「おにころ」と母親

三澤洋史 

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「おにころ」と母親
 7月10日土曜日午後。僕は、母親のいる介護付き老人施設を訪れた。これまでコロナ禍で、身内といえども外部からの訪問が許可されなかったので、しばらく逢うことを許されなかったのであるが、最近“特別許可”が出たのである。
 2015年の年末、彼女は脳内出血で病院に運ばれ、手術をして一命を取り留めたが、その後、今いる介護施設に入ったきりでいる。“特別許可”が出たのは、現在、93歳で寝たきり状態になっている母親が、しだいに老衰状態が進んでいて、食が細くなってきているという理由だ。
 今日が、許可が出てから3度目の訪問だが、最初に行った時、チーフの方はこう言った。
「今日明日ということではないですが、今は、一日でトータル一食分くらいの食事量となっています。これが食べられなくなったら、もうあまり長くないということです」
「食べられなくなってから、どのくらい持ちますか?」
「延命治療のようなものはなさりますか?つまり切開して食料を送り込むようなことは・・・」
「もう歳が歳ですから、あえて苦しませるようなことはなさらないでください。自然な状態でお願いします」
「そうしますと、個人差がありますが、食を断ってから平均して約一週間から10日というところでしょうか・・・」
「分かりました」

 さて、母親は予想に反して今日はとても元気だった。認知症も進んでいるので、僕は、分かるかなあ、と半信半疑ながら、
「今日はね、夜『おにころ』の練習があるんだ。その前に来たんだよ」
と言ったら、
「ああ、そうかい!」
と僕の目を見てはっきり答えたから、
「来週にもう一回練習に来てね、それから次の週、ずっとこっちにいてね、25日の日曜日にはもう公演だよ」
と言った。
「頑張ってるねえ!」
と母親は嬉しそうにうなずきながら言うので、僕もとても嬉しくなった。
「その間、何度も来るよ!」

 次の日の夕方、家に帰って妻に話したら、こう言う。
「あなたが来るのを分かっていたのよ。だから元気だったのよ」
きっと、母親の魂はもう彼女の体から出たり入ったりしていて、僕が彼女のところに行こうと決めた時とかには、分かっていたのかも知れない。
 僕は毎日祈っている。彼女が人生の最後の日々を安らかに過ごし、そしてなるべく良い世界に迎え入れていただけますように・・・と。そして、母親のためにも、「おにころ」を頑張ろう、と心に誓った。

 さて、「おにころ」であるが、高崎の合唱団のみんなは、とってもとっても頑張っている。10日土曜日の晩から、舞台監督のチビタこと斉藤美穂さんがスタッフを連れて来て、稽古場にバミリのビニール・テープを貼って、進行を仕切る。僕は、演出助手の上原真希(うえばる まき)さんと二人で、第2幕を止めながら通した。

 翌11日日曜日には、演出家の澤田康子さんが現れ、やや変則的ながら(子供の場面を先にやって家に早く帰したりしたが)、全体は午後までかかって全幕をざっくり通した。とはいえ、ソリストは、伝平(でんべい)役の初谷敬史(はつがい たかし)さんと、メタモルフォーゼ役の國光ともこさんだけ。新国立劇場関係のメンバーは、ただいまカルメン公演の真っ最中なのだ。
 でも、照明家の稲葉直人さんが、ドラマの流れを観ながら照明プランを練ったりするために来たり、舞台スタッフも慣れておくために、ソリストの場面は中を飛ばすとしても、転換の段取りなどを確認していくために、順番通りに進行していかないといけないのだ。
チビタは、
「はい、照明がだんだんフェイド・アウトしていきながら、紗幕が降りてきて・・・」
と手際よくアナウンスをしていく。

 来週の7月18日日曜日は、キャスト全員集合で、いよいよ本格的な通し稽古となり、それから、あらためて20日火曜日から舞台搬入及び仕込み。
21日水曜日は、僕は午後からオケ練習。夜は全員で本舞台で場当たり稽古。
22日木曜日は午後からオケ合わせ。夜はピアノ付き通し稽古。
23日金曜日は午後からオケ付き通し稽古。
24日土曜日はゲネプロ。
25日日曜日が本番。
という流れとなる。

 いよいよ、2年越しに「おにころ」が上演できる。このパンデミックの中で、みんなの心に愛と希望と歓びを与えるのだ。1年待って、ますますその気持ちが強くなってきている。
 おにころは僕だ。それだけじゃない。この公演に携わる人、来てくれる聴衆のみんなに、
「おにころは私だ!」
と思って欲しい。

M13 「Metamorphose」前奏での妖精メタモルフォーゼのセリフ

愛を貫くのです。
どこまでも。
自分の信じるままに。
天があなたを見ています。
あなたは、暗闇の中に光りをかざし、
その事によって、
人々は、天の心を知るのです
そして母親にも言いたい。(M22 「あなたの瞳の中に」の直前のセリフ)
僕たちがどこにあっても、この川を見つめている限り、
僕たちの命は、この川を通してつながっているんだ。
僕たちの魂は、本当は別れもしなければ死にもしない。
どんなに離れていても、心はひとつなんだよ。
 母親は、悪ガキだった僕を、とっても愛してくれた。“無条件の愛”というものを、僕は母親から教わった。だから母親の向こうに、神という絶対的な愛の存在を信じることができた。
この公演を僕は母親に捧げる。
そしてきっと体は病床にあっても、彼女の魂は会場のどこかで観ていてくれると信じている。
 

早くも、来年のスキー・キャンプの日程
 今年の2月終わりのスキー・キャンプは、緊急事態宣言が出ていたコロナ禍で、果たして無事行えるのか疑問であったが、人数は少なかったものの、とても楽しく充実したキャンプとなった。感染を恐れて、人は外に出ることに躊躇するが、実感したことは、スキー場ほど安全な所はないということだ。
 ゲレンデはそもそも戸外だし、みんなウエアーやグローブ及びゴーグルで完全防備しているので、リフトに乗り合わせても、至近距離でしゃべったりしなければ、感染させたりしたりという可能性はほぼゼロだ。滑っている時はなおさら、半径1メートル以内に、知り合いといえども近寄ることはない。
 スキー・センターなど、建物の中においては、マスクないしはネックウォーマーなどで口を覆うことが義務づけられている。あとは、宿の中の懇親会などであるが、これも、キャンプ参加者達は、互いにソーシャル・ディスタンスを取って、とても気をつけていた。

 これらの実績を踏まえて、来年も「マエストロ、私をスキーに連れてって2022」キャンプをやりますよ。でも、カレンダーを見ると、来年のスキー・シーズン中、空いている日は結構限られている。それに、まごまごしていたら、角皆君の方でもいろいろ予定が入ってくると困るので、気が早いと言われそうであるが、彼と相談して、暫定的にキャンプ日程だけ決めちゃってみた。

Aキャンプ:2022年1月8日(土)、9日(日)、10日(成人の日)
 8日をプレキャンプ扱いにするのか?ということも含めて、この3日間をどう使うか、ということに関しては、まだ未定。
Bキャンプ:2022年2月26日(土)、27日(日)

 他に2日続きの休日が取れる日が僕にないので、ほとんどここにしか決められないと思う。なので、参加希望者は是非スケジュール表に書き込みをお願いします。初めての参加者もどうぞ。とはいえ、まだ具体的な「申し込み」はずっと先の、早くて10月か11月です。その間に、いろいろ詰めておいて、何か決まったら順次お知らせします。



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