雨・・・タバコ・・・オトナのオペラ「ばらの騎士」

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

雨・・・タバコ・・・オトナのオペラ「ばらの騎士」
 新国立劇場では「椿姫」が終わってリヒャルト・シュトラウス作曲「ばらの騎士」の舞台稽古となっている。この作品は、ドラマと音楽が分かち難く結びついていて、本当だったら元帥夫人とオクタヴィアンがベッドの上で絡み合っているシーンから始まるんだけど、ソーシャルディスタンスを考慮しなければいけないので、互いの飛沫を浴びせ合う距離感では歌えず、なかなか難しい問題がある。

 コロナ以後、ソリストも合唱団も、互いに距離を取りながら歌うスタイルが定着し、聴衆も、
「そういうもんだと思えば、これはこれでアリかな」
という風に受けとめてくれている感じがして有り難いが、やはり「椿姫」では良くても「バラキシ」は辛いね。
 元帥夫人役のアンネッテ・ダッシュも、時々立ち稽古を止めて、
「う~ん、これではコンサート上演じゃない。モチベーションが維持できない!」
と言う。いや、我が儘なんかじゃない。彼女は、とってもドラマを考えているのだ。でも、再演演出の三浦安浩さんや澤田康子さんたちが、それをきちんと受けとめてくれて、「感染対策を守りながらドラマも失わない」というギリギリの線を模索しながら稽古を進めている。

 名演出家ジョナサン・ミラーの演出で、いつも僕が大好きなシーンがある。第一幕のラストシーン。元帥夫人は、愛するツバメのオクタヴィアンに、
「あなたは、いつかあたしなんかよりもっと相応しい相手を見つけてあたしから離れていくのよ。それは今日かも知れないし明日かも知れない。あたしには分かるわ」
と言って、彼を遠ざけておきながら、急に慌てて召し使い達にオクタヴィアンの後を追い掛けさせる。
 彼が、風のように立ち去ってしまった、という報告を召使い達から受けて肩を落とし、彼らを遠ざけてたったひとりになった元帥夫人。窓の外では、いつしか雨が降り始めている。ぼんやり佇んでいる彼女は、ふと机の中からタバコを取り出し、口にくわえてゆっくりと火を付ける。そして窓辺に近づき、タバコを吸いながらいつまでも外を見つめている。それを包み込むように、なんともいえないメランコリックなシュトラウスの音楽が流れている。
「ああ、このままずっとこのシーンに浸っていたい」
と思うけれど、静かに静かに緞帳が降りてゆく。

ううう、たまりませんな。オトナのオペラだね、これは。

 リヒャルト・シュトラウス本人の説明によると、元帥夫人の年齢は32歳未満。若い愛人のオクタヴィアンは17歳の少年。元帥夫人の夫で女たらしのレルヒナウ男爵オックスは35歳だという。元帥夫人が自らの“忍び寄る老い”を感じながら、ラストシーンで密かに身を引くには、あまりにも若すぎる設定じゃないの?とも思う。
 でもね。自分の若い頃のことを思い出してみると、そのくらいの年齢ほど、年の差というものが特別大きな意味を持っていたことに気付く。僕は、二十歳過ぎた頃、親父から、カトリック教徒になることも今の妻と結婚することも反対されていて、自活をするためにドイツ・レストランから始まってビヤホールやホテルのラウンジでピアノ弾きをしていた。
 僕が伴奏をする歌手達は、みんな20代だったが、ひとりだけちょうど30歳という女性シンガーのEさんがいて、その人がとっても僕の目にはオトナに見えたのだ。彼女は、
「あら三澤君、珈琲には最初にクリームを入れては駄目よ。冷めちゃうじゃない。まずお砂糖を入れて溶かしてからクリームを入れるの。その順番を間違えたらダサいと言われるわよ」
などと、いちいち僕をちょっと馬鹿にしながら、いろいろ教えてくれた。
香水の匂いも強かったし、ファッションもなんとなく洒落ていて、僕は、
「うわあ、やっぱりオトナの女性は違うな」
と素直に尊敬していた。
 Eさんとは、勿論オクタヴィアンと元帥夫人のような密接な関係になることはなかったが、なんとなくあこがれていて、オクタヴィアンが元帥夫人を眺める目が、今から思い出すと良く理解できる。
 反対に、自分がベルリン留学を終えて帰国し、愛知県立芸術大学や東京藝術大学に教えに行っていた30代初頭、20代になったばかりの学生達と接していると、
「うわあ、こいつら若いな。自分はもう年寄りだね」
と思って、ジェネレーション・ギャップを感じていたのを思い出す。つまりそれが、元帥夫人がオクタヴィアンを見る視線だ。

 「ばらの騎士」は、なんとも不謹慎な内容のオペラだけれど、我々が諸行無常の世界に生きていて、「全てがうつろい行く」という現実に向かい合う、という意味では、稀有なる作品だ。つまり時の刻む音が聞こえるオペラだ・・・いや、比喩ではなく、このオペラの中では、本当に時の刻む音が聞こえるのである。

 第1幕後半。元帥夫人がオクタヴィアンに向かってつぶやく。
「時って、私とあなたの間にも流れているの。
砂時計のように、音もなく・・・ところが、私には聞こえるの。時の流れる音が――絶え間なく。
私は、時々真夜中に起きて、時計を全部、全部よ、止めてしまうの。
でもね、時って、恐れるものではないのかもしれない。
時だって、私たち被造物と同じに神様から創られたのだから・・・」
 この時、オーケストラでは、チェレスタとハープのフラジオレットでGの音がモノトーンで規則的に流れる。この美しさよ!

 ワーグナーのように、深い宗教姓や哲学的表現には至らなかったリヒャルト・シュトラウスではあるが、「ばらの騎士」では、彼でなければ誰も描けなかったワールドがある。
 
 そして、元帥夫人の予感は的中する。第2幕。銀のバラのシーンで、オクタヴィアンと若く美しいゾフィーは運命の出遭いをし、たちまち互いに愛を確かめ合うまでに発展するのだ。こういうところでは、“若さ”というものは残酷なのである。
 第3幕ラストシーンでは、元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの稀有なる3重唱が聴かれる。この部分は極端に高い女性3重唱で、笑っちゃうのは、まるでリコーダー・アンサンブルを聞いているように、耳がビーンと鳴ってしまうことだ。
 そして元帥夫人は、ふたりを満足そうに眺めながら静かに身を引いていく。残ったふたりは、新しい愛を互いに確かめ合い、美しい2重唱を歌っていく。

 全体は喜劇タッチで、小ネタのギャグに満ちていてナンセンスな場面も多いが、ウィーン貴族社会のバカバカしさが風刺的に描かれている。一度は、観るに値するオペラだ。それがジョナサン・ミラーの演出で観れる内に、新国立劇場に足を運んでくださいね。

写真 オペラ「ばらの騎士」のチラシ裏面
「ばらの騎士」
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モツ勉発表会
 3月26日。土曜日の午後は、高崎の群馬シンフォニーホール大ホールで「モツ勉」の練習。はあ?なに?モツ勉って?と疑問を持たれる方は少なくないだろう。この団体については、短くない説明が必要だ。

 ある時、2020年12月5日、すなわちモーツァルトの命日に、ウィーンのシュテファン寺院(モーツァルトの葬儀が行われた教会)でモーツァルト作曲「レクィエム」を演奏する企画があるんだけど、指揮しませんか?という話が僕のところに持ち込まれた。
 それは、ある旅行社が企画したもので、ソリストはウィーン国立歌劇場のアンサンブル歌手たち。オーケストラはシュテファン寺院管弦楽団、そして肝心の合唱はというと、このために組織したアマチュア合唱団を、日本から連れていく。練習を東京、名古屋、高崎で行い、合同練習をしてから現地に乗り込むのだ。
 本番は、なんと深夜0時から始まる。モーツァルトが息を引き取ったのが12月5日になって間もなくの0時55分だと言われているので、レクィエムが終わりに近づくあたりで亡くなる時刻になる。

 その指揮を頼まれたのである。なんという楽しい企画!乗った!絶対にウィーンに行くぞう!・・・・ところが、みなさんご存知の通り、2020年といったら、新型コロナ・ウィルス感染拡大が始まった年ではないですか。他のすべての演奏会やオペラ公演などが軒並み中止になっているのに、あんた、ウィーンなんて行けるわけないじゃないですか。ということで、企画そのものが夏前にあっけなく中止になってしまいました。(;´д`)トホホ。

 東京、名古屋は、練習も始まっていなかったので、有無も言わせず即解散。ところがね、高崎だけは違った。すでに練習を始めていたこともあるが、そもそも、高崎の人たちの中には図々しく、
「あたしはウィーンには行けないんだけど、モーツァルトのレクィエムだったら一度歌ってみたかったので、練習だけ出たい!」
という人が何人もいて、本来は旅行に申し込んだ人だけが参加できるはずなのに、勝手に譜面持って練習に来てしまったので、旅行社が困ってしまって臨時の参加費を徴収したりしていたのだ。
そんなだから、旅行そのものが中止になっても、
「せっかく集まって練習を始めたのだから、この際、勉強会ということにして、いつまで続くか分からないけど、練習を継続しない?」
ということで、なんとウィーンに関係なく、高崎での指導者、猿谷友規さんの元で、練習が淡々と続けられているというのだ。

「先生、一度、みんなのところに来てやってくれませんか?練習をつけるだけでなく、何か蘊蓄(うんちく)でも述べてくれるともっといいです。勉強会ですから」
と猿谷さんが言ってきた。そこである日、夜に「おにころ合唱団」の練習がある土曜の午後に、試しに行ってみた。
 どうしてどうして一生懸命やっている。それに僕が練習の合間に、レクィエムの意味や、各祈りの内容などを説明すると、みんな目をキラキラさせながら聞いている。通常のように本番が設定されていて、お尻に火が付きながら取り組んでいると、どうしても、
「おはなしはいいから、早く音程やリズムの悪いところを直して!」
みたいになりがちであるが、こうやって気長にいろんな面からひとつの作品に取り組むのもいいなあ。気に入った!僕もおはなしするの好きだし、練習も本番のためでなく純粋に好きだし・・・でも、予算がないみたいだから、おにころ合唱団や新町歌劇団の練習がある時に、ついでに来てあげよう。なあにお代はいらない。

 ということで続けてきたが、それにしても永久にやり続けるわけにはいかない。そこで、そろそろ発表会をやって一区切り付けようかという意見が、誰からともなく出て、結局、ゴールデン・ウィーク中の5月4日水曜日14時から、群馬シンフォニーホールで行うことに決定したのである。
 シンフォニーホールというと、ちゃんとしたステージがあって客席も備え付けのホールを想像するが、現在の高崎芸術劇場ができるまでは群馬交響楽団の練習場として使われていた、大きな平土間の練習場である。「おにころ」の練習でも使っていた。ただ、ここにパイプ椅子を並べれば、リサイタルくらいはできるスペースが充分にある。
 発表会は無料で、前半は僕のレクチャーが(40分くらいかな)あって、後半がピアノ連弾伴奏で4人のソリストを伴って行う。モーツァルトのレクィエムは、未完成のままモーツァルトが亡くなってしまい、弟子のジュスマイヤーが補ったとされている。レクチャーでは、そのどこがどのように未完成で、どこまでがモーツァルトの正真正銘の作曲か?という謎に迫ってみようと思うし、その他にいろいろ「へえー?」というお話しが聞かれるよ。



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