真生会館「音楽と祈り」12月講座
真生会館「音楽と祈り」講座は、来年の3月講座でひとまず終了する。その後は、これまでの講座の内容を一度整理して、あるものはYoutubeにしたり、あるいは、「ちょっとお話ししませんか」(ドンボスコ社)のように、どこかに頼んで書籍にしてもらうかも知れない。
受講希望者に向けては、この「今日この頃」を利用して、その週の概要だけ報告するだけなので、僕のホームページの読者にとっては、肝心の中身の部分は謎だったわけでしょう。だから、何らかの形で、後からでも皆さんにメッセージとして届けたいと思っているわけ。
この講座に対する僕のアプローチはとても変わっていると思う。その月の講座を行った時点には、まだ次の月のテーマは何も決まっていないのだ。誰かから批判を浴びたわけでもないが、こうしたやり方に脆弱性がある可能性は自分でも分かっている。受講者にとっても、次の講座の内容が分かっていないので、行くか行かないかの決心がつきにくいでしょう。でも僕は、この講座ではそうしようと決めていたんだ。
それは、講座の冒頭に行うピアノの即興演奏のコンセプトと一緒だ。僕は、その折々の最も関心の深い題材や、自分の心の琴線に触れるテーマを取り込んで講座を行ってきた。受講者にとっては「いきあたりばったり」に感じられるかも知れないが、結果的に、話している自分が今もっともワクワクするテーマなんだから、自分のおはなしにも熱が入るし、結果的に受講者の心に最も響くものになったのではないかと思っている。こんな講座もひとつくらいあってもいいのではないか。
それで今月のテーマなんだけど、講座が12月23日なので、当然クリスマスの話題になりますよね。定番の「クリスマス・オラトリオ」や「メサイア」も視野に入れつつ吟味していたが、その結果、ちょっと珍しいフランス・バロックの作曲家マルカントーワーヌ・シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentie,1643-1704)の二つのクリスマス作品、「主の御降誕のカンティクム」H416と「真夜中のミサ曲」H9のふたつを紹介しようと思う。
その前に、月並みなんだけど、ベートーヴェンの第九について語ってみたい。第九に関しては、みんな知っているつもりかも知れないが、案外知られていないことも多い。特に、シラーの詩「歓喜に寄す」An die Freudeの成立過程とフランス革命との関係、その受容の歴史、ベートーヴェンやヴェルディが、その詩のどこに共感していったかについてまず語ってみたい。
そしてそれを曲に仕上げる上で、ベートーヴェンがどういう気持ちで取り組んだか?第九の演奏はどうあるべきか?その際にベートーヴェンが犯したちょっとした勘違いなど、アナリーゼ(楽曲分析)も交えて説明してみたい。
ま、あとは受講してのお楽しみなんだけど、こうした事も、4月以降(あるいは時間があったらそれ以前かも知れないけど)、いずれ何らかの形で皆さんにお伝えしますからね。
ユーチューバー三澤
昨年のコロナ禍の中、真生会館「音楽と祈り」講座が中止になった。そこで僕は、自分でレクチャーのビデオを撮り、生まれて初めてYoutubeに配信した。それから8月に、自分の指揮法を見つめる意味と、Zoomによる指揮法レッスンの受講者を募るという2つの目的で、「三澤洋史のスーパー指揮法」の「基礎編」と「合唱指揮編」をアップした。ある意味、コロナのお陰で、僕はYoutuberユーチューバーの仲間入りをしたわけだ。
さらに秋になると、「音楽と祈り」2020年4月講座の中でもお話ししたRinascerò,rinascerai(僕は甦る、君も甦る)の、自分が編曲した混声合唱用楽譜を使って、東京バロック・スコラーズで演奏し、原語のイタリア語バージョンと日本語バージョンの2つを録画し、Youtubeにアップした。
気が付いたら、こんな風にYoutubにいろいろアップしている。最初は録画した映像を切ってつないだだけのシンプルな動画で、タイトルも字幕も出せなかったので、スケッチブックにマジックで字を書いて掲げたりしていたが、Power Directorというビデオ編集ソフトを使うようになってからは、編集が飛躍的に向上した。
それで、ふと、
「僕の作った映像って、一体どのくらいの人が観ているのかな?」
と思って調べてみたら、Rinascerò,rinasceraiの日本語版の方は、今日時点でなんと11.743人もの人が視聴してくれているので驚いてた。昨年、コロナ禍で最も被害の大きかったロンバルディア州の人々のために、ロビー・ファッキネット氏が無償で作ってベルガモの病院に全ての権利を寄付したその想いを、僕の映像を通しても沢山の方に伝えられたと思うと、ことのほか嬉しい。原語版はそれより随分少なくて1.866人。
スーパー指揮法も「基礎編」は7.881人もの方が観てくれた。「合唱指揮編」は2.337人。それを観て申し込んで来たZoomレッスン受講者は、ちょうど良い数の受講者が、常時スクリーンの向こう側で僕のレッスンを受けている。皆さん上達しているよ。今は僕の仕事も戻ってきているので、これ以上あまり増えても困るんだけど、二、三人までなら新規受講者を受け付けています。
真生会館の「音楽と祈り」講座は、2020年4月が2.842人、5月が887人。真生会館の地下のホールは、どんなに詰め込んでも50人入ったら満杯になってしまうし、今はさらに人数制限がかかっているので、それを考えると、それだけの方達が僕の講座に参加してくれたということで、とても嬉しい。
また、自分で撮影及び編集したものではないが、僕が指揮したもので視聴者の数が多いものは、(現)愛知祝祭管弦楽団の「パルジファル」第1幕転換音楽が5.076人、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲とコラールが4.520人、モーツァルト200演奏会で牧野葵さんと共演したブラームス作曲ヴァイオリン協奏曲(管弦楽、セントラル愛知交響楽団)が4.523のアクセス数を挙げている。
東京バロック・スコラーズでは、今年の3月21日に武蔵野市民文化会館で演奏会を成功させたが、同じホールで来年6月5日に行われる「ヨハネ受難曲」まで、まだ時間があるので、9月にモテット第2番と第6番の2曲をYoutube用に収録することで演奏会の代わりとし、それ以降は、団員が「ミニ・クリオラ」と呼んでいる「教会で聴くクリスマス・オラトリオ」の練習に入り、先日12月11日土曜日にビデオ収録まで漕ぎ着けた。つまり、リアルな演奏会の代わりに、「ビデオ収録をひとつの目標に掲げながら練習に励む」という新しい形式を見出したわけである。
先週も書いた教会外で聴く「クリスマス・オラトリオ」のYoutube配信は、とりあえず開始しました・・・ええと・・・とりあえずというのは、ちょっとワケがあるんだ。いちおう、東京バロック・スコラーズ団員のNさんが編集してくれた、曲の中身だけの映像がすでに巷に出ている。
「カメラ6台分の動画編集は私も初めてで、私のPCは事務処理用としてはかなり高スペック(Core i7、メモリー16ギガ)なのですが、この動画編集には非力で、途中で3回ほどPCが落ちて作業のやり直しが発生したりで、思ったより時間がかかってしまいました」ということで、うっかり手を付けなくてホントに良かったと思っている今日この頃です。
今年1年を振り返って~良いお年を
1月に、2度目の緊急事態宣言が出た。新国立劇場でのオペラ公演が、ようやく再開されたというのに、また公演中止に追い込まれるのか、と身を硬くしたが、初回の緊急事態宣言とは違って、なにもかもストップということではなかったので、ほっとしてプッチーニ作曲「トスカ」の準備から始まって、公演まで辿り着けた。
それから、二期会「タンホイザー」で合唱指揮を務め、指揮者のセバスチャン・バイグレ氏と親交を深めた。しかしながら、新国立劇場ドニゼッティ作曲「ルチア」公演では、4月25日日曜日の最終公演が3度目の緊急事態宣言発令日と重なったため、2日前に突然公演中止となり、無念の想いだった。
そうした中、昨年中止せざるを得なかったマーラー作曲、交響曲第3番の演奏会が5月4日、とうとう開かれた。今の僕にとって、マーラーの全ての作品の中で最も共感できる作品。逆に、このコロナ禍で行うことに、とても意味があるように思われた。愛知芸術劇場コンサート・ホールでの本番は至福のひとときであった。
その後、新国立劇場ヴェルディ作曲「ドン・カルロ」公演も成功裏に終わったし、なんといっても、自作のミュージカル「おにころ」公演が、新しくオープンした高崎芸術劇場で群馬交響楽団と共に成就したことが、まるで夢のようであった。
しかしながら、東京文化会館でのワーグナー作曲「ニュルンベルクのマイスタージンガー」公演準備中にコロナ感染者が出たため、ゲネプロ(総練習)が中止になったと思ったら、あれよあれよという間に公演そのものも中止に追い込まれてしまった。このプロジェクトでは、11月に新国立劇場での上演があり、そちらの方は無事開幕し、千穐楽まで行ったが、マグダレーネ役の小林由佳さんはじめ、上野公演しか出演しないキャストは、あれだけ稽古したのに陽の目を見ないなんて、気の毒で仕方なかった。
巷は、東京オリンピックで湧き上がっていたが、コロナ新規感染者の数は連日うなぎ登りだったので、お盆に田舎に帰ることなど考えられなかった。しかしながら、そうした最中、愛知祝祭管弦楽団の「ワーグナー・ガラスペシャル」演奏会が8月15日に無事終了したことは、奇跡的とも思われた。
と、喜んでいたら、その後、あろうことか、自分が新型コロナ・ウイルスに感染してしまった。幸い軽症であった。発熱は38度以下で、一日ちょっとで平熱に戻ったので、すでに遠い日々となった今から考えると、罹患中のことは、夏にちょっと夏風邪引いたくらいの感じである。
しかしながら、当時の心境を冷静に振り返ると、連日数千人規模の新規感染者が出ていて医療崩壊を起こしていた時期だったので、発熱外来の病院は予約でいっぱい。電話での問診を受け付けてくれた病院の紹介で、PCR検査は受けさせてもらえて陽性が確認されたものの、その後、自宅療養を強要されるだけで、何もしてもらえなかった。
「仮に容態が急変したらどうするのですか?」
との問いには、
「今は、救急車を呼んでも、受け入れてくれる病院が決まらないと来てくれません。手当たり次第、受け入れてもらえそうな病院に直接電話をかけるくらいしか方法がないです。その瞬間、たまたまベッドが空いていたら入れてもらえるかも知れませんが、それ以外は・・・・。」
と言われた。実際に救急隊員が駆けつけたけれど、為す術もなく亡くなってしまった例が沢山あったようだ。コロナそのものよりも、その事態に恐怖を感じた。
まあそれ故、完全に自分の免疫力のみで治したということで、抗体はあるし、それが時期と共に弱まったとしても、体力さえ保持しておけば次にかかっても大丈夫、という自信のようなものが生まれた。
後遺症は、味覚障害のみあった。一方、回復後に筋力が衰えていて、プールに入って泳げなくなっているのに愕然としたが、これは、ひとつは、体がウイルスを退治するために思いのほか体力を消耗させたためかも知れないし、治った後も、自分の家から一歩も出られなかった自宅療養のためもあるかと思う。
自宅療養の影響は、むしろ精神的な面に現れている。初めて家を出て、「チェネレントラ」の練習に行くために電車に乗ったら、人の顔がやたら大きくて恐かった。「マイスタージンガー」の舞台稽古で、ザックス役のマイヤーが、来日してからのホテル隔離待機後、初めて舞台稽古に出て来た時、劇場内に行き交う人混みに圧倒されたようになっていて、立ち稽古にうまく溶け込めず、いらだち、焦っていたのを思い出す。マスコミは、そうした精神的な状態をみんな“コロナの後遺症”と位置づけるが(ちなみにマイヤーは隔離しただけで感染はしていない)、僕はむしろ隔離によって世間から遮断されていたせいだと思う。
さて、コロナ感染から立ち直った後は、新国立劇場シーズン初めの「チェネレントラ」公演も、夏のリベンジである「ニュルンベルクのマイスタージンガー」公演も滞りなく終わった。
こうして振り返って見ると、明と暗、陽と陰、ポジティヴとネガティヴが交差した、実にエキサイティングな年だったと思う。戦争を体験したり、大災害の当事者になったわけではないけれど、昨年と合わせて、一生に一度あるかないかの体験を、この歳になってしているわけだ。その中でいろんなことを感じ、自分自身を見つめ、今日に至っている。まだまだこの人生、学ばせられることは少なくない。
で、結果的には、やっぱり充実した良い年だったのだと思う。神様に感謝!
ということで、勝手ですが、来週の12月27日と来年1月3日の二週間、「今日この頃」はお休みします。次の更新は1月10日となります。良いお年を!