画期的な「チェネレントラ」になる予感

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

「カトリック生活」10月号が出ました
 僕がよく寄稿している月刊誌「カトリック生活」10月号(ドンボスコ社)が家に送られてきた。今回は、冒頭に、バリトン歌手小森輝彦さんと僕との対談が載っていて、そのすぐ後に、僕の個人的な原稿が続く。
 10月号の特集は「音楽の中のイエス・キリスト」というものだ。僕たちの対談のタイトルがまず凄い。「演じる者がキリスト教へのリスペクトをもつと、劇場は神殿になる」というもの。この言葉そのものは、小森さんから出たのであるが、どの文脈で出たのかは、ちょっとここでは言えない。

写真 「カトリック生活」10月号の表紙
「カトリック生活」10月号

 僕と小森さんは、主に、ヨハネ受難曲とマタイ受難曲というふたつの受難曲の中に表現されたイエス・キリスト像について語った。同じイエスでも、両福音書のアプローチの違いから来る表現の相違について、かなり突っ込んだ対話がなされている。

 実は、実際の対談では、ふたりの話はどんどんエスカレートしていき、一体どこへ行っちゃうの?というくらいとっ散らかっていったのだが、そこを編集者が実に天才的にまとめてくれた。それでも、そのハチャメチャなエネルギーがあっちこっち飛び交っていて、こんな対談ないよね、というくらい面白い。是非、読んで下さい!

写真 「カトリック生活」の小森輝彦と三澤の対談ページ
小森さんとの対談


 その後の、僕の原稿はね、思い切って自作ミュージカルの「愛はてしなく~マグダラのマリアの生涯」について語っちゃった。タイトルは、「キリストの真実~舞台上のイエス」。これも、ここで中途半端に語ってしまうより、どうか記事を読んで下さい。申し込みはドン・ボスコ社

写真 「愛はてしなく」でキリストのエルサレム入場の場面
「愛はてしなく」から、「ホザンナ」

写真 「愛はてしなく」でキリストが兵士に語りかける場面
「愛はてしなく」から、「あなたたちの中で罪のない者が」


画期的な「チェネレントラ」になる予感
 新国立劇場では、新シーズンの幕開けを飾る、ロッシーニ作曲「チェネレントラ(シンデレラ)」の立ち稽古が進んでいる。若いながら、今やイタリア・オペラの分野では、巨匠の域に入ってきているとも思われる粟國淳(あぐに じゅん)さんの演出が、期待通り、あるいはそれを上回る冴えを見せていて、毎日の稽古がすこぶる楽しい。

 巨匠とは言っても、「伝統的なものに縛られている」といったような予定調和的な意味とは真逆だ。それは、演出家としてのアプローチが、インスピレーションとか、アイデア一発のように見えていても、ひとつひとつが実に手堅く、すべてがきちんとした裏付けに支えられているという意味だ。
 彼の頭の中はとてもフレキシブルで、稽古中に頻繁に変更をするが、変更前の整合性に問題があったわけでもなく、なんらかの脆弱性があったわけでもない。それでいて、変更後は、「あ、なるほどな」とみんなが即座に納得出来るものが生まれている。

 粟國さんは、この伝統的なシンデレラの舞台を1950-70年代のローマ・チネチッタ(映画撮影スタジオ)に設定した。まあ、実際には、それにハリウッドのテイストがかなり加わっている。
 ある日の立ち稽古の最初の時間。合唱団は大画面のテレビの前に集めさせられて、何を観せられたかというと、「ハロー・ドーリー」の映画の一シーン。バーバラ・ストライザンドがハジケるように歌い、ルイ・アームストロングの歌が加わり、そのバックでは、かなり年配の男声合唱団員が、タキシードを着て、ステッキを振り回して踊っている。
 意味が分からないまま、僕などはなつかしくて、なんだか涙が込み上げてきた。だって、こういったショービジネスやエンターテイメント精神が、僕の(自作ミュージカルも含める)劇場作品に対する原典なのだからね。なんてったて、人生Song&Dance!

 振付師の上田遙(うえだ はるか)さんが、みんなに言う。
「こういう味わい。こういうテイストを、みんなから醸し出して欲しいんだよな。今の若者達には、マイケル・ジャクソンすら、もう届かないかも知れない。それどころか50年代とかのこうしたミュージカルの世界では、リズムでいったら、とってものんびりしているし、振り付け師の感覚から見たら、この映画のひとつのアクションの間に、いくつもの動きが入っちゃうかも知れない。でも、この、なんともいえないゴージャスな雰囲気ってあるだろ。これを出して欲しいんだよなあ」
淳さんも、ニコニコしながらうなずいている。

 稽古場には、美空ひばりがゆっくり歌いながら降りてくるような、赤い絨毯の敷き詰められた大階段があり、50年代あたりのミュージカル映画にありがちな、わざとらしいセットと動きの数々で笑っちゃうほどだけど、稽古が進んでくるに連れて、それらがピタッと、シンデレラの物語にマッチしてくるんだ。こうなるとね、もう笑えないよ。いや・・・これはね・・・まだ稽古の途中だからあまり言えないけれど・・・・もしかしたら、淳さんがこれまで作ってきた、様々な演出の中でも最高のものになる可能性がある。

 ロッシーニの追求した、声楽の究極のコロラトゥーラのテクニックが、これらの妙にクラシックなダンスと相まって、螺旋状に飛翔していくのが目に見える。ベルカントの極みが、ある日上空ではじけそう!妙に秋深まり過ぎて寒いくらいの9月前半であるが、劇場の内部では、こんな熱い毎日が過ぎていく。

 ひとつだけ報告。アンジェリーナ(シンデレラ)役の脇園彩(わきぞの あや)さん、超健在!美しい声。確実なテクニック。存在感!

またまた報告するからね。

コロナになってました
 すみません。これまであえて何も言いませんでした。実は、先週の「今日この頃」をお休みしたのも、その前の週の記事がなんとなく中途半端だったのも、その間に新型コロナ・ウイルスに感染していたせいでした。

僕のコロナ
 これを書くに当たって、僕自身は、別にどう思われたっていいのであるが、周りの人たちは、とても心配しているようである。なにせ、インフルエンザにかかりました、というのとはわけが違って、僕がバッシングを受けるだけでなく、下手すればいろんな人に影響を及ぼし、迷惑が掛かってしまうからである。
 だから、「今日この頃」も、このままスルーして、何も書かない方がいいですよ、と忠告してくれた方もいる。

 でも、それでは気持ちが悪いのだ。そこで決めた。コロナに感染したことは、言うには言おう(もう言ってる!)。しかし記事は僕自身のことに限ろう。感染経路とか探り出したら、誰に迷惑が及ぶとも限らない。そうでなくとも、この記事だけでも、憶測や想像や疑惑が山ほど膨らんでいるのであろうから。

 さて、僕にとって新型コロナ・ウィルスが引き起こした症状自体は、全然たいしたことはなかった。8月24日火曜日くらいから、たまに空咳のようなものが出るので、
「なんだろうな?」
と思っていた。8月25日水曜日の夜、体調がいつもと違う気がするで体温計で熱を測ったら37.5°あった。
「来たな」
と思った。

 翌26日木曜日。朝から37度台の熱。しかし、38度過ぎまであがることはなかった。喉が痛いわけでもなく、鼻水が出るわけでもない。体のどこかの部分が痛いとか不快とかいうこともない。ただ、呼吸はいつもよりやや浅く、大きく息を吸い込むと咳き込みたくなる感じはある。でも、それだけ。え?拍子抜けするほど。

 結果的に熱が出ていたのはこの日まる1日だけ。27日金曜日朝には、もう36度台に戻っていた。コロナなんか流行っていなかったら、単なる夏風邪か、ということで病院にも行かなかったに違いない。
 でも世の中が世の中だから、そうもいかない。それに、昨年の2月後半以来、僕の体温が36度台以上になったことはたった一度もなく、しかも、これがコロナかも知れないとなったら、とっても落ち着いて寝てなんていられないんだよね。
 ところがね、木曜日というのは、休みのお医者さんが多くて、なかなか発熱外来に対応してくれるところがない。朝から必死でお医者さんを探す。午後までかかって探すがどこもない。
 知り合いの紹介で一軒だけあった。でも、そこは、電話対応のみで、オンラインでの問診に答えるだけ。仕方ない。他に選択肢がないんだから、アプローチしないよりはいいか。ただそこが予約を取ってくれて、国分寺病院のPCR検査を受けさせてくれるというので行ってきた。いずれにしても、それ以外は何もしてくれずに、ただただ自宅待機のみ。

 翌日27日金曜日午後遅く。PCR検査の結果を、例の病院が電話で知らせてきた。
陽性。
おお!これまで新国立劇場での検査でも常に陰性であったが、生涯初めて陽性者となった。次の日、保健所から電話連絡が入り、オフィシャルに陽性者と認定され、丁寧に問診され、現在の状況を知らせた。

 不思議な状態がひとつ気になっていた。基本的には熱は6度台なのだが、一日の内で何度か突然7度台中頃まで上がるのだ。寒気がしたりするのですぐ分かる。しかし、布団にくるまって10分くらいすると落ち着いてくるので、また体温を測ると平熱に戻っている。 まあ、こうした不可解な状態も3日くらいすると、いつのまにか治っていた。だから、発症から5日くらいしたら、体調そのものは、全くの健常者と一緒になった。ベッドに横になっている時間もどんどん少なくなって、すぐに夜以外は起きているようになった。

 僕が65歳以上だということで、保健所からは毎日電話で容態を聞いてくることになった。ところがその係の方は、予想に反して、若い、やさしい声のお姉さん。しゃべり方もゆったりのんびりしている。(もしかして僕のようなおじいさん担当?)だから、男の人だったら憂鬱だったろうが、反対に、毎日電話がかかってくるのは、むしろ楽しみですらあった。
 そのお姉さんから、自宅待機最終日が告げられた。僕の場合、軽症なので、発症から10日後。長く発病が続いていた人は、最後に症状が残った時から3日後には、もう自宅待機の時期が終わって、外に出てもいいという。そ、そんなか?
「三澤さんの場合は、9月4日土曜日までが自宅待機期間です」
とお姉さんが言うから、
「その時に、たとえばPCR検査とか受けさせてもらえるんですか?」
と聞いた。
「いえ、もう検査はやりません」
「でも、まだウイルスが体内に残っている可能性ってないですか?」
「仮に残っていても、他人に移す可能性はないですから、心配要りません」
 確かに、ウイルスの感染力が最も強いのは、発症前3日間と発症後3日間だと言われている。でも、検査そのものをしなくていいんか?そんな、テキトーでいいんか?まあ、お姉さんに詰め寄っても仕方ない。
 中目黒に住んでいる次女の杏奈が、抗原検査キットを買ってきた。自宅で簡単にできるタイプ。そこで9月に入ったばかりのある日やってみた。陰性。ふうん。短かったね。陽性期間・・・。

味覚嗅覚異常
 ということで、8月30日月曜日から始まる週には、完全に健常者と一緒になった。その間に指揮のZoomレッスンなんかも2度ほどやった。だから、コロナなんて軽い軽い、と思うでしょう。僕も最初はそう思っていた。ところが、これからの数日間は、そうでもなかった。

最初は、
「あれ?なんか、食べ物の味が薄くなったな」
という程度だった。水の味が変だ。やたら甘ったるく感じる。水に味なんてあったっけ?
それから、次々に物から味という味が消えていった。
これまで66年間生きてきたけれど、こんな奇妙な感覚は前代未聞だ。目をつぶって食べ物を口に入れても、何を食べているのか全く分からない!仮にその食べ物が痛んでいたって分からないんだろうな。危ないよね。それでいて、特に和ものの味は、異常に塩辛く感じられて、口の中に入れたらすぐに吐き出したいほど。
噛んでいても、まるでゴムを噛んでいるよう。咀嚼が進むに連れて口の中にグチャグチャと食べ物が細かくなって溢れるが、味がないからか唾液が充分に出ない。そろそろ飲み込まなければな、と思って試みると、オエッって吐きそうになる。

 こうして本当に味のなくなった3日間くらいは、どんなに無理矢理食べようとしても入らないので、絶食に近い状態になった。たまにはファスティングもいいか。聖母マリアも、よく断食と祈りをしなさいと言うしな。不思議と口に入るのは、ドリンクヨーグルトとゼリー状のアミノバイタルなどのサプリメントなので、それで命をつないだ。でも、この数日間だけで、かなり体重が減った。
 その内、ゆっくり味が戻って来た。それにつれて、食欲もだんだん湧いてきてきたが、もう自宅待機期間が終わっていて、新国立劇場に出勤する日が近づいて来た。元気なのだけれど、体の中に栄養が行き渡っていないので、なんとなくフラフラしている。

 コロナで違和感があるとしたら、このように、熱もとっくになく、抗原検査も陰性で、体の中にはもうウイルスはいないはずなのに、こうした後遺症だけが残る、ということだ。ウイルスがいないならば、一体何ものがこれらを引き起こし、遂行させ続けているというのだろう。誰がこれを仕切っているのだろう?ネットで調べると、もっともらしいことは書いてあるが、さっぱり要領を得ない。

新国立劇場とのやり取り
 実は、コロナに感染したことが分かった時点から、僕は、新国立劇場には、すべて包み隠さず報告していた。何故なら、シーズン開幕の「チェネレントラ」の合唱音楽稽古の開始が迫っていたからであった。それで、これからコロナとの日々を過ごすということになれば、立ち稽古はともかく、その間の8回に渡る合唱音楽稽古を、僕が行うことは不可能なのである。
 そもそも、合唱指揮者というのは、まず音取りから始まる“音楽稽古”を自ら行ってこそ、自分の音楽性や解釈や、あるいは発声の方向性も含めて、その指導者の特性が出るというものだろう。それが出来ないとなれば、それは合唱指揮という業務を遂行したことにはならない。そう信じて僕はこれまで生きてきた。
それで、どう考えてもこれは“降板”しかないな、と腹を決めて、劇場に相談した。

 ところが、劇場からの返事は、予想外のものであった。
「音楽稽古に関しては、冨平恭平(とみひら きょうへい)さんをメインとしてただちに代わりの人材を探します。三澤さんの完全復帰を待って、交代して業務に当たっていただくということで、劇場内で話を進めていきますが、いかがでしょうか?」
 勿論、そんな虫の良い話でいいのか?とも思ったが、考えてみると、この「チェネレントラ」は新制作なので、稽古期間そのものはたっぷりとってある。初日は10月1日だ。音取り稽古はともかく、立ち稽古の間に、演出家の粟國淳さんが作り出すドラマを見ながら、様々な音楽上の路線変更をする時間もあるし、場合によっては、立ち稽古と並行して音楽稽古を取ってもらうこともできるかも知れない。
 そこで僕はひとつだけ条件を出して、それを了解していただけるという条件で、再び合唱指揮者を引き受けることにした。すなわち、
「ある程度立ち稽古が進んだ時点で、1回だけでいいから、別室で音楽稽古の時間を取ってください。そこで修正が出来るということならば、自分も納得して合唱指揮者としての業務を全うすることができます」
劇場からは、ただちに返事が来た。
「了解です」
それで、晴れて劇場シーズン開幕の「チェネレントラ」に加わることを許されたのである(結果的に、この原稿を書いているまさに今日の午後2時から、まとまった音楽稽古を取ってもらうこととなった)。

コロナをめぐる分断されたふたつの社会
 9月6日月曜日。新国立劇場に出勤する。「チェネレントラ」の現場では立ち稽古2日目に入っている。僕は、元気なのであるが、まだ体に栄養が充分に戻りきっていないので、なんかちょっとフラフラしている感じ。みんな、一体どんな感じで僕を迎えるんだろう?コロナ感染者だものな。きっと、ぼくのこと恐いかもな・・・。

 と、思っていたら、そんな不安を吹き飛ばすように、大森いちえいさんや、秋本健さんなどを中心に、みんなが、
「お!マエストロ来た!」
と向こうから屈託なく集まって来た。

「うわあ、マエストロ。ご無事で!」
「い、今、どんなです。こう、なんか辛いとか?大変とか?」
と、子供のように騒いでいる。
「ありがとう・・・元気、元気。どこも痛くもないし、なんでもない。熱もとっくにない。でもね、久し振りに自転車に乗って駅まで来て、電車に乗って来るとね。世の中、人多いし、世界がめまぐるしいね」
「発病中は苦しかったですか?」
「全然!熱も37度台までで、しかも1日だけ」
「え、マジ?そんな軽かったんですかあ?」
と、たちまちすっかり打ち解けた。
 嬉しかった。本当に良い世界に僕は生息しているのだと、この環境(音楽の世界)が有り難かった。
 事務局の対応も淡々としたもので、
「もう大丈夫ですね。それでは、冨平さんとの引き継ぎが終わったら、これから三澤さんで本番までいくということでいいですね」

 こういう社会ばかりだと楽だ。ところが、ことはそう簡単ではないようだ。コロナを巡っては、もうひとつの分断された恐ろしい社会があり、そこにいる住民がいる。

 新型コロナ・ウイルスが引き起こすCOVID-19という感染症は、出回った時には、新しいものであるから、様々な混乱を社会に引き起こし、「特別なもの」という常識が瞬く間に世界中に浸透したことは記憶に新しい。
 しかしながら、マスコミが丁寧に恐怖感を煽り続けてくれたお陰で、昨年の3月から数えても、もう1年半もの歳月が流れているというのに、コロナをめぐる社会のあり方には、進化もなければ、新しい認識も、迷信の払拭もない。
 コロナによって構築させられた“恐怖”を中心とする社会大系のあり方が、未だに世の中に揺るぎなく君臨していて、たとえば「僕がコロナに感染した」というだけで、
「うわあ、出た!ここにもコロナか!」
と、まるでゾンビか、あるいは巨大な怪物のような目で見る人たちが世の中に確実に存在しているのが分かる。
 また、コロナになった、と言うだけで、何か人間として重大な犯罪でも犯したかのような目で見る人たちがいることに、あらためて気付く。芸能人などは、容赦ないバッシングを受けているし、記者会見で平謝りに謝っていたりするじゃないか。

 これは、当事者になって見なければ分からない感覚だ。ある日突然、僕は、単に僕のままであることを許されなくなるのだ。僕は、「コロナという人」という人種の中に組み込まれてしまうのである。
「三澤さんがコロナ・・・いやだわ、もうあたしたちと同じ人間じゃないのね」

 もっと不可解なことがある。どうも、一度コロナに感染すると、その人が治ろうが元気になろうが関係なく。その人の回りにはコロナ・ウイルスが常駐していて、もう生涯二度と離れないのでは、と思っている人がいるみたいなのである。

 みなさん。普通に科学的に考えよう。その人は確かに一時コロナに感染した。しかし、そのままでいるということは自然界では許されないのだ。人体は、体内に侵入してきた新型コロナ・ウイルスという外敵に対して、体温を高めて本人の免疫細胞を活性化させ、これを絶滅させるまで戦う。これは、どちらかふたつにひとつしかない熾烈な戦いだ。体がコロナに支配され屈服させられ死に至るか、さもなければ、完全勝利するかしかないものなのだ。
 ということは、「今、コロナから治って元気でいる」ということは、完全勝利し、もうコロナは体内にはいないことを証明するものなのである。それなのに、
「一度コロナにかかったら、その人は一生コロナの人というレッテルを貼られ続ける」
という認識は、まるで小学生レベルで。
「お前はバイキン!」
といういじめのような、完全な勘違いである。

 日本人の知的レベルは高い。女性の中にも大学卒の人たちの割合が高い。にもかかわず、このような非科学的なことを信じている大人が少なからずいるということだけでも、僕は本当に落胆する。私たちは、一体何のために知性を磨いてきたのか?こんな時に、論理的な考え方が出来るために大学に行ったのではなかったのか?

ワクチン副反応の凄さ
 そういえば、新国立劇場ではワクチンの職域接種を優先的に行っていて、沢山のメンバーが受けたと聞くが、その内のかなりの数が、2度目のワクチン接種の直後に発熱し、特に39度の熱が1日以上続いた人が数人いたという話を聞いていた。
 バリトンのS氏は、僕のところに来てこう言った。
「わたしは、39度どころか、40度の熱が2日間止まらなかったです。それに、接種を受けた腕が下まで激しく痺れて、しばらく動かせませんでした」

 「チェネレントラ」立ち稽古の休憩時間。以前楽屋食堂で今は各自の食事スペースになっている所に、コンビニで買った物を食べに行くと、アルト団員二人とバス団員がいた。彼らは、同じ新国立劇場内で同時進行している藤原歌劇団主催ベッリーニ作曲「清教徒」に乗っている。
 その内の一人が、
「あたしの場合は、ワクチンを打った直後から、とってもひどくて、ホント死ぬかと思いました」
「ええ?どうなったの?」
「もう、上げたり下したりです。しかも痙攣も起きて・・・・」
聞きながら、自分がノロ・ウイルスに感染した時のことを思い出した。いやいや、もっとひどい!激しい痙攣を伴ったというから、典型的なアナフィラキシー・ショックの症状ではないか。当然それで亡くなる人もいるから、命の危険と隣り合わせであったのだろう。
「死を覚悟しました!」
彼女は、僕をまっすく見ながら真剣な顔で言った。
背筋が寒くなった。

「すみません。僕の場合は、モロホンのコロナに自分の免疫細胞で立ち向かって、38度以下の熱が一日出ただけで、退治しちゃいました」
そばに居た他のメンバーも聞いていて、みんな、あっけにとられている。

 ワクチンって、ウイルスの毒性を抜いて危険性を除去したもののはずでしょう。コロナの症状を出さずして、抗体を作り出して、本当のコロナにかかりにくくしたり、仮に発症しても重症化しないことを目的としたものだよね。それなのに、ワクチン接種しただけで、そんな熱が出たり、アナフィラキシー・ショックを導き出したりって、おかしくないですか?
 何人かの新国立劇場合唱団メンバーの話を聞いただけで、僕は、ワクチンを打たないでおいてよかったと思った。別に僕は、「ワクチンを何が何でも打たない」という反ワクチン論者ではなかった。しかしながら、国立市の招聘にも劇場の職域接種のお誘いにも応じなかったのは、だいたい1年くらいで副反応もないようなワクチンが出来るはずがないと思っていたのだ。
 国立市でも、高齢者から接種が開始した時、
「これは副反応の生体実験に、先の長くない高齢者が使われているのに決まっているよな」
と思って、実験台になりたくなかったし、ある程度副反応が出揃ったのを見計らって受ければいいやと思っていたのだ。

 と思っている内に、ホンモノのコロナに感染し、自分の体内の免疫細胞が働いてくれて完治した。これって理想的じゃない?どんなワクチンよりも確実じゃない?僕の体の中にはすでに立派な抗体が出来ているので、何も恐くない。

 それなのに、世の中がワクチン・パスポートに向けて大きく舵を切ったとしたら、あらためてワクチンを僕も打たないといけないのかな?イタリアのようにパスポートがないと、レストランにも入れてもらえないような社会が来るのかな?
 それで仕方なくワクチン・パスポートを得るために接種に行って、わざわざ39度の熱が出たり、アナフィラキシー・ショックに陥ったとしたら、笑い話にもならないよね。

結論~すべては御手の中
 新型コロナで療養している最中、この1年半ほどを振り返って見て、気付いて愕然としたことがある。新型コロナ・ウイルスが世の中に出回ったと聞いた時から現在に至るまで、僕は、個人的にコロナのことを恐がったことは一度もないという事実だ。
 勿論、人並みに、出来れば感染したくないと思っていた。だから、どうやったら感染し、どうやったら感染を免れるか、ということに対して、大いなる興味を持って学習した。結局、飛沫や接触を通して、体内に入ることを防ぐしか方法がないわけで、巡り巡って手洗いうがいに勝るものはない、という結論に達したし、マスクの有効性に関しては、布、不織布など、材質の違いでどのくらい感染力が違うのかを検証したり、普通の人以上に、いろいろ研究した。
 感染と、それからの治癒のしくみも勉強した。免疫細胞の働きや抗体の形成のメカニズムなどを学んだ。

 しかしながら、その学習の原動力は、純粋に知的興味から湧き起こってきたもので、恐れから来たものではなかった。

 だから、それが自分に降りかかってきて、熱が37.5度になって、「あ、来たな」と思った時にも恐怖は全く感じなかった。その時、39度やもっと上がることは覚悟したし、平熱に下がってからだって、場合によっては容態急変して肺炎にまで行ってしまって、人工呼吸器やエクモのお世話になる可能性だって、頭をよぎらないことはなかった。

 でも、なんだろうな。
「どうなっても、神様の御手の中にある」
という絶対的な信頼感が自分の魂の奥底にあることに気が付いた。
 だからといって、自分はクリスチャンで、神様に愛されているから、自分だけ特別恵まれて重症化を免れるとか、などというノーテンキな信頼感ではない。特権意識もなければ、世の中、何がどう転んでも不思議はないと思っている。

 そうではなくて、たとえどんな状態になっても、それは、そうなるものなのだからそうなるのだ、という究極的楽観主義なのだろう。僕の心全体を支配しているのは、間違いなく、大いなるものへの全信頼と、そして感謝だ。
 生きるのも死ぬのも、自分の意思ではない。神の大いなる御心のままに、人生、とどのつまりは、それに尽きる。
当然僕は、コロナどころか、死をも恐れてはいない。

 今、この記事を書きながら。この先、きっと人生の終わりまで、自分はこう思いながら生きていくんだろうな、と思っている。
この認識と確信が、今回のコロナへの感染によってもたらされたならば、僕のコロナ体験は、素晴らしいお土産をいただいたことになる。

神に感謝!

 

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