音楽家として以外の活動

三澤洋史 

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オミクロン禍での公演
 オミクロン株が猛威を振るっていて、いろんなところで問題が起きているが、その問題は、重症者が沢山出ているとか、感染への恐怖から引き起こされたものではない。そうではなくて、ひっきりなしに誰々の子供の友達が感染したので親が自宅待機とか、そんなことばかりで、社会が止まってしまっている。

 たとえば、昨日2月6日日曜日の「さまよえるオランダ人」最終日では、5人のテノールと1人のバス団員が欠席したまま公演が行われた。その前の2月2日水曜日の公演では、バス団員6人が欠席した。理由は様々だが、僕は合唱指揮者として、自分の合唱団を最良の状態でお客様にお出しできないのが辛かった。
 勿論、オンステージしている人たちは、いつもにも増して責任感を持って頑張っているし、特別不満を持ったお客様はいなかったかも知れない。しかし、耳の良い聴衆ならばどうだろう。いつもより迫力ないなあ、と思われたら、僕が合唱指揮者として残念というよりも、ただただ、このコロナ禍で勇気を出して劇場に来てくださった聴衆の皆様に申し訳ない。同時に、感染もしていなくて熱もなく元気だけれど、自宅にいなければならない団員達の無念さはいかばかりだろう。

 どこかに書いてあったけれど、東京都で現在感染中の人は15万人ほどいるそうだ。つまり人口1500万人の東京都においては100人にひとり感染中ということである。新国立劇場合唱団だけだって68名ほどいるし、劇場内で公演のために働いている人たちを合わせたら、オーケストラ団員、助演、メイクや衣装係など、200人でもきかないだろう。すると、確率から言ったら2名は感染者ということになる。さらに、そのまわりに一体何人の濃厚接触者が出るのか、想像するだけでもゾッとしますよね。

 それでも、劇場は、なんとか公演を止めないよう頑張ってくれている。それでいて、勿論「感染していても内緒」とかいう卑怯な手は一切使っていない。

今日は「愛の妙薬」初日。
なんとか無事にいきますように!

音楽家として以外の活動
 今、僕の周りでは、音楽活動の他に、いろいろ執筆活動や講演などの依頼がイレギュラーに入ってきている。そして、それらにとても歓びを感じながら取り組んでいる自分がいる。

キリスト教放送局からのインタビュー
 たとえばキリスト教放送局「日本FEBC」という所からインタビューの依頼が来ていて、2月10日に自宅でZoomを通して収録し、編集して流すようだ。先方は、僕の著書「ちょっとお話ししませんか」(ドン・ボスコ社)を読んでいて、この「今日この頃」にもアクセスしてくれているということだが、僕とすると何を聞かれるか皆目見当がつかないので、こちらの方は準備のしようがない。
 

「トリスタンとイゾルデ」について
 その反対に、目下取り組んでいるのが、日本ワーグナー協会から出ている年刊誌ワーグナー・シュンポシオンからの依頼だ。すでに原稿を書き始めているけれど、完成までまだ遠い道のりを経ないといけない。
 この年刊誌は毎年夏の終わりくらいに家庭に届くのに、僕の締め切りはなんと2月末である。もしかしたら僕の原稿の内容を見てから、バランスを取って残りの方達に原稿依頼するのかも知れない。4000字から6000字まで許されているので、いろいろ書けて嬉しい。それで、ちょっとした論文風に仕立て上げようかと思って、昨年末くらいから資料を調べ始め、いよいよ書き始めた。
 題材としたのは楽劇「トリスタンとイゾルデ」。今年の8月28日日曜日に愛知祝祭管弦楽団でこの作品を全曲指揮するので、今どの楽劇よりも深く関わっているのだ。アマチュアなので、すでに2度ほど練習に通っている。2月20日にも練習があるから、この原稿を仕上げる頃には、全曲を、荒削りではあるが通した後になるだろう。

 ちょっとだけネタバレをしてしまうと、たとえば楽劇冒頭の「トリスタン和音」について、紙面を割いて語っている。
「愛の薬のモチーフ」とも呼ばれるこの3小節のモチーフのアイデアそのものは、ワーグナーのオリジナルというものでもない。シューマンが連作歌曲集「詩人の恋」冒頭の「麗しき五月」前奏で、嬰ヘ短調のⅣBmから始まりⅤC#7(属七)に行った後トニカに戻らず再びBmから同じ連結を繰り返した時、すでにこのあこがれに満ちた和声進行は世に響いていたのである。
 「トリスタン和音」の場合は、Ⅳではなくイ短調のドッペルドミナントと呼ばれる属調上の属七(しかも第5音下方変位)から属七に進んでいくことが少し違う。ただドッペルドミナントは、機能的にはサブドミナントとみなすことができるため、「麗しき五月」の同一線上で語ることは許されるであろう。
 もうひとつの特徴は、この第5音下方変位のドッペルドミナントBD#FAの本来セブンスのはずであるAは、長いG#の倚音を持つため、和音が響いた瞬間にはG#m6すなわちG#BD#Fというマイナー・シックススのように感じられる。実はこのマイナー・シックススが曲者で、これが「トリスタン」の至る所で大活躍し、調性をぼかすツールとして使われるのである。

 これを読んで、何を言っているのかさっぱり分からないという方はいらっしゃるでしょうね。でもね、たとえば主和音から始まらないでサブドミナントから始まる曲は、たとえばスタンダード・ナンバーの「二人でお茶を」や「枯葉」などいくらでもあるし、ドッペルドミナントは、たとえば長谷川きよしの「別れのサンバ」Am-B7-E7-Amのように、これも珍しいものではない。
 要するに、無調の扉を開いたといわれる「トリスタン和音」は、むしろれっきとした和声音楽だと言いたいわけ。まあ、興味のある方はワーグナー・シュンポシオンを読んでください。ワーグナー協会の会員でなくても、夏過ぎになったら本屋さんに売っていますからね。

僕とコードネームとの関係
 それよりも、僕はこの無調スレスレの「トリスタン」の和声を読み解くにあたって、コードネームを使うことが最も適切だと述べている。なぜなら、あまりにもめまぐるしく転調していくこの音楽のアナリーゼにおいて、何調のⅡ、Ⅳ、Ⅴ7という和声学的記述があまり意味を成さないからである。

 実は僕は、自分のスコアの中に好んでコードネームを書いている。ベートーヴェンでもマーラーでもそうである。その理由はこうだ。国立音楽大学声楽科を卒業した後、僕は指揮者になりたくて山田一雄先生のホームレッスンに通いながらベルリン留学を目指していた。
 でも今の妻との結婚を親に反対されていたため、日々の生活はもとより、留学資金は自分で稼ごうと思っていた。ジャズピアノが弾けたので、僕はレストランやホテルのラウンジでピアノを弾いた。20代前半の若者にしては、かなり稼いでいたと思う。妻は保育士の仕事をしていて、二人の生活費はなるべく妻のお金で足りるように切り詰めて、ピアノで稼いだお金はすべて貯金にあてた。

 最初に働いた立川のダンケというドイツ・レストランでは、19:00-19:30 20:00-20:30 21:00-21:30と30分のステージが3回あった。まかない御飯も出たので嬉しかった。最初の15分間はピアノ・ソロであとの15分間は歌手の伴奏。
 ステージに立つ直前に何曲もある譜面を歌手からバサッと渡される。譜面には、メロディーと歌詞、それに和声を表すコードネームが書いてあるのみ。テンポと繰り返し記号とを歌手と確認すると、もうあとはステージ上で初見で伴奏しなければならない。
 最初の頃はいろいろ失敗もしていたけれど、慣れてくると、かなり複雑な和声でアップテンポの曲でも初見でこなせるようになってきた。クラシック音楽とは違って、決められた和音の範囲ならば、自分のセンスでどんな音符をアドリブで弾いてもいい。しかもテンションと呼ばれる付加音を加えると、よりジャズっぽくなってカッコ良い。こうして僕は、コードネームを見た途端、皮膚感覚でもう指が鍵盤の上に行っているようになったのだ。

 ダンケも楽しかったけれど、よりギャラの良い新宿西口のラインゴールドに移り、さらにライオン新宿店地下のビアホールで電子アコーデオン奏者と二人の女性歌手の伴奏をした。留学前は新宿ニューシティー・ホテルで、4人の女性歌手達のために編曲をし、練習をつけ、最上階のラウンジで毎日伴奏して月40万以上稼いで、それらの資金を持ってベルリンに旅立ったというわけである。

「トリスタン」が無調音楽でないわけ
 さて、そんなわけで、コードネームに精通していた僕にとっては、「トリスタンとイゾルデ」で使われている和音をコードネームで全て把握できるわけだが、これは驚くべき事だ。なぜなら、コードネームは、調性音楽の和声を表すツールなので、その点でシェーンベルクやウェーベルンなどのバリバリの無調音楽とは一線を画すのだ。
 それに、それぞれの和音には、特有の色合いや味わいがあるだろう。さらにそれらが連結することによって生まれる気分や情緒がロマン派の楽曲の特徴だとしたら、「トリスタン」は無調の扉を開いたというより、むしろロマン派が行き着いた終着駅と言った方が相応しいね。
 むしろ「トリスタン」を聴いて、「あ、こんなことも出来るんだ」と勝手に思って、その方法論を半ば使いながら、和声学的に無関係な和音を無秩序に並べてゆくリヒャルト・シュトラウスやドビュッシー、ラベルなどが、機能和声を破壊していった確信犯だよ。それである時、シェーンベルクは思ったのだ。
「ああ、それでは、コードネームでは表せない、もっとデタラメな音の配列で曲を創ってみよう」

「トリスタン」に関するYoutube
 ええと・・・ワーグナー・シュンポシオンからもだんだん外れていってしまったが、要するに「トリスタンとイゾルデ」について、なかなか人が言わないことも含めて、いろいろ語ってみようと思っている。
それで、それを仕上げた後は、そこから漏れた沢山の事や、ライトモチーフのことなどを盛り込んだ講義をビデオに撮って、Youtubeを作ってみようと思っている。

 何故かというと、愛知祝祭管弦楽団では、通常初回練習の晩にレクチャーをして、団員達にライトモチーフや物語の内容あるいはその象徴的な意味などについて話し、さらに公演直前にも、名古屋ワーグナー協会の人たちと協力して、もっと公な講演会を毎年行ってきたのであるが、このコロナ禍で、それが難しくなってきたからである。
 オケの練習の中では、それらについて練習を中断して長々と話すわけにもいかないので、弾くことだけに夢中になり、内的理解不足に陥る団員達が心配なのである(弾くだけでも大変だからね)。でも、これから2月末にかけては、そんなわけで、原稿執筆に追われてしまうだろうから無理なので、原稿を完成し送って3月に入ったら、Youtubeを作って、愛知祝祭管弦楽団員だけではなく、広くみなさんにも観られるようにします。
楽しみにしていてください。



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