いろいろ思う今日この頃

三澤洋史 

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いろいろ思う今日この頃
 昨年の6月1日の「今日この頃」を読み直してみた。
「僕は、2020年6月1日という日を生涯決して忘れないだろう」
この時期といえば、最初の緊急事態宣言が延長されて、それがようやく解除され、街がノロノロと動き出した時期。
 1年前の6月1日を何故忘れないかというと、ふたつの大事なことがあったからだ。その記事から。
「ひとつは、僕の新刊『ちょっと お話ししませんか』(ドン・ボスコ社)が発売された日として。それから、もうひとつは、孫の杏樹が、いよいよ今日から、東京賢治シュタイナー学校の新一年生として登校した日なのだ」

 時々自分の本を読み返している。自分というのが、「ノーテンキ」とレッテルを貼ってもいいほど徹底的なポジティブ志向であることに我ながら驚いている。それは誰から教わったわけでもなく、子供の頃からそうだったのだ。だから音楽に対しても宗教に対してもそう。
 そんな僕でも、さすがに昨年の今頃は、コロナ禍で全ての仕事がもぎ取られ、自分がこんなにも人々から必要とされなくなったのか、と大きな落胆を感じていた。加えて、経済的な不安もあった。このパンデミックが一体いつまで続くのか誰にも分からなかったし、あの当時は、新型コロナ・ウィルスというものがどれだけ恐いものなのか、不明な点がいっぱいあったしね。

 その「今日この頃」の後半には、その頃に見た夢の話が載っている。夢の中の人物は今でも僕の心にいる。いや、いつもいつもいて、今の僕の基本的人格の根幹を成しているといってもいい。あの人こそ、徹底的にポジティブなオーラを発している。僕よりずっと静かで平和な人。でも決して揺るがない。そのあたりの文章を引用しよう。

僕は、あの人のように生きたいと強く思った。
そこで、自分自身を振り返ってみると、まず僕は、おしゃべりが過ぎるなと思った。
あまりに自分の事を人に伝えたくて、あの人のように、
「まず人を全面的に受け容れるところから人と関わりを持つことを始める」
という態度に欠けるなと、ごく自然に思えた。
勿論、職業が指揮者だし、あまりに物静かになっていても困るということはある。

僕は、あの人のような静かで平和なオーラを出したいと思うのだ。
澄み切った水面が、あたりの景色をきれいに映し出すように、あの人は、まったく波立たない内面で、僕をみつめ、僕を映し出し、何もしないでも、あの人といるだけで、僕はより良い僕になれると思った。
そんな人に僕はなりたい!
それ以来、僕はあの人のことを忘れたことは片時もない。
 あの頃、毎日カトリック立川教会の聖堂に通って瞑想をしていた。今から考えると、そうした日々を送っていたことによって、僕の精神は画期的に変化していったのだ。コロナ禍は、悪いことばかりもたらしたわけではない。先日の5月4日のマーラー交響曲第3番の演奏だって、コロナ禍を通ったから、あの境地に到達出来たのだと信じている。

 ところで、人間って弱いものだなあとつくづく思う。今の生活は、昨年の今頃と大きく違って、たとえば5月29日土曜日は、午前中、東京バロック・スコラーズの練習。午後は、新国立劇場で「ドン・カルロ」の最終公演。30日日曜日は、愛知祝祭管弦楽団の練習、という風に、コロナ以前の生活に完全に戻ってきている。
 みんな音楽に関係するものなのだが、それでも、これが僕の“日常生活”なので、マーラーを本番で指揮していたあの法悦状態ではない。すると、“日常”の壁って、とても厚いのだ。
 どういう意味かというと、あんなに“宇宙は愛で溢れているんだ”ということを全身で感じていたのに、また、“永遠”を手にしていたのに、そして、日常こそ幻であの瞬間こそリアルであると感じられていたのに、時間が経って忙しい毎日に追われている内に、なんと、
「あれって、本当にあったことなのかなあ?」
とか、
「幻想じゃないだろうね?」
とか、だんだん意識が日常空間に引き戻されてしまうのだ。それほど、我々を取り巻く3次元の日常空間というものは堅固で頑固で、これしか現実はないと、我々の魂を暴力的に支配し、またそうし続けるのだ。

 だからこそ人間には宗教というものが必要なんだね。自分が法悦状態にある時には、もっと解き放たれているので、儀式や教義なんて要らないと思うんだけれど、人は簡単に日常に溺れるのだ。だから、定期的に教会に通うとか、意識的に祈りや冥想をするための時間を、どんなに忙しくても捻出して、そこに浸る時を持たないといけないんだ。
 ああ・・・毎日マーラーの3番を振れるといいんだけど・・・・まあ、そうしたら今度は、それがルーティンになってしまうと、もっと悪いなあ。ああ、いろんな意味で、この世の中で生きていくのって難しいなあ。

 あの時、ピカピカの1年生だった孫娘の杏樹も、もう2年生。すっかり学校にも慣れて、同じ保育園から来た子が1年生で入ってきて、ちょっと上級生風を吹かせたり、元気に通っている。いろんな意味で、この1年間に大きな成長を遂げたと思っている。でも、いまだに、
「じーじ、赤ちゃん抱っこして!」
と甘えてくる。これが重たいんだ。

1年って、長いようだけれど、あっという間だね。  

三枝成章さん、よく言った!
 六本木男声合唱団の指揮者をしていた時にお世話になった作曲家の三枝成彰氏が、IOCの発する様々な発言に怒って意見を述べている。


   (画像クリックで三枝氏の記事へ)
僕も全く同感である。三枝氏は、感染拡大が収まらないからオリンピックを中止すべきと言っているのではない。そうではなくて、IOCにあそこまで言われて、何も抗議すらしない日本政府の態度にノーを突きつけているのだ。

 その中でもひどいのは、ディック・パウンド元副会長の意見だ。
「菅首相が中止を求めたとしても、それは個人的な意見に過ぎない。大会は開催される」
こうなると日本という主権国家がすでに侵害されているのだよ。なんという暴言!それなのに政府は沈黙しているのだ。こんな情けないことってある?

 また、代々木公園では、大きなパブリック・ビューイング会場を作るために何十本もの木々が幹や枝を切られ始めているというではないか。
「外出を自粛してください。密にならないでください!」
と呼びかけていながら、そこに人を集めて競技の中継を行うという。やっていることがチグハグで話にならない。これでは、今苦境に追い込まれている飲食業の人たちがみんな怒るで!

 とにかく、「緊急事態宣言下でも東京五輪は開催」(IOC)という言葉ほど矛盾するものはないだろう。それでは、もはや緊急事態じゃないじゃん。そんなこと言っているから、「緊急事態」という言葉がどんどん軽くなるんだよ。街に出てみなさいよ。若者で溢れているじゃないの。だったらもう緊急事態宣言を解いたら?飲食店の制限も解いたら?別に一緒じゃね?

 30日日曜日、愛知祝祭管弦楽団の練習の帰りに、名古屋駅でタカシマヤ・ゲートタワーモール8階の三省堂に行こうとしたら、エレベーターが8階を通過して、レストラン街まで上がってしまった。日曜日は食品関係以外閉店だって。ふざけるな!本屋のどこが危ないんだよう!

 個人的にはね、いつも行っている柴崎体育館がもうずっと閉鎖されていて、泳ぎの練習すらできないのに、オリンピックをやるっていうのが許せないんだ。プールなんて塩素で消毒されているのだから、しゃべりさえしなければ一番安全な場所なのに・・・ま、これは完全に個人的な不満だけどね。



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