ウクライナ国歌の練習

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

3月14日、今日の1日
 月曜日の午前中は、本来「今日この頃」の更新原稿を書くために空けている。書くことを頭の中でまとめ、なるべく時間を掛けないで一気に書いて、午前中で終わるようにする。「今日この頃」は2004年から始めているから、もう18年もこうした方法でやっているわけだ。それによって僕は、頭で文章を組み立ててから文章を書くことに慣れてきたし、ボケないための訓練にもなっている。
 時々、書きたいテーマがある時には、前もって書きためておくこともする。先週号の読書感想などはそうだ。そうすると記事全体が長くなるので、読む方は大変だろうなあと思う。実は今週も前に書きためておいた。ウクライナ国歌の話は、昨晩の3月13日日曜日に書いたし、リリー・クラウスの話は、もっと前に書いておいた。

 何故かというと、今日すなわち3月14日月曜日は、早朝から1日、神立スノーリゾートへスキーに出掛けていたからだ。それで、この文章は、帰って来てから書いている。現在午後8時半。

 今朝は5時からNHKの「クラシック倶楽部」の放映があったので、録画もしたのだけれど、やはり5時前に目が覚めてしまって、スキーに行く用意をしながら番組を観た。
さすがNHKという部分もあったし、
「あれ?ライブでは、もっとこうだったな」
という部分もあった。つまり、録音の方がクリアではあるのは間違いないが、映像のカメラ同様、何本もあるマイクで、時にはピンポイントでひろっている。だから、個人的には、ここのところは、かえってクローズしないで、もっとライブの臨場感と共に聴きたかった、という部分もあるのだ。
「さまよえるオランダ人」の水夫の合唱でいきなり足踏みさせたり、「魔弾の射手」の「狩人の合唱」で歓声を上げさせたりしたのは、僕の発案だが、こうやって譜面を持って直立不動で歌っている最中に急に騒ぎ出したことに違和感を持った視聴者もいただろうな、とは思った。でも、オペラだからね。オペラならではの楽しい雰囲気も伝えたかったんだよ。

 さて、その番組が終わるやいなや、僕は妻の車で府中本町まで送ってもらい、越後湯沢駅をめざした。

 もう時間も遅いので、細かい記述は今日は避けよう。神立スノーリゾートのコブはシビアで、今日はモーグル用の244という板で滑ったのだが、着替えを2セット持って行ったのを、2セットとも汗でグショグショに濡らして帰って来た。
 レグルスというゲレンデの(下から見て)左半分にビッシリ並んだモーグル・コースは、新雪がしばらく降ってないとみて、とても深くしかもピッチが細かい。

写真 神立スノーリゾートの上から見たゲレンデ
神立スノーリゾート

こういうコブに、そもそも入って行けるようになっただけマシなんだけど(これはひとえに角皆君のお陰)、もうね、67歳のおじいちゃんには下まで完全制覇はムリ。しだいに体が遅れてきて、駄目だこりゃと途中で飛び出して。ハアハア!一休みして、また入って途中でハアハア!もっと若い内にやっとけばよかった、とも思うんだけど、若い内には全然興味なかったんだから、仕方がないね。

 でもね、これが行(ぎょう)なんだ。これが僕のスピリチュアルな部分を刺激する。何故か、長い祈りをした後や、瞑想の後のような心の平安と深い歓びが、スキーを(独りで)ガシガシすればするほど得られるのだ。

また今日も充実した一日でした。神様、ありがとうございます!  

ウクライナ国歌の練習
 3月13日日曜日午前11時数分前。新国立劇場のオーケストラ・リハーサル室に行くと、すでにかなりの人数の合唱団員と、「椿姫」の指揮者アンドリー・ユルケヴィチ氏がいた。彼は僕に会うなり、
「こんなに沢山の合唱団員を集めてくれてありがとう!」
と言った。
「いや、僕は何も・・・みんなが自分の意志で集まったのです」

 ウクライナ国歌の練習が始まった。まず、ウクライナ人の彼がゆっくりウクライナ語を読んでいく。劇場が用意してくれた楽譜には、キリル文字ではなくアルファベットと、その下にカタカナが書いてある。しかし彼の発音で聞くと随所でカタカナと違う。
「これはハではありません。もっと喉から発音するのです」
フランス人の発音するrのようだが、それとも微妙に違う。みんな一生懸命試みるが、なかなかうまくいかない。
 彼は言う。
「兵士がいるとします。それがロシア兵かウクライナ兵か見分けがつかない時には、○○○という単語をしゃべらせると、発音の違いですぐ分かります。ロシア兵はこう発音します。ウクライナ人はこう発音します」
「げっ、じゃあみんなウクライナ人でないことがバレて撃たれちゃうな」
と僕は思った。
 発音を指導していくアンドリーは、どんどん厳しくなっていき、まるで、
「お前ら、そんな発音しながら、俺たちウクライナ人のために何かしてやってるって気になってんのか!」
と言わんばかりの勢いだ。

 僕たちは、2019年シーズン開幕に、彼と共にチャイコフスキー作曲「エフゲニ・オネーギン」を上演したこともあり、そもそも団員にはロシア語が読める者が何人もいるが、発音がロシア語に傾くと、特に神経質になって、
「それはロシア的読み方!ウクライナ語はこう発音する」
とシビア。彼は、いつもはとっても穏やかな紳士なのだが、こんな熱い彼は初めて。やっぱりウクライナ人は、内に秘めた想いが凄いのかも知れない。

「これから歌詞の説明をします。とっても大事なので理解してください」
ゲッ、ヤベエ!今日は僕が通訳。彼はイタリア語でしゃべっている。僕はね、イタリア語はドイツ語ほど自由自在ではない。普通の事柄を通訳するのはいいけれど、歌詞の説明なんて、ちょっとハードルが高い。果たしてうまくできるかな?僕はドキドキしていた。
でも、彼が語りだすとその内容に驚いた。次のような内容だ(訳はネットで検索した)。

ウクライナは滅びず,その栄光も,その自由さえも!
ウクライナの兄弟よ,運命はいまだ我等に微笑みかけることであろう!
我等の敵は日差しの下に浮かぶ霧のように消え失せるだろう
兄弟よ,我等自身の国を統治しようではないか。

Refrain (×2)
我等は自由のためなら身も魂も捧げ
兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。
 最後のフレーズの「コサック」という言葉を、うまく訳せなかった。コサックとそのまま言ってスルーすれば良かったのだが、この単語に別な意味があるのかなと思って、合唱団員を待たせてマエストロに聞き直した。すると、
「コサックって言葉知らない?ほら軍隊のコサックだよ」
というのでますます混乱してしまった。だって、コサックといえばロシアと思っていたから。
 まあ、その時は、
「私たちにコサックの血が流れていることを示そう」
みたいなことを言ってその場をしのいだけれど、同時に、
「コサックの血ってロシアの血?ん?ロシアを誉めていいの?」
と、気になって、「椿姫」公演が始まる前にネットで検索したら、コサックという言葉が、そもそもウクライナ語でウクライナ発祥であることが分かった。

 元来は、ウクライナ近辺の軍事共同体だったというが、19世紀になってから、ロシアがその名前を使って、貴族、聖職者などと並んで騎士のような意味を持たせたという。税金免除と引き換えに常駐させ、国境防備や治安維持に携わっていたという。そんな風にロシアにまんまとお株を奪われてしまったが、この歌詞では、
「コサックだって本来はウクライナがオリジンなんだぞ」
という意味が含まれているわけだ。ああ、調べて良かった。

 それにしても凄い国歌だ。こうした内容は、ずっと他国からの侵略を受けてきながら、自らの民族のアイデンティティーを守り抜いてきた彼らの歴史から生まれてきたものだ。平時においては、過剰防衛のように捉えられるかも知れないが、まさに現在のような状況において力を発揮するのだろうと思った。
 テレビでは、あるうら若き女性が、
「あたしは祖国を守るために、あえてキエフに残って戦う」
と言っている映像が映っていたが、それがウクライナという国であり、ウクライナ人なのだ。

 一方で、橋下徹さんが、ある番組でウクライナ出身の学者と激しく討論したというが、平和ぼけしている日本人には、ウクライナ人のスピリットというものは、なかなか理解できないことかも知れない。橋下さんのように、
「みんな国外へ逃げて、降伏しちゃえばいいじゃない」
みたいなことは、彼らには絶対に通じないのだ。

 テレビドラマの大統領役から、本物の大統領になったゼレンスキー(ザレンスキー)大統領は、就任早々は様々な批判や揶揄にさらされたが、ウクライナが戦火に包まれると、「彼は真っ先に逃げるだろう」という予想を見事に覆して、
「私はここにいる。私たちはウクライナを守る」
と映像で宣言し、一転して、ウクライナ国民が団結してロシアに立ち向かうシンボルとなった。

 こうなると、もうロシアには大義がなく、ゼレンスキー大統領の身に何かが起これば、彼は殉教者となり英雄になる一方で、プーチン大統領は、仮にキエフを制圧出来たとしても、ただジェノサイトの遂行者として歴史に名を残すだけだ。

 話は戻るが、13日に練習したウクライナ国歌は、16日水曜日の「椿姫」公演後にビデオ収録し、恐らくただちに新国立劇場から配信されることであろう。

「リリー、モーツァルトを弾いてください」
 「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプの時に、親友の角皆優人(つのかい まさひと)君がリリー・クラウスについて熱く語っていた。彼は特に、多胡吉郎著の「リリー、モーツァルトを弾いてください」(河出書房新社)という本の内容にについて、かいつまんで話しながら、
「三澤君も、絶対読んだほうがいいよ!」
と言っていたので、気にはなりながら、買い求めるのをグズグズしていた。そしたらなんと角皆君は、お誕生プレゼントとしてその本を僕の元に送ってくれたのだ。

 僕はねえ、これまで、あんまり角皆君に贈り物ってしたことないんだけど(自分の本とかCDくらい)、彼の方は、気前よくCDでも本でも、どんどんくれるんだよ。いやあ、申し訳ない。でも、ありがとう!
 早速読んだ。この本は、読み始めたらどんどん引き込まれて、午後、夜間と練習や公演がひしめきあっている忙しいこの時期ではあるが、電車の中や練習の間の休み時間などを使ってあっという間に読み終わった。読んでいる間に、かなり頻繁に胸が熱くなり、何度かは具体的に目に涙が浮かんだ。太平洋戦争の最中の話が出てくるので、現在のウクライナ情勢とも随所で重なって、余計心に染みたのかも知れない。

 意外だったのは、あんな戦火の中のジャワで、何人もリリーのピアノに熱狂していた日本人がいたということだ。特にジャカルタ放送管弦楽団を指揮してリリーと共にモーツァルト作曲ピアノ協奏曲第24番ハ短調を演奏した飯田信夫や、タナティンギ抑留所に入れられているリリーに便宜を図って、ピアノの練習を許したり、演奏会すら企画してあげた近藤利朗などだ。
「おお、日本人、やるな!」と思った。

 こんな環境の中で・・・いや、こんな環境だからこそ、心ある人はむさぼるように音楽を求めるのだろうが、それにしても、こういう人たちがいたという事実を知っただけで、僕は嬉しかったし、人間を信じられる気がする。
 勿論、一般的には曾根のような権威主義で尊大な抑留所の所長もいたわけだが、それはどこでもいるものね。

 リリー・クラウスについては、僕は高校時代、意図的に距離を置いていた。というのは、僕が高校1年生から師事したピアノの相良先生のご自慢の娘さんが、当時ウィーンでイングリット・ヘブラーの弟子になっていたのだ。
 僕が、ソナチネを終わってモーツァルトのソナタに入っていく時、先生は言った。
「モーツァルトの弾き方を参考にするならば、ヘブラーを聴きなさい。モーツァルト弾きにはリリー・クラウスもいるけれど・・・やっぱり、モーツァルトはヘブラーよ」
 そう言われると、純情な弟子としては、先生に逆らってリリー・クラウスのレコードを買ったりすることはできないんだよね。ましてや、聴いてみたらヘブラーよりリリー・クラウスの方が気に入った、となったら、なんとなく具合悪いじゃない?それで、なんとなくリリー・クラウスを避けて通ったままここまできてしまった。

 さて、本が読み終わって、あらためてリリー・クラウスを聴いだ。僕は何を感じたのか?というと。まさに「大胆」「天衣無縫」「天真爛漫」という感じで、その意味ではまさにモーツァルトの神髄、と思える。って、ゆーか、あの多感な青春時代をリリー・クラウスのモーツァルトを聴かないで過ごしたのか。僕は、なんてもったいないことをしたのだろう、とすら感じられて、残念でならない!
 その一方で、この本の71ページ最初に書いてあるような文章、すなわち、
「リリーが、生き急いだ作曲家(モーツァルト)の人生に合わせるように駆け足で直進しようとするのに対し、ゴールドベルクはもう少しゆっくりめのテンポで、気品に溢れた演奏を志向した」
という、リリーとデュオを組んでいたヴァイオリニストのヨハン・ゴールドベルクの感想に近いものも感じる。気品かあ。そう、それもモーツァルトの味わいのうちの一つ。気品という意味では、ヘブラーの方があるかも知れないとも思った。
 では、ヘブラーの方が良いかというと、いやいや・・・そもそもね、ヘブラーとリリーとでは器が違うんだよ。なんだかんだ言ってもリリー・クラウスは真の天才だ。だからこそ、あんな数奇な運命に翻弄されたのかも知れないけれど、どんな時でも彼女は天性のピアニストであり続けたのだ。

 一時は家族バラバラに抑留されていたのが、近藤や飯田の計らいでジャカルタ市内のクラマーと抑留所で一家そろって住むことができるようになった時、リリーは子供たちの前でうっかりこう言ってしまう。
「そこで、私は(親切な所長に)こう言ったの。はい、望みがあります。一にピアノ、二に家族再会です。そのお陰で、こうして皆一緒に暮らせるようになったのよ」
即座に子供たちは口を尖らせて反発する。
「リリー、ピアノが第一で、私たちとの再会は二番目だったの?」
それを取り繕う夫のマンデルがナイスフォロー。
「ルース、ピアニストにとって、ピアノは自分の手足と同じなんだよ。ピアノがないリリーは、リリーじゃない。だから、リリーが『第二に家族』と言ったのは、実質的には第一の願いということだ」
なかなか、こうは言えないよ。天才を支える夫として、マンデルも超一流!

 すでに他界して久しい相良先生を今更咎める気も全くないが、僕の青春をもっとリリー・クラウスで彩りたかったなあ。

角皆君よ。感動的な本をありがとう!



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