「おにころ」は地上を浄める(公演無事終了)

三澤洋史 

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「おにころ」は地上を浄める(公演無事終了)
 今、7月26日月曜日の朝。まだ、頭がボーッとしているが、
「ああ、『おにころ』が、無事公演できたんだなあ・・・」
という安堵感が自分を包んでいる。

 昨年の5月20日、チケット発売前日に、突然、7月26日の「おにころ」公演の中止が告げられた。その瞬間まで僕は、より大編成になったオーケストレーションの最終段階に入っていて、極度に精神を集中させていたが、知らせを受けて急に虚無感と脱力感に捕らわれ、一度放棄してしまった。
 でも、7月になってから、
「どうせ暇なんだから、丁寧にコツコツとオーケストレーションをやるか」
と、重い腰を上げて、再び全体を俯瞰しながら、ゆったりと作業を始めた。
 始めてみると、頭の中に再びどんどんイメージが広がり、それをスコアに書き込みながら、
「ああ、今頃、本当だったら、高崎で最後の通し稽古をやり、それから劇場入りして公演に向かってアクセルをふかしていくはずだったんだよなあ・・・」
と無念の想いが湧き起こってきて、辛くて辛くて仕方なかった。
 オーケストレーションが完成したのは、ちょうど今から1年前。つまり昨年の公演予定日あたり。それからパート譜を起こし、レイアウトして、スコア共々PDFファイルにしてDVDに焼いて保管した。
 僕の頭の中では、もうその時、スコアの音は明晰に響き渡っていた。
「ここは、こんな色彩感で・・・ここは、これらの楽器のコンビネーションで、ドラマに食い込んできて・・・」
というイメージが鮮やかに響けば響くほど、それが実現できない残念さに胸が押しつぶされそうだった。

 それから1年経った。コロナは未だ終息はしていないが、巷では演奏会やオペラ公演などが徐々に復活してきて、賛否両論だった東京オリンピックが行われている。

 2021年7月25日日曜日、僕の頭の中でだけ響いていた「おにころ」の管弦楽は、ついに現実となって、群馬交響楽団と共に、高崎芸術劇場大ホールいっぱいに響き渡った。そのサウンドは、僕が1年前に心で聴いていたのと全く変わらなかったが、現実にそれがオーケストラ・ピット内に鳴り、舞台空間や客席に飛んでいって、さらに聴衆の心の中に入っていくのを感じると、その歓びには格別のものがある。

 最近になって、コロナの包囲網が狭まってきた。新国立劇場では、「カルメン」の高校生のための鑑賞教室が2公演キャンセルとなった。その日になって、合唱団員の1人に発熱が見られ、PCR検査がただちに行われたが、結果がすぐ出ないため、もしものことを考慮して中止としたのだ。実際には、その団員は陰性だったのだが、「疑いがある」というだけで、オペラ公演が2日間も飛んでしまう世の中なのだ。
 また、二期会の「ファルスタッフ」公演では、合唱団員に実際の陽性者が出たため、B組のゲネプロとA組の一回目の公演が中止され、残りのB組公演とABの二回目公演に関しては、まわりのソプラノ団員達が濃厚接触者ということで、合唱団は、わずか6人のソプラノで公演を行ったという。

 こんな状況の中、我々「おにころ」でも、7月20日火曜日から、高崎芸術劇場にスタッフ達が様々な機材を搬入し、作業を始めたところ、21日水曜日になって、音響チーフのN氏が発熱した。
 この日は、僕が12時から群馬交響楽団のオーケストラ練習。晩は、主要キャストと合唱団、バレエ・ダンサー達が乗り込んで、本舞台で場当たり稽古という予定だったが、発熱したN氏はPCR検査を受けたものの、結果が分かるまで時間がかかるというので、舞台スタッフ達の間で大騒ぎになった。
 僕が、オケ練習を終えると、舞台監督のチビタこと斉藤美穂さんが僕のところに来て言った。
「とにかくみんなを待たせてあるので、晩の場当たり稽古をどうしようか、演出家の澤田康子さんと私の3人で急遽相談しましょう!」
澤田さんのところに到着すると、チビタは言う。
「Nさんは、ワイヤレス・マイクやいろいろな音響器具などを丁寧にチェックしていたので、もしコロナだと判明したら、その器具は使えません。そうすると、他から借りてこなければいけませんし、他の音響さんを探さないといけません。いずれにしても、これから舞台を徹底的に除菌するので、7時くらいまでは舞台上は使えません。さて、その先どうするかです。一番安全なのは、今晩の場当たり稽古を辞めることですが・・・・」
 僕は、考えた末に、こう結論づけた。
「舞台上を除菌してもらえたら、小道具とか何も使わずに、団員達にもどこも触らせずに、場の順序を追うだけの場当たりをしましょうよ。僕は指揮者だけど、音は一切出さなくていいから、なるべくサクサクと進めていきましょう。これをやらないと、照明家をはじめ、舞台スタッフも、明日以降どう動いていいか分からないでしょう。場当たりは外せません!」
「分かった!そうしましょう」
その後で、Nさんの陰性が知らされた。
「あ、なんだ。それじゃあ、マイクもそのまま使えるし。すべてOK!」
とみんな言うのだが、こういう事態そのものになんか違和感あるよね。
 コロナでなくったって、その熱が何らかの感染症からくるものだったら、うつる可能性あるんだけど、「コロナでさえなければ、もういいんだ」という常識って、変だよね。ま、とにかく、その後はいろいろが順調に行ったので良かったが、僕たちを取り巻く環境は、今このように、いつ公演が中止に追い込まれても不思議はない状況に置かれているのである。だから、今回の公演が無事行われたことだけでも、ただただ感謝である。

 いろんなことを書きたいが、まだ心の整理が付かない。でも、ひとつだけ言っておきたい。オケ合わせをやっている時から思っていた。
「おにころ」は、僕が作った作品ではない。僕はただ天から地上への通り道になっていただけなのだ。その証拠に、この作品を初演した30年前には、自分で台本も音楽も書いたくせに、本人がこの作品に内在する生命を100パーセント理解できていなかったのだ。それが、この歳になって初めて、分かった点があるし、これからも恐らく、公演する度に、新たな発見があるだろう。

 僕は、ある意味、巫女(みこ)なんだ。だから、僕のすべきことは、天上のメッセージを地上に降ろすための、指揮のテクニックを含む様々な地上的方法論を磨くことと、それから、なるべくポジティブで澄み切った心を維持して、道を通り易くすることに尽きる。特に、「オレが偉い」という気持ちが一番いけない。そうしたエゴイスティックな気持ちを捨てて無垢で無私なる自分でいること。そうであればあるほど、光は滞りなく地上に届くのだ。

指揮しながら、至る所で思った。

今この瞬間、地上はこの光で浄化されている。
もっともっと、地上よ、浄められよ!
そして愛で満ちるように!

写真 「おにころ」終演後のステージでの集合写真
おにころ2021


【お知らせ】

7月29日の「音楽と祈り」講座のタイトルは「天の愛、地上の愛」です。

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