67歳の誕生日
三澤洋史
ふたつの放送日
NHK「クラシック倶楽部」新国立劇場合唱団の放映日が近づいている。
日程は以下の通り。
2K |
3月14日(月) |
5:00~5:55 |
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BSプレミアム |
4K |
4月 5日(火) |
6:00~6:55 |
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BS4K |
また、
キリスト教放送局日本FEBCの放送日も決まった。僕へのインタビューを約30分聴くことが出来る。インタビューそのものは、1時間半に渡ったが、先日、放送するために編集したものが送られてきた。よく、まとめたものだと感心している。内容は、僕の最近の宗教的心情など。後半では、カトリック教会のミサの意味についても述べている。放送は以下の日程。また近くなったらあらためてお知らせします。
4月9日土曜日22:04~ AM1566kHz
なお、
インターネットでは、4月9日より1ヶ月間聴くことができるとのこと。
ああウクライナ!
新国立劇場の「椿姫」公演の指揮者であるアンドリー・ユルケヴィチはウクライナ人で、今も家族がウクライナに住んでいる。家があるのは、ウクライナのかなり西側なので、直接攻撃を受ける地域ではないと彼は言うが、稽古中、演出家が説明をしている時など、よく携帯電話を見て、新しいニュースが飛び込んでこないか確認している。
「心配でしょう」
と訊くと、
「母親が住んでいる地域は、ロシアの軍隊がいる近くなんだ・・・」
と言葉少なく答える。彼は、イタリア語が堪能なので、彼とはイタリア語で会話している。
ロシア軍がウクライナに侵略を始め、死傷者が出るような攻撃を開始した時は、まさかと思った。その可能性はあると思っていたものの、プーチンがそこまで愚かとは思わなかった。さらに、キエフへの攻撃は、住民を巻き込む無差別なもので、ここにはもはや何の大義もないと思った。大人達の勝手なプライドや意地によって、罪もない子ども達が犠牲になっている。いたたまれない!
ウクライナ側は勇敢である。こちらは、「命を賭けて祖国を守る」という強い信念に裏付けられている。一方、ロシア側は、圧倒的な兵力を誇りながらも、攻撃する兵士達自身の心の中には、信念どころか、むしろとまどいがあるのを隠せない。原子力発電所を攻撃してみたり、やることにも首尾一貫性がなく、国際社会からもどんどん孤立し、プーチン暗殺説なども飛び出して、実際の戦況はともかく、内容的にはプーチンはすでに惨敗している。
細かいことについては、僕のような素人が何をか言わんや、であるが、とにかく僕には祈ることしか出来ない。一刻も早く、こんな愚かな戦争は終わって欲しい。
「椿姫」快調に進んでいます
名作って、そう呼ばれるだけのことはある。「椿姫」は本当に良いオペラだ。何をあらためて、と思われるだろうが、こうして自分の感性で、ひとつひとつ魅力を再確認することは大切なんだ。
体を壊して自分の命が長くないことを知っているから、より悦楽の世界に身を投じているのか、とにかく意図的に自分の人生を粗末にしている女性に、突然真実の愛が突きつけられる。
「ははは、何を言っているの?あたしに相応しいのは、面白おかしく生きること!」
笑い飛ばそうとするヴィオレッタ。しかし、心の何処かで、本当の人生を生きてみたいという想いに抗することが出来ない。
第2幕。環境は一変し、ヴィオレッタは、何の未練もなく歓楽の生活を棄て、アルフレードと静かで平和な生活を送っていた。そこに田舎から父親がやって来て、アルフレードの妹の縁談のため、別れてくれとヴィオレッタに迫る。
自己犠牲の故のヴィオレッタの失踪。それを追うアルフレード。想いが行き違い、誤解が誤解を呼んで、ヴィオレッタの裏切りと勘違いして怒り狂ったアルフレードは、賭けで勝ったお金を公衆の面前でヴィオレッタの顔に投げつける。その暴挙に、激しくアルフレードを責め立てる群衆合唱。
「あなたには分からないわね、アルフレード。全てはあなたへの愛のため。でも、いつか分かる時が来るわ。あたしは死んでもなお、あなたを愛し続けるわ」
ああ、なんて切ない!
ヴェルディは、ワーグナーと違って、単純な和声とメロディーでドラマを彩る。それ故、僕は若い頃、ヴェルディの音楽を馬鹿にしていた。ワーグナーはハイテク兵器で確実に勝利する。でもヴェルディはむしろ飛車角抜きで将棋しているよう。ところがね、どちらが強いかは分からないんだよ。
ヴィオレッタ役の中村恵理さんは、国際感覚を身につけて益々確実に歌も演技もこなしている。実に頼もしい。アルフレード役のマッテオ・デソーレは、立ち稽古初日に一声出しただけで、その類い希な美声に一同驚いた。声帯に掛かる適切な圧と脱力とのバランスが見事。僕がいつもいろんなところで講演したり、合唱団の練習でも言っている「ベルカント唱法」の見本を見たければ、彼の歌唱を聴くがいい。
また、ジェルモン役のゲジム・ミシュケタも美声で安定した歌唱。その他、日本人勢もみんな粒が揃っている。
先ほど述べたウクライナ出身の指揮者、アンドリー・ユルケヴィチの棒は的確で、抑制された動きの中に、フレージング、ダイナミック、様々な表情が全て入っている。驚くべき職人だ。オペラにおいて、僕が職人という言葉を使った時、それは最大限の賛辞であることを強調しておきたい。
オミクロン株は、まだまだ鎮まる様子もないが、オペラの中のオペラ「椿姫」にみなさん出掛けて下さい。決して後悔しませんよ!
67歳の誕生日
3月3日早朝。妻の車に、ブーツやヘルメットの入ったケースと、着替えなどの入ったリュックサックを詰め込んで府中本町まで送ってもらい、僕はひとりガーラ湯沢を目指した。板はすでに宅配便で送付済み。
今日は僕の67歳の誕生日。新国立劇場での練習はお休み。前から、この日はゲレンデで過ごそうと決めていた。今日は特別に共通三山コースで、メインのガーラ湯沢スキー場と共に、両側に隣接する、湯沢高原スキー場と石打丸山スキー場を自由に行き来できるリフト券を持っている。
石打丸山はこれまでにも何度も滑ったが、湯沢高原スキー場は初めて。その中腹にあるRistorante Pizzeria Alpinaというイタリアン・レストランは有名で、特にナポリ・ピッツァは本場風だという評判だ。
湯沢高原のイタリアン
予定を立てた。午前中、ガーラ湯沢の南エリアから湯沢高原スキー場に渡り、お昼をAlpinaで食べてから、再びガーラ湯沢に戻って、今度は石打丸山スキー場に行くのだ。
しかしながら、実際に湯沢高原スキー場に行ってみると、両方のゲレンデを繋ぐロープウェイのランドーは20分に1回しか乗れないので、滑りながらの時間調整が大変だったし、正直な話、湯沢高原スキー場のゲレンデは変化がなくて面白くない。山頂から何度か下まで降りて来ている内に飽きちゃった。
僕は自分では結構グルメだと思っていたし、特に、文化庁在外研修生としてミラノに滞在してからは、イタリア料理にはちょっとうるさい。けれど不思議なことに、スキーをやる時だけは、食欲よりもスキー最優先になる人間なんだと気付いた。ちょうどランドーの出発時刻近くにゲレンデの下に降りて来たので、少しでも時間のロスを嫌ってAlpinaはあっさりあきらめて、早々とガーラ湯沢に戻ってきた。
ランドーを降りて、ガーラ湯沢はスルーして石打丸山スキー場に入る。さすがにお腹すいてきたので、中腹のなんでもないお店でカルビ丼を食べた。まずかった。ああ、ナポリ・ピッツァ・・・と思ったけど、後の祭り。
とりあえずお腹が膨れたので、さあて石打丸山で滑るぞ!と思ったら、雪が激しくなって、さらになんと靄(もや)が出てきている。後から入ってきた馴染みの客らしい人が店員と話しているのを盗み聞きしたら、どうやらゲレンデの下の方は雨らしい。
だめだこりゃ!石打丸山スキー場は、そもそも標高が低い。このスキー場の頂上が、ガーラ湯沢の下部とほぼ同じ高さなのだ。ガーラはゴンドラで登ってからゲレンデが始まるからね。
「これはもう、ガーラに戻るしかないなあ」
と思って、「頂上リフト」に上がるためのリフトを見たら、な、なんと動いていない!
焦って、もうひとつ下のリフトの上部で人を降ろしているおじさんに聞く。
「あのー、すいません!頂上リフトに乗りたいのですが、そのためのリフトが動いてないんです。どうしたらいいんですか?」
すると、おじさんはすぐには答えず、へらへらと謎の笑いを浮かべながら言う。
「あのね・・・ひとりコロナが出るでしょ・・・これが、ひとりじゃ済まないんだよねえ・・・」
「はあ?」
「その周りの人も・・・その周りの人も・・・」
「はあ?」
半ば浪花節(なにわぶし)でも歌うように、ゆっくりと朗誦風に語るおじさん。なんかひとりで悦に入っている。気持ち悪い。
「・・・みんな休まなけりゃなんないんだよねえええ~」
「・・・・」
「だからね。人が足んないの・・・それでね・・・あのリフト動かせないわけ」
「ええっ?じゃあ、上に行く方法はないんですか?」
僕はますます焦ってきた。おじさんは、僕の焦りを見透かしながら、なおもジラしながら言う。
「ほら、そこに大きなゴンドラ見えるでしょ。これ麓から来るんだけど・・・」
(知ってるわい!)
「ゴンドラに隠れているけど・・・実はその向こう側に、もうひとつ短いリフトがあるんだよ」
おおい!それを早く言ってよ!コロナの話はいいから・・・って、ゆーか、オミクロンになってから、ひとり感染したら何人も休まなければならないことは、うちの劇場でも毎日起こってるからね。浪花節で聴かなくってもいいんだよ!
ま、それでリフトを乗り継いで、やっと頂上まで辿り着いた。靄が凄いんで、とっととガーラ湯沢の北エリアに戻った。北エリアのクワッド・リフトであるビクトリアに乗りながら、ふと思う。
「なんか疲れたなあ。今日は、これまでなんにもうまくいってないね。一度中央エリアに戻って、レストハウス・チアーズで珈琲飲んでから出直そうかなあ・・・そういえば移動ばっかしていて、僕には珍しく、午前も午後も珈琲を全然飲んでいないぜ」
でも・・・でもね・・・なんか、それでは僕らしくない、って気がしてきた。僕は、そんな軟弱な奴ではないんだ。特にスキーをする時には・・・うーん・・・じゃあ、一度だけ、いつもコブの練習をする北斜面のスーパースワンに入ってから、そこもつまんなかったらチアーズで珈琲飲むことにしよう。
そこでやや急斜面のブロードウエイから、最高斜度33度の非圧雪地帯、スーパースワンに入った。すると、胸の中からWellcome !という声が聞こえたような気がした。下を見ると、まるで僕をずっと待っていたかのように、おあつらえ向きの深めのコブがそこに出来ていた。
「なんだ、最初からここへ来ればよかった」
そう・・・こうこなくっちゃ!
それから約1時間半くらい、僕は我を忘れてこのコブと格闘した。滑ってはリフトに乗り、滑ってはリフトに乗り・・・果てしない繰り返し。もの凄く充実した時間。
没頭することは瞑想に似ている。外側から見ると全然違うけれどね。片方はアクティブ、もう片方はパッシブ。でもスピリチュアルな意味では一緒。常識的な世界を生きている“偽我”といわれる自己から離れて“真我”の中にいる時、人は時の制約から離れて、永遠とつながる。これを味わえるから、僕は音楽をし、祈り、瞑想をし、そしてスキーをする。
深いコブに入る時には、スキー板の先端(トップ)を落としてコブの溝にトップを当てるようにする。すると板がたわんで、それがバネのようになってスピードを落としてくれる。最初は恐かったけれど、慣れると結構ハマる。それからコブの出口で膝を折り身を屈めて吸収動作をして、一番高いところでストックをきちんと突いてターンする。
このストックを突くのが、最初は焦って、コブの頂点に着く直前で突いてしまったが、何度もやっている内に、慌てないで頂点まで待ってから突けば、板のトップとテールが宙に浮いてくれるので、全然やり易いことに気付き、だんだんスムーズになってきた。
スキー・シーズンが始まった頃は、体がスキー自体を忘れているので、いきなりコブにガッツリ挑むのは危険だ。まず基本に還り、気長に体を慣らしていく。しかし、いつかコブと対峙しなければならない日は来るし、来なければならない。今日がまさにその日。今日こそ、待ちに待ったシーズン中最も大事な日!
本当は、ピポット動作から用心深くゆっくりスライドして、という儀式を通過するべきかも知れないけど、そんなの待ちきれないので、最初からアグレッシブにコブに立ち向かって行った。
スピードを出せば、コブの深い窪みとコブの出口の高い壁が交互に迫ってくる。ターンの時にストックを突いた方の手を、そのまま前にボクシングのパンチのように強く突き出す。それによって上体が板の方向と反対になる“極端な外向傾”ができる。
体がギュッとねじれる。板は右、上体は左。しかし次の切り替えでは、ねじれた体がバネのように元に戻り、反対側のねじれを作る。板は左、上体は右。
ほら、コブの出口で気を付けないと、体が置いて行かれるぞ!ああ、ハジかれちゃった!空中に放り出されてコブの外側に出ちゃった。でも楽しい。もう一回!今度は吸収動作を落ち着いてやって、切り替えもうまくいった。
以前は、コブにこんなスピードでなんか入って行けなかった。でも今日は逃げない。ハジかれたっていい。怪我しない方法はわきまえている。いいかい、67歳の誕生日は、どこまでもアクティブに攻撃的にコブに立ち向かって行くんだ!分かったあ?体どもよ!
ハジかれる回数はだんだん減ってくるが、同時に、自分が毎回コブの深みを削っていくため、滑れば滑るほどコブが深くなってきたことに気が付いた。つまりどんどん難しくなってくるんだ。そのいたちごっこ。
でもね、最後の方は落ち着いてゲレンデの下まで滑り切れるようになってきた。すると、コブにむしろ寄り添うようになっている自分に気が付いて、最初意地悪に見えていた深いコブが、なんだか愛おしくなってきたぜ。自慢じゃないけど、僕はこの一日だけで、結構上達したんじゃないかな。
約1時間半後。全身クタクタ。腿筋はシビれ、膝はガクガク。でも、心は、スーパースワンの深いコブを攻略できた歓びに溢れていた。
さあ、これで終わりではない。一息ついたら、最後の力を振り絞って、今度はファルコン(下山コース)を一気に降りるぞ。このフィナーレをもって僕のお誕生日スキーの儀式は終了する。
ファルコン上部に立ち、湯沢の山々の景色を一望し、一度深く呼吸すると、僕は全長2.5kmの細い下山コースを滑走し始めた。あはははは。今日は最後まで徹底的にアグレッシブ!なるべくズラさないでカーヴィングでターンをする。今までにないスピード。今転んだら死ぬかも知れない・・・でも大丈夫。スネがブーツのベロをしっかり押してさえいれば、安定していて転ぶことはない。雪のデコボコがかなり体に衝撃を与えてくるが、全てこの膝と大腿が引き受けよう!
「頼んだぞ!」
「へーい、ガッテンだい!」
板の真ん中に体を乗せて、外足でさらにギュッと押す。板がたわんでキュイーンと勢いが付きながら、もっとスピードが出る。スラロームの選手のように、両足を肩幅くらいに広げ、外足は伸ばし内足をたたみ込む。下半身は極限まで雪面に近づけ、板をほぼ雪面に垂直になるように立てる。上半身はなるべく起こし、外向傾を保つ。
板を足で押すとさらに板がたわんでくるため、ターン弧がどんどん狭くなっていって、ショート・ターン的に谷に向かって落ちていく。
こんなスピード、僕が自分で作り出しているなんて、昔は考えられなかった。体中の毛穴が開いている感じ。今、67歳のじいさんがこんな極限状態にいる!あははははは!人生って、なんて冒険に満ちているんだ!
いつのまにか僕の背中にはふたつの大きな翼が生え、僕は大空に飛翔している。眼下には南魚沼平野やそれを取り囲む白い山々の風景が広がる。もっと高く、もっと速く、もっと内側から輝いて・・・まばゆい光の球体が天上から近づいてくる。それがしだいに僕を包み込んでくる。気がついてみると僕の体も透明になってきた。そう、時間のない、永遠の世界に僕という存在が溶け込んでいく・・・・。
午後6時ちょっと前。再び妻が府中本町まで迎えに来てくれて、家の玄関を開けると、孫娘の杏樹が作ってくれた歓迎の垂れ幕が掛かっている。次女の杏奈も来てくれていて、一家で僕のお誕生パーティーをしてくれた。
垂れ幕
なにせ生まれたのが桃の節句なので、今晩のパーティーの食事は和食。日野の角上魚類に行って材料を仕入れてくれたということで、蛤お吸い物、茶わんむし、ケーキに見立てたチラシ御飯、そして食後の苺ケーキなど、豪華な夕食に舌鼓を打つ。
ケーキ仕立てのちらし寿司
杏樹が張り切って、
「今日の料理は、みんな杏樹が作りました!」
と得意になって言っている(実際は、大人もちょっと手伝ったみたいだけど、それにはあえて触れないでおこう)。
手作りケーキ
僕はほろ酔い気分で、横にいる杏樹に微笑みかけている。深いコブに挑んだことや、ファルコンを全速力で駆け抜けたことなどは、言う必要はないね。でも、自分があるものに挑み、それを成し遂げたことは、自分の魂の奥底で輝いている。
いや、ちっぽけなことなんだよ。別に何かの大会に出たとか、そこで勝ったとかいうことでは全然ないしね。でもね、それは紛れもなく自分史に刻まれているんだ。人は、少しでも強くなればなるほど、おなじだけの力で正反対の方向に振り子が揺れて、より優しさや赦しの気持ちが増し、人を受け入れるキャパシティーが大きくなる。そう、僕たち人間は、本当は、よりやさしくなるために、より強くなるのさ。
志保や杏奈が、目の前にいる杏樹の歳だったこともあった。考えてみると、僕はずっと愛する家族に囲まれてここまで来た。妻の千春は、いつも控えめな微笑みで僕たち家族を見守り、包んでいた。本当に感謝している。
妻と娘達から贈られたSKAGENの腕時計と共に、また僕たち家族も、新しい歴史を刻んで行くのだ。永遠に向かって・・・・。
家族からのプレゼント
「推し、燃ゆ」への戸惑いと、心に染みる小説
新国立劇場の隣のオペラシティ2Fにある「くまざわ書店」で、話題の本を見つけた。「全国書店で続々第1位」「全世代が熱く震えて」「50万部突破!!」芥川賞受賞、本屋大賞ノミネート、沖縄書店大賞受賞など、宣伝文句が凄く。
推し、燃ゆ1
さらにタスキの裏側を見ると、「21歳、脅威の才能、現る」と書いてあり、その下に沢山の人たちの賛辞が並ぶ。
推し、燃ゆ2
これはもう、買うしかないな、と僕は思った。それに、67歳にもなると、今の若者達の感性から遠く離れていて、新国立劇場に新しく入ってくる若き合唱団員などとも、なかなか話の接点がない。若者達の“いま”の感性を知るためにも、こうした本は読む必要があるのではないか、とも思った。
それで3月2日に買って、3日のガーラ湯沢への行き帰りで読んで見た。
うーん・・・この本の感想を言うのは・・・なかなか難しいなあ。断言するが、文章はとても上手い。描写力に長けているのは勿論、何というか、一文一文がとても新鮮で、独特のリズム感がある。
たとえば主人公のバイト先での描写はこんな風。
開店前に浄水に炭酸を吹き込みウィスキーを補充、豚肉は毎日絶対に出るから解凍、晩に立てかけた食器を戻し包丁も研いでおく、ところから始まって、いくつも分岐する流れに忠実に動かなければならないけど、これらが体に定着するまでに何度幸代さんに叱られたかわからない。何度も分岐していく道を覚え込んで、このときはこう、こうなるとこう、忙しいときはメモを見る時間もなくなるしそういうときに限って例外が現れて頭からどんどん、こぼれ落ちていく。
行変えも少なく、句読点も、僕なら3回くらい点を付けるところをダラダラといくが、冗長感よりも、むしろここでは、いろいろやらなければならない事が思考のスピードを越えて自分に降りかかってきて、対応しきれないリアリティを醸し出す。
ただね、
「この主人公の生き方が今の若者の赤裸々な姿です」
と言われたとしても、僕とすると、
「はあ、そうですか」
としか答えられない。
勿論、カミュが「異邦人」を書いた時も、太宰治が「人間失格」を書いた時も、それを読んだ年輩者達の反応は、
「はあ、そうですか」
と、半ば受け入れ難いという反応を示しただろう。それと一緒かな、とも思うけれど、うーん・・・どこか違う。
主人公の女の子は、思春期の全てを、自分の「推し」(自分がひいきとしているアイドルグループのメンバー)に捧げている。その推しがファンを殴ったために、SNSで炎上するところから物語が始まる。
彼女は、推しのバンドにおける人気の順番を上げるためにCDを買ってあげたりする。そのために、したくもないバイトをする。そんな風だからバイト先でも喜ばれたりはしない。やがて、高校の成績が思わしくなく、留年し、それがきっかけで退学する。
親にうながされて就活をするが、もとがやる気ないのでうまくいかない。推しに情熱を捧げているので、リアルな恋愛には興味がない。やがて一人暮らしを始めるが、脱ぎ散らかした服、コーラのペットボトル、カビの生えたおにぎりに囲まれている。
うーん。正直な感想を言えば、多くの常識的な年配者がそうであるように、
「何が言いたいんだろうな?」
というものだ。たとえば、この瞬間、ウクライナでは戦争をしていて、現地では、いつ爆弾が自分に降り注いでくるか怯える人たちがいるのに・・・・などと、思考が小説への評価とは違う方へ飛んでいってしまう。
ごめんなさい!この小説は分かりません!僕が未熟なせいかも知れません。
もう一冊買った。それは、川口俊和著「さよならも言えないうちに」(サンマーク出版)という本で、以前読んだ「コーヒーが冷めないうちに」の続編だ。内容は「過去に戻れる」という喫茶店の物語。やり残したこと、相手に伝え残したこと、知りたかったことなどを、過去に戻って探そうとする人たちのショートストーリーの寄せ集めだ。
さよならも言えないうちに
物語の展開の手口はいつも同じようだけど、読んでいると、毎回思わず引き込まれ、ジーンとしてしまう。文章も、斬新なんかじゃ全然なくて、ありきたりなのだが、それでいて、それぞれの物語に説得力を持たせるのって並大抵のことではないよね。
まあ、若者から見たら、水戸黄門の印籠のようなもので、だから年寄りは保守的なんだよ、と言われそうだが、うーん・・・まあ、それだけでもないよ。人生の機微ってやつがここには流れている。
年寄りにはね、みんな、残してきたもの、やり遂げられなかったもの、言いたくて言えなかったこと、行き違いのまま別れてしまったこと・・・などが、人生の道程に少なからず転がっているものだ。
だから、ひとつひとつが魂の琴線に触れるんだなあ。
古いかも知れないけれど、若者にもこの小説を紹介する。これは、泣けます!