「マイスタージンガー」奏楽堂でのオケ合わせ

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

「マイスタージンガー」奏楽堂でのオケ合わせ
 新国立劇場のスタジオでは、ソーシャル・ディスタンスを取ったオケ合わせができる場所が確保出来ないため、11月6日土曜日及び7日日曜日の「マイスタージンガー」のオケ合わせは、東京藝術大学構内の(新)奏楽堂で行われた。

 ここはとっても懐かしい。僕は(記憶によるとおそらく)1988年から芸大の非常勤講師をしていて、最初はオペラ科の指揮者として、それからプラスして1年生から3年生までの声楽科合唱を受け持ち、さらに辞める前は、声楽科4年生の室内合唱を受け持った。新国立劇場合唱指揮者に9月から就任することが決まった2001年3月に辞めたので、それまでの約12年ほど、芸大に勤務していたわけになる。

 特に、最後の年だと思うが、室内合唱では、卒業間近の声楽科4年生ということもあって、通常は発表会を持たない授業であったが、何故か、その学年の生徒達とはとても結びつきが強く、僕は学生達と相談して、自主的に演奏会を企画し、モーツァルト作曲「レクィエム」を、出来たてのピカピカな奏楽堂で行ったのだ。
 指揮は勿論僕で、オケは芸大生の器楽科から集めて自主的に結成した。4人のソリストも学生の中から選んだ。学生達の中には、今でもよく仕事を頼んだりしている人たちがいる。たとえば初谷敬史さん、高橋ちはるさん、鈴木准さんなどである。

 また、オペラ科では、それまで芝公園のメルパルク・ホールで行われていた大学院オペラ科の公演を奏楽堂で行うようになった。一番記憶に残っているのは、実相寺昭雄演出の「魔笛」で、副指揮者の僕は、本番中はプロンプター・ボックスに入って、ソリスト達の歌詞を前もって喋って誘導していた。
 フィナーレのパパゲーノとパパゲーナの二重唱の中では、
「子供が欲しいね。まずは一人のちっこいパパゲーノ!次は一人の可愛いパパゲーナ!」
という個所があるが、そこで僕は歌のタイミングに合わせてブースカの人形を出した。さすが円谷プロの実相寺さん。でもね、第二幕はそのお陰で、狭いプロンプター・ボックスの中はブースカでいっぱいになってギューギューだったんだ(笑)。
 そのブースカ人形があんまり可愛いので実相寺さんに、
「ねえ、これ、公演が終わったら一個ちょうだいよ」
と言ったが、
「駄目。残念ながら、これは実は本物だからあげられないんだ。その代わり、三澤さんにはお世話になっているから、今度お土産もってきてあげるよ」
と実相寺さんは答えて、次の時に、ひとまわり小さいブースカをはじめとして、これでもかというほどの量の円谷グッズを僕にくれた。
そんな思い出が、芸大奏楽堂に入るやいなや、鮮やかに甦ってきた。

 会場に入ると、ステージの一番奥に指揮台があり、東京都交響楽団は、通常の演奏会と正反対にステージ奥のガルニエ・オルガンを眺めるように座り、ソリスト達は、ほぼステージの高さにまで床上げされたオーケストラ・ピットに向こうを向いて座り、合唱団は客席に間隔を開けて座っている。指揮者の大野和士さんは、はるか向こうの方にいる。
 僕は合唱団のメンバーに向かって言う。
「オケを聴いてから入るのでは遅い。かといって見切り発車は混乱を招くのみ。大野さんの指揮の打点に合わせて歌いなさい。それよりも早くても遅くてもいけない」
みんなはそれをよく守ってくれた。

 休憩時間に大野さんに、
「どうですか?」
と聞くと、
「難しいのは承知済みだけど、それにしては良く合っているよ」
と言ってくれた。
 その時丁度、都響のチューバの佐藤潔君がいて、
「大野さん、この人ね、僕の先輩です」
と言った。
「高崎高校で先輩後輩の関係です」
「へえ、そうなんだ」
とやり取りをしていたら、新国立劇場広報課から雇われているカメラマンが、いきなり来て、
「せっかくだから一枚撮りましょう」
と言って、写真を撮ってくれた。左が佐藤潔君。真ん中は大野和士さん。右が僕。

写真 チューバの佐藤君と指揮者の大野さんと三澤
佐藤君(左)と大野さん

 佐藤潔君は、高崎高校時代は吹奏楽部で、僕は合唱部だったから、厳密な意味での後輩というのでもないけれど、群馬県でトップの進学校にわざわざ受かりながら、音楽の道を目指すアホ・・・失礼、変わり者など超少数派なので、2年上のクラリネットの生方正好さん(元東京フィルハーモニー交響楽団トップ奏者)と並んで、何かと親しく付き合っていたのである。
 佐藤潔君ももういい歳。一度定年で都響を退職したけれど、なかなか優秀なチューバ奏者というのも簡単には見つからないので、チューバが必要な編成の時には、こうして現役時代のように呼ばれているようである。

 さて、今日からいよいよ新国立劇場の舞台での練習。実は、二人の主役が来日が遅れていて、ザックス役のトーマス・ヨハネス=マイヤーは、明日、すなわち舞台稽古2日目からの練習参加、主役のヴァルター・フォン・シュトルツィング役のシュテファン・フィンケは明後日の舞台稽古3日目からの練習参加なのである。勿論、ふたりはすでにはぼ2週間前から日本にはいて、隔離生活をしている。

 では、昨日までのオケ合わせは、どのように行われていたのかというと、ポーグナー役のギド・イェンティンスが、同時にザックスのカヴァーとして立ち稽古を歌っており、ギドの役は妻屋秀和さんが演じていたのである。ふたりとも、そのまま本番をやっても遜色ないほど立派だった。
 特にギドは、立ち稽古では、ザックスと絡まないシーンではポーグナーとして歌い、絡むシーンではザックスとして歌っていた。でも、この二つの役はね、声のポジションが全然違うんだよ。僕は彼に思わずこう言った。
「どうしてバスのポーグナーの役とバリトンのザックスの役を一度に出来るの?」
「ああ、第1幕は特にきついね。ザックスのメロディーがずっと高いポジションで書いてあるからね。でも僕はヨーロッパで一度やっているんだよ。ひとつのプロダクションで入れ替わってね」
「ポーグナーに戻ったときに、ポジションが乱れない?」
「早くマイヤーに来て欲しいよね。彼が来たら、こちらは本番までもう少し下のポジションに焦点を合わせた調整するつもりだ」
いずれにしても、両方の役が頭に入っているだけでも凄いよね。

 3日しかない舞台稽古の3日目からの参加となるワルター役のシュテファン・フィンケは、この演出では初役なので、本来通し稽古であるはずのこの日は、恐らく彼の集中稽古となる。しかし、この役自体は何度もやっているので、いくつか穴が開いているジグソー・パズルを埋めていくように、事はスムースに運ぶであろう。
 あとは、彼を受け入れる側がしっかりしていればいい。こんな時には、すでに僕たちが、かつて東京文化会館でオケ付き舞台稽古最終日まで行った経験が役に立つ。

小原啓楼君のこと
 11月7日日曜日10時。テノールの小原啓楼(おはら けいろう)君を初台のスタジオ・リリカに呼んでコレペティ稽古をつける。啓楼君なんて気易く呼んでいるけれど、彼は今や愛知県立芸術大学の教授だ。でも、僕にとっては相変わらず小原君だし、時には「おい啓楼!」と呼び捨てにする。あはははは!

 先にも述べたとおり、90年代、僕が東京藝術大学で声楽科合唱の授業を受け持っていた時、彼はある年の学生インスペクターであった。毎回授業が終わった後、学生の出席簿を持って教官室に来たので、いろいろ話したし、彼は歴代のインペクのなかで際だってリーダーシップを発揮していた存在だったのだ。
 何故なら、彼は一度サラリーマンになってから脱サラして芸大に来たので、他の生徒とはかなり年も離れていたし、なんとなく風貌も、甘ちゃんの現役生などとは一線を画して威厳があった。
 彼はよく学生達の前に立って、
「お前らなあ、世の中というものは、そんな甘いもんじゃないぞ!」
などと訓示を垂れていたが、学生達は、歴代のインペクなどのように馬鹿にしたりしないで、よく言うことを聞いていたのだ。彼のお陰で授業がとてもスムースに進んでいたので、僕は彼にずっと感謝していた。

 その小原君が名古屋の大学の常勤でいるので、これまであまりワーグナーは歌ったことがないのを承知で、彼に来年8月28日の愛知祝祭管弦楽団「トリスタンとイゾルデ」全曲公演の依頼をしたのだ。もしかしたら断ってくるかなとも思っていたが、快く引き受けてくれた。そこで僕はメールをした。
「よかったら、10月くらいからチビチビと練習を開始しない?あまり音が取れていなくてもいいよ。本番まで時間があるので、何度でも稽古をつけてあげる。じっくり時間をかけて無理ないようにやろう」
すると返事が来て、
「お願いします」
と言ってきた。そのコレペティ稽古の初回が今回実現したわけである。

 一週間くらい前、練習会場が取れたことをメールすると、
「あんまり出来てません」
と言ってきたので、
「まあいいよ。とにかくおいで」
と答えておいた。どうせ音も怪しいだろうから、僕は事前に、伴奏を弾くだけでなく、左手で和音を弾き、右手でメロディーをなぞるつもりで練習をしていた。
 ところが・・・ところが、である!なんと、出来ていないどころか、第1幕全般を彼はかなりきちんと見てきたのである。驚いた。さすが教授になると心構えが違うのかな。発音もいいし、なんといっても発声がいい。美しい声が無理なく出ている。
「おい、小原君。予想よりはるかに良いじゃないか!」
僕がこんな言い方しても、
「どんな予想だったんですか?」
なんて怒ったりはしないで、素直に喜んでいる。
「発声が良いね」
「発声は研究しています。今はいつでもハイCが出ます。それよりも先生とこうして差しで向き合ってお仕事ができるのが嬉しいです」

 そうだ、こういう声で僕はワーグナーをやりたいのだ。硬い押した声は要らないんだ。僕は、自分が発掘した新しいワーグナー歌手の素材に有頂天になった。そしてあらためて決意した。
これから時間をかけて、彼をじっくり育てていきます。
みなさん!来年の「トリスタンとイゾルデ」公演を楽しみにしていて下さい!

初スキーに行ってきました
 狭山スキー場がオープンしているので、行ってみた。妻が、
「どう行くの?」
と聞くから、
「バスで国立駅まで行って、国分寺から西武多摩湖線に乗って多摩湖で山口線に乗り換えて西武球場前まで行く」
「スキーをかついで?」
「そう」
「恥ずかしいじゃない。まだこんな時期なのに」
「まあね」
「せめてバスはやめて!あたしが国立駅まで送ってく」
ありがたい。どうせならそのまんま多摩湖まで行ってくれてもいいよ・・・・って、ゆーか、みんな、こんな時には自分の車で行くんだよな。車運転しない白髪のじいさんが、板かついでブーツの袋を持って電車で行くのが恥ずかしいのだろうが、僕は案外、人にどう思われたっていい人間だから、へっちゃらです!

 久し振りの狭山スキー場。リニューアルしたと聞いたが、別に全体が真新しい感じになったわけではない。両側にあった一人乗り用リフトが、向かって右側のみの斜め上に伸びる自動歩道に代わっただけ。向かって左側にはキッズが遊ぶ空間が出来ている。

写真 佐山スキー場 下から
狭山スキー場1

 むしろ不便を感じるのは、このスノー・エスカレーターと呼ばれる歩道に乗るために、毎回スキー板を脱がなければいけないことと、この歩く歩道が実に遅いこと。最上部まで辿り着くのに果てしなくかかる。
 このスノー・エスカレーターは、ゲレンデの真ん中で二つに分かれていて、上の中級コースと下の初級コースを分けて滑れるようになっている。以前は、リフトに乗ったらやや急斜面の上部まで行くしか選択肢がなかったから、初級者にはより優しくなったわけだ。
 でもさ、中級者以上の人は、急斜面のみを繰り返し滑れるのはいいんだけれど、急斜面は短いのですぐ終わっちゃう。で、またスキーを外して歩道に乗る。

 それでも、シーズン滑り初めが、この時期にできるのは良かった。あれこれ頭の中でイメージトレーニングしていたんだけれど、やっぱり夏の間に体って忘れているんだね。どうしても少し下手になっているんだよ。ただ、何度も滑っている内にだんだん思い出してきた。
 ブーツ前部のベロを足のスネで押す感覚。外足加重。ターンの初めに内足を浮かすような感覚と、内足の角度を外足に合わせること。進行方向と逆の方向に上半身を捻る外向傾の感覚。乗り換え時の重心移動・・・少しスケーティングを入れてScheren-umsteig(ステップターン)の真似事など・・・感覚は、これだけで随分戻って来たけれど、この小さいゲレンデでは2時間もいたらもう飽きちゃった。
 良いのは、3時間券というのが出来て、わずか二千円。だから、
「ちょっと練習に行こっと!」
という感覚で来れるね。

写真 狭山スキー場 上から
狭山スキー場2

 まあ、割り切れば、本雪で滑る前の予備練習のつもりで行ったら、得るものはあります。すいているしね。ちなみに、この時期、ゲレンデには、結構上手なスキーヤーの割合が大きいです。彼らは、僕のようにいろいろなドリルを試しています。反対にボーダーは初心者らしい人が多いです。シーズン始まる前のコソ練でしょうか。



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