この一週間・・・そして

三澤洋史 

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この一週間・・・そして
 「おにころ」公演を無事に終えて、次の日に上野の文化会館に向かい、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」舞台稽古3日目に飛び込んでみたら、やはり留守の間に、いろいろな事が据え置きになっていて、「おにころ」の成功に酔っている場合ではなかった。
 
 「おにころ」公演の準備のため、僕が東京を留守にしている間には、2回に渡る「オケ合わせ」と2回の舞台稽古があり、その際に、指揮者の大野和士氏からは合唱団にいろいろ新しい指示が出ており、舞台に登ってからは、バランスのことやタイミングのズレなどで、新たな問題が様々に発生していたのだ。それらに対応しながら、合唱団員達にサジェスチョンを出したりしている内に、先週は瞬く間に過ぎ去って行った。

 「マイスタージンガー」のピアノ舞台稽古とオケ付き舞台稽古の間には、1日オフ日があった。その27日火曜日は、午前中Zoomレッスンをし、午後に家を出て名古屋に向かった。久し振りにモーツァルト200合唱団の練習をするためである。モーツァルト200合唱団の今年の演奏会は9月12日日曜日。メイン・プログラムはモーツァルト作曲「レクィエム」だ。
 同時に、この演奏会は、愛知県刈谷市の刈谷国際コンクールとタイアップしていて、そのコンクール受賞者との協奏曲がプログラム前半に組み込まれている。今年の演奏会では、チェロとピアノの独奏者で、チャイコフスキー作曲「ロココ風主題による変奏曲」とグリーク作曲「ピアノ協奏曲」を演奏する。それらのソリスト達とは、すでにコンタクトはとってあるが、これから丁寧に合わせをして、本番に向かう予定。

 さて、モーツァルト200の「レクィエム」練習であるが、名古屋区西区役所の隣の西文化小劇場の客席に集まっている団員達は、僕とピアニストのいる舞台上からとても遠ざかって後ろにいて、それでいながら、互いのソーシャル・ディスタンスをきちんと取らず密になっていたので、僕はまず彼らに、もっと前に来なさいと言った。
 ピアニストは元々飛沫を出さないし、指揮者も、歌う人よりは飛沫を飛ばさないので、そんなに恐れて10メートルも離れなくていいのである。
 それから説明した。
「縦2メートル横1.5メートルが、現在のソーシャル・ディスタンスのほぼ世界基準です。だから、それを基本にして、各練習場で自分たちの位置を決めればいいのですよ。前の団員のまっすぐ後ろに座るならば、1列空けなければいけないけれど、互い違いに座るならば、横の距離をうまく取ってやれば、列を空けなくても大丈夫」
 
 そしてすぐに練習に入っていった。団員達は、とても熱心で情熱に溢れていて、僕の指導に必死に食らいついてくる。これは、アマチュア、プロを問わず、今、このコロナ禍においてどの団体でも見られる現象だ。
 みんな一度、コロナで、自分の行っていることとの関係の危機を味わい、その中から、新たな決意を持って、あえて感染の危険をおかしてまでも練習に参加しているのだ。だから、このかけがえのない一瞬一瞬を決して無駄にすまいと必死なのである。

 出てこられているメンバーはまだいい。話に聞くと、体調や精神的な要因から、復帰したくともなかなかできない団員が少なからずいて、みんな心を痛めているという。他の団体でもそうだ。団員の二極化が進んでいて、まず体調を崩している人、そして気持ちが萎えている人、中には、怖くて未だに家から出られない人もいると聞く。
 また会社からサークル活動などを止められている人もいる。これは、僕個人としては人権侵害だと思うのだけれど・・・。だって、会社としては“要請”でしかないですよ、と言い逃れができるとしても、忖度の国日本では、現実には“絶対命令”なのだからね・・・昼間はいいとしても、夜の外出を控えている人、など、様々なケースが見受けられる。

 そのような人たちに、僕は、「練習に出て来なさい!」と高圧的に言うつもりもなければ、「出てきた方がいいよ」と上から目線で忠告するつもりすらない。みんなの自由意志を尊重したいから。
 ただね、その人たちが、それぞれの環境の中で満たされ、心安らかに生きているならばいいけれども、もし、そうでないならば、
「少し考え方を変えてみるのもいいのではないか」
と提案だけはしたい。何故なら、歓びがその人の免疫力を高める、というのも、僕は真実だと思っているから。
 5月4日の愛知県芸術劇場コンサート・ホールにおける、マーラー作曲交響曲第3番演奏会や、先日の7月25日の高崎芸術劇場における「おにころ」公演で感じたことだけど、演じる側も聴く側も、コロナの前には考えられなかったほどの必死さと餓えや渇望を抱きながら関わり、その結果、やはり考えられないほどの熱狂と感動と生き甲斐を手にしているのだ。
 何よりも、演奏している真っ只中にいた僕自身、
「今、このパフォーマンスによって、世界が浄化されている!」
という確かな手応えを感じていたのだ。
「そんな気がしているだけじゃない?」
と言ってしまえばそれだけだし、勿論何の証拠もない。
 ただ、関わっている人みんなが感じているならば、もはやそれ以外に証拠も必要ないではないか。人生は、ただ1分でも長く生きるためにあるのではない。充実したよりよい生を生きるためにあるのだから。

 さて、「マイスタージンガー」は、28日水曜日には、第1幕及び第2幕のオケ付き舞台稽古。29日木曜日には、通すだけで2時間かかる第3幕のオケ付き舞台稽古を経て、30日金曜日に全幕通し稽古を行った。その日は14時から始まって、各幕に30分の休憩を取り、全幕終了した時には19時50分であった。やはり長い!でも、楽しい。

 ハンス・ザックスを演じているトーマス・ヨハネス=マイヤーのザックスは、歌唱の安定性、演技の的確さなどトータルな面で、現代のザックスの中では間違いなく世界のトップ・レベルだ。密かに自分の老いを感じ、エヴァに惚れているくせに、若いワルターに道を譲るペーソスも決してあざとくなく、さりげないが確実に表現している。
 また、ベックメッサー役のアドリアン・エレートときたら、大野和士さんのどんなテンポにもピタッと付けて、しかもその表現力は融通無碍、天衣無縫。もう、月並みな言葉しか出てこないが、まさに素晴らしいのひとことに尽きる。変に誇張されたコミックな役ではなく、ごくごく自然でその辺にいそうな理想的なベックメッサー。
この二人を中心に舞台が回っている。勿論それを支える全てのキャストに無駄がない。

 さて、僕は30日の通し稽古が終わると、そそくさと文化会館を後にし、名古屋に向かった。一週間に2回も名古屋に行く。その晩は、正確には名古屋から東海道線を戻る形で刈谷で降り、駅直結の名鉄インに泊まった。そして翌31日土曜日は、これも久し振りに、大府市役所で愛知祝祭管弦楽団の練習。
 練習には、東京から池田香織さん、それから今は愛知県立芸術大学准教授となっているバリトンの初鹿野剛さん、それとテノールの大久保亮さん、そしてメゾ・ソプラノの三輪陽子さんが加わって、オケ合わせが行われた。
 池田さんにあえて声種を書かなかったのは、彼女は「ローエングリン」ではソプラノのエルザを演じるけれど、本来の彼女自身の声種はメゾ・ソプラノなのだ。ややこしいことに、彼女は、このコンサートでは、イゾルデ役も歌うだろう。イゾルデは、本来はソプラノの役ではあるが、今世界でイゾルデ役を歌っているのは、ヴァルトラウト・マイヤーをはじめとしてメゾ・ソプラノの人が多いんだよね。ペトラ・ラングだって、オルトルートを歌うと思えば、ソプラノのブリュンヒルデも歌う。だから、ワーグナーの場合、ソプラノとメゾ・ソプラノの境目が難しいのだ。
 高い声が出るという意味では、三輪陽子さんも出るから、「ローエングリン」では、どっちが悪役のオルトルートを歌ってもいいのだが、その反対に、両者とも、たとえばエルザのような役をやらせたとしたら、(歌うことではなくて)演じさせることが簡単ではない。
 池田さんには、オケ合わせの間に、
「フレーズの最初のビブラートをちょっと抑えめにして、フレーズをすっきりと描くと、もっとエルザの清楚なキャラクターが出てくると思うよ」
などと、何度もアドバイスをした。

 その日の練習は、午前中に「ローエングリン」に集中し、午後は、「タンホイザー」の第2幕冒頭の前奏曲に続くエリーザベートのアリア。これも池田さんが清楚かつエネルギッシュに歌う・・・と思えば、ラスト・シーンでは、あの誘惑者ヴェーヌスも歌うのだ。まあ、「タンホイザー」におけるエリーザベートもヴェーヌスも、女性の持つ二面性という解釈をすれば、ひとりの歌手が歌ってもいいのだ。
 その間に、初鹿野さんにヴォルフラムの「夕星の歌」を歌ってもらった。話が前後するが、初鹿野さんには、ラスト・シーンで、ヴェーヌスに惹かれていくタンホイザーを制止するヴォルフラムを演じてもらう。
 そういえば、先日の二期会公演で、キース・ウォーナー演出の「タンホイザー」では、一番最後の場面で、あろうことかヴォルフラムがヴェーヌスに惹かれていって、あの二人、デキちゃう寸前でカットアウトという結末だった。こうなっちゃうと、もう何が何だか分からない・・・・!
 ええと・・・「タンホイザー」が終わった時点で、池田さんがお疲れ様となって、残りの時間で「パルジファル」をやった。まずは大久保さんのパルジファルと三輪さんのクンドリで、第2幕の誘惑から接吻を通ってパルジファルの罪の自覚へと向かう一連の2重唱の場面を練習した。
 初鹿野さんは第2幕ラストの槍を投げるクリングゾルを歌う。彼はその一方で、第1幕の転換音楽では、なんとバス役のグルネマンツを歌う。
 その日は「トリスタン」をやらなかったが、「トリスタン」第2幕では、愛し合う二人が愛の法悦に浸っている真っ最中に、クルヴェナールの、
「トリスタン様、お逃げなさい!」
の一言だけ歌うのだ。誰だ、そんな風に天下のバリトン歌手を使い回しにするのは?
おっと、それは僕でした・・・すいません・・・。

 その後、合唱団が入り、「ローエングリン」の結婚行進曲、「パルジファル」の終幕、そして「タンホイザー」の終幕の男声合唱と女声合唱、そして最後の混声合唱の部分を練習して、僕は満足して帰途についた。

 8月1日日曜日早朝。長女の志保が僕たち夫婦の寝室に飛び込んできた。
「パパ、マイスターのゲネプロが中止になったよ!」
半ば夢の中からたたき起こされて、
「なにっ?」
 ベッドから飛び起きて隣の部屋に行き、パソコンの電源を入れる。深夜の0時過ぎに劇場からメールが届いていた。震える手で恐る恐る開ける。
「出演者の1人に発熱が見られたため、本日のゲネプロは中止としました」
という内容であった。それで、問題の出演者はこれからPCR検査をするので、まだコロナ感染者かどうか分からないが、同時に、午後には出演者全員があらためて検査をすることになったという。

 発熱しただけでゲネプロ中止か・・・最近でも似たようなことがあったな。新国立劇場「カルメン」高校生のための鑑賞教室公演が、ひとりの合唱団員の発熱のために、2公演中止になった。結局その団員は陰性であった。

 公演そのものが中止になるよりはいい。しかしながら、ゲネプロがなくなるということは、このままもう初日に突入か・・・・。7月30日金曜日のオケ付き舞台稽古最終日は、一応止まらずに通っているから、この先何事も起きなければ初日の幕は開くだろうが、ゲネプロがなくなると、8月4日水曜日の初日まで一週間近くもブランクが空く。
 だからといって、キャスト達が自分の歌うところを忘れるようなことはないが、ずっと日課のように稽古を積んできた日々の習慣が突然途切れて何もない日が続き、急に観客を入れての初日、というのは、これだけ長くて難しいワーグナーの楽劇では恐ろしいことだなあ。
 それにしても、この違和感は一体何だろう?もしこれがコロナの時代でなかったら、いつものように、その発熱した人だけが休んでカヴァー歌手が入り、ゲネプロは淡々と行われるだろう。その一人のために大事なゲネプロを中止にする・・・というのは大変なことだ。

 (時間が経って)またまた劇場から連絡が入った。ゲネプロが行えなかったので、8月4日の公演初日は、クオリティを保つためゲネプロとする。4日の公演中止の第一報は、19時30分に公に流すという。なお、7日の公演は予定通り行うとのこと。
 うーん・・・それはそれで残念だ。発熱した出演者は陽性だったという。とするならば、ゲネプロが中止されたのは、ある意味納得がいくが、僕たちは、いずれにしても4日に招集されるわけだろう。危ないのは一緒だし、ゲネプロが中止になったのは聴衆も知っているのだから、だったらその事をご理解いただいてから、お客を入れればいいのに・・・・。

僕たちは、今、こういう世の中を生きているのだ。



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