NHK「クラシック倶楽部」放映日

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

NHK「クラシック倶楽部」放映日
 1月15日に録画撮りしたNHK「クラシック倶楽部」の新国立劇場合唱団の演奏の放映日が決まった。

2K 3月14日(月) 5:00~5:55    BSプレミアム
4K  4月 5日(火) 6:00~6:55   BS4K 

 最終的にどのような選曲になり、どのような順番になるかは分からないが、いずれにしてもオペラの合唱曲のハイライトでとても楽しい内容になると思います。また、Zoomによる指揮レッスンの受講者、あるいはかつて受講したことのある方達も、是非ご覧になって欲しい。
 あのね、録画の時には、自分のフォームを結構意識して指揮したんだ。批判的な眼にも耐えられるようにね。時に合唱の指揮は、自己流の方も多く、合唱コンクール全国大会の審査員をしていても、
「生徒達は良くやっているけれど、先生がきちんと指揮すれば、もっと自然にフレーズが流れ、音楽的になるのにな」
と思うことがしばしばなので、オーケストラの指揮とも違う合唱指揮のスタンダードの姿を見て欲しい。
また放映日近くになったら、忘れないように、あらためてお知らせします。

羽生選手から教わったこと
 ミャンマー国軍の独裁体制を支持したり、台湾や香港に対する中国の最近の言動に強い失望と懸念を抱いている僕は、北京冬季オリンピック開催をとても支持する気になれず、開会式も見なかったし、競技もこれまであまり見なかった。でも男子フィギア・スケートの羽生結弦選手のフリーだけは、リアルタイムで見た。

 今の今、全世界が注目する中でリアルタイムで行われている演技を観るというのは、特別なものがある。それはとりもなおさず、自分がまさに今、この世でこの瞬間を生きている、というのを、魂の深い領域で認識する行為でもあるのだ。

 羽生選手の演技そのものについては、なにも素人の僕が偉そうに言うことでもないので黙っていようと思うが、僕は実は全然別のことを考えながら観ていた。

 こうやって、すでに長年王者の地位を誇っている羽生選手でさえ、スポーツの世界では毎回他の選手たちに混じって一から挑戦しなければならない。それは、音楽家で言ったら、
「発表の場は毎回コンクールで、順位がつき、勝てなくなったらもう引退を考える」
という状態に等しい。
 なんとシビアな世界を彼らアスリートは生きているのだろう。「負けたらただの人」という危機感といつも隣り合わせになっているのだ。そう考えると、僕たち音楽家はまだ甘ったれているのかも知れないとも思う。

 しかしながら、こうも考える。だから僕はスポーツが昔から大嫌いだったのだ。スポーツ選手は、なにびとも勝敗から逃れられないのだから。中学生になって運動部に入ったクラスメイトは、ただちに選りすぐられて、正式メンバーになる道を歩む生徒と、永遠に玉拾いの生徒に分かれる。スポーツ、イコール競争で、勝たねば人にあらず。しかもあの頃みんなスパルタ式で、顧問の先生たちも、
「お前らの根性を叩き直す!」
って感じで、体罰でさえ厭わずという状態だったではないか。

 羽生選手だって同じだ。彼のフリーは、彼が好むと好まざるに関わらず、全世界がその「勝敗」に注目していた。ショート・プログラムでのまさかの8位という成績が、彼にのしかかっていただけに、彼にとってはまさに極限状態だったに違いない。
 しかし彼は、競争の真っただ中にいて競争を超えていた。テレビに映し出された彼の姿は、孤独で、瞑想的ともいえる静けさの中にいて、崇高で美しかった。失敗したクワッドアクセルやサルコーから即座に立ち上がって演技を続けた姿でさえ、感動を呼んだ。
 その崇高さが、「競争の極限状態であるからこそ生まれる」という事実を、今の僕は否定しない。勝敗や順位にかかわらず彼は偉大であったが、勝敗や順位がかかっていたからこそ、彼は自分自身をあそこまで追い込み、そして絶対的な孤独の中で、自ら光を放つ存在となることができたのである。

 その意味では、競争の是非はともかく、音楽家だって、ある意味では一緒でないといけないと思った。演奏会はコンクールではないので順位はつかないし、音楽家が果てしなくコンクールに出続ける必要もないが、ある意味、何歳になっても“自己ベスト”を超える負荷を自分に負わせているべきだと思う。
 何故なら、
「我々人間は、“追い求める状態”に自らを置いている時しか、輝くことができないからである。」
極論ではあるが、輝き崇高さを持たない者は、芸術に携わっていてはいけないとまで思う。

 北京オリンピックの男子フィギュアスケートにおいては、銀メダルの鍵山優真選手だって、銅メダルの宇野昌磨選手だって頑張っていて、彼らの方が順位が高いのに、羽生選手のことばかりみんな言ってるという批判があるのは承知している。
 僕は勿論、彼らにも最大のリスペクトを抱き、熱い賛辞を贈る。でも、僕が強調したいのは、「王者になること」と「王者であり続けること」の違いなのだ。つまり、王者になった者は、今度は永久に追われる者になるということである。
「いつかは誰かに追い越される日が来る」
というプレッシャーと戦う日々を過ごさなければならない。
 アスリートには、池江璃花子さんのように白血病になる人が異常に多いと聞くし、ピアニストでも弦楽器奏者でも、指が突然動かなくなったり、演奏が出来なくなったりする病気になる人が後を絶たない。
 無名の人が無心でプレイを行っている時と違い、勝者は、こんどは全て意識的に行わないといけなくなる。マスコミが騒いだり、本人も、自分の一挙一動を世界が注目しているとなったら、なおさらだ。

 そうした中で勝者であり続ける人には、おのずからあるオーラのようなものが付いてくる。羽生選手にはそれがある。

 でも、なんだね。世の中、SNSなどですぐに人の悪口を言ったり批判したりする風潮の中で、こうして素直に人を賛美したり崇めたりする機会が与えられるって、それだけで素晴らしいことだと思う。人の魂にとって、そうした行為そのものが本当は必要で、それだけで波動を高め、霊的ステイタスを高めてくれるのだから。

不可解な事件多発の北京オリンピック
 さて、そこまで言っておきながら、即座に波動を落とすようなことを言うが、同時に、今回の北京オリンピックでは、理解不能な事件が頻繁に起きている。高梨沙羅選手以下女子5人のジャンプ混合団体でのスーツ規定違反による失格をはじめとして、スノーボードのハーフパイプ決勝戦での平野歩夢選手に対する不当に低い得点、スノーボード女子パラレル大回転では、転倒した竹内智香選手がドイツ選手を妨害したとして敗退させたり、もうきりがない。竹内選手をジャッジした審判は8人中6人がドイツ人だったというから、なんとも分かり易い話だ。
その他にもこんな記事がネットで出ている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ede424455c7b68afe0753ae57aab4349f9d7a98f
まさに「何でもあり」の状況に、正直に戦っている選手達が気の毒でならない。まあ、最初からこんな予感がしていたので、あまり見るのに乗り気ではなかったのだけれど、それにしても不可解だ。
 

ガーラ湯沢
 1月18日の川場スキー場では、猛吹雪のためひどい目にあって、もうスキーなんて大嫌いと思ったが(嘘ばっかし)、2月8日火曜日のガーラ湯沢では、雪という予報であったものの、雪は途中でパラパラと軽く降り注いだだけだったので、久しぶりのガーラ湯沢を大いに楽しむことができた。ひとりで行こうと思っていたら、またまた我が家の「究極の便乗女」こと次女の杏奈が付いてきた。

 杏奈は、「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプにほぼ毎回参加しているので、最近かなり上達していて、急斜面でも怖がることなく安定して滑れるようになってきた。自己流で滑っているみなさん!少しお金を使ってもいいから、やはりきちんとしたインストラクターに教わったほうがいいよ。

 僕は、今シーズン初めて、スーパー・スワンという非圧雪斜面に行ってコブの練習をガシガシした。整地でもショート・ターンの練習をしたが、先日の1月キャンプのビデオがとても参考になって、上体を立てておくためには、まず腰から立てることに気が付き、その練習に明け暮れた。

写真 ゲレンデの非圧雪地帯で転倒した三澤
コケた瞬間を・・・

 最後に杏奈と一緒に下山コースであるファルコンを滑り降りた。杏奈を引き離してフルカーヴィングでビュンビュンと猛スピードで滑った後、彼女を待ちながら非圧雪地帯に入っていったら、新雪と堅い雪との境目が見えずに、バランスを崩してあっけなくコケた。その瞬間、杏奈が追いついて写真を撮った。その日ただの1回だけ転んだだけなのに・・・・。

 帰りの新幹線では、杏奈とエチゴ・ビールで乾杯。親子の楽しい一日は終わった。

写真 車内で乾杯したビールとおつまみ
エチゴ・ビールで乾杯

「トリスタンとイゾルデ」アナリーゼに浸かる日々
 ワーグナー・シュンポシオン原稿を楽しく書いている。書きたいことはだいたい書いたのだが、問題はこれをどうすっきりまとめるかなのだ。何故なら4000字から6000字までという字数制限を最初見た時には、
「お、沢山書けるな」
と思ったのだが、書いていく内に字数はどんどんふくらんでくるわ、譜例を沢山入れたくなってくるわで、収拾が付かなくなってきて、今は、不要不急の内容を削っている最中。 でもねえ、不要不急の所こそ面白いんだけどね。まあ、このブログのように冗談や笑い話を書いたりはしていないんだけど(いやいや、真面目なワーグナー協会の年刊誌なので、そんなことしたら大変です)、どうもサービス精神が旺盛なので、楽しいことも挿入したら気分が和むのではないか、なんちゃって・・・・。

「何事にも時がある」
と言ったのは旧約聖書の「コヘレトの言葉」第3章だが、今の僕にとっては、音楽を奏でることと同じくらい、「語ること」と「書くこと」が重要になっている。書くといえば、本当はもうひとつミュージカルを書きたいんだけど、何にもインスピレーションが湧かない。
 ちょっと前までは、創作力が枯渇したかなとちょっと悩んだ時期もあったけれど、バシャールに関する本を読んでいたら、
「必要な時には、必要なものが与えられるから、なんにも心配することはない」
という文章があって、
「そういえば、そうだな」
と思って納得した。いずれ時がくればインスピレーションが与えられるであろう。でも、もし、与えられなかったら?
ま、そうなったら、世界がそれを必要としていないということで、それもケセラセラということだね。

 それで、目下の自分にとっての「時」は何かといったら、先ほど書いたように「語ること」と「文章を書くこと」なのだ。
 文章を書くことにあたっては、この「今日この頃」がどれほど役に立っているか知れない。毎週月曜日に、それなりの原稿を仕上げることを自らに科していることによって、「頭の中をクリアにして、なるべく簡潔に内容を組み立てること」、「なるべく分かり易く読み易い文章を作ること」、「なるべく短期間で文章を仕上げること」を心掛けていると、長い間に訓練されてきて、いろいろがスムーズに運ぶようになってきたのだ。

 さて、この「トリスタン」の原稿を完成させたら、来週の2月24日木曜日には真生会館「音楽と祈り」講座があり、その後白馬に行って2月26日、27日の「マエストロ、私をスキーに連れてって2022」の2月キャンプで講演をする。1月に参加してくれたメンバーが多いので、内容を変えないといけない。

ふうっ!忙しいけど楽しい!

まるで戦時下での「オペラ公演」と準備
 新国立劇場では「さまよえるオランダ人」公演が終わり、引き続いて「愛の妙薬」公演が昨日無事千秋楽を迎えた・・・うーん・・・テノール5人が抜けたままで・・・・合唱指揮者としては無事と言えるのかどうか分からないが、とにかく、このオミクロン株の下で公演がなんとか止まることなく続いているのは有り難い。

 今日から「椿姫」合唱練習が始まるが、実は「椿姫」第一回目の練習は、一度つぶれている。でも原因はコロナではない。本当は2月10日木曜日の18時からの予定だったが、「警報レベルの大雪」という予報が出ていて、中止を余儀なくされてしまったのだ。
 その日は、国立では、お昼頃確かに雪が降っていたのだが、3時頃には止んでいた。その時、新国立劇場から電話が掛かってきた。
「どうしましょうか?」
しかしマスコミの予報では、夕方から大雪とまだ言っていたのだ。帰りの交通にも影響が出るだろうと、確信に満ちて報道していたので、僕は、
「夕方から大雪が降ると言っているので、中止しましょう。そうなるとあと3回で稽古付けて暗譜させないといけません。新人にはとても負担が大きいと思います。残念ですが・・・・仕方ありません」
と言って、僕自身が断腸の思いで中止を決めた。

 それで家にいたのだが、いっこうに雪が降ってくる気配もない。それなのに夕方のニュースでは、うっすらと雪の積もった新宿南口の映像を映しながらアナウンサーが、
「この通り雪が積もっていて、今夜にかけてなおいっそう強くなる模様なので警戒が必要です。明日の朝は路面凍結が心配されます」
と言っている。たしかに新宿では積もっていた。でも、うっすらと・・・・。
 しかし、夜が更けていっても全く積もる様子もない。翌朝起きてカーテンを開けてみたら・・・・ありゃりゃ、警報級の大雪はどこへやら。路面凍結も少なくとも国立市ではまったくなかった。
「おおい!誰か責任持てよ!話、全然違うじゃないの!」
 どうも、最近のマスコミは、いろいろ煽りすぎじゃないの?軽いと言って重かった時のクレームを恐れすぎていないか?それよりも、警報級という言葉をわざわざ出すのには、よっぽどの覚悟が必要だろう。

 実は、今日から始まる「椿姫」の練習も、もう何人か抜けることが予想されている。しかも、先日つぶれた10日の時のメンバーとは違う。こんな風に、今後もどう情勢が変わるか分からないのだから、出来る時に出来るメンバーで1回でも多くやっておかないといけないのだ。
なんともやりきれない毎日である。



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