ある週末

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

ある週末
 ねえ、みんな聞いて!最近の僕のブーム、何だと思う?それはね。このブラッド・オレンジ・マーマレードです。これがめっちゃおいしくて、2瓶目買ったところ。焼いたパンドミにバターを塗って、さらにその上から付けて食べると、もう朝からしあわせいっぱいです。
みなさんにお奨めします。
成城石井で売ってます。
ちょっと高めだけれど、けっして後悔しないからね。

写真 ブラッドオレンジの瓶入りマーマレード
Locanda la Posta の Arance(オレンジ)Rosse(赤い)


 10月10日日曜日。今日は朝から長女の志保が杏樹を連れて、茅ヶ崎サザンビーチに行った。中目黒に住んでいる次女の杏奈も途中から合流するらしい。しめしめ、今日はピアニストの志保が海に行ってていない。通常占領されている1階のグランドピアノが空いているぞ!普段は、指揮者なのにピアニストではないという理由だけで、パソコンの部屋の電子ピアノをあてがわれているのだ。

 妻は、日中はすぐ近くのアパートの一室を借りて、そこをアトリエにしてロウソク造りにいそしんでいる。だから僕はカフェタイムとお昼以外はひとり。日曜日なので、妻と立川教会のミサに行こうと思っていたら、国立地区の今週の割り当ては土曜日の晩だと彼女が言う。あーあ。まあ、早朝散歩で神社にはお参りしてきたのでいいか。
今日は一日お勉強の日にあてよう。

「トリスタンとイゾルデ」のヴォーカル・スコアを開いて、第1幕を歌いながらピアノで弾く。来週の日曜日に、愛知祝祭管弦楽団の練習がある。8月にワーグナー・ガラスペシャル演奏会をやって以来の名古屋だ。来年8月の演目が「トリスタンとイゾルデ」全曲演奏会である。まだまだ先の話だと思うでしょ。でも、ここからしっかり積み重ねていくから、リング全曲などという大それたことにも辿り着いたわけである。音取りも満足にできてない団員がいたら、ビシバシしごくから覚悟しておけ・・・その前に、僕が勉強しなくっちゃ!

 ピアノに向かってひとつひとつ自分の指で紡いでいくと、いろんなことを思う。うーん・・・至る所、しつこいくらいにトリスタン和音に溢れている。なかなか物語が進展していかない。二人ともぐずぐず意地張ってないで、早く薬飲めっつーの!

 でも、大事なことに気が付いた。「神々の黄昏」や「パルジファル」といった、晩年の管弦楽法が辿り着いた円熟の出発点が「トリスタン」にはある。人は安易に「トリスタン」こそがワーグナーの最高傑作であるという。いや、そうとも言い切れない。むしろ、ワーグナーは「トリスタン」で彼の本当の独創性の扉を開いたのだ。
 それは「ワルキューレ」で準備され、「トリスタン」後、「マイスタージンガー」の対位法的処理で細分化され、「神々の黄昏」で全ての深化が進み、そして「パルジファル」でシンボル化され純化されたのだ。
 だから、ここでもう一度「トリスタン」に向かい合うことは、とても重要なことだ。全ての語法が「パルジファル」に至るまで、一望の下に見渡せるのだ。ある意味、音楽的展開の仕方には、やや未熟な部分も見受けられる。しかし・・・しかしですよ!泉のように湧き出でた・・・いやもっと言うと、火山の噴火のように噴出した独創性のエネルギーが火傷しそうなくらいこちらに迫ってくる。やっぱり凄い作品だ!

 午後。ひとりZoomで指揮のレッスンをしてから、今度はスコアを持って国立駅方面にマウンテンバイクを走らせる。エクセルシオールで、i-Podの中のフルトヴェングラーの演奏を時々聴きながら「トリスタン」のスコアを読む。
 あまり演奏を聴いてしまうと良くない。何故ならイゾルデ役のキルステン・フラグスタートの輝かしくも美しい声に圧倒されてしまい、しばしばスコアを見るのを忘れてしまうから。
 ワーグナーって、この「トリスタンとイゾルデ」を書いていた頃は、一番不安定な亡命時代で、上演のあてもなかったわけだろう。それなのに、こんな作品を延々と書いていて、もの凄い精神力か、さもなければ、めっちゃ鈍感かどちらかだよね。

 さて、家に帰ると、夕方には杏樹を中心とした一行が美味しい海の幸を沢山お土産に買ってきて、夕食は、はんぺんやら刺身やら、生と釜揚げ両方のしらすやら、マコモダケの天ぷらやらで大いに盛り上がった。志保がやったように、生しらすに良質のオリーブ油とレモン汁をかけて食べると、スパークリング・ワインとめっちゃ合う!

 10月11日月曜日。早朝。今日は、杏樹の学校はお休み。僕は6時過ぎに杏奈と二人で家を出てお散歩。いつもより足を伸ばして、大國魂神社まで行ってきた。空は抜けるような青空。肌寒い秋風が吹き抜ける。大國魂神社にも、とても爽やかな良い気が流れている。昨日の東京都のコロナ感染者数は、わずか60人だったそうな。ん?一体どういうことでしょうね。緊急事態宣言が全面解除となってもリバウンドのようなものはないね。

 「マエストロ、私をスキーに連れてって2022」キャンプも、募集要項公開したら早速申し込みが入ってきた。ABの両方のキャンプの申し込みをしている人が多いので驚いている。
 今回僕は、キャンプ申込者には、ちょっとしたオマケを送っている。それは、角皆優人君の滑りを、ロングターン、ショートターンなどに分けて切り貼りし、僕の作曲した音楽に乗せて編集した「参加者限定のキャンプ予習ビデオ」(Youtube限定配信)である。
 先週ちょっと時間があったので、新しく買ったPower Director 19という動画編集ソフトの勉強も兼ねて、試しに作ってみたのである。

このビデオを欲しいならば、キャンプに申し込んでね。あはははは。

水泳と指揮
 先週はプールに4日連続で行った。「チェネレントラ」の本番が始まると、公演の間が2日ずつ休みになるし、10月6日水曜日は公演があっても19時開演だったから、昼間はずっと空いていたのだ。立川市柴崎体育館は第1月曜日が休館日だったので、10月4日(月)は行かなかったが、5日(火)から8日(金)まで午後の時間で毎日行けた。これでだいたい僕の体力は、一番体調が良い状態に戻った。

 魚座だからかな。僕はそもそも水の中にいるだけで、とってもしあわせになるんだ。それに水の浮力で体が重力から解放されるため、腰や足に負担がかからなくなり、ちょっとした無重力空間のようになるじゃない。あの開放感がたまらない。

 クロールで、キックしながら手で掻くと、自分の体がまるでカヌーのようにスーッと前へ進む。その時とっても大切なのが、ストロークでもキックでもなく、反対側の腕の伸ばし方なのだ。白馬で習った松本弘先生なんか、
「三澤さん、あと30センチ伸ばしてください」
なんて言う。
 それは平泳ぎでも一緒で、両手で掻いてからリカバリーで前に戻す腕の形ひとつで、抵抗力が大きく変わるからスピードに差が出てくる。
水泳はね、最初はとにかく掻いて進むことばかり考えるけれど、こういう「抵抗をなくす」ということの楽しさに目覚めると、まあチマチマしているといえばそうなんだけど、けっこうハマるのだ。腕の形ひとつで、本当に体が滑らかに前に進むのだ。その爽快感は格別だよ!

 僕にはモットーがあって、絶対に自分のやるスポーツに“競争原理”を持ち込まないことと決めている。当然、レースには出ないし、タイムとかにもこだわらない。従って資格とか検定とかも無用。誰かより下手とか上手とか、勝ったとか負けたとか、全く興味なし。
 でもね、じゃあただ楽しんでいればそれでいいかというと、それも絶対嫌なんだ。人とは比べないけれど、自分としては少しでもうまくなりたい。水泳でもスキーでもサイクリングでも、無駄なく、なるべく効率よく美しい形で行いたいのだ。

 さて、水泳が好きなのにはもうひとつ理由がある。実は、指揮者である僕にとって、あらゆるスポーツの中で、最も“指揮の運動”に影響を与えるのが水泳なのだ。たとえばストロークだが、手の平の形や腕の角度やトレースなどいろいろ研究して、効率よく水を掻けるようになったと思ったら、同じような筋肉を使っているので、指揮する腕の筋肉がなめらかに動くようになっていた。

 ビート板を使ってバタ足の練習をする時に、意識して、股関節からの運動を起点とし、その運動をしだいに、膝関節、足首、そして指関節に至るまでつなげていく。これは足の運動ではあるが、これを意識化し、腕の運動に応用する。すると、レガートの指揮における動きの精度がさらに上がってきたのだ。
 指揮法においては、指揮の運動は、原則、肘関節を起点としている。4拍子、3拍子などの基本運動は、まず肘関節を使って練習する。しかし、レガートの場合、起点はもうひとつ上の肩関節なのだ。肩関節の運動が肘関節に伝わっていき、さらに手首、そして指関節ないしは指揮棒の先まで連動していく。その時、僕が腕を、あたかもバタ足を行うように波打たせながら、運動をしだいに先端にまでつなげていくならば、極上のレガートのフレージングが意のままに得られる。

 さらに言うと、「パルジファル」の第1幕「転換音楽」のような超濃厚レガートの場合には、起点は肩関節よりももっと奥の“肩甲骨”となる。その時には、肩甲骨でフレーズを感じ、肩を経由して腕に伝えていくが、ただ腕を振るだけではなく、ちょうど水を掻くくらいの負荷を腕の内側に課すのだ。
 するとその負荷は、たとえば弦楽器の弓と弦との間の圧と連動する。あるいは管楽器奏者が楽器に吹き込む息の圧に連動する。その結果、爽やかなレガートから超濃厚なレガートまで意のままなのだ。
 だから「風が吹くと桶屋が儲かる」ではないけれど、僕が水泳をすると、愛知祝祭管弦楽団コンサート・マスターの高橋広君の腰が上がってくるような相関関係があるのです(笑)。ストロークで腕の内側にかかる圧をイメージして指揮すると、広君の腰は10センチ、もっと圧をかけると20センチ上がります。

 まあ、指揮をする目的でプールに通っているというわけでもない。これらの事柄は、泳いでいる間に自然に気づかされてきたことだし、純粋に楽しいから僕は泳いでいる。とはいえ、もっと大きな意味で言うならば、これも天の摂理なのかも知れない。少なくとも、僕が泳ぐことを神様は喜んでいるのは間違いないな。

 そんなわけで、プールに行った日はいつも体調が良い。でもね、僕の場合、仕事に差し支えるので、1500メートル以上は、どんなに調子が乗っても泳がないようにしている。クロールと平泳ぎを混ぜて1000メートル。それからキックやストロークの練習を混ぜて、まあ平均1300メートルか1400メートル泳いで帰ってくる。

 さあ、これからお昼を食べて新国立劇場に向かう。今日は「チェネレントラ」5回目の公演。あさってでいよいよ千穐楽となる。



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