今週はマーラーの話ばっかり!

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

これは音楽であることをはるかに超えた宇宙の法である
 大宇宙にあまねく行き渡る“愛”。すべての“存在”を創造し、すべて生きとし生けるものを慈しみ守り許し、すべてをそのふところに引き取っていく“慈愛”そのもの。そのほんのひとしずくでも身に帯びることができたなら・・・風のように感じることができたなら・・・そして、その幻でもいいから、表現することができたなら・・・きっと、それは、マーラー交響曲第3番終楽章のようなものになるだろう。
 いや、それ以前に、それを表現する媒体は、恐らく音楽でしかないだろう。それも、大管弦楽をもってしか可能せしめることはできないだろう。そして、それを耳で感知する者は、どうやっても平静ではいられないだろう。
 また、その音楽を通して、宇宙の奥義の一端でも、あたかも和音が体に染み入るように全身で触れることを許された者の魂は、すでに生死を超えた彼岸の世界に入り込み、もはや死を恐れることなど、愚かなことにしか感じることができないであろう。

 バッハの音楽に、常に至高なる存在の光を感じ、演奏会の度に、その光に包まれる体験を重ねていた僕であるが、このように自分が大宇宙の愛の洪水の真っ只中にあるという至福体験をしたのは、今回の演奏会が初めてであった。誇張ではない。本当に、それは奇蹟の時間であった。

 バシャールは、「時間は幻想であって、本当は存在しない」と言っている。今では100パーセント分かる。演奏のその時々に“永遠”を垣間見た。その永遠は、言葉ではうまく言えないが、まさに永遠そのものであって、この三次元空間ではなんとも認識できないものである。
 瞬間が永遠とつながる。自分というものが全ての時代を貫いて恒久なる存在として“在る”。それでいながら、一刻一刻に体験をする。それが多重的に重なり合い、ある認識力を持つ視点からは一望の下に俯瞰できる。このような視点が、マーラーの演奏中には、いとも簡単に得られていた。

本番まで
 さて、話は現実に戻ろう。東海グスタフ・マーラー交響楽団の演奏会のために、5月2日日曜日に名古屋に来た時には、まだ本当に演奏会が出来るのか半信半疑であった。東京では緊急事態宣言が出ていて、すべてのイベントが無観客以外は中止に追い込まれているのだ。愛知県に緊急事態宣言が出ていなかったことだけでも奇蹟のように感じられる。主催者に聞いても、今の時点で、どこからもストップはかかっていないとのこと。それを聞いただけでもホッとした。

 でも、先のことは分からない。僕は祈った。
「お願いです、4日までどうぞこのままの状態でいてください!この演奏会は、何としてでもやらなければならないのです!」

 東海グスタフ・マーラー交響楽団は、勿論アマチュア・オーケストラだ。練習していると、あちらこちらミスが出る。それを気長に直す。また、マーラーの管弦楽法が特殊で、フラジオレット(弦の押さえ方を工夫して倍音のみの音を出すこと)のやり方を指示したり、col legno(弓の木の部分を叩く奏法)のやり方を揃えたり、細かいことに引っ掛かっていると、しばしば、演奏会に至る道のりがあまりに遠すぎるように感じられて、
「今、こんなことやってる場合か?」
とも感じられるけれど、それらを一度丁寧に解決して、次にまた通してみると、意外とそんなことでみんなの足並みが揃い、集中力が高まってくる。

 過去、2回の練習を積んで今回に臨んだが、こんな即席オケにも関わらず、メンタルな意味での一致感が団員の中でいつの間にか育っている。それに、ひとりひとりのマーラーに賭ける情熱が凄い。2日の練習の最後では、終楽章を直している時間がないので、その日はあえて、あまり止めずに通して、次の日に細かい練習をしようと思い始めて始めたら、結構その時点で感動的な演奏となったので驚いた。

 5月3日月曜日。ハープがやっと2人揃ったので(アマチュア・オケというものは、プロ奏者のハープを演奏会直前にならないと雇えない)、ハープの重要な個所だけピックアップしてから、午前中は通し稽古をした。もっとボロボロになるかと思ったが、意外とそうでもなかった。そして午後は、本当に重箱の隅を突っつくような練習だけで、いたずらに疲労を煽るような練習はやめて、早く終わった。

家族全員揃って名古屋入り
 さて、この演奏会には、もともと妻が来ることになっていて、今日から名古屋に泊まることになっていたが、ピアニストである長女志保の仕事が、緊急事態で練習場所の確保が出来なくなり、突然キャンセルになったというので、
「そんじゃあ、大好きなマーラー第3番の演奏を、まあパパの指揮だけど、暇だから名古屋まで聴きにいくか」
と決心したというのだ。彼女はパリ留学時代にこの曲を何度も聴いてすっかりファンになっているという。
 それで志保は、次女の杏奈を誘い、孫の杏樹を無理矢理連れて、もともとは新幹線で来ようと思っていた妻を運転手にして、なんと車で名古屋まで来ることになった。

 3日のオケ練が4時に終わると、僕は芸術劇場の外に出て、長旅を終えた家族と合流。それからみんなでデパートへ行った。
 というのは、名古屋も、緊急事態宣言こそ出ていないが、蔓延防止措置は出ていたので、お店は20時までで終わり。その一方で、みんなは、僕が行う18時からの女声合唱及び児童合唱のピアノ稽古を見学するので、この2時間足らずの間に、急いで買い出しをしておかないといけないのだ。
 デパ地下では、いろいろ美味しそうなものがあったので、杏樹は、鶏の骨付きもも肉などを買ってゴキゲン。それから芸術劇場のリハ室に戻って合唱稽古をした。

 合唱稽古は、合唱指揮者である僕の領域なので、いろんなところが気になって、わずか4分の曲にまたまた1時間くらいかけてビシビシやった。ドイツ語の発音やニュアンスが、ちょっとでもドイツ人と違うと嫌なのだ。
 部屋に戻ると杏樹が「ビム~~バム~~!」と口ずさんでいる。あるいは、
Du sollst ja nicht weinen! Sollst ja nicht weinen!の、ラ、ラミミミミーレ、ラミミミミーレというメロディーを歌っている。
 この、ホテルの一室での、持ち寄りパーティーのような食事は、どんな高級料理での食事よりも楽しかった。コロナ禍ならではの、心に残る楽しい想い出であった。

 5月4日火曜日。いよいよ演奏会当日の朝。寝坊助の母子、すなわち志保と杏樹を置いて、僕と妻と杏奈の3人は、早朝散歩に出た。栄のテレビ塔近くのホテルから出て、県庁や市役所の前を通り、名古屋城の内堀を一周するコース。
 名古屋城のてっぺんから金のしゃちほこが取り除かれていたのにガッカリしたり、キャッスル・ホテルが解体されていたのにちょっと心を痛めながら、帰り道に愛知縣護國神社に寄って、3人でお祈り。
「払え給え、浄め給え、神(かむ)ながら、守り給え、幸(さきわ)い給え!」
と祈って、二度柏手を打つ。それから僕が、
「ありがとうございます!」
と30回唱え、感謝の祈りを捧げる。それから演奏会への祈願を捧げる。
 カトリック信者なのに変じゃね?とも思うが、いいのである。マーラーの宇宙観には、こうした超教派的祈りがマッチするのである。

写真 2階席からみたリハーサル風景
ゲネプロから

 話は飛ぶが、演奏会を終えて、午後4時20分ぐらいに芸術劇場の駐車場を出て、新東名高速道路をひたすら走ったが、途中御殿場あたりで事故渋滞があり、そこを抜けるだけで3時間かかるという表示を見て、急遽、山中湖経由で大月に抜けて中央道から国立に向かうルートに切り替えたら、これが連休明けの自然渋滞に巻き込まれ、家に着いたのは、午前0時ちょっと前。
 幸い、杏樹はとっくに寝ていたので良かったものの。まあ、演奏会も含めて、なかなかハードな1日でした。

そして迎えた本番
 4拍目から始まるホルンの冒頭のファンファーレのための指揮の予備は、必ず1拍目から行うことにしている。指揮法的には3拍目からで充分であるが、ホルン奏者達には、たっぷり時間を使ってブレスをして欲しいから。そして、エネルギーに満ちてはいるが、突き過ぎず、押し過ぎず、美しい音を目指して吹くこと、と口を酸っぱくして指摘したことが落ち着いた時間の中で成就するように・・・祈りを込めて・・・。

 よーし・・・出足は快調!この瞬間、無事に本番を迎えられた幸福感に僕は満たされた。ホルンとファゴットによるF-Am F#m-Aというミステリアスな和音連結と大太鼓のソロに導かれて、葬送行進曲のような部分に入っていく。やがて快活な行進曲が始まる。この行進曲の間に、様々な楽器のコンビネーションによるモチーフがバラ撒かれていく。
 僕はこの部分が大好き。Ebクラリネットの素っ頓狂な響きや、4本のピッコロによる超音波のような響き。小太鼓やシンバルを伴った大太鼓の割り込み。練習番号53番の一つ前のティンパニーの笑っちゃうような連打。ここは単にひとつのfが書かれていたのに、僕はわざと、
「ffで叩いちゃえ!」
と打楽器奏者に命令した。あははははは!

 真面目に論理的構成を考えて主題労作を行うブラームスなどとは対照的に、マーラーのソナタ形式では、全てが諧謔と遊びの精神で貫かれ、めちゃめちゃとっ散らかっている。それに対して、僕は、自分の中の子供っぽいいたずら精神で対応する。
 演奏会が終わってから帰りの車の中で、志保は、
「1楽章の途中って、あんなにいろんなことが起きてたんだ」
と言っていたが、我が意を得たり。
 そうなんだ。取り繕って体裁良くしてしまうと、出来ないことはないんだけど、マーラーの音楽は、それじゃあつまらないんだよ。その意味では、第1楽章の間、一番エンジョイしていたのは、紛れもなくこの僕さ!

 第2楽章は、5月2日に来た時から、
「悪いけど、これから本番まで、思いっ切りアゴーギク(テンポを揺らすこと)をかけるからね」
と言って、思いのままにブレーキ掛けたりアクセル踏んだりしたので、みんな最初は車酔いのような状態になったが、本番までにかなり予想が付いてきて、むしろ彼らが先取りして、
「どうせ、こうでしょう?」
という楽しいやり取りをしながら進んでいった。
 終わり際では、なんともいえない香りが和音の間から漂ってきて、花の精達が微笑んでいるのが感じられた。

 第3楽章の間に、時々、やんちゃな悪戯をするかつての愛犬タンタンの姿が浮かんだ。突然のテンポやダイナミックの変化に、動物の気まぐれな動きを感じるが、それはとりもなおさず、僕自身の動物的部分でもある。
 そして、その動物的魂の深い部分から、突然、あのノスタルジックなポストホルンの響きが聞こえてくる。Hさんが、この演奏会のために購入したというポストホルンは、特に、この音楽の基音であるF音が高いことに始まり、全体に音程の設定が極端に難しいが、かえってそれがある種の異次元空間を作り出し、その不思議なまろやかな響きと共に、母の胎内にいるような本能的な安心感を導き出す。

 そして第4楽章。深い深い人類の闇を表現するアルトの三輪陽子さんの歌唱は圧巻だった。花も森も、動物たちも、みんな本能で生きていながら、その法(のり)を超えず、足ることを識り調和の中にいる。生も死も、抗うことの出来ない運命のようなもの。
 しかるに、人間だけが、超越的存在から分かたれ、自らの心を閉ざして、罪の意識と苦悩の中に沈んでいる。
 ところが、突然の鐘の音とともに、まるでその暗黒の淵をあざ笑うかのような、天使の笑い声と叫びが響き渡る。今回、コンサートホールでは、女声合唱と児童合唱とが2階のオルガンの前に陣取ったので、その響きは、丁度天から降ってくるかのようであった。

 では、どうして天使たちの歌は、アルト独唱とこんなに対照的なのだろう?人の中に罪があり、世の中に不条理があり、世界が不幸に満ちているというのに、どうして明るくなどいられよう。罪のことは考えなくていいというのか?償いは要らないというのか?苦悩は不必要だというのか?むしろ闇の中にいる方が、人類には相応しいのではないか?

 その答えは、言葉では出せない。言葉は対立を生み、思考は分裂を生む。その答えは音楽で出すべきであり。それがこの終楽章にある。ノーテンキな第5楽章が終わり、アタッカで第6楽章のヴァイオリンのA音のアウフタクトに滑り込んでいき、D-durの和音が柔らかく響き渡った瞬間、僕の全身は光に包まれ、魂はその答えの海の中にいた。

 あとは、冒頭で述べた通り。ひとつだけ付け加えるならば、僕の66歳の生涯の中で、全ての私生活をも含めて、間違いなく“こんなしあわせな瞬間”はなかった。こんなに愛に包まれて、こんなに自分の意識が生死を超え、こんなに永遠の中にいるという意識を持ったことは初めてであった。
 音楽は進んでいく。途中オペラアリアというかメロドラマのような短調の部分を何度か通過するが、それは、宇宙の慈愛は、こんな人間のちっぽけな苦悩や罪にも丁寧に寄り添ってくれていることを示しているのだ。

だから、人類よ、心せよ!闇は幻想なのだ。僕たちのまわりには光のみがあるのだ。

 そして大団円がやってきた。指揮している僕は、もう終わってしまうのか?という惜しむ気持ちでいっぱいだった。そして最後の和音がコンサートホールを満たすと、次の瞬間、あたりは静寂に包まれた。
 僕はその静寂を全身で感じながら、両腕をゆっくりと降ろしていった。このモーションこそ、その日の僕の指揮の全ての運動の中で、最も会心の出来と言えるものであった。つまり、それまで紡ぎ出された“全ての響きの余韻”であり、全ての楽員と聴衆とが創り出した“聖なる空間の軌跡”を表現したモーションだったのである。

 舞台袖に帰って来て、僕がみんなに最初に言った言葉。
「明日もやりたい!あと5回公演くらいやりたい!」
あはははははは。僕は、こんなにもこの作品が好き!

写真 終演後の舞台袖での三澤ほか3名
左から合唱指導の山本高栄さん、三澤、磯部和恵さんとアルトの三輪陽子さん


前島さんの書物と後を引くマーラー熱
 マーラー交響曲第3番演奏会のための集中的な勉強に入った時期から、スコアと共にいくつかのマーラーに関連する書物を持ち歩いていたが、今回に限っては、スコアを細部にわたって読み込むのが楽しくて、書物は持っているだけでほとんど読まなかった。
 演奏会が終わって、今更とも思ったけれど、今回ばかりはマーラーの音楽が後を引いて、頭の中でいつまでも響き続けているので、以前から持っていた、名古屋在住の前島良雄さんの「マーラー~輝かしい日々と断ち切られた未来」(アルファベータ)を手に取って、仕事の行き帰りの電車の中や寝る前のベッドの上で読み始めた。

 前島さんとは、親友の角皆優人君と、アルファベータの社長であった中川右介さんを通して個人的な面識を持った。僕の家には角皆君が対談に加わっているクラシックジャーナルを初めとして3冊の前島さん関係の本がある。僕の記憶では3冊ともアルファベータから送ってきてくれたものだと思う。
 その中で「マーラー~輝かしい日々と断ち切られた未来」は、マーラーの人生を最初から克明に辿りながら、これまで誤って伝えられていたマーラーの様々な伝説を払拭し、真の姿を描き出そうとする、最も長い大作である。

 実は、恥ずかしながらこの本を最初から最後まで通してじっくり読んだのは、今回が初めてだった。勿論、前島さんが持論を展開する個所、すなわち「マーラーが、生前は不遇であり、晩年は死の影に脅かされていた、という神話は誤りである」というくだりは、他の本同様、克明に読んでいたのだが、実際に作曲家の生涯を順番に辿っている個所については、自分がその時々に興味を持ったマーラーの交響曲を聴いている機会に、その近辺の時代の状況を、他の本とも並べて読んでいたに過ぎなかったのである(申し訳ない!)。

 しかし、今回、のんびり時間をかけて気長に読もうと思って本を開いたら、面白くて離せなくなり、演奏会翌日の5月5日には丸一日高崎で「おにころ」の練習をしていたし、6日は、午前中にZoom指揮レッスンをした後、午後には川崎にまで「ドン・カルロ」の最後の音楽稽古に行くなど、決して暇ではない環境の中、電車の中でもどこでも、とにかく一刻でも時間があれば本を開いて読み続けて、とうとう7日の夕方には読み終わってしまった。



実像のマーラーはポジティブで精力的
 そこで浮かび上がってきたマーラー像に心底驚いた。なんと、彼は人生を通して常に精力的に活動を続け、死の直前まで弛むことなく超人的に仕事をこなしていたのである。前島さんが「断ち切られた未来」と書いたように、この先、交響曲第11番すら書きそうな勢いでバイタリティに溢れて活動していたマーラーを、突然感染症が襲い、今だったら抗生物質で即座に全治しそうなのに、時代が時代だったので為す術もなく、「あっけなくその前途が断ち切られた」感じで人生の幕が閉じられたのである。
 マーラーのメンタルは、決して厭世的なものでもなければ、脆弱なものでもなかった。むしろ正反対に、これほど強靱な精神を持ち、自分の信念に従って人生を生き切った者はいなかったので、沢山の敵も作ったし、様々な妨害にも遭ったが、それと同じくらい沢山の賛美者と援助者とを得た。

アルマの捏造
 まあ、くせ者はむしろ奥さんのアルマの方だな。アメリカに渡って孤独の中で精神が塞ぎ込み、うつ病のようになっていったのは、マーラーではなくアルマの方だった。青年グロピウスとの浮気も、その「置いてけぼりの疎外感」からきているものと思われる。
 前島さんは、アルマの著書「回想と手紙」の中に表現されている“捏造”の部分を丁寧に、かつ様々な証拠を並べつつ、ひとつひとつ暴いていく。
すなわち、
「ウィーンを追われ、持病の心臓病を病みながら、失意の内にあの厭世的な『大地の歌』を作ったが、ベートーヴェンはじめ、シューベルト、ブルックナーなどが第9番目の交響曲を書いた後亡くなっているため、死に怯えたマーラーは、これを第9番目交響曲と名乗ることが出来ずに『大地の歌』と呼んだ」
という逸話である。

「大地の歌」は交響曲ではない
 「大地の歌」は、そもそも交響曲としてよりも、彼の管弦楽付きの歌曲と同じ方法で作られた。正式なピアノ譜がオーケストラ・スコアと同時進行して書かれているのだ。これは、彼の他の交響曲では、(私的なスケッチ以外では)決して見られないことだ。つまり、「大地の歌」は、最初から“大規模な歌曲”として書かれたと前島さんは主張するが、僕もその意見に賛成である。
 同じように、歌で全てが彩られていたものとして第8番交響曲があるが、これはその壮大さ故に交響曲である。そもそもSymphonyの語源はsyn(ともに、合成、同時)とphon(音)の合成語で、まさに日本語の“交わって響く”曲という命名の通りなのだが、その交わって響き渡る媒体がオーケストラだけでなく、何故人声ではいけないのか?ということである。そして、大規模な合唱などで全宇宙を表現するという快挙を成し遂げたわけである。合唱のあるなしはひとつの尺度となる。
 マーラーは、また同じ発想で、次の交響曲である第9番を書いたが、声楽を使わなかった。それは、単に使う必要がなかったからである。

 「大地の歌」を生まれて初めて聴いた時は高校生であったが、とても“怖い”と感じたことを覚えている。淡々と進む日常の隙間に潜む“彼岸”を見せつけられた気がして、これを直視すると、下手をすると自分の精神が病んでしまう、という恐怖を確かに覚えた。
 しかし2006年に名古屋マーラー・プロジェクト演奏会でこの曲を演奏した時は、全く違った印象を持った。クリスチャンとして長い人生を生きてきて、さらに、様々なスピリチュアルなものに触れていたので、僕の意識の中で手にしている“日常”そのものに大きな変化が起きていたのだ。
 つまり、僕の日常は、今では“彼岸を含んでいる”のだ。恐らく僕の中では、「大地の歌」はもう「厭世的な音楽」ではない。それどころか、あの第3交響曲の終楽章と、ある意味“同質”の音楽だと言い切ってしまえるのだ。
 第3交響曲が、宇宙にあまねく行き渡る“愛”に焦点を当てている一方、「大地の歌」では、“諸行無常”に焦点を当てているという違いがあるだけである。マーラーの霊的認識も、当然そこまで進んでいたが、アルマには、そういったことが理解できなかったに違いない。

マーラーの悟り
 僕は断言できる。マーラーは、すでに彼の第2交響曲の終楽章で、
Aufersteh'n, ja aufersteh'n, wirst du.「甦る、そう、お前は甦るだろう」
と歌わせた時点で、彼の魂の認識は生と死を超えていた。つまり、彼には、通常の人が持つような“死への恐れ”は全くなかったと思う。
 音楽は正直なのである。そして、一度悟りを手にした者が、またそれを失うということはあり得ないのである。

 マーラーの認識力と才能には、足下にも及ばない僕でさえ、交響曲第3番終楽章を指揮しながら、あれほどの慈愛を感じ、永遠を感じ、死への恐怖などどこかへ飛んでしまったのだから、前島さんの結論は全面的に正しいと、僕には言い切れます。

マーラーはねえ、作曲家というより、如来の境地にあるね。


天から降ってくるかのような児童合唱と女声合唱



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