくてもやるさ。
 粋(いき)というのは、ちょっとやり過ぎると野暮(やぼ)になるので、ちょうど良い加減を目指します。

 演奏会の前にいろいろネタバレしてしまうが、三輪陽子さんというのは本当に不思議な歌手だ。この人も普段はとっても性格が「とっ散らかってる」のだが(失礼!)、第5楽章の彼女の歌唱は圧巻。
 僕の指示を鵜呑みにするだけでなく、きちんと咀嚼して、彼女の内面から出てくるオリジナルの表現にしてくれる。
「Weh spricht,Vergeh!(痛みは言う、行ってしまえ!)では、最初のWeh sprichtでしっかり切って、息を使って憎しみを込めてVergeh!って呻くように言って!」
「う~ん・・・やってみます」
で、出てきたものに、逆に僕が「う~ん」と唸るほどだ。

快楽は心の悩みより深い。
痛みは言う。行ってしまえ!
しかし、快楽は永遠を欲する。深い永遠を・・・。
「三輪さんねえ。この歌詞は、あまり考えすぎずに、まずシンプルに考えるんだ。
苦痛にあえぐ時、人は早くこの時が過ぎ去ってくれと思うだろう。
逆に、快楽の中にいる時は、このひとときがいつまでも続いて欲しいと祈るじゃない。
でもね、快楽が望む永遠というのは『偽の永遠』なんだ。
快楽が望めば望むほど、世界が諸行無常であるのを人は思い知るのだ。
快楽の時は残酷に過ぎ去っていくのだ。
それに対し、“真の永遠”は、時や三次元空間の制約から解放された魂の奥深くにある。その永遠は“愛”からできている。
宇宙は愛に満ちているんだ」
「う~~~ん・・・深いですね」
「深くないよ。その点ではシンプルなんだ」

 午後6時半からは、女声合唱と児童合唱が加わって第5楽章のオケ合わせ。通せばわずか4分で終わってしまうこの快活な曲に、僕は1時間以上かけて練習した。みんな歌えてはいる。オケも弾けてはいる。でも、なかなか僕の思っているイメージになってこないのだ。
「三輪さんのペテロは、とにかく泣いて!」
「合唱団の皆さん!楽譜の最初にkeckって書いてあるだろう。keckというドイツ語はね、『やんちゃ、向こう見ず、生意気』っていう意味なんだ。ペテロが自分の罪の意識故にイエスの前に出られなくて、陰でメソメソしている。天国という光明の世界にいるみんなには、その意味が分からない。
たとえば子供が何か悪いことをしたとする。でも、親だったら、子供が自分の前に戻ってきてくれなければ許しようがないけれど、もう本当は、心の中で子供の罪なんてみんな許しているだろう。
人間と神の関係も一緒だ。宇宙は、全てを許し、全てを受け入れて、ただ愛に充ち満ちているんだから、人間はそれに気づき、そしてゆだねさえすればいいんだ」

 それでもう一回練習する。みんなの表情がどんどん変わってくる。
「三輪さんの歌を伴奏するオーボエや、その後に出てくるバス・クラリネットやコントラ・ファゴットなどは、最初を不自然に突いて、ペテロの嘆きを描写してください。おかしいほど強調してやってください」
 そして児童合唱には、
「天上の歓びがペテロに用意されました。イエスを通して、しあわせに至る道として、みーんなにもだよ!という言葉を、本当に明るく明るく歌ってね!」
 歌が良くなってくるとオーケストラのメンバーもノッてきて、最後は天国の光が僕の胸にパアーッと差し込んできた。

 これで、あの終楽章の胸ときめくフレーズが始められる。きっと会場が愛で満たされる。この感動を是非是非聴衆と分かち合いたい。

 帰り道。トランペットのHさんの車で、名古屋駅まで送ってもらったが、普段からそんなに言葉の多くない彼女がポツリと言った。
「あたしの人生最初のマラ3が、三澤先生でよかったです」

どんな批評家の賛辞より嬉しかった。



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