「おにころ」などをめぐる「今日この頃」

三澤洋史 

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「おにころ」などをめぐる「今日この頃」
 新国立劇場では、「ドン・カルロ」全公演が無事終了した後、「カルメン」の合唱練習が始まり、立ち稽古に流れ込んでいる。このプロジェクトは、昨年の内は僕が合唱を手掛けることになっていたが、延期になった「ニュルンベルクのマイスタージンガー」がスケジュールを直撃してきたため、僕はそちらを優先しなければならなくなった。

 ところが問題があった。昨年、高崎芸術劇場の「おにころ」公演が中止になった時点では、僕はまだ「カルメン」をやるつもりでいたので、高崎から、
「なるべく早く来年の延期公演の日取りを決めて欲しい」
と言われた時、「カルメン」の高校生の音楽鑑賞教室の7月17日土曜日と19日月曜日の間のオフ日である18日日曜日を「おにころ」通し稽古にして、それからあらためて20日火曜日から「おにころ」は劇場仕込みに入り、僕自身はオーケストラ練習から始まり、みんなは舞台上での場当たりからずっと高崎芸術劇場にカンヅメになって、7月25日日曜日の公演日に向かうと決定したのだった。

 何より、新しいおにころ役の町英和さんをはじめ、桃花役の前川依子さん、うめ役の黒澤明子さん、そして庄屋役の大森いちえいさんなどは、みんな「カルメン」に乗っていて(合唱団のメンバーは「カルメン」か「マイスタージンガー」かのチョイスができたので僕が促した)、僕もそのつもりだったから、これなら「カルメン」稽古の間を縫って「おにころ」ソリスト立ち稽古などもできるため、まさにベストチョイスであったのだ。

 ところが「マイスタージンガー」延期公演のスケジュールが、秋になって突然割り込んできた。スケジュールを見てびっくり!「おにころ」公演直前の舞台稽古の間に、オケ合わせや舞台稽古がガッツリとぶつかって入っているのだ。そうなったら、僕は「マイスタージンガー」を降板するしかないでしょう。

 でもね、そうはいかなかった。芸術監督の大野和士さんが、
「その間のことは目をつぶるから、代役を立ててでも是非三澤さんに『マイスタージンガー』をやって欲しい」
と言ってくれたのだ。
 それはとても光栄なことではあったのだけれど、これまで、ひとつのオペラ・プロジェクトに関わって、オケ合わせも舞台稽古も欠席するということはなかったし、そんな無責任な仕事の仕方など考えられなかったから最後まで悩んでいた。
 そこに救世主登場。僕が昔から信頼している河原哲也さんが、アシスタント・コンダクターとして入り、僕の留守を引き受けてくれるというので、僕はその間「おにころ」に専念することができるようになった。河原さんありがとう!

 その「カルメン」合唱練習のために空けておいた日々が、そっくりオフになったので、先週前半は、愛知祝祭管弦楽団のワーグナー・ガラスペシャル演奏会で新しく起用した池田香織さんと菅野敦さんのコレペティ練習とその準備に費やし、そして後半は、「おにころ」オーケストレーションの最終仕上げに明け暮れた。
 ワーグナー・ガラスペシャルの池田さんと菅野さんに関しては、13日日曜日の名古屋のオケ合わせに彼らが参加するので、またその時に書きましょう。コレペティ稽古がなごやかにかつスムースに進んだことだけは報告しておきます。

 6月5日土曜日。「おにころ」全曲のオーケストラ・スコアとパート譜をPDFファイルにしてDVDに焼き、とうとう群馬交響楽団に送った。思い返してみると、昨年の7月後半、ちょうどコロナがなかったら「おにころ」公演が行われていたであろう時期に、今年のことを思って毎日デスクトップ・パソコンに向かって粛々とオーケストレーションを行っていた。

 高崎では、昨年の9月から練習を再開して、今日に至るまで出席率99パーセントという感じで、熱気に溢れた練習が行われている。そして東京でも、主要ソリスト達を集めて、まず僕のコレペティ稽古に始まり、それから演出家の澤田康子さんによる立ち稽古が行われている。
 その際、演出サイドからの要望を中心として、3曲ほど音楽の変更が出てきた。その中でも特筆すべきは、第1幕の最初の方で、神流川(かんながわ)を流されてきたおにころが、畑仕事を終えて帰ってくるきすけとうめの夫婦と出遭うシーン。
「おい・・・こ、こいつは鬼の子だぜ」
「おにのこ・・・ううん・・・ぼく、おにころ」
「うわあ!」
逃げる夫婦をおにころが追い掛け、それを面白がる4人の妖精達を交えての「追いかけっこ」のシーンは、今回の立ち稽古では、振り付けの佐藤ひろみさんのアイデアも膨らんで、とっても楽しいものになった。
 高崎芸術劇場の舞台が広いので、従来の音楽のサイズでは駆け抜けるのさえ難しいのでは?という疑問もあり、少しサイズを長くしてオーケストレーションにもますます磨きが掛かり(自分で言うか?)、もう作曲家の悪ノリが過ぎるかも知れませんが、ここだけでも観客が「ワハハハハ」と笑ってくれることを約束します。

 第2幕の冒頭。これまでの公演では、沈黙の内に合唱団が登場。緞帳前に1列に並ぶと、2小節だけの前奏で「神流川」という、やさしくなつかしく暖かい曲が舞台最前列で歌われていたが、これはオケピットへのソーシャル・ディスタンスを考えると不可能。それで、舞台中から音楽に乗って登場できませんか?と演出家に言われた。いろいろ考えた末、Petite Ouverture(小序曲)なるものを新たに作曲した。
 管楽器のトリルで始まり、ハープや金管楽器が活躍して、祝祭的でいかにも序曲っぽい。第1幕が、意表を突いて子役のお芝居から始まるのに対して、第2幕を、「幕を閉めた状態での序曲」という伝統的なスタイルをとるのもいいかと思った。それから幕が上がると同時に、自然に「神流川」の6小節に渡る前奏に滑り込む。その間に合唱団が両袖から登場して歌うというスタイルをとった。
 これまでの新町文化ホールや群馬音楽センターと違って、高崎芸術劇場は最新設備を備えているので、紗幕や暗転幕などが使いたい放題。だから、ドラマの流れがとてもスムーズ。上州と武州のいくさの場面への転換も時間がかからない。前奏も、より力強くオーケストレーションを施して、前のシーンから一気にいくさになだれ込む。その一方で、戦闘場面でみんなが床に転がってもだえ苦しむということは、このコロナ禍では無理なので、少しサイズを短くすると同時に、これまでキーボード・ソロだった超変拍子の難曲を管楽器達に散らし、よりエキサイティングになったが、演奏可能ギリギリ。そのまま一気に裁判のシーンになだれ込む。

 過去二回、群馬交響楽団と共演した群馬音楽センターでは、ホールの規模の割にオーケストラ・ピットが狭くて、管弦楽の編成も限られていたが、今回は規模を拡大したので、前回よりも格段に色彩的になったと思っている。
 だから、これまでの響きを知っている方も、どうかいらしてください。実は、一番楽しみにしているのは、他ならぬ僕自身で、もう頭の中でオーケストラの輝きがグルグル回っている。早く実際の音にしてみたいな。

人生に挫折はない
 「おにころ」の演出家である澤田康子さんは、国立音楽大学声楽科卒業後、東京コンセルヴァントアール 尚美ディプロマコース声楽専攻修了した。それから演出助手を経て演出家となった。今回の「おにころ」公演で舞台監督を務めるチビタこと斉藤美穂さんも、大阪音楽大学で声楽を学び、大学院まで行っている。みんな、音楽大学に入った時には、演出家や舞台監督になるとは夢にも思ってなかったと言っている。

 僕もそうだな。声楽家になることを考えて原田茂生先生のところでドイツ・リートを学び、国立音楽大学声楽科に入ってからは中村健先生門下生として一生懸命声楽を勉強してモーツァルトのオペラ・アリアなどを歌っていた。でも、やっている内に、どうも自分は、他の学生とちょっと違うような気がしてきた。
 そこで、以前からの「指揮者になりたい」という気持ちが頭をもたげてきたのだが、
「いやいや、こんなに遅くから音楽を始めた自分は、そんな大それた望みを持ってはいけない」
と自分を戒めてみたけれど、どうしても胸の奥からフツフツと指揮者への想いが溢れてきて止まらず、とうとう、
「別に一流の指揮者になれなくていいけれど、出来るだけのことをやってみよう。人生一度きりだ。好きなように生きてみよう!」
と決心して、指揮者への一歩を進み出した。

 長い年月を経て、自分の人生を振り返って見ると、なんとか指揮者にもなれたし、かつての声楽を勉強した経験は、むしろかけがえのないものとなっていて、新国立劇場合唱団の指導のみならず、愛知祝祭管弦楽団でワーグナーを指揮する時の、テンポやバランスのニュアンスを決める時などでも、歌手に寄り添った選択を可能としている。

 澤田さんやチビタと話をしてみると、僕のように自分からフツフツと、というよりも、いろんな成り行きが彼女たちを今の世界に引き入れたようである。いずれにしても、僕と同じように、最初の声楽科学生という選択が「大歌手になる」という道には至らなかったけれど、我が国のトップレベルでの演出家や舞台監督になったのだから、それは「初心からの挫折」という言葉からは最も遠い人生であることは明白だ。

 バシャールは、
「とにかく何でもいいから、ワクワクするものに取りかかりなさい。するとそれが、次のワクワクを呼ぶ。ワクワクに取りかかった後の結果は期待せずに全力かつ無心で従事していれば、むしろ自分が想像もしていないようなワクワクの連鎖が生まれ、その結果、最も自分らしい人生を歩むことが出来るのだ」と言っている。
 そこで、気をつけなければいけないことは、人と比べることと、世間一般の価値観や常識を気にすること。たとえば、指揮者だったら、どこかのプロオケの常任指揮者とかにならないとカッコ悪いんじゃない?とかいうこと。確かに僕はベルリン・フィルハーモニーの終生指揮者にはなれなかったけれど、それが何さ。
 僕はこれまで、新町歌劇団で自分の作品を発表してきたし、東大アカデミカコールで自作のミサ曲を発表してきたし、愛知祝祭管弦楽団で「リング」全曲を演奏してきたし・・・自慢しているんじゃないよ。僕が僕らしく生きられていればいいんだ。だから皆さんも、世間体や地位や名誉や、全く関係なく、自分が自分らしく生きて、自分のワールドを持っていること、これに尽きるのだよ。そして、それをできるだけの財力さえあればもういいんだよ。そう信じて生きていけば、必ず、財力も含めて、全て自分に必要なだけのものが与えられ続けるのだ。

 最後に、最も大切なこと。それは、今の自分の状況に感謝すること。今の自分に感謝できない人は、次の瞬間も、明日も、一ヶ月後も、自分に感謝できる状態が実現できないのだ。世の中はそうなっているのだ。

あなたの今の状態は、すべてあなたが引き寄せているのです。



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