僕の週末~「トリスタン」の新しい目覚め

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

「ヨハネ受難曲」の群衆合唱
 1月29日土曜日は、午前中、東京バロック・スコラーズの練習で、「ヨハネ受難曲」第二部の激しい群衆合唱をやった。合唱部分の緻密さにおいては「マタイ受難曲」よりもこちらの方が優れていると言い切ってしまってもいい。
 その一方で、「マタイ」では、ドラマの運びに重点が置かれているので、群衆合唱はより短く簡潔で、そのまま福音史家に引き渡されて行く。だから、トータルな意味では、どちらが良いかは好みによる。
 ともあれ、このような素晴らしい音楽に触れ合う毎日が送れることは感謝以外にない。

「さまよえるオランダ人」公演
 午後は、新国立劇場に行って「さまよえるオランダ人」2回目の公演。これも、劇場に着くまで、
「中止になったりしてないだろうな?」
と、ビクビクしている自分がいるが、楽屋エリアに入って、屈託なく、
「おはようございます!」
と呼びかけてくる人に挨拶を返したり、淡々と公演準備を進めているスタッフ達を見て、
「ああ、今日も無事開演できるんだ」
と、ホッと胸を撫で下ろす。

 これまで、当たり前のように過ごしてきた日常が、けっして当然ではない、感謝なのだ、と気づかせてくれたとしたなら、コロナも捨てたものではない。「さまよえるオランダ人」は、指揮者のガエタノ・デスピノーサ以外、キャストはみんな日本人に変わってしまったけれど、みんな頑張っている。  


名古屋へ
 その公演が終わると、僕はそそくさと劇場を後にした。新宿から中央線に乗ると、iPhoneを取り出し、EXのアプリを開き、新幹線を予約する。これから名古屋に行き、明日の愛知祝祭管弦楽団の練習に備えるのだ。座席を選ぼうとして座席表を開けると、土曜日なのにガラガラ。ゆったりと車両ど真ん中3席並びの窓側を予約する。
 名古屋駅に着いたら、名鉄で知立(ちりゅう)まで行き、今夜はそこでお泊まり。こんなご時世だから、知立で食事にありつける保証はないので、新幹線でお弁当を食べ、あとはホテルに着いてからコンビニでお酒とツマミを買って部屋呑みと決めた。
 東京駅に着いてお弁当を買おうとしたんだけど、今、東京駅は凄いことになっているんだね。一階コンコース付近も地下も、数え切れないくらいお弁当が並んでいて、もう目移りして仕方がない。ああ、これも欲しい、あれも食べてみたい・・・・と奔走していたら、だんだん出発の時間が迫ってきた。それでね・・・気がついたら、何の変哲もない牡蠣フライ弁当を手に持っていた。  

カール・ベームの「トリスタンとイゾルデ」
 新幹線が東京駅を出発した時は、まだお腹がすいていなかったから、お弁当は隣の席に置きっぱなしにして、「トリスタン」のスコアを開いてめくりながら、カール・ベーム指揮バイロイト祝祭管弦楽団1966年の演奏をiPodで聴く。第3幕冒頭から流したが、あまりの緊張感に驚いて我を忘れた。

 実は、学生の頃からベームの録音は知っていたが、この演奏は大嫌いだった。それで随分親友の角皆君と議論したものだ。彼は、ベームの演奏こそ、「トリスタン」の理想の名演だと力説していた。では、僕がどうしてそれに反対したかというと、そこに表現されていたものが、あまりに野放しの野性的演奏だったので、当時の僕にはとうてい受け入れ難かったのだ。

 そうでなくとも、高校生から二十歳前後までの男子って、性的な妄想のかたまりでケダモノのようだろう。そして僕は、自分が「ケダモノであること」に極度の嫌悪感を感じていて、自分が薄汚れた価値のない存在だと思っていた。だから僕は宗教に救いを求め、教会の門を叩いたし、タンホイザーのように、ヴェーヌスの世界に引きずられる分、その同じ振れ幅で、清らかな天上的至福の世界に強く憧れていた。

 ワーグナーの音楽は、「ローエングリン」の前奏曲や、「パルジファル」の第1幕転換音楽や終幕の音楽などで、僕を至高の世界へ誘ってくれたが、同時に「パルジファル」の花の乙女達のような艶やかさで僕を悩ませてもいた。
 ただ不思議と、「トリスタンとイゾルデ」に関しては、たとえば終幕の「イゾルデの愛の死」などに、キリスト教的ではないかも知れないけれど、肉欲を超越した一種の“涅槃の境地”のようなもの、あるいは“解脱”のような境地を感じていたのだ。そして、それを証明してくれる演奏として、ヘルベルト・フォン・カラヤンのあのビロードのように磨き抜かれた演奏を僕は好んで聴いていたのだ。

 それが、どうしてベームの演奏を許容できるようになってきたのかというと、きっと僕自身が歳を取ってきて、ケダモノでなくなったことによるのだろう。そういえば、僕はもうかなり前から、「自分自身の欲望を制御する役割としての宗教」を必要としなくなっている。極端に言えば、「地獄に堕ちるからこれをしてはいけない」という足枷として宗教というツールを利用するのではなく、宗教というものを、あるがままのものとして捉えるようになっているのだ。
 また、僕自身、スキーや水泳を通して、スポーツに親しむようになって、肉体的快感を毛嫌いしないようになったということもあるかも知れない。要するに、いろんな意味で、歳と共に、ゆがんでいるものがバランスを取り戻したと言えるのかも知れない。

 バイロイト祝祭管弦楽団が燃えている。ビルギット・ニルソンの輝かしい声と安定感。ヴォルフガング・ヴィントガッセンの激情と焦燥感。マルケ王に忠実であった勇士トリスタンが、愛故に不条理を働き、自ら紹介したマルケ王の花嫁を奪うというドラマを、何のてらいもなく真っ直ぐに描いていくベームに、今では強い共感を覚える。変われば変わるものである。

 夢中になって聴いていて、気が付いたら、名古屋まであと15分しかなくなっていた。あわてて牡蠣フライ弁当を開いて貪り食ったが、食べ終わるのと名古屋駅のホームに電車が滑り込んでいくのが、ほぼ同時くらいであった。
 名鉄名古屋駅に行き、豊橋行きの特急電車に乗って、親友の角皆君にメールを打った。
「この歳になってベームの演奏が分かるようになったよ。きっとその原因のひとつとして、僕がスポーツをするようになったこと、特にスキーのスピードの快感に目覚めたからかもしれない」
すると、次の朝に返事が来た。
「僕は、ここ数年、ベームの『トリスタン』に感じるような情熱を、三澤君の音楽にビシビシと感じているよ」

 翌日1月30日。早朝6時。快晴。ホテルの近くに知立神社(ちりゅうじんじゃ)があるので、散歩の最後に立ち寄った。知立という町は、なんと西暦112年に創建されたという知立神社の門前町として発展したという。東海道三大社(三島大社、熱田神宮、知立神社)のひとつとして数えられたというから、なんとも由緒ある神社である。そのせいか、境内に入ると、とても気が良くて、
「今日も、お散歩とお祈りで一日を始めることができることを心から感謝します。この健康を感謝します」
と祈ると、心の中に爽やかな風がサーッと流れた。今日の練習もきっとうまくいくと確信できた。

写真 知立神社本殿の正面
知立神社本殿

 10時。愛知祝祭管弦楽団の練習は、第3幕冒頭から始めた。勿論まだ下手だ。けれども、前回の時も言ったように、僕たちはすでに「神々の黄昏」まで演奏しているのだ。「トリスタン」は確かに、無調的とも言える新しい半音階的語法の扉を開いた作品であるが、演奏する立場から見たら、「神々の黄昏」にあったものは、全て同じパレット上に存在している。だから、細かいパッセージに対しても(弾ける弾けないはともかく)、どういう音楽か雰囲気を掴んで演奏しているのである。

 継続は力なり。彼らは僕のやりたい音楽を理解してくれている。僕はこの団体をとても愛しているし、ここに僕の居場所がある。これから8月28日に向かって、共に「トリスタン」の旅に出る。
素晴らしい「トリスタン」をみんなで創り上げてみせる!

オミクロン株に弄ばれる社会
 新型コロナ・ウィルスの感染を経験した立場から言うと、オミクロン株はもうコロナとは言えない。だからといって「恐れなくてもいい」と言うつもりはないが、まあ聞いてください。

 いつも僕が風邪を引く場合、ほぼ必ず喉が腫れて痛くなるところから始まる。一般的にも、まず喉が腫れ鼻水が出たりする。それが気管支にまで達したならばもう大騒ぎだ。ゴホゴホするし熱も出るし、もう寝ているしかない。記憶によると、僕の人生においては小さい頃からそこまで止まりで、肺炎にまで至ったことはないと思う。それでも気管支炎の記憶は鮮明で、辛い思い出だ。

 ところが僕がコロナに感染した時、発症から完治に至るまで、喉が痛くなったことは一度もなかった。もちろん気管支もなんともない。でも呼吸だけちょっと苦しい感じ。咳もほとんど出ないのだけれど、いつも咳をしたい感じ。
 しかしながら肺炎だったのだ。つまりピンポイントで肺だけ狙われて肺炎になるのがコロナの恐ろしさなのだ。もっと恐ろしいのは、肺炎を起こしている自覚がないことである。

 僕の友人で、僕と同じような時期にコロナの中等症になって入院し、酸素吸入器を3日間装着した人も同じようなことを言っていた。
「そんなに苦しくなかったけど、パルスオキシメーターで計ってみたら88だったのであわてて救急車を呼んだ」
 2020年2月、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号では、乗客3711人の約2割にあたる712人が感染し、13人が死亡したが、それを診断した医師達はみな口を揃えてこう言っていた。
「みんな元気に見えるけれど、肺をレントゲンで見たら真っ白だった。こんな気味の悪い症状は見たことがない」

 僕の場合は軽症で、熱も38度より上は出なかったし、パルスオキシメーターの値も最低でも94以下に下がることはなかったけれど、でも症状としては肺炎だ。コロナに感染した予測がついていたので、ベッドに横になって体力を消耗しないように目をつむってじっとしていたが、もし油断してずっと起きて仕事したりしていたら、知らない間にもっと重症化していたかも知れない。そんな病気なのだ・・・デルタ株までは。

 そこから見ると、鼻水や喉の腫れがあるけれど、肺炎にまでなかなか至らないというオミクロン株の症状は全く別の病気と言ってもいい。何度も言うけれど、コロナはピンポイントで肺のみを狙い、さらに自覚症状がないから、患者はあっけなく重症化し、時に死に至るという恐ろしいウイルスだったのだ。

 オミクロンは感染力だけはとても強いようだ。それに、こんなに早くデルタ株を駆逐し、世界中オミクロン支配となってしまうものだとしたら、その支配力がもの凄い。我が国の感染者数だって、お正月からのうなぎ登り状態が信じ難い。しかしそのことによって、これまで考えられなかった事態に、社会が陥り始めている。

 今、僕の近くで、子供のお友達がコロナ陽性者になったというだけで、会社に出られない親たちが急増している。また、保健所はもう濃厚接触者かどうかの判断を放棄している。極端に言うと、クラスでたったひとりの子供が陽性者となっただけで、そのクラスメイト全員の親が仕事を失う可能性があるわけだ。加えて学級閉鎖も各地で起こっている。
 このままでは一億総濃厚接触者となってしまう。どんどん重症化して人がバタバタ死んでいくような状態だったら、社会が止まってしまってもやむを得ないだろう。しかし、ここまで弱毒化したオミクロンに対して、本当にこんな対応のままでいいのか?

ちなみに、昨日の情報であるが、東京都においてエクモECMO(人工肺)の稼働数はゼロであったそうだ。コロナにかかったら、ただちに肺がおかされ、呼吸障害が起こり、最後の砦であるエクモでの治療でも叶わず死に至る、という症例が後を絶たない状態ではないということだ。
その一方で、
「コロナはただの風邪」
と言っている人もいる。僕は、そこまでは思っていないし、イギリスのように規制が全解除となってしまうのも、まだ早急のように思われるが、小池都知事のように、いまだに二年前と同じように「ステイホーム」と言い続けているのもいかがなものか。

 分科会の尾見茂会長は、
「人流抑制ではなく人数制限がキーワード」
と言っておきながら、各方面から攻撃されると、その意見を引っ込めてしまった。
 僕は、それを責めはしないが、科学者ならば、
「ごめんなさい」
は言わなくていいから、きちんとデータを出して、それを元に、
「私は(科学者として)こう判断する」
というのを貫けばいいだろうと思う。
感情論で片付けるものでもないし、分科会のメンバーだって、全員一致の意見を持っていないといけないというものでもないだろう。

 僕は、個人的には、尾見会長の意見に同意する。電車の中や、渋谷のスクランブル交差点でクラスターが出たというデータは二年前から一度も出ていない。その一方で、居酒屋が時間制限をしたって、では夜の8時前にマスク外して大勢で飲みながら会話したら安全なのか?ということは、ずっと言われてきたでしょう。ひとりで飲みに行って、しゃべらずにいたら、午後11時だって安全でしょう。そんなこと子供だって分かるでしょう。

 どうもコロナ禍を通して分かってきたことは、この国の住民は、変にお行儀が良くて従順で、自分の行動を自分で決められずに、人のことに干渉しすぎる一方、他人のことを気にしすぎて、潔癖で、それで知的水準が高いはずなのにワイドショーなんか見て煽られて、恐がりで、窮屈な社会を作り出している人たちだということです。



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