角皆優人君の新刊

三澤洋史 

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ズッキーニの家系は?
 孫の杏樹がいると、近所の人が微笑みかけてくれるだけでなく、よくいろんなものをくれる。先日は、裏のおじちゃんがバナナをくれたし、2日前には、ちょっと離れているけれど、よく杏樹を可愛がっているおばちゃんが、
「丸いズッキーニが出来たからあげるね」
とくれたので、家に持ってきた。
「へえ、丸いズッキーニね、珍しいね・・・」
と言いながら見たが、その途端、僕の頭の中で脳が2周くらいグルグル回って、
「あっ!」
と繋がった。
「そうかあ、なんだ、なんで今まで気が付かなかったんだろう!」
「どうしたの?」
と杏樹が不思議そうに訊く。
「もともとズッキーニってカボチャだったんだ!」
「????」


Zucchini

 西洋カボチャはイタリア語でzuccaという。ハロウィンで活躍するあれで、日本のカボチャとは違う。それで、イタリア語では小さいものを何でも-inoあるいは-inaって言うので、zuccaは女性名詞だから小さいカボチャはzucchinaだけれど、何故かzucchinoもアリだ。それの複数だからzucchiniズッキーニというわけだ。そこでインターネットで調べてみた
 つまり、硬くなってしまう前の、小さくて柔らかい西洋カボチャがズッキーニというわけだ。もしかしたら、オリジナルは、むしろ丸くて、キュウリに似た長いタイプは、後から改良されたものかも知れないね。

 -inoの話をちょっと続けてみよう。ヴァイオリンは弦楽器の花形で、ヴィオラはヴァイオリンのお姉さんという感じだろう。ところが、そもそもヴィオロン属と言われる弦楽器の原型は、ヴァイオリンではなくヴィオラviolaであった。そのひとまわり小さい楽器がviolinoヴィオリーノつまりヴァイオリンというわけだ。violinaと女性形をとらないのは、zucchinoと一緒。
 その反対に、大きいものを意味するイタリア語の語尾は-one。さて、それをviolaに当てはめてみると、大きなヴィオラはvioloneヴィオローネ。これは、古楽器の世界では、現在のコントラバスの役目を果たす低音楽器だ。まあ、ヴィオローネにもいろいろあって、詳しくはここに書いてある

 その晩、その丸いズッキーニを生のまま切ってサラダに入れて家族で食べたが、柔らかくて独特の味わいがあり、めちゃめちゃ美味しかった。こうなると、もうキュウリとは全く別物だね。

角皆優人君の新刊
 親友のプロ・スキーヤーである角皆優人(つのかい まさひと)君が書いているブログ「トナカイの独り言」に、ここのところずっとベートーヴェンの弦楽四重奏曲に関する記事が、一曲ごとに載っていたので、別件で彼にメールを書いた時に、
「どうせ、これって本にするんだろう」
と書き添えておいたら、
「あと一曲で完成です。これはKindleだけでなく、紙の本でも出版するからね。あ、丁度良かった!三澤君、この本に後書きを書いてくれないかな?」
と言ってきた。
「いいよ。でも、そうなったら、そのつもりでちゃんと読まなきゃ。また、音楽も聴き直すね」

 間もなく、きちんとレイアウトを施したものがPDFで送られてきたので、ゆっくりと最初から読んでいった。とはいえ、章立ては、第1番から順番にならべてはおらず、とはいえ、完全にアトランダムでもない。何故そうなったかというと、ベートーヴェンの生涯における様々な出来事や、角皆君の各曲との出遭いなどと絡めたりしているからであって、その絡め方がまさに角皆君らしく絶妙である。

 僕も、これまでの人生で何度も、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲にハマったことがあって、一応全曲を網羅して把握しているつもりである。とはいえ、大好きで、即座に頭の中で響かせることが出来る曲と、それほどでもない曲がある。特に初期の数曲は、順番がゴッチャになっている曲もあって、聴けば思い出すのだが、これはこのままでは、とても後書きなんて書けないな、と思い、今はi-Podに入れていろいろ聴いているところである。

 ある曲は角皆君の文章を読んでから聴いたり、ある曲はその逆に曲をじっくり聴いてから読んだりしているのだが、皆さんに言いたいのは、彼の本って、どちらが先でもいっこうに構わないということ。それどころか、極端な話、全然曲を聴かないで、本だけ読んでも、普通にベートーヴェンに関する本として充分楽しめるのだ。
 音楽の内容については、あるものはとても詳しく書いてあるが、さりとて音楽学者や作曲家のようなアナリーゼというものではないので、曲を止めながら読むとか、読みながら聴くとかいう聴き方は、あまり意味がないと思う。
 それよりも、ベートーヴェンの私生活における実像という意味において、昔音楽の授業で先生から聞いた「神格化された楽聖」のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れるのが必至で、その意味では、あまり純粋な人は読まない方が良いかもよ・・・うふふふ・・・そう言うと、どうですか?・・・怖い物見たさで、どうーしても、読みたくなっちゃうんではないでしょうか?
 ただ僕はあえて言います。その実像を踏まえてもう一度ベートヴェンをじっくり聴くとね、だからこそ、かけがえのないベートーヴェンの音楽の価値というものに開眼することができると思います。

 ベートーヴェンというと、9曲の交響曲が何といっても有名だけれど、角皆君がプレリュードで書いていたように、たとえば宮澤賢治は、交響曲やピアノソナタより、後期の弦楽四重奏曲を遙かに高く評価していたというし、シューベルトは、彼自身の死の間際に、友人に、
「もう一度だけ14番を聴きたい」
と言っていたという。
 僕自身も、ラズモフスキーの3曲などは、わずか4つの楽器ながら、驚くべき緊張感と完成度を示すことで、むしろ交響曲よりも高く評価しているし、最後の16番などは、彼のよそ行きの顔である交響曲では決して見せない、普段着の~しかも達観した~かれの素顔が見えるため大好きだ。

 みなさんも早く読んで見たいでしょう。まあ、せっかちな方はブログで読めますが、僕の後書きと一緒に本で読んだ方がいいかも知れませんよ。

こんなこと言ってないで、早く後書きを書かなければ!

こんとあき
 長女の志保や次女の杏奈がちいさかった頃、家は絵本で溢れていた。妻が絵本が大好きだったので、家庭文庫「グノーム」と名付けて、近所の子供のいる親たちを集めて、絵本の読み聞かせをやったり、貸し出しを行っていた。
 当然、娘達も絵本が大好き。寝る前は、妻が彼女たちに読み聞かせているのが習慣だった。僕はその頃、仕事が忙しくて、夜はほとんど家にいなかったが、たまに早く帰ってくると、彼女たちを寝かせる係を喜んで担う。
 そんな時は、絵本だけではなく、自分で即興的に作ったでたらめなお話しを聞かることもあったが、僕が話すと、各主人公に表情がつき過ぎて、娘達が興奮してキャーキャー騒いで眠れなくなる。
「もっと静かに読んでよ!ほら、興奮していつまでも眠らないじゃない!」
と、妻が怒鳴り込んでくる。
「はい、すみません・・・・」
「あはははは!パパったら、バーカバーカ!」

 エルサ・ベスコフやターシャ・チューダー、定番の「はらぺこあおむし」を書いたエリック・カールなどに混じって、僕は林明子さん作画の絵本にとても惹かれていた。別にハジけているわけでもトンでるわけでもない、日常を元にしたお話しばかりだが、絵がとても丁寧で、子供の表情が自然で生き生きと描かれている。
 また、時に微細な風景画が見開きのページいっぱいに描かれる。たとえば「はじめてのおつかい」では、後のページで、道ばたの立て看板に書かれている「猫を探している」という記事の、その当の猫が、大きく描かれたみいちゃんの家の地区全体の絵の中で、密かに塀を渡っていたりして、いろいろ芸が細かい。

 娘達が大きくなって、また途中引っ越しをしたりもして、家庭文庫を辞めてみると、絵本が家中にありすぎるので、施設に寄付したり、人にあげたり整理して、随分少なくなった。そうこうしている内に、孫の杏樹が生まれた。でも、元来こんな環境だから、当然絵本も大好き。

 僕は、本屋に行くと何気なく絵本のコーナーに行く。その時、いいなと思う絵本があると、一人で買ったり杏樹に買ってあげる。ある時、かなり遠くからとても目立っていた本があった。なつかしい林明子さんの絵本だが、絵がとっても輝いている。今回は物語も林明子さん本人の作だそうである。手に取って一気に立ち読みして、気が付いたらレジーに並んでいた。そしてその晩、杏樹に読んであげた。


林明子の絵本


 さきゅうまちに行く電車に、縫いぐるみのこんとあきが二人だけで乗り込む。途中の駅では、5分間の停車時間にこんがお弁当を買いに行くが、沢山人が並んでいて、こんが帰ってこないうちにドアが閉まってしまい、電車が走り出してしまった。その瞬間、杏樹がとっても不安そうな顔をして、
「この本、やだ!もう読むのやめよう」
と言った。僕は、その瞬間感動して、
「凄いな林明子さんって、それだけリアリティがあるのだ」
と思った。
 僕はすでに本屋さんで立ち読みして知っていたので、即座に次のページをめくってみた。「あっ!」
と杏樹は叫んだ。ドアに尻尾をはさまれたこんが、お弁当をふたつ持って立っている。杏樹は、安心すると同時に嬉しくなって。
「あははははは!」
と笑い出した。

 さて、先週悪口を書いた朝日新聞であるが、6月21日朝日新聞朝刊に、林明子さんと「こんとあき」の記事が載っていた。ありがとう!朝日新聞!


林明子 出典:朝日新聞2021
(事務局注 画像クリックで拡大表示  朝日新聞デジタルの関連記事

林さんは、こんとあきを作るに当たって、実際に縫いぐるみを作ったそうである。それから、あきには実際にモデルがいて、妹の子供のあきちゃんだそうである。先ほど言った、電車が動き出してあきがしんぱいで泣くシーンでは、林さんはこう言っている。
「泣くときは、手の甲で涙をぬぐうのかなと思っていたけれど、(モデルの)あきちゃんはひじから寄せて拭いていたのが、かわいくて」
それから、やっとおばあちゃんに逢った場面では、こう言っている。
「おばあちゃんに抱きつくシーンも、腕を下にだらんと下げて身を任せる姿勢をとるんですすね」
だからこれだけリアリティがあるのだ。それが、杏樹にこれだけ物語にのめり込ませるのだ。
「子どもの絵を描いたら、想像の中でその子を抱き上げるんです。身じろぎしてくれたら大丈夫。人形みたいに動かなかったら失敗。『生きている』と感じられる絵、『どこへ行くの?』と声をかけたくなるような絵を描きたいです」
まさに、生きてますよ!
林さん、これからも、良い絵本を書いてください。僕、いいなと思ったら全部買いますからね。

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