「魔笛」優しいマエストロ・カエターニ

   

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

「魔笛」優しいマエストロ・カエターニ
 新国立劇場「魔笛」公演の指揮者オレグ・カエターニOleg Caetani氏は、なかなかユニークな人物だ。生まれは1956年というので、僕より1歳若いが、見かけはもう80歳くらいに見える。実は彼は、「春の祭典」などの名演で知られる、キエフ生まれの指揮者イーゴル・マルケヴィチの息子だ。
 母親は、マルケヴィチの二度目の妻ドンナ・トパツィア・カエターニといって14世紀初頭の教皇ボニファティウス8世の末裔だという由緒ある家系。それで、あえて母方の姓を名乗っている。
 ということでウクライナ人とイタリア人との混血である。たまたまなのだが、この時勢に偶然とはいえウクライナ人がよく我が劇場に来る。ただ、彼はスイスで生まれているので、今ウクライナに家があるとかではない。

写真 歌劇「魔笛」のチラシの裏面
「魔笛」
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 まず、「魔笛」の音楽作りであるが、いわゆる古楽的演奏解釈。勿論、演奏しているのは東京フィルハーモニーなので、オリジナル楽器ではないが、前打音を書いてある音価より少し長く弾かせたり歌わせたりするところは、ピリオド奏法のアイデアである。
 合唱への要求も、たとえば第1幕フィナーレのEs lebe Sarastro! Sarastro soll leben!というフレーズのアウフタクトは、8分音符で書いてあるけれど、他が付点8分音符と16分音符とのコンビネーションなので、あえて16分音符で歌わせる。
 でも、それは最近のトレンドなので、僕はマエストロが来日する前に、すでに2種類の方法で練習を付けておいた。そうでなくとも、僕はモーツァルトの合唱曲は、宗教曲であろうとオペラであろうと、バロック的アプローチをする。それにただちに気付いたマエストロは、僕の音楽作りをとても評価してくれた。

 拍子の取り方やテンポ設定も、とても個性的。No.3のタミーノのアリアは4分の2拍子で書いてあるが、通常はみんなゆったりとした4つ振りで指揮する。でもマエストロ・カエターニは厳格に2つ振りで、しかもかなり速い。最初はオーケストラもとまどっていた。
 第2幕冒頭No.10のザラストロの合唱付きアリアO Isis und Osirisの4分の3拍子は、まさかの1つ振り!No.15番In diesen heil'gen Hallenも、当然のように2つ振り。ただね、慣れてくると、これはこれで説得力がある。ベターッとロマン派的にやられるよりは、すっきりと躍動感に溢れた古典派らしい音楽のたたずまいが好ましい。

 マエストロは、ちょっと耳が遠いようで、練習中、時々、コミュニケーションの行き違いが生じる。オケ付き舞台稽古BO(Bühnen Orchester Probeの略)初日は、第1幕だけの練習だった。第1幕フィナーレ途中に舞台裏の合唱がある。タミーノと弁者とがザラストロへの評価をめぐってやり取りした後、タミーノが独り残された。彼は、
「いつ私の瞳は光を見出すのか?」
という問いを発する。すると、舞台裏から男声合唱が、
「間もなく、でなければ永遠に来ないBald, bald jüngling, oder nie!」
と答える。
 僕は元来、オペラであまりマイク(PA音)を多用することを好まないが、ミステリアスで美しいこの裏合唱では、裏声をミックスした柔らかいサウンドで出したいので特別だ。そのPA音と、表のオケピットからの管弦楽とのバランスは、このオケ付き舞台稽古で初めて計れる。
 最初に通した時、表のオーケストラとの音量バランスがうまくいかず、合唱団の声部間でのバランスも充分でなかったため、第一幕が終わりまで行って、マエストロが返し稽古を、休憩を挟まずにそのまま始めようとしたタイミングを見計らって、僕はオーケストラ・ピットまで走って行って、マエストロの背後から、
「マエストロ!裏合唱のBald, baldだけを、もう一度やっていただけませんか?」
とイタリア語で叫んだ。
マエストロは少し驚いたようだったが、
「分かった!合唱がやりたいんだね」
と答えてくれた。この「合唱がやりたいんだね」という言葉に、ちょっと引っ掛かるものを感じたが、まあ、分かってくれているでしょう、と、僕は楽観してしまった。
 
 ところが、マエストロは、ソリストの問題箇所をつまんで練習していく内に、いつの間にか裏合唱の個所を通り越して、どんどん進んで行く。そうこうしている内に、次のモノスタートスが銀の鈴で金縛りに遭う場面に来てしまった。
 そこは男声合唱がむしろ表舞台に出てきて、銀の鈴に酔い痴れながら、
「なんて素晴らしい響き!」
と歌わなければならない場面だ。でも、男声合唱は裏コーラスのために奥で待機しているため、舞台上には誰もいない。

 するとマエストロはすぐにオーケストラを止めて、
「あれえ?合唱は?」
と呟いている。
 僕は、またピットに走って行って叫ぶ。
「マエストロ、済みません。男声合唱は舞台裏で待っています。もっと前の裏コーラスCoro internoのBald, baldを最初にやって欲しかったのですが・・・」
そこで彼はやっと分かってくれて、すぐやってくれた。
「どうだい?これでいいかい?」
「ありがとうございました」
 でも、その後、こちらが頼んでもいないのに、またまた「なんて素晴らしい響き!」をやって、そのまま続けていく。男声合唱の後、結構すぐに混声合唱が来るので、新たに女声合唱を楽屋から呼び出して間に合わせるのに必死であった。

 そして、オケ付き舞台稽古BOの3日目がやって来た。これは実質ゲネプロ(General Probe)扱いだが、再演演目のためオケ付き稽古が1回分少ないので、あえて最終BOと呼ばれている。つまり、いざとなったら通し稽古を止めることも可能だし、通しを終わった後、必要に応じて返し稽古をすることも可能という意味。
 ただ実際には、大がかりな舞台機構が一緒に動いているため、なるべく止まらないで欲しいし、通し終了後も、よほど大変なミスや事故がない限り、そのまま「お疲れ様!」となるのが普通である。

 ところがマエストロは、1時間半近い第2幕通しのあと、休憩も取らないでそのままソリスト達の直し稽古に入ってしまった。そして、ピットすぐ後ろにいる音楽ヘッドコーチの城谷正博君に、どうやら合唱の個所をすぐに練習したいと言っているようだ。
 オーケストラのメンバーは、練習するならして構わないのだけれど、通しの後だから疲れていて、一度休憩を取りたいと思っているし、合唱団はいつもの調子で、楽屋エリアに戻るなり、さっさと衣装を脱いで化粧を落とし始めている。仮に返し稽古をするにしても、通常は休憩を挟むので、とにかく普段着になってから、というのが常識なのだ。
 そうこうしている間に、合唱の個所が来てしまった。マエストロは、あれ?って顔をして、
「合唱はどこだ?」
と叫んでいる。城谷君と制作部マネージャーがふたりで、
「合唱団は、今は来られません。一度休憩を・・・・」
と説得しているが、彼は聞き入れるどころか、いきなり怒り出して、めちゃめちゃ大きな声で、
「では終了!みなさんさよなら!」
と叫んで、帰ってしまった。
 ありゃ、なんかマズいな、とは思ったが、別に合唱が意図的にサボっていたわけではないし、僕が謝ったりするようなことではないよな、と思って、僕もその日はマエストロに会わずに帰った。

 そして4月16日土曜日の初日が来た。その日の僕は忙しくて、午前中豊洲文化センターで東京バロック・スコラーズ(TBS)の「ヨハネ受難曲」の練習。それから新国立劇場で「魔笛」。その後、晩に埼玉県志木市まで行って、志木第九の会の「メサイア」の練習と、都心をはさんで東に西にと、移動距離の長い日となった。
 TBSの練習後、有楽町線豊洲駅を出て市ヶ谷で乗り継ぎ、はるばる初台に辿り着くと、もうあまり時間がない。でも、オリジン弁当を楽屋に持ち込むのは嫌だな。そうだ、初台駅からすぐのCoco壱番屋で急いで食べることにしよう!
 この先、長い一日なので、体力を付けるためにカツカレーだ。ようし、一番高い「手仕込とんかつカレー」985円にしよう!ところがね、スキーをしている時以外は、カツカレーを食べたら駄目だね。その後、お腹にもたれて仕方なかった。

 ココイチは丁寧に作るので思ったより時間がかかった。それにカツもたっぷりあったので頬張るのに苦労した。初日の場合、合唱への最後のダメ出しがあるので、通常は30分前には入るのだが、新国立劇場楽屋エリアに入ったときは、もう13時45分くらいになっていた。ヤベエ、みんな心配しているようだ。マネージャーが僕の顔を見るなり走って来た。
「三澤さん。待ってました。ちょっと問題が起きてます。マエストロが、あの日、合唱の返し稽古をしようとしても、合唱を集めてくれなかったといって怒っています。それに、合唱指揮者も、自分に何のコメントもしないで帰ってしまった、と言ってます。もう開演まであまり時間がありませんが、どうかマエストロの楽屋にすぐに行って謝っていただけませんか?」
「え?怒ってる?僕に?」
 だってマエストロ、自分からすぐに終了って宣言しちゃったんじゃないの。怒っていきなり終了になったので、合唱団だってオケだって不本意ながらさっさと帰った。僕も、マエストロのところに行った方がいいかな、とはちょっと思ったけれど、これって音楽的なことじゃなくて事務的な話なので、僕が悪いわけじゃない・・・面倒くせえな・・・ぶつぶつぶつ・・・と、なんか中間管理職の不条理を感じながら、マエストロの楽屋のドアをノックし、中に入った。
 ええい、目をつむって謝るぞ!謝ればいいんでしょ、謝れば・・・。
「マエストロ、合唱指揮者のミサワです。先日はマエストロに挨拶もせずに帰ってしまって、申し訳ありませんでした」

 マエストロが僕の言葉尻を捉え、どんな厳しい言葉でこちらを責めてくるか身構えていた。しかし、むしろ向こうはポカーンとしている。僕は言葉を続けた。
「マエストロが合唱を呼ぶ指示をお出しになった時、合唱団はちょうど衣装を脱ぎ、洗面所で・・・ええと・・・『化粧』、そう、化粧を落としている最中だったのです。人がごった返していて、半裸の団員もいて、あの瞬間には、舞台にとても行ける状態ではありませんでした。休憩をしていただけたら・・・いや、そうでなくとも、あと10分、いや5分、お時間をいただければみんな揃って舞台上に出られたのですが・・・・」
 こんなマズイ瞬間には、焦っていて、いつもみたいにスラスラとイタリア語が出てこない。活用なんてメチャメチャで、もうほとんど動詞なんて不定形を並べているだけみたいな感じ。それでも、次女の杏奈がメイクの仕事をしているため、truccare(メイクをする)というイタリア語動詞を覚えていてよかった。
 あれ?見ると、マエストロは、恐い顔をしているどころか、僕が一生懸命弁解しているのを、ニコニコ微笑みながら見つめている。
「そうか・・・そうか・・・化粧を・・・衣装を・・・そうだったのか・・・」
と、しきりに頷いている。それからゆっくりと間をあけて言った。
「そのことはもういいよ。それより・・・少しおはなししよっか?」
(はあっ?)と思ったけれど、
「はい・・・」
と答えておいた。

 すると、僕をじっと見つめながらこう言い始めた。
「君は、若い時のオザワ(小澤征爾)に似ているねえ。私はオザワにも少し指揮を習ったよ。本当に素晴らしい芸術家だ。今は、マツモトなんかでも、演奏会の一部分だけ振って、あとは他の指揮者に任せているようだね。もう90歳近いかな」
(な・・・何がいいたいんだろね?)と、だんだん分からなくなってきた。適当に受け答えをしていたら、さらに話を続ける。
「君ね。昔のオザワのような目をして、一生懸命音楽に向かい合っている。それに実際、君の作る合唱は素晴らしい。私はね、君がオケピットの後ろから『合唱の練習してください!』と叫んだ時ね、嬉しかったんだよ。だってみんな帰ることばかり考えているだろう。それなのに君は、合唱の練習をとことん私にやって欲しかったんだもの」
(いやまあ、裏コーラスだけやってくれれば良かったんだけどね・・・)
「だから、最後の練習の後も、あの時のように君のために合唱の練習をしてあげようって思ってたんだ。それなのに合唱は来ない。君もいなかったし・・・・」
(えっ?そうだったんだ。僕のために・・・)
「すみません!いや、合唱団の様子を見に行ったり、いろいろ駆け回っていたし・・・」
「いや、もういいんだ。もう謝らないで!怒ってない。怒ってなんかいないんだ。それよりさあ、仲良くやろうね」
「はい。もちろんです!ありがとうございます!」

 そうか、僕を待っていてくれたのか。自分でちゃぶ台をひっくり返してしまった後も、僕はおろか、恐くて誰も彼に近寄っていかなかったのだろう。自分が怒っている、とマネージャーに言ったのは、淋しかったからかも知れない。誰かに構って欲しかったのかも知れない。本当は、とってもいいひとなんだ。僕はマエストロが大好きになった。

「では、失礼します」
と言いながらマエストロの楽屋から出ると、みんなが興味深い目でこちらを見てる。僕は、通り過ぎながら、
「マエストロとめちゃめちゃ仲良しになったよ。もう大丈夫です」
と言った。

 それから間もなく、「魔笛」の崇高な変ホ長調の主和音が、楽屋エリアの放送で流れた。僕は、合唱団員を集めて、最後のダメ出しをした。
「Triumph,triumph(万歳、万歳)の裏コーラスは、ほとんどPAが効いていないので、みなさんの響きが裏で回ってから客席に届きます。だから、僕が裏で振っているタイミングは半拍くらい早いけれど、信頼してしっかり付いて来てください。客席で聴いていたアシスタントは、これでピッタリだと言ってます。
男声合唱の例のBald,baldは、ピアノだと思うと響きが痩せてしまうので、むしろ豊かなSotto voceで。バスは大きめでいいから特にふくよかに。それからね・・・」
と言いながら、僕は先ほどのマエストロとの会話をみんなにかいつまんで説明した。
「とってもいい人です。みんな、頑張ってやりましょう!」

聖週間
 今年の聖週間は、枝の主日と聖金曜日と復活祭の主日のミサに出られた。「魔笛」の間を縫ってという感じだ。4月15日金曜日はオフだったので、本当はスキーに行きたいと思っていたが、台風第1号の影響で、どこも雨の天気予報。雪は覚悟の上だけど、雨は嫌だよね。ま、それで聖金曜日の礼拝に出られたんだから神の恵み。

 聖金曜日の福音書朗読は、「ヨハネ受難曲」の福音史家のレシタティーヴォの場所と完全に同一である。というか、ルターは元々カトリック教会の司祭だったので、ルター派の礼拝だって、カトリックの聖週間の内容をそのまま受け継いでいるから当然と言えば当然だ。

 この朗読は会衆も参加して行う。イエスのセリフは司祭が朗読し、ユダヤ人のセリフは一般会衆が唱える。その他の個所は朗読者が唱える。「ヨハネ受難曲」に取り組んでいる僕は、最初の、

「イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。
そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。」
という朗読者の言葉を聞きながら、僕の頭の中では、
Jesus ging mit seinen Jüngern über den Bach Kidron,
da war ein Garten,
darein ging Jesus und seine Jünger.
というドイツ語と、レシタティーヴォのメロディ及びそれを支える和声がシンクロして流れていた。それは結構楽しかったが、まだ本番の6月5日まで間があるので、ところどころ忘れていて、シンクロしない。もう何度も暗譜で指揮している言葉なのに、本番までには、福音史家の言葉もまたきちんと頭に入れよう。
 いや、別に暗譜しなくても全然問題ないんだよ。でも、違うんだ。そういうことじゃなくって、大切な言葉だからね。皮膚感覚で覚えていて、本番を迎えたいだけだ。別に覚えていることを自慢したいのではない。だから、あえて譜面をおくかも知れない。
 あくまで自分と自分の信仰心のため。「必要ないことはしない」という価値観が巷に流れているだろう。でも、「特に必要ない」とみんなが考えていることの中に、大切なことが隠れていることが多いんだ。

 面白いのは、ユダヤ人の言葉を、他の会衆と共に朗読する時、たとえば、
「ナザレのイエスだ。」
とひとことで終わってしまうのだけれど、僕の頭の中には4小節に渡る、
Jesum, Jesum, Jesum von Nazareth.
という2dの合唱曲が響いていて、頭から出ていかない。
特に後半の、
「十字架につけろ、十字架につけろ。」
なんて、24小節にも及ぶ、
Kreuzige, kreuzige!
という21dが延々響き渡っているんだぜ。もう朗読者はとっくに先を読んでいるのにさ。いい加減にして欲しいよ。まったく。
ということで、とっても楽しいひとときでした・・・いや、受難の場面なので楽しいなんて言っては不謹慎である。

 嬉しいのは、一緒に行った孫娘の杏樹が、これまでは、ミサの間が退屈で絵を描いたり別のことをしていたりして落ち着かなかったが、3年生の新学期が始まって、今回は、たとえば祭壇中央の大きなイエス像の上に布が掛かっているのに気が付いて、
「あれ、イエス様がいないよ」
と言った。また、手に持った小さい十字架の布の覆いをはずしながら行う、
見よ キリストの十字架世の救い
ともに あがめたたえよう
の祈りに注意を傾けていた。

 その聖金曜日で何か淋しかったものが、復活祭の主日で明るい雰囲気に変わったことを、杏樹は敏感に察していた。やっぱり、こうした環境を与えるということは、大切なことなんだな、と思った。
少しずつ成長していく杏樹を、目を細くして眺めている「今日この頃」のジージである。



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