「おにころ21」の暑い夏

三澤洋史 

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「おにころ21」の暑い夏
 7月18日日曜日。いよいよ「おにころ」公演が一週間前に迫ってきた。早朝に家を出て9時半前に高崎に着く。高崎芸術劇場は、改札を出て左側の東口から行くのだが、今日は反対側。コンコースを右側に行って西口を出ると、真っ正面に高崎市役所の高層ビルがドーンと立っている。そこに向かって広い駅前通りを歩いて行く。昔は新町(あらまち)の交番があったT字路は、今はぶち抜かれていて、市役所の脇までやや右側に湾曲しながら伸びている。

 信号で止まっていたら、後ろから誰かが走って来る気配がした。
「先生!」
という声に振り向くと、小山祥太郎君がいた。
 小山君は、昨年9月からZoomによる僕の指揮レッスンの生徒になっている。国立音楽大学声楽科に大学院まで所属していて、その後ドイツのカールスルーエの音楽大学で学んでいたが、コロナ禍でロックダウンとなってしまい、帰国中に僕の弟子となった。
 ドイツは日本よりずっと深刻な状態が続いていて、一度12月始めにドイツに帰って、ドイツからZoomレッスンを続けていたのだが、いつまでたってもらちがあかず、とうとう完全帰国して今に至っている。
 彼は東京に住んでいるので、Zoomでなく娘の志保にピアノを弾いてもらってリアルな対面レッスンをしたり、僕が手掛けている東京バロック・スコラーズや「マイスタージンガー」の練習を熱心に見学させたりしていたが、今回の「おにころ」では、僕の副指揮者として使うこととなった。プログラムにも名前が載るようになって彼は嬉しそう。
 僕の元では、ベートーヴェンの交響曲やブラームスの交響曲でレッスンしていたが、考えてみると声楽科出身なので、オペラの副指揮者からプロの道に入っていくのが一番近道ではないか。まあ、僕のところに来たからには、なんとかモノにしてあげたい。

 さて、今日の「おにころ」通し稽古の練習会場になっているシンフォニー・ホールは、ホールと名乗っているが練習場だ。群馬音楽センターのちょうど裏に位置し、高崎芸術劇場が一昨年秋にオープンするまでは、群馬交響楽団(群響)の練習場として、同楽団の根拠地となっていた。現在群響は、事務所もメイン練習場も高崎芸術劇場内に移っている。
 そのシンフォニー・ホールに、「おにころ」メイン・キャスト達が全員無事集合した。練習場に入ると、前日の合唱練習から乗り込んでいる舞台監督チビタこと斉藤美穂さんが、通し稽古をスムースに進めるために、アシスタント達にキビキビと命令を出している。新国立劇場でもいつも一緒に仕事しているチビタがいればもう安心!彼女は、要求も容赦なく出すが、やることはきちんとやる。

 「おにころ」では、本編のストーリーが始まる前に、プロローグがある。学校のチャイムが鳴ると、現代の小学生達がランドセルを背負って出てくるが、その中に、いつもみんなからいじめられている太郎という少年が登場する。彼は、今日もテストでひどい点を取ってしまって、家に帰りたくないのだ。
そこへ老婆が登場する。ちょっと長いけど引用したい。

老婆 あんたは心のやさしい子だ。あたしには分かるよ。
太郎 おばあさん、誰?
老婆 一番大事なことだよ。
見てごらんよ!
頭のいい人達が動かしてきた世界が一体どんな風になっているかを。勉強は出来るけど欲ばかり強い人間が、人を押しのけ、追い越し、頂点に立とうとする。頂点に立ったって何して良いか分かってないんだから、頭良くったって馬鹿だよ。いざパンデミックが起きたって、誰も何も出来ないじゃないか。普段から人のことを考えて生きてないからさ。
上に立つ人はね、本当はあんたのようにやさしくて思いやりのある人でないといけないんだ。
太郎 でも頭が良くないと何も出来ないんだよ。
老婆 そう思い込んでるだけだよ。たとえば未来の子供達に、どんな世の中を残してあげられるのか、自分のどんな生き方を示してあげられるのか、本当に考えている人が何人いるんだい?人間の価値はね、テストの点数では計れないんだよ。
それでも人の心は少しは変わってきている。絆の大切さに気づいた人も出てきているからね。でも出来ればそんな災害なんかなしでみんな気付いて欲しいんだよ。人生で一番大切なものにね。それが何か知ってるかい?
太郎 なあに?
老婆 それはね、愛だよ。やさしさだ。人を受け容れ、人を許し、人とつながっていこうとする暖かい心なんだよ。愛は大地を清めるんだ。だから、この地上に愛が満ちたら、地球ももっとやさしくなって、天変地異もあまり起きなくなるのさ。
あんたはその種を持っているよ。その種を植えるんだ。
太郎 愛ねえ・・・・それで世の中生きていければね。
老婆 生きていけるとも、生きていけるとも。
勇気を持つんだ。自信を持つんだよ。
そうすればあの川を見ることが出来る。
太郎 あの川?
老婆 宇宙を流れる命の川だよ。それは心のきれいな人にしか見えないのさ。
それでは教えてあげよう。空の川の物語。
(老婆 変身する 妖精メタモルフォーゼの姿になる)

 それから本幕が上がり、本編が始まるが、この老婆を演じているのは、妖精メタモルフォーゼ役の國光ともこさん。彼女とは、以前時間を取って1対1でじっくりと練習した。ひとことひとことの意味を説明し、そのフレーズの中でどこが一番大切か、どんなニュアンスで言って欲しいか、噛み砕いて伝えた。
 彼女は器用な人ではないので、即座にそれを形にして返してくれるようなことはできないが、僕の言うことを真摯に受け止め、自分の中でじっくりと熟成させると、常に彼女ならではの素晴らしいものを出してきてくれる。こういう貴重な人を、どうして世の中はもっと使おうとしないのだろうか?その“ひと手間”をかけることが出来ないほど、忙しい人たちばかりなのだろう。

 通し稽古では、すでにこの老婆のセリフの間に、もう僕はウルウルしてしまっていた。そこから始まって、何度、この通し稽古の中で涙腺が緩んだことか。自分で書いた台詞や音楽なのに、まるで新しく聞くように新鮮に心に響いてくるのだ。

 おにころ役の町英和(まち ひでかず)さんは、まさに適役!僕が京都のホテルの大風呂で、向かい側で気持ちよさそうに湯船に浸かっている彼を眺めながらピンときたのは間違いではなかった!こういうシンクロニシティは起きるもんだね。
 今回の公演では、合唱団の指導者でもある猿谷友規さんのために、何カ所か台本も曲も書き換えたが、短いながらひとつの重要な場面を作った。

猿ノ助 (伝平を呼び止めて、半分泣きながら)
伝平!
伝平 なんだ?
猿ノ助 俺、もうやだ!こういうのやだ!
伝平 何言ってんだ、弱虫め。
猿ノ助 俺たちは、庄屋の言う通りに、
おにころをいじめて、きすけをいじめて・・・・
それで、きすけが追い詰められて、堀を壊した。
それに武州の奴らが怒った。
それで、やきちが殺られて、今度は上州のみんながいきり立って・・・。
伝平 それで?
猿ノ助 もう殺し合いをするしかないじゃないか!
伝平 そうだよ、仕方ないんだ。
猿ノ助 俺はもう嫌だよ!勘弁だよ。
伝平 (半ば怒って)
じゃあ、どうしろって言うんだ?
猿ノ助 分かんねえけど、人殺しはしたくねえ。
それに、庄屋のお先棒担ぐのはもうご免だ。
伝平 でも俺達は、ここにいる限り、
庄屋の顔色を伺いながら生きていかなきゃなんないんだ。
それが運命なんだ。
変えられないんだ。
猿ノ助 嫌だよう。
どこか見知らぬ土地に行って、ひとりで暮らしたい。
伝平 逃げたら承知しねえぞ!
猿ノ助 嫌だよう・・・・。

 そして、この場面の表情付けにとてもこだわった。何故なら、ここの場面を経ないと、本当は伝平も猿ノ助も、最後に宇宙の川をみるような心境になれないからだ。ベトナム戦争の後、米国の兵士達の多くは深い心身障害を負って、社会復帰することが困難になったと聞く。人は、戦争のような極限状態に追い込まれると、自分の心の中にある“良心”を無理矢理押さえ込んで、感情を殺して事に当たる。そうでないとやっていられないからだ。 
 この二人の中では、猿ノ助の方が弱くて素直なので、良心をあまり隠さず泣き言を言っているが、その一方で、強く冷酷のように見える伝平だって、猿ノ助にわざと高圧的に当たっているのは、彼自身の内面も、本当は追い詰められているからだ。
 何故追い詰められているかというと、彼の中の“良心”は、押さえ込まれているどころか、決して眠ってはいないで、彼を常に責めさいなんでいる・・・だから辛いのだ。良心とはその人間の善悪のバランス感覚。どんな人間の中でも、誰にも教わらなくともあるのだ。

 実は、天国も地獄も、死んでからそこにいくのではない。今、あなたの内面にあるのである。悪人は、本当はそれだけ苦しんでいるが、それを認めたくないだけだ。そして、他人に冷たい仕打ちや言葉を浴びせ、それがまた自分に還ってきて、その負のスパイラルの中で、繰り返し心に地獄を創り出している。
親鸞が何故、
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」
と言ったかというと、悪人こそ本当は救済を求めていると説いたのだ。

 だから、この場面で二人の内面が“良心”によって追い詰められて、心が叫びを発している状態にあればこそ、まるでオセロが最後に一挙に反転するかのように、あと一歩で、心が悪から善へ、ネガティブからポジティブへと瞬時に反転するのである。
「おにころ」というドラマは、その反転がテーマなのである。そして、それを観ている観客の心は、その反転を共に体験することでカタルシスを感じるというわけだ。

 この場面の後は「いくさ」の凄惨な場面から、冷酷な裁判のシーンへと続く。その厳しさが強いほど、その中に、愛と浄化が隠されているのである。

 さて僕は、21日午後からのオケ練習に備えないといけない。群響事務局から、1ページA3に拡大された大型スコアが送られてきたが、まだ指揮者としての勉強が充分でない。周りの人たちにはよく、
「作曲家にリスペクトを持たなければいけない」
と言っている。
「スコアを綿密に勉強しなさい、譜面に忠実にあることこそ全ての基本だよ」
と口を酸っぱくして教えているのだが、今回はねえ、だいたい作曲家がどんな奴か分かっているため、とてもリスペクトを持つ気になれないのだ。
おっとっとっと・・・そんなこと言っている場合じゃねえな。
初回のオケ練習こそ貴重だからね。
頑張ろう!

 ということで、いよいよ2年越しの希望が叶うのだ。これからの日々は、僕にとっては禊ぎの日々である。劇場に入ったら、アクティブなのは勿論だけれど、祈りつつ事を進めていって、かけがえのない公演を成し遂げようと思う。



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