「マイスタージンガー」が始まった

 

三澤洋史 

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「マイスタージンガー」が始まった
 6月7日月曜日から「ニュルンベルクのマイスタージンガー」合唱稽古が始まった。当初予定していた96人を、ソーシャル・ディスタンスを考慮して60人に縮小しての合唱だ。ちなみに、僕が合唱音楽指導スタッフの一員として働いていた時の、ヴォルフガング・ワーグナー演出のバイロイト音楽祭の「マイスタージンガー」合唱団の人数は、第1幕及び2幕で140人。第3幕の歌合戦では、それにエキストラ・コーラスが70人加わって、総勢210人であった。
 その響きを知っている者にとって、60人はいかにも少ない。しかし、そんなこと言ってはいられない。このコロナ禍において、上演できるだけでもありがたいのだ。

 バイロイト旧市街のはずれにあるワーグナーの住居ヴァーンフリート(Wahnfried妄想の平和という意味)の階段のところには、バッハの肖像が架かっている。ワーグナーが「マイスタージンガー」を作曲するにあたって、バッハの音楽(主としてフーガなどの対位法音楽)を勉強したのだと言われている。
 とすれば、ただ大勢の合唱で迫力だけを見せつけるような音楽作りをするよりも、今回は、この作品の中から、バッハ風の精密な合唱を引きだして見せようじゃないの、と僕は決心して合唱稽古に臨んだ。

 しかし「マイスタージンガー」の合唱は、ワーグナーの全ての作品の中でも、難しさナンバーワンだな。各パートが独立した動きをして、音程も難しいし、何より、速いテンポの個所では言葉がついていかない。まだ3倍速くらいのゆっくりテンポでやっているのだが、それでも子音の多いドイツ語では、正確に発音するのがやっとだ。
 これ、イン・テンポで出来る日がいつか来るのかな?とも思ってしまうが、考えてみると、2000年の二期会公演も2005年の新国立劇場公演も、最後には出来ていたんだから、ま、今回もなんとかなるでしょう。あははははは!

 そういえば昔、初めてカラヤン指揮ドレスデン・シュターツカペレのレコードを買って針を下ろした時の感動が忘れられない。いつものように前奏曲が終わって、一呼吸置いてからドラマが始まるのかなと思っていたら、前奏曲からそのまま教会のコラールのシーンになだれ込んでいき、清冽な合唱が響き渡った。なんてきれいな音楽なんだ、と思って思わず涙が出た。なつかしい想い出。

「ヴィブラート少なめで、腹圧を高めておきながらスーッとフレーズのラインを走らせるのだ。ちょうど書道家が大きな筆を走らせて線を作るように」
レコードから受けた感動をずっと胸に秘めながら、このような言葉で合唱団に指示を与えるようになるまで、一体何年かかったことか。でも、今の僕には、どのようにお腹と声帯を使って、どのようなイメージで歌うと、理想的にこのコラールを演奏できるかが、手に取るように分かる。やっとここまで来た。

 僕が初めてバイロイト音楽祭で働いた1999年。稽古期間中に「マイスタージンガー」のビデオ撮りが行われた。第2幕最後の「喧嘩の合唱」は、この作品の中でも難曲中の難曲。ソリストも合唱団も、バラバラに分かれて歌う。指揮者のバレンボイム氏は、ここに来ると表情豊かな指揮を一切やめて、
「俺知らんから、みんな自己責任で勝手にやって」
という感じで、メトロノームのように無表情に振る。それがおかしい。
 しかし、録画撮りは、何度やっても、どこかで歌手の誰かがズレたり、オケがバラけたりしてやり直しになった。10回目くらいであったか、終わってみんなが、
「ああ、また駄目だったなあ」
とため息ついていたら、
「はいOK!収録完了!」
との叫び声。
「え?ちょっと待って、今のもさっきと同じくらいバラバラだったんだけど・・・」
「お願い、今度こそ真面目にやるから、もう一回やって!」
などと、みんな逆に慌ててしまった。
 でも、あとで録音を聴いてみたら、まあ、惚れ惚れするほど合っているとは言えないけれど、こんなもんかな・・・って感じ。DVDになっているから今でも観れますよ。

 で、僕は、あれよりもきちんと合わせてみせます。しかも表情も出してみせます。それが僕のひとつの挑戦。

 ワーグナーが、ライフワークの「ニーベルングの指環(リング)」を作っていた真っ最中、あの情熱的でエモーショナルな「ワルキューレ」を作り上げた後、すぐさま「ジークフリート」に取りかかったんだけど、どうも叙事的な英雄物語に戻ることに抵抗感を感じ始め、中断してしまった。彼は、あの「愛の陶酔感」をもうちょっと発展させてみたい欲求に逆らえなかったのだ。
「リングはまだ先が長いし、ちょっと寄り道してもいいだろう」
と考え、では、軽いラブストーリーをひとつ作ってみよう、と思って取りかかった。ところが、それが「トリスタンとイゾルデ」になってしまった。
「おっとっとっと・・・これはとんだ寄り道だった。でもなあ、次は本当に軽いおはなし、つまり神話ではなく明るい市民を描いた作品を、ハ長調で書いてみようっと!」
で、それが、「神々の黄昏」や「パルジファル」と並んで、最も上演時間の長い「マイスタージンガー」になってしまったんだ。

 ひとつだけ、どうしても言っておきたいことがある。それは、ずっとポジティブでイケイケだったワーグナーが、この作品で“諦念”というものを描いたということだ。これは画期的なことである。時は1867年。ワーグナー54歳の時。
 自分の“老い”を感じているザックスは、エヴァへの想いを胸に秘めながら、若きワルターと結ばれる彼女を祝福し、密かに身を引く。その背景に「諦念」のライトモチーフが響き渡る。その表現に、今までにないワーグナーを感じてジーンとくるよ。ハッピーエンドの喜劇を、喜劇だけで終わらせないのがさすが。
 そういえば、ワーグナーと同じ1813年に生まれたヴェルディも、奇しくも同じ1867年に、パリ・オペラ座で、フランス語版「ドン・カルロス」を初演しているが、その中でフィリッポ王の老いと寂寥感が描かれている。
 思い出してみるとね、僕も50代の半ばというのが、一番自分の“老い”を感じた時期だったような気がする。この年代って、人にとってのひとつの節目なのかな。

 面白いのは、今の方が気持ちが若い。老いは当たり前で、むしろ残された人生はオマケみたいなもので、与えられた日々を感謝しながら楽しんでいるという感じ。そういう境地に至ったとかいうオーバーなものでもなく、ごくごく自然にそうなっている。
 ワーグナーも、その後「リング」に戻って精力的に「ジークフリート」「神々の黄昏」と書き進めていくし、ヴェルディに至っては、80歳にもなってから、あの「人生みな道化」というフーガで締めくくる「ファルスタッフ」のようなエネルギッシュな作品を書いているんだから、二人ともフツーじゃない。

「マイスタージンガー」の諦念も、「ドン・カルロ」の寂寥感も、ふたりの巨匠のエアポケットのようなものだね。さて、今週もずっと「マイスタージンガー」の稽古は続く。
 

週末と愛知祝祭管弦楽団のオケ合わせ
 6月12日土曜日。午前中に東京バロック・スコラーズの練習に行く。バッハの小ミサ曲イ長調のGloriaを練習する。実に独創的な音楽だ。Kyrieがフランス風序曲的な付点音符で始まるが、それがGloriaでも取り入れられていて、4拍子のAllegroの音楽と交互に進行する。
 ミサ曲の歌詞はみな同じだけに、それぞれの言葉にどう対応するのかというのは、作曲者がそれをどう“読んでいる”のか、という、その人の信仰心をも含む挑戦である。それがバッハの場合、4つの小ミサ曲とロ短調ミサ曲で、どれも全く違う世界観を提示しているのは驚きでしかない。特に、その中でもこの曲のアプローチは群を抜いている。

 練習後、急いで帰宅し、お昼を食べて用意して、名古屋に向かう。その晩は、愛知祝祭管弦楽団が組織した特別合唱団の練習だ。名古屋も今は緊急事態宣言下なので、練習は8時まで。曲は「タンホイザー」の終幕の男声合唱&女声合唱を経て混声合唱へと辿り着く一連の流れ、「パルジファル」最終合唱、そして「ローエングリン」の結婚行進曲である。
それが午後7時半に終わり、ホテルまで送ってもらったら、もう8時になろうとしている。

 久し振りの名鉄グランド・ホテルの15階。窓からは名古屋駅のツインタワーや線路が見える。お部屋に着いて、荷物をほどき、もう街ではレストランはみんな閉まっているんだろうな、そうすると今晩はのんびりルームサービスでも取るか、と思いながら部屋に置いてある案内紙をめくると、あろうことか(コロナで)「ルームサービス20時まで」と書いてある。
「なんだって!いっけねえ。食いっぱぐれる!!」
 急いでホテルを出て街に繰り出す。しかし、予想していた通り、どこもきれいに閉まっている。一軒も開いていない。焦る!そうだ、駅に行こう。よく買う駅弁売り場が2個所ある。まあ、冷たい弁当だけど仕方ない。贅沢は言ってられないよな。あははは・・・。
 ところがコンコースに着いて、もっと焦った。そのお弁当売り場の方に人がどんどん吸い込まれていくのが見えたからだ。半ば駆け足でお店に行くと、もうお弁当はひとつもなかった。レジの前に出来た最後列の人が最後のお弁当を持っていた。気を取り直して、もうひとつのお弁当売り場に走る。けれど結果は同じ。

途方に暮れた。せめて吉野家でも松屋でもいいから、どこか開いててくれない?お願い!

 時短要請ってこういうことなのね。旅行者にとっては、本当に大変なことなのだ。それで、その晩の食事は、この通り。トホホホ・・・・。


6月12日名古屋の夕飯

まあ、その代わり、次の朝の名鉄グランド・ホテルの朝食バイキングは豪華なので、薄い手袋をさせられたけれど、好きな物をたんまり取って満足満足!

 さて、6月13日日曜日の愛知祝祭管弦楽団の練習には、池田香織さんと菅野敦(かんの あつし)さんが東京から来て、午前中は、「タンホイザー」第2幕冒頭のエリーザベトのアリアと、第3幕タンホイザーの「ローマ語り」から終幕までの練習をした。池田さんは、ここではヴェーヌスを歌う。
 この二人は、その先々週にコレペティ稽古を念入りにしていたので、テンポや方向性に齟齬はなくスムーズに運んだが、どうしても目の前で管弦楽が大音量で鳴ると、歌手というものは習性でつい大きな声になってしまうんだよね。
特に菅野さんの「ローマ語り」では、僕は「歌」ではなく「語り」を随所で要求していたので、
「菅野さん、もう声は充分に聞こえているから、息を使ってしゃべって、語って!」
と言ったり、ヴェーヌスの池田さんが最初にWillkommen, ungetreuer Mann!(いらっしゃい、つれなかった人よ!)と歌い出すところでは、
「あのさあ、その歌い方じゃ怖いから、もっと思いっ切り、優しくって甘ったるい声を出してくれる?やっと来てくれたのね。さあ、あたしが可愛がってあげる・・・っていう感じでね」
と要求したりした。
 でもねえ、そうすると途端に見違えるようになって、ワーグナーってこんなに表情豊かに曲を書いていたんだ、とみんなで納得出来るわけよ。

 午後になると、三輪陽子さんが加わって、「トリスタンとイゾルデ」の「愛の2重唱」の練習となった。たゆたうような弦楽器に乗ってO sink hernieder,Nacht der Liebe.(おお、降りておいで、愛の夜よ)と歌い始めると、それだけでゾクゾクっとくるね。まさに極上の音楽だね。
 しっぽりと愛のひとときに浸っているふたりを三輪さんのブランゲーネが警告するのだが、そのメロディーと和声はあまりに美しく優しい。むしろ陶酔感を深めているじゃないの。
 やがて「愛の死」のメロディーが、この楽劇の中で初登場する。このメロディーは、前奏曲にも入っていないし、それまで一度も出てこないのだが、ここで周到に準備された後、最も効果的に現れ、終幕の「イゾルデの愛の死」を遠く見据えながら、この物語が死をもってしか終わらないことを示唆するのである。
「後半、いずれにしても盛り上がるしかないので、前半は押さえながらテンションをキープして」
とコレペティ稽古で指示したことを、池田さんと菅野さんはよく守ってくれて、このシーンは圧巻ですよ。もう今から演奏会が楽しみになってきた。

 それから菅野さんはお疲れ様となって、「ローエングリン」のエルザとオルトルートのシーンの練習をした。池田さんはソプラノではなくメゾ・ソプラノである。だから、どちらかというとオルトルートのキャラクターなのだ。ヴァルトラウト・マイヤーなどがそうであるように、イゾルデとかの役は、あまり細いソプラノより、高音さえ出れば、しっかりとしたメゾ・ソプラノの方が望ましいけれど、エルザというのは、本来ならば池田さんとはちょっとキャラが違う。だから、コレペティ稽古の時も、僕は彼女に何度も、
「もっとブリっ子してね」
「もう一回言うけど、もっともっとブリっ子してね」
と言っていた(笑)。

 エルザには、あまりにも無垢な女の子のみが持つ残虐性がある。彼女はオルトルートに言う。
	Du Ärmste kannst wohl nie ermessen,
		このうえなく哀れなあなたには、きっと分からないでしょうね
	wie zweifellos ein Herze liebt?
		どれほど人が疑いから離れて愛することができるか
	Du hast wohl nie das Glück besessen,
		あなたはきっと手にしたことがないのね
	das sich uns nur durch Glauben gibt?
		互いに信じ合うことを通してのみ得られる幸福というものを
	Kehr bei mir ein! Lass mich dich lehren,
		あたしのところにいらっしゃい 教えてあげるわ
	wie süss die Wonne reinster Treu'!
		純粋な忠誠のもたらす歓びがどれほど甘美なものか
	Lass zu dem Glauben dich bekehren:
		信頼に立ち還りなさい
	Es gibt ein Glück, das ohne Reu'!
		後悔のない幸福というものがあるのよ
 こんなテンネンな歌を池田さんが歌うのです。あはははは・・・いや、笑ってはいけない。池田さん、ごめんね。その後すぐに美しい二重唱になるのだが、その時のオルトルートは、このエルザの言葉に対して、全身を震わせて呟くのだ。
	Ha! Dieser Stolz,
		はあ?なんという傲慢!
	er soll mich lehren,
		これで分かったよ
	wie ich bekämpfe ihre Treu'!
		こいつの忠誠を打ち負かす方法がね
	Gen ihn will ich die Waffen kehren,
		この傲慢にあたしの武器の狙いを定めよう
	durch ihren Hochmut werd' ihr Reu'! 
		高慢ちきを後悔に変わらせてやるさ!
 なんと楽しい2重唱だろう(失礼!)。無垢なエルザと歪みきったオルトルートの正反対の歌詞と表現が同時進行する。ワーグナーの天才が炸裂する。むしろ、こういうことの中にこそ、表現者としての最大の歓びというものがあるのである。

塀の物語~木の知性
 最近、裏の家が引っ越して行った。古くからの家で、僕たち家族が1998年にこの建売住宅に入居したときからずっと隣人であったが、裏側なので、僕も物置に何かを取りに行く以外は、その家に近づくこともなかったし、隣人付き合いは皆無であった。
 大きな家であったが、間もなく解体が始まると、あれよあれよという間につるんと更地になった。ある日、たまたま僕が物置に何かを取りに行ったら、ふたりの男の人が話しかけてきた。不動産屋の人たちが下見に来ていたようだ。
「お宅の塀ね、こちらに飛び出しているんですよね。このままでは困るんですよね」
「はあ?」
見ると、3段に積まれたブロックの上にフェンスが乗っている僕の家の塀の上部が曲がって、相手の敷地内に突き出している。
 ええっ?どうしてこんなことになったのか、とよく見てみたら、なんと、狭い裏庭に勝手に生えた木が20年もの歳月を経て大きく育って、その根っこが、相手の土地に潜り込んで行った時に、ブロックを大きく押し上げたようだ。それで、盛り上がって割れて歪んだブロックが宙ぶらりんになり、フェンスもろとも相手の敷地内にはみ出しているというわけだ。ちっとも気が付かなかった。
「これ、そちらから伸びてきた根っこでしょう。このまま伸びたら水道管に到達するので、なんとかしてくださいな。塀も修理してくれなければ・・・」
 二階の屋根まで伸びて大きく枝を伸ばし葉を茂らせているその木は、いずれにしても切らないことには何も始まらない。このままにしていたら、根っこもさらにどんどん伸びるだろう。たまたま、孫の杏樹のクラスメートのお父さんが植木職人なので、ワケを話したら快く引き受けてくれて、お友達価格でとっても安く伐採してくれた。

 しかし、四方に張った巨大な根は残っている。特に、相手の敷地に伸びた根だけはなんとか取り除かないといけないし、壊れた塀もこのままでは済まない。そのD不動産屋(以下Dと記す)の方にしたって、このままでは住宅の工事にも入れないだろう。そこで、とりあえずDに相談した。
 数日後、Dから根の伐採と塀の補修の見積もりが送られて来た・・・それは結構とんでもない額だった!そこで僕は、自分達がこの建売住宅に入居した時のS会社(以下Sと記す)に相談を持ちかけてみた。すると、すぐに家に来て状況を見てくれて、面白いことを教えてくれた。
「この塀は本来三澤さんの敷地内です。相手側にはみ出たことは置いといて、相手は三澤さんの塀を利用しようとしています。こういうのを補修する場合、基本は折半なのですが、三澤さんに一方的にこれだけ出させようとするのは、あまりやり方がきれいじゃないです。」
「なるほど」
「こういう方法がありますよ。塀を撤去してしてそのままにしておくのです。三澤さんも、境界線がなくなって落ち着かないでしょうが、先方こそ、これから家を建てるのに何もしないわけにはいかないじゃないですか。だから、彼らは自分の方の敷地内にきれいな塀を作ってくれますよ。それを三澤さんが利用すればいいじゃないですか。少なくとも、そう相手に言ってご覧なさい」
これって、結構悪知恵だよね。
まもなくDから電話が来た。
「お見積もりどうですか?」
「あまりに高いので話になりません。そこでこの建売住宅を建てた会社に相談してみました。そちらにはみ出た根っこは、いずれにしても撤去します。そうすると、こちらの敷地内のことは貴社には関係なくなりますよね。建売住宅の業者は、塀そのものを撤去したままにしておくことを忠告してくれました。すると、塀は貴社がそちらの敷地内に建ててくれると言っています」
「ちょっ・・・ちょっと待って下さい」
めちゃめちゃ慌てている。
「ちょっと上司と相談してからまた連絡します」

 さて、こうしてはいられない。向こうに伸びている根っこを、なるべく早く切らないといけない。穴掘ってノコギリで切って、はみ出た根っこの部分をスコンと抜けばいいんだよね。しょうがねえから自分でやるか。こう見えても僕は大工の息子。スコップやノコギリくらいは使えるわ。
 そうしたら、意外と妻や、それどころか孫の杏樹が面白がって手伝ってくれた。そこで先週は、穴を掘って周りの土をどかして根っこをむき出しにし、そしてノコギリで切って、相手側の土地に入り込んだ根を全て除去した。ふうっ!いやあ、大変でした。


根っこの伐採1

すぐにこちらからDに電話した。
「根っこを私が自分で除去しました。これからの相談をしたいんですが」
「あ、そうですか・・・では、また上司と相談します」
数分後、電話がかかってきた。
「すみません、根っこの撤去さえしていただいたら、今あるお宅のブロックとフェンスを使わせていただいて、全てこちらの方で塀の補修工事をさせていただくということでどうですか?」
「え?費用は?」
「全て、こちらで負担させていただきます」
ヤッター!

 考えてみると、この空き地をグルッと囲んでいる、僕の家を含む4軒の建売住宅は、同じ時期に建てられ、売り出されたもの。従ってその4軒は同一のブロックとフェンスによる塀である。それが同じ年月だけ経って同じように変色しているが、デザインと材質の統一感は取れている。
 だからあえて、Dはそれをそのまま使うことを考えているのである。
「ブロックとフェンスは、どうかそのまま取っておいていただけますか?」
「あ、もちろんです!」
ということで一件落着。しかも木の伐採の他は全部タダで出来ちゃった。

 このお話しにはオマケがある。僕たちは本当にびっくりしたのだ。いや、感動した!身が震えた!生命の神秘に触れたのである。根っこを掘り返しながら、僕や妻や杏樹は、コンクリートを貫通する根の信じられない力を目の当たりにしたのだ。
 木が高く伸びるに従って、それを支えようと、幹とほとんど同じ太さの根が四方に伸びている。一方でも手薄だと倒れてしまうから、四方に伸ばすことは木の至上命令なのだ。行く手にコンクリートがあろうと、ブロックが阻もうと知ったことではない。木はそんなことには決して屈することなく、根を張り進めて行かねばならない。


根っこの伐採2

 コンクリートの手前の根は、貫通した向こう側の根の倍以上太い。しかも一本では太刀打ちできないので、隣の根が横から加勢してきてコンクリートの手前で合流し、共同で立ち向かっている。
 きっと1ミリ進むだけでもとても時間がかかったに違いない。だって、その部分をのけてから根を伸ばすんじゃないんだよ。ゴリ押しして、どんなに堅くとも、とにかくただ前に前に根を伸ばすしか方法がない。
 果てしなく時間がかかったのだろうが、とうとうある日のこと。根っこはコンクリートを貫通し、隣の敷地に到達したんだ。なんと感動的な瞬間ではないか!
「根よ、ご苦労であった。さあ、今夜は祝宴だ!」
と、僕たちが知らない間に、いつの日か、木は祝宴を開いていたんだね。って、ゆーか、一体誰が命令を下し、一体誰が2本の根を合わせてそれを遂行させたのか?脳もないのに・・・とにかく木には知性があり、大自然には意思がある。
だから僕は神の存在を信じるのだ。



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