珠玉の名曲集「ワーグナー・ガラスペシャル」

三澤洋史 

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珠玉の名曲集「ワーグナー・ガラスペシャル」
 8月8日日曜日。愛知県芸術劇場の大リハーサル室。来週に「ワーグナー・ガラスペシャル」の本番をひかえた愛知祝祭管弦楽団のメンバーの熱気と集中力が凄い。その日は、本当はコンサートマスターの高橋広君は、別の演奏会で欠席のはずだったが、その演奏会がコロナでキャンセルになったというので、幸か不幸か、出席してくれた。やはり彼の存在は大きい。朝の10時から晩の7時までの長丁場の練習で、彼と積み上げた音楽的成果は計り知れない。

 午前中はオケだけの練習。「タンホイザー」序曲、「トリスタンとイゾルデ」前奏曲、そして「ローエングリン」序曲の順番でやった。特に「トリスタンとイゾルデ」前奏曲は、初めてたっぷり時間をかけてやった。これまでは、むしろ第2幕の愛の二重唱に時間がかかっていたのだ。前奏曲はゆっくりな曲なので、一見そんなに難しくなさそうだが、音楽的に整合性をつけて曲を仕上げるのは至難の曲。
 まず冒頭のチェロのラファーミだけに10分はかけた。ラは、ほとんど聞こえないくらいからノンビブラートで入り、実は結構長く伸ばす。ファに移行する直前から表情を出していき、ファからミに行く間にクレッシェンドしながら濃厚なエスプレッシーヴォを出して管楽器と融合させる。すると、この「トリスタン和音」が、本当にうっとりとするような効果となってあたりに響き渡る。それこそ新時代の響きである。

 午後になるとソリスト達が全員集合したが、ここのところ「マイスタージンガー」のカヴァーとなっていたりしてしばらく出席できていなかった菅野敦さんとの「タンホイザー」の「ローマ語りの場面」と「トリスタン」の二重唱を先につまんでから、初めて全演目の通し稽古を2時半過ぎから行った。予想していた通りであるが、音楽の正味だけでで3時間の演奏会になる予定。
「ワーグナー・ガラスペシャル」の演目は以下の通り。

愛知祝祭管弦楽団「ワーグナー・ガラスペシャル」
第1部:ワーグナーが描く「愛欲」を巡って(約90分)
歌劇「タンホイザー」より

序曲
第2幕
前奏曲とエリーザベトのアリア「この清き殿堂」
エリーザベト:池田香織
第3幕
アリア「夕星の歌」
ヴォルフラム:初鹿野剛
「ローマ語り」から終幕まで
タンホイザー:菅野敦
ヴォルフラム:初鹿野剛
ヴェーヌス:池田香織
合唱

楽劇「トリスタンとイゾルデ」より
前奏曲
第2幕
「おお降りてこい甘美な夜のとばりよ」 
トリスタン:菅野敦
イゾルデ:池田香織
ブランゲーネ:三輪陽子
クルヴェナール:初鹿野剛
第3幕
終幕「イゾルデの愛の死」
イゾルデ:池田香織

第2部:聖杯伝説(約90分)
歌劇「ローエングリン」より

前奏曲と第1幕「ローエングリン登場の挨拶」
ローエングリン:大久保亮
第2幕
「エルザへの奸計」
エルザ:池田香織
オルトルート:三輪陽子
フリードリヒ:初鹿野剛
第3幕
前奏曲と結婚行進曲
合唱
アリア「ローエングリンの素性」と終幕
ローエングリン:大久保亮

舞台神聖祝典劇「パルジファル」より
第1幕
「神殿への転換音楽」
パルジファル:大久保亮
グルネマンツ:初鹿野剛
第2幕
「クンドリの誘惑」とパルジファルの覚醒
パルジファル:大久保亮
クンドリ:三輪陽子
クリングゾル:初鹿野剛
第3幕
終幕
パルジファル:大久保亮
合唱
どうですか、みなさん?ワーグナー好きにはたまらない内容でしょう。前半及び後半で、演奏前に僕は短いお話しをします。その内容をちょっとネタバレしてしまいましょう。

第1部で僕がお話しすることはこうです。
ワーグナーが初期の作品で否定した内容は、鵜呑みにしては駄目です。
まず、タンホイザーが、ヴェーヌスの所で愛欲の生活を送っていたことが、ローマ教皇によって激しく退けられ、
「愛欲に耽る生活などけしからん」
ということですが、後年、ワーグナーは、その愛欲の世界に真っ向から取り組み、「トリスタンとイゾルデ」を作ります。
すなわち、ワーグナーは、本当はヴェーヌス的世界を否定なんかしていなかったのです。それどころか大好きなのです。
また、「ローエングリン」では、異教的なフリースランドという土地出身のオルトルートが、キリスト教的なローエングリンと対立し、最後に破れますが、ワーグナーはその後、楽劇「ニーベルングの指環」で北方神話的世界観を描きます。つまり、ワーグナーの精神世界では、宗教に異教も何もなく、実はボーダーレスであり、彼は数々のタブーに挑戦していくのです。
第2部の冒頭で話す内容はこうです。
ワーグナーは、若い頃から聖杯伝説にとても興味を持っていました。だから初期に「ローエングリン」を書いたのです。
一時有名になったダン・ブラウンの小説「ダヴィンチ・コード」では、この聖杯伝説を「聖なる血筋」と捉えています。
聖書に出てくるマグダラのマリアが、実はキリストの妻であり、キリストの子を宿してガリア(今のフランス)に渡ってメロウィング朝を作って、子孫を代々受け継いだという言い伝えがあります。
「パルジファル」の「神殿への転換音楽」の最初で、パルジファルはグルネマンツに対して、
「聖杯って誰?」
と訊ねます。
このトンチンカンに見える問いに対し、グルネマンツは、
「馬鹿だなお前は。聖杯は人なんかじゃないよ」
と答えるどころか、意味深な受け答えをします。
南仏のレンヌ・ル・シャトーという村には、マグダラのマリアを祀ったマドレーヌ教会がありますが、ワーグナーは「パルジファル」を作るにあたって、そこを訪れていたと言われています。
私は、クンドリという女性にマグダラのマリアを見ます。
さて、公演はいよいよ一週間後に迫ってきた。
この演奏会だけは、何が何でも成功させるぞ!  


闇に消えた「マイスタージンガー」
 最初に断っておきますが、この文章は、誰か個人や団体を批判や中傷する目的で書かれたものでもなければ、新国立劇場合唱団指揮者として公の立場でのコメントでもありません。自分の全くプライベートな立場としてのエッセイであり、誰もが僕の立場に置かれたならば感じるであろう、ひとりの音楽家としての「悲しみ」や「無念」の想いの発露にしか過ぎません。

 どうもね。ここのところ気持ちが晴れないんだよね。山口百恵じゃないんだけど、
「これっきり、これっきり・・・これっきりいですかああああ?」
って感じ。
「荷物の引き取りは、8月7日10時から14時の間にお願いします」
と言われて、朝の10時に東京文化会館楽屋口に行く。一番乗りだった。そのまま4階に行って音楽スタッフ用の楽屋を開けようとしたら、まだ鍵がかかっていたので、B1の事務所に行った。できれば誰にも会わないで荷物だけ取って帰りたかったんだけど・・・・。
 事務局の女性がいた。こんな時一体何て言えばいいの?とっさに出た言葉は、
「おはようございます!ええと・・・ざ、残念でしたね」
「・・・・」
おい!もっと気の利いた言葉ねえのかよ。
とはいっても、
「ご愁傷様でした」
でもないし、
「あはは、ドンマイドンマイ!」
でもないし・・・だってさあ・・・急いでいるのに山手線のドアが目の前で閉まって「あら残念!」というのとは重みが全然違うだろう!
 それから、その女性が鍵を持って一緒に4階までエレベーターに乗って音楽スタッフの楽屋となっていた中会議室を開けてくれた。僕が置いていたのは分厚い「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のヴォーカル・スコア1冊と2つのペンライトだけ。
 これだけ取るためだけに、JR国立駅から中央線と山手線に揺られて上野まで来た。いや、この行程が遠いとか時間が掛かったとか電車代を嘆いているのではない。むしろ、本来ならば誇らしく胸を張ってここまで来て、公演最終日の業務をこなしたのに・・・という気の重さがあるから、遠くも長くも高くも感じたわけだ。

 8月1日日曜日深夜0時18分。
「出演者のひとりが発熱したというので、その日のゲネプロ(総練習)を中止します」
というメールが届いていた。僕が気が付いたのは翌朝になってからだが、その事を受けて、合唱団や僕たちスタッフも、ただちにPCR検査を受けることになった。発熱した出演者は、その後陽性が確認され、さらに(やぶ蛇的ではあるが)そのPCR検査によって、スタッフにひとりの陽性者が出た。

 ゲネプロが中止になったのは残念であったが、その前のオケ付き舞台稽古最終日(7月30日金曜日)はノンストップで通っていたので、僕は、ゲネプロができなくても、8月4日水曜日の初日公演はそのままやると思っていた。しかしすぐに、ゲネプロなしではレベルが維持できないということで、4日が急遽ゲネプロに代わり、公演としては中止が発表された。
 さらに4日午前中になって、新たに公演関係者に陽性者が出たということで、そのゲネプロも中止された(その陽性者の濃厚接触者はなし)。そしてたたみかけるように、4日のお昼頃、8月7日土曜日2回目公演の中止の報告が届いた。つまり、結論的に言うと、全公演が中止になったという最終報告であった。

 その最終的理由は、なかなか簡単には納得出来ないものであった。正式発表は以下の通りである。

オペラ夏の祭典2019-20 Japan⇔Tokyo⇔World『ニュルンベルクのマイスタージンガー』東京文化会館公演につきまして、公演関係者の新型コロナウイルス感染が確認され、最終舞台稽古を行えないなど公演の準備が整わないことから、令和3年8月7日(土)に予定されていた公演が中止されることとなりましたので、お知らせ致します。
 オケ付き舞台稽古最終日には、きちんとしたレベルで稽古が出来ていたし、そのレベルに達しているからこそのゲネプロだろう。4日はともかく、少なくとも7日の公演だけはやって欲しかった。ゲネプロがなかったとしても、公演そのものがなくなる危機感があったとしたら、なおいっそう、出演者達は頑張って取り組んだのではないか。もしかしたら、危機の時だからこそ、いつになく集中力のある素晴らしい公演になった可能性もある。そのチャンスを何故与えてくれなかったのか?

 僕たちはあんなに努力して、真摯にこの作品と向かい合ってきた。少なくとも僕は、バイロイト音楽祭の体験をはじめとして、これまでの人生で培ってきた経験と、自分の能力の全てを合唱練習に注いだ。そして、合唱団の人たちも必死でそれに答えてくれた。こちらサイドから見ていた勝手な想いだけかも知れないけれど、僕と合唱団員達との間には、ワーグナーの音楽を通して、素晴らしい信頼関係が生まれていたと思う。
 川崎サンピアンやティアラ江東や森下文化センターという、いつもとは勝手が違う遠い稽古場に通って、合唱団員達は互いにとても離れながら座って歌いづらかっただろうに、その体勢のまま20回も細かく細かく音楽稽古やった。
 それから立ち稽古になったが、イェンス=ダニエル・ヘルツォーク氏の演出プランも、ソーシャル・ディスタンスを義務づけられることによって不自然に変えられた。それをさばく演出補のハイコ・ヘンチェルも、よく諦めたり怒ったりせずに辛抱強く立ち稽古をつけてくれた。彼の忍耐力に、ただただ感謝!

 休み時間にも、みんな密になったりしないように、キャスト達及びスタッフ達全員が、とっても気をつけていた。それは、
「仮にコロナ感染者が出たって、このディスタンスなら大丈夫!」
という意味もあったろうに、やり切れないのは、下々の者のこうした努力は、ちっとも役に立たなかったということだ。上の方からの鶴の一声で、あっけなくこれだけの規模の公演が、何事もなかったかのようにポンと飛んでしまうということだ。

 人は言う。東京文化会館の公演がなくなったって、新国立劇場の11月の公演があるじゃないの、と。しかし、こういうことは一期一会だ。この東京文化会館というホールでの、このチームでの「マイスタージンガー」は、もう二度とないのだ。
 現に、11月の公演では、主役のヴァルター・フォン・シュトルツィングのノルベルト・エルンスト氏は、トミスラフ・ムツェック氏に代わり、マグダレーナの小林由佳さんは山下牧子さんに代わり、マイスター達の内、近藤圭さんは与那城敬さんに、秋谷直之さんは菅野敦さんに、友清崇さんは大沼徹さんに、後藤春馬さんは志村文彦さんに代わる。つまり前者たちの熱い歌と演技は、一度も聴衆の目に触れることなく闇に葬られてしまったというわけだ。

 その人たちの胸の中を思うと、気の毒で言葉がない。でも、もっと気の毒なのは、コロナ陽性者になった3人の方達!本当に胸が痛む。あなたたちは、けっして加害者なんかじゃないから。みんな立場は同じで、明日は我が身なので誰もあなたたちを責める人はいないからね。むしろみんな、あなたたちの胸中をとっても思いやっていることを忘れないでください。
 これがもしインフルエンザだったら、どうだろう。その人が休んでおしまいじゃない。公演がなくなったりは絶対にしないよね。しかも、コロナは、もうみんな分かっているけれど、ペストなどと違って、身近に人がどんどん死んでいくような病気でもないんだよ。

 緊急事態宣言を出しながら東京オリンピックを強行した関係者達も、実はそれを知っているのだ。東京オリンピック大会関係者では、昨日の時点で累計430人の感染者が出ていたという。でも選手の感染によっての参加辞退の報告はあっても、競技自体の中止は(僕の知っている限りでは)なく、それぞれの競技は滞りなく行われていたよね。
 その一方で、あの世界最高レベルの公演があっけなく消えたんだ。みんなオリンピックを観ていただろう。胸が熱くなり心が燃えただろう。涙も流したかも知れない。何故ならば、世界のトップ・プレイヤー達が、身も心も尽くして取り組み、嘘偽りない最高のドラマを繰り広げてくれたから。
 でもね、東京オリンピックと連動して開かれるはずだったこの公演における、たとえばトーマス・ヨハネス=マイヤーとアドリアン・エレートの二人のバリトンだけ見たって、現代においては世界の金メダルレベルで、しかも毎日、本気になって稽古に取り組んでいたのを僕は近くでつぶさに観ていた。
 東京オリンピックがつつがなく出来たのだったら、どうしてこの「オペラ夏の祭典~ニュルンベルクのマイスタージンガー」がつつがなく出来なかったのだ?誰か答えて欲しい!

ただただ残念なだけです。
そして、僕たちは今、こういう時代を生きているのだということです。



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