アガ・ミコライよ、永遠に!

三澤洋史 

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アガ・ミコライよ、永遠に!
 アガが逝った。とっても悲しい。11月12日金曜日の朝、長女の志保がSNSを見て、僕の部屋に飛び込んできた。
「ねえねえ、アガ・ミコライっていうソプラノいるでしょう」
「ああ、アガね・・・」
「亡くなったって」
一瞬耳を疑った。
「ええっ!・・・・なんで?」
「コロナでだって」
「・・・・・」
Aga Mikolaj(1971-2021)

 アガに初めて会ったのは、確か新国立劇場における2008年12月の「ドン・ジョヴァンニ」の時。彼女はドンナ・エルヴィラ役で来日していたが、僕がカトリック信者だということを誰かから聞いて、稽古場で話しかけてきた。
「都心で日曜日に教会に行きたいんだけど、どこがいいかしら?」
と言うので、
「一番大きいのは、司教座のある東京カテドラル関口教会だよ。あとは麹町聖イグナチオ教会とかかな。ここから一番近いのは初台教会」
などと答えておいた。

 その後、2014年に再び「ドン・ジョヴァンニ」で訪れているが、2015年に「ファルスタッフ」のアリーチェ役で来た時、僕は関口教会聖歌隊指揮者となっていて、10時のミサの指揮をしていた。するとミサが終わったら突然アガが僕の前に現れた。僕はびっくりして、
「アガ!君は来日中はこうやって主日のミサに毎回来ているの?」
「そうよ、でもヒロがいるとは思わなかったので、とってもびっくりしたわ」
それから急に親しくなったが、僕たちの話は、ほとんどが信仰生活に関することだった。

 ある時、彼女は僕にカードをくれた。そこには聖母マリアの絵が描いてあった。
「これは?」
と僕が聞くと、
「メジュゴリエの聖母マリアよ。その街には今でも毎日、マリア様が出現しているの。あたしの母はとても信仰深い人で、母は何度もそこに行っているわ。あたしも、マリア様の出現を信じる」
そう語る彼女の瞳は生き生きと燃えていた。

 それから、読売交響楽団の第九演奏会に2年続けて出演するために来日した。
「クリスマスを家族と一緒に過ごさないなんて、生涯で初めてのことよ。でも、日本は大好きだわ」
という彼女は、関口教会のイヴのミサに、なんと第九の指揮者を連れて現れた。
「この一杯に溢れた聖堂によく入れたね」
「カテドラルの前に、あんまり人が並んでいるので、『あたしは聖歌隊のお手伝いに来ました。三澤さんのところに行きたいのです』と言ったら、どうぞどうぞと通してくれたわ」
こういうちゃっかりした面もあった。

 アガは51歳であったという。まだまだ若い。歌手としても人間としても、これからなのに・・・・とも思う。彼女は、芯があるが温かい声で、すっきりとしたメロディー・ラインを描き、リリックな曲では、えも言われぬ清潔感溢れる音楽を作り出すが、その一方で、ドンナ・エルヴィラのような罪の女を描く時には、役になりきって苦悩するマグダラのマリアを全身で表現する。まさに天性の劇場人であった。

 今頃は神様のふところに抱かれて、永遠の至福を味わっているに違いない。
アガ、やすらかに。そして、ありがとう!
でも、本当は、こんなことを言わなければならない状況そのものが、とってもとっても悲しい!!  


いよいよゲネプロまで辿り着きました!
 今日は14時から「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のゲネプロ(総練習)。よくここまで辿り着きました。

 最近の練習を振り返ると、11月8日月曜日は舞台稽古第1日目。この日は合唱の個所に集中しての稽古。徒弟役の11人の合唱団員は、他のキャスト達とずっと出演しているが、それ以外の合唱団員は、第1幕冒頭のコラールが終わると、第2幕の終わりの喧嘩の合唱と、第3幕後半の「歌合戦」の場面しかないので、待ち時間がとても多かった。

 11月9日火曜日は舞台稽古2日目。いよいよハンス・ザックスの本役であるトーマス・ヨハネス・マイヤーが、入国以後の10日間の待機期間を終わって参加した。この日は、当然、ハンス・ザックスの登場場面を中心とした稽古。もちろん合唱団も参加している。マイヤーは、夏にゲネプロ直前まで行ったので楽勝なんだろなと思っていたが、いろんなところでなんだか戸惑っている。ところどころ自分自身にいらだって不機嫌になってもいる。

 11月10日水曜日は舞台稽古3日目。今度はヴァルター・フォン・シュトルツィング役のシュテファン・フィンケが参加。これでようやく役者が全員揃いました。
楽屋の廊下でザックス役のマイヤーとすれ違ったので、
「ホテルに缶詰になっていて辛かったでしょう」
と言ったら、意外な答えが返ってきた。
「いや、ホテルではもう諦めて、次の仕事の勉強をしたりして、ゆったりと過ごしていたんだけど。その静かな生活から劇場に来てみたら、いきなりの喧噪に意識も体もついていかなかったよ。大勢の人が行き交うでしょう。まるで人混みに酔ってしまったようになったんだ。
それに、みんなはもうしっかり出来上がっているでしょう。焦って、後半声もうまく出なくなってしまって、どうしようかと思ったよ。今日はその状態にも慣れてきたので、大分いいよ」
 ああ、昨日戸惑っているように見えたのはそういうことだったのか。その感覚、とっても分かる。僕は思い出してきた。2週間にわたるコロナの隔離期間が終わってすぐに「チェネレントラ」の練習に行く途中、電車の中で人の姿がやたら大きく感じ、人混みそのものにいい知れぬ恐怖を感じたことを。
 誰にも会わないで、何も起きない静かな隠遁生活から、いきなり「マイスタージンガー」の舞台に舞い込んだら、戸惑わない方が不思議でしょう。夏も、来日直後に隔離生活していたのだろうけれど、その時は、立ち稽古の最初からみんなでゆっくり作っていったから、ギャップは少なかっただろう。

 それはヴァルター役のフィンケも同じだろうな。それに加えて、彼は夏の東京文化会館公演には出演していなかったので、初めての演出。稽古は当然、彼の場面ばかり抜き出してやるわけだから、彼自身は休む暇がないんだ。
 でも彼は、頑張ってよくやっていた。最終場面。歌合戦で優勝したヴァルターは、マイスター(親方)の称号を与えられるが、
「親方なんていらない!僕は親方の称号なしで幸せになりたい!」
と歌う個所がある。
 イェンス=ダニエル・ヘルツォークの演出では、この場面で、新しく作られたばかりの額縁に入ったヴァルターの肖像が渡されて、親方の仲間入りの儀式が完了する。しかし隔離生活を終わって劇場入りしたばかりのフィンケの写真は間に合わうはずもなかったので、額には、夏にヴァルターを歌ったノルベルト・エルンストの肖像が入っていた。
 合唱団員もソリスト達もそれを見て「写真違うし!」という感じでクスクスと笑った。するとフィンケは、
「Nicht Meister,nein!(親方なんていらない)」
と歌う代わりに、
「Nicht Ernst,nein!(エルンストなんていらない!)」
と歌った。みんなは大爆笑!
こういう冗談をすぐ言えるヨーロッパ人のユーモアの感覚って凄いね。

 やっと、この「マイスタージンガー」を人々の前で披露できる。僕たちみんな頑張るからね!

東京バロック・スコラーズの挑戦
 いや、別に、挑戦というほどの大それたものでもないんだけどね。東京バロック・スコラーズ(TBS)では、毎年、団員が「ミニ・クリオラ」と呼んでいる、「教会で聴くクリスマス・オラトリオ」演奏会を行ってきた。
 それがコロナ禍となって難しくなった。昨年は、田園江田教会が好意的に会場を提供してくれたが、観客を入れることはできなかったので、無観客で行い、Youtubeに収録した。その教会を見つけることさえ今年は難しくなった。「教会で聴く」と謳っているのに、どうしようか、とも思ったのだが、僕は、一般会場でもいいからやりたいし、やるべきだと思うのだ。それには理由がある。

 ベルリン留学中、僕はドイツのクリスマスをたっぷり味わうことが出来た。ドイツのクリスマスは、日本とは全然違う
 クリスマスは、ドイツ人にとって、日本の「盆と正月」のような扱いで、特に、故郷を離れた人たちは、「クリスマスイブには家に帰ろう」というのが合い言葉になっている。むしろこの時期に故郷に帰れない人がいたら、それは稀有なことであり、とても淋しいことなのだ。先に述べたアガ・ミコライのように、仕事で仕方ないけれど、「生涯初めてクリスマスに家に居ない。なんてこと!」というような状況なのである。

 まずクリスマスツリーは、12月24日の午後か夕方になって初めて飾る。そして、25日が終わるとさっさと片付けたりなんかしないで、むしろクリスマス期間が終わる翌年1月6日「公現節」まで、そのままにしておくのだ。そのツリーの元に、家族はきれいに包装したプレゼントを置いておく。
 クリスマスイブの夜は、帰省した人たちを囲んで、家族で近況を語り合う。それから、先ほどツリーの根元に置いてあったプレゼント交換をしたり、朗読したり歌を歌ったりして、たのしいひとときを過ごす。そのセレモニーが終わらないと夕食にならない。でも、イブの晩の食事はとても質素で、ポテト・サラダとソーセージという感じだ。

 ベルリンでは、その時刻になると、あれだけ賑やかだった大通りから、車がいっさい消えてしまい、街全体が完全な静寂に包まれる。これは、日本から来たばかりの僕たち夫婦にとっては大きな驚きであった。クリスマスイブの晩とは、そういう時なのだと知った。
 真夜中の0時。突然街中の鐘がいっせいに鳴り響くのに、またまた驚いた。ベルリンの街全体なので、かなりの大音量なのに、迷惑な騒音などと苦情を言う人はいないのだ。人々は寒空の中、完全防備をして教会に出掛けて行く。
 全部を調べたわけではないので、分からないが、クリスマスイブの礼拝は、カトリックもプロテスタントも基本的に真夜中だけだと思う。イブの午後に、子ども達による聖劇の上演のようなものはあって教会には出掛けて行くけれど、ユダヤの一日は日没から始まるから、日没後にイヴの礼拝はないと思う。あったとしても、どの家庭も、一家団欒の時間には絶対に外には出て行かないから。

 こんな静かで平和に満ちたひとときを過ごすドイツのクリスマスを、僕はなんとしてでも日本に紹介したいんだよね。いや、ドイツに習って欲しいわけではない。むしろ、ドイツを初めとして、ヨーロッパの人々が、どうしてこうしたイブを過ごすかというと、それはとりもなおさず、2000年前のユダヤのベツレヘムにおける、あの静かな晩に習っているわけなのだ。
 生まれたばかりの救い主を見つめる母マリアとヨゼフの満ち足りたまなざし。天使のお告げを受けて駆けつけた羊飼いたちの“純朴さ”。黄金、乳香、没薬を与えるために、遠方からはるばるやって来た東方の三人の賢者たちの“謙虚さ”。それらに、時を超えて思いを馳せることこそ、本当のクリスマスの過ごし方だ。

 東京バロック・スコラーズでは、12月11日に映像の収録が行われる。いまのTBSの健在ぶりを示し、みんなに救い主の降誕の喜びを伝えたい。サンタクロースでもなく、どんちゃん騒ぎでもない、世界で一番最初のクリスマスの、あの情景を表現したい。

それが僕たちの、静かだけれど熱い挑戦。



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