僕の忙しいゴールデン・ウィーク

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

僕の忙しいゴールデン・ウィーク
Zoom指揮レッスンの時間割が変わります
 今、すでに予約している方達はそのままですが、これからZoom指揮レッスンの時間割が変わります。詳しくはトップページの「Zoomレッスンのお知らせ」をご覧になっていただきたいのですが、基本的にABCをABのみにあらため、基本的時間割を以下のようにします。なお、休日のDEはCDとなります。

A   9:30-10:15
B   11:00-11:45
(休日のみ)
C   13:00-13:45
D   14:00-14:45
 理由としては、実際に、これまでのBすなわち10:15-11:15と、Cの11:15-12:00を続けてレッスンすることは行っていないことが挙げられます。

 僕のレッスンってだいたい少し伸びるでしょう。するとBとCの間には元々15分しかなくて、何度か一緒に入れたのですが、Bを終わって気が付いてみたら、もうCが迫っているので、疲れるからCの受講者に失礼なのです。だから、このふたつは続けないことに決めてかなり時が経ってます。

 また、Zoomレッスンを始めたのは、コロナ真っ最中の2020年9月からで、その頃は他の仕事が皆無だったのですが、今は、結構日常的に外に出る仕事で詰まっているという理由があげられます。
 一時は沢山受講者を抱えていたけれど、今は人数がある程度限られています。でも、これ以上大々的に受講者を増やさなければ、という必要性というか欲求はありません。もちろん、受講したい方は遠慮しないで申し込んでいただきたいし、今受講している方が何も躊躇する必要はないけれど、僕としては、現在の受講者数が心地よいのです。従って、この新しい時間割で充分かなと思うからです。
 とはいいながら、興味のある方は今からでも申し込んで下さい。あるいは、かつて受講していた方で、ピンポイントで、このことを習ってみようかなと思われたなら、いつでも大歓迎です!
 

写真 雪がほとんど消えたとおみゲレンデ
春のとおみゲレンデ

白馬でシーズン最後のスキーと対談
 4月25日月曜日午後。僕はエイブル白馬五竜スキー場の上部アルプス平のグランプリ・コースにいた。暑い!僕を白馬駅まで迎えに来てくれたペンション・カーサビアンカのオーナー大野正吾さんは、
「今、この白馬でなんと(気温が)26度ですよ」
と言っていた。
 さすがに山頂までくると、それよりは涼しいが、ゲレンデはザラメ雪で荒れ放題。ここも、先日のかぐらスキー場同様、いたるところに深いコブが出来ている。この時期になると新雪など望むべくもないので、コブは沢山のスキーヤーによって、ただ深く掘られていくのみ。すでに土が見えているところもある。


エイブル白馬五竜スキー場
(画像クリックで拡大表示)

 だから今回は、コブに特化して滑ろうとも思わなかったので、スラローム用のSpeed Chargerという板を持ってきた。これが大当たり。板自体に鉄板が2枚入っているので、グサグサ雪を板の重みで蹴散らしてくれる。
 かぐらスキー場の時にも言ったけど、最近流行のワイドスタンスで、外足を突っ張り内足をたたみ込んだフォームというのは、こんな時に安定感があるね。板の真ん中に乗って外足をグーッと押せば押すほど、板がたわんで、サイドカーブがよりきつくなり、キュイーンと勢いが付くのが楽しい。勿論、両板を揃えた姿勢でも、きちんと外足に乗って、内足の角度を揃えるならば、こんな荒れたゲレンデでも安定して滑れた。

 さて、角皆君は午後6時きっかりに僕を迎えに来て、僕をレストラン田園詩にまで運んでくれた。今晩は、ここで角皆君が来期に発売する予定のDVDのために、対談を行う。田園詩は、レストランだけでなく、ここの2階でひと組だけ宿泊できる。とてもゆったりして、結構ゴージャスな気分に浸れるが、2019年の暮れ、家族でここに泊まったときは、孫の杏樹がインフルエンザにかかって高熱を出し引きつけを起こして救急車で大町病院まで運ばれた。
 マスターが出てきた時、僕は思わず、
「あの時は、お騒がせして、大変申し訳ございませんでした!」
と謝ったが、マスターはニコニコして、
「いえいえ、その後お孫さんはお元気ですか?」
と聞いてくれたので、
「ええ、お陰様で小学校3年生になりました」
と言った。また是非泊まらせていただこう。

 さて、当初は、夕食を食べながら対談の予定だったが、ビデオだからね。会話がダラダラと流れてしまうと、文章のように「後で自由に編集」というわけにはいかないので、結局角皆君の提案で、夕食を食べながら予行演習も兼ねて、テーマに沿ってなんとなくお話し合いをして、デザートを食べる時に集中的に本番を撮ろうよ、ということに決定した。

 参加者は、勿論僕と角皆君がメインなのだが、ちょうどマエストロ・キャンプにも参加してくれた高崎高校の同級生、元昭和女子大学教授で現在は名誉教授の菊池誠一君が、角皆君のレッスンを受けているため、急遽参加してくれることになった。
 それと、ビデオを撮っている本人で、株式会社ダイレクトライン出版の代表取締役、つまりこのDVDを制作してくれる社長さんの小保内祐一(おぼない ゆういち)さんも、少しではあるが加わった。

 角皆君が「オボ」と親しげに呼んでいる小保内さんは、角皆君曰く、
「こんなにコブに寄り添って、しなやかに美しく滑るスキーヤーはいない」
と絶賛するほどの腕前だそうである。

 僕と菊池君は、「食事の時には予行演習」という言葉を聞いてすっかり気が緩み、まず前菜の時に生ビールを注文し、菊池君がグラスで赤ワインを注文しようとしたので、
「おっとっと、菊池君!そんならいっそのことボトルで頼もう!」
と言って、ボトルで頼んでシェアーした。
 そしたら、いざ本番という時には、なかなかリラックスしてきた。あははははは!で、どんな風に撮れているのかについては、あまり責任が持てませんなあ・・・・いや、そんなことはありません。お話しは真面目にしましたよ!当たり前でしょう!!

 対談の具体的な中身は、基本的には「スキーというものの楽しみ」についてだが、整地やコブなど実際的な楽しさについて話すだけでなく、大自然に囲まれたりスピードなどがもたらす様々なスピリチュアな要素などについても幅を広げ、僕たちの語り合う空間そのものがとても貴重で有意義なものであった。DVDに編集されても、きっと胸ときめく会話になるのではないかな。

 僕は“しらふ”の角皆君に車で送ってもらったが、宿のカーサビアンカに着くと、今度はマスターの大野さんが、地下の“呑み処おおの”で待ち構えているんだ。しょうがねえなあ・・・という感じで、ここでしか呑まない極上の冷や酒を3杯ほどいただいて(いやあ、これが最高!)、ベッドに横になったら2秒としない内に意識が消えた。

 翌朝26日火曜日。朝食の時間を早めてもらって、ゲレンデがオープンしたての8時過ぎにゴンドラに乗って上まで行く。こんな時でもアルプス平はきれいに圧雪されているので、朝イチのグランプリ・コースはまだ誰のシュプールもついてなくて、フルカーヴィングで滑るとサイコー!

写真 グランプリ・コースのゲレンデ
朝イチ4月26日グランプリ

 ところが何度も滑っていく内に、他のスキーヤーやボーダーのシュプールがどんどん目立ってきた。気温も上がって来て、エッジを立ててカーヴィングで滑ろうと思っても、グズグズっとズレてきてしまう。
 だめだこりゃと思って、センターにコーヒーを飲みに行こうとしたら、角皆君が菊池誠一君のレッスンをしているので、付き合った。それから3人でコーヒーを飲んで、もうゴンドラで降りてきた。
 その日は午後から雨になる予報だった。一度カーサビアンカに着いてシャワーを借り、会計を済ませて、大野さんの車で最寄りの神城駅に送ってもらおうとしたら、ザーッといきなり土砂降りが来た。

こうして僕のスキー・シーズンは終わった。

宮崎音楽祭の「ヴェルディ・レクィエム」練習
 4月27日、28日は、宮崎のヴェルディ・レクィエムの練習。プロの合唱団員相手ではあるが、ヴェルディなので、今回はベルカント唱法にかなりこだわって指導した。横隔膜の状態や腹圧の作り方を、細かくチェックし、様々な音楽的表情に対応した発声のあり方を規定した。みんな「何をいまさら?」って最初は思っただろうが、やってみると、案外完璧からはほど遠い。
 特に、持ち声の美声な若いテノール達から、不用心なナザーレの響きが聞こえてくると、僕は即座に、
「その声だけは絶対に使っちゃいけない!」
と強く言う。
 他人から「良い声」とちやほやされながら、本当の支えやチェンジやアクート(高音を出す特別なテクニック)の習得を怠っていると、中年に差し掛かるや否や、それらに復讐される。声が揺れはじめ、ブレスが続かなくなる。
 だから、声楽家は決して持ち声に溺れてはいけない。そして、支えを強固に保つだけでは不充分で、腹圧の強さにも曲想によって様々なバリエーションがあるし、音色を操り、喉に掛かる圧や、口腔内の開け方など、いろいろなことにきめ細かく精通すること。とにかく、まず自分の持ち声など一度忘れて、徹底的にテクニックを身につけることに尽きるのである。 

名古屋での日々
 4月29日金曜日は名古屋に行く。東京駅に出ると、久しぶりにホームに人が溢れている。ああ、人が戻ってきたな、と思ったら、なんだか嬉しくなってきた。今日はモーツァルト200合唱団で、「モーツァルト・レクィエム」の練習。
 昨年、僕がコロナに感染したせいもあり、演奏会が流れてしまって申し訳なかったが、それ以来の再会で、みんな温かく迎えてくれた。ありがとう!今年は是非演奏会を成就させよう!

 そのまま名古屋駅に隣接するホテルに泊まって、30日土曜日と5月1日日曜日は、愛知祝祭管弦楽団の練習。もちろん「トリスタンとイゾルデ」。第2幕から開始したが、2日間かけて全曲をくまなく練習できた。
 でも、なんといっても、第2幕第1場と第2場が、オケにとっては難しい。特に、待ちに待ったトリスタンとイゾルデとの出遭いの瞬間は、狂気の沙汰で、音楽も狂気で、オーケストレーションも狂気で、まるでこれはケダモノ達の交尾(失礼)ではないか!ワーグナーは完全に頭おかしい(笑)。
 第3幕で、イゾルデの来訪を告げるホルツ・トランペットの場面から後も、難しいといえば難しいが、変拍子も含めて、結構調子よくいける。トレーナー達も優秀とみえて、弾き込んできているのが分かる。
 とにかく団員達みんな頑張っている。考えてみると僕は、何故か名古屋の人たちと気が合うようだ。振り返ってみると、1984年にベルリン留学から帰国した僕は、1985年4月から愛知県立芸術大学非常勤講師を務め始めたが、それ以来、名古屋バッハ・アンサンブルコールやセント・ミカエル・クワイヤー、そして名古屋芸術大学客員教授、モーツァルト200合唱団、愛知祝祭管弦楽団と、名古屋から片時も離れたことはないんだ。不思議な運命のつながりを感じる。

高崎滞在
 5月3日には高崎に行く。翌日に控えたモツ勉こと「モーツァルト・レクィエム勉強会」の発表会の最終練習を行う。名古屋、高崎と「モツレク」が重なるのは偶然ではない。この二つの団体は、どれも、2020年12月5日、すなわちモーツァルトの命日の深夜に、ウィーンのシュテファン寺院で「モツレク」を演奏するというツアーの拠点になっていたからだ。
 それが、そのツアーに向かって練習を始めるやいなや、新型コロナ・ウィルス感染拡大によって、1年延期となり、さらに2021年も叶わず、ひとまず振り出しに戻ることを余儀なくされて、結局中止。宙ぶらりんになってしまった。中止言われたって、今さら収まりがつかないじゃないの。
 ということで、やっと今年、高崎は5月4日に発表会を行い、名古屋は9月に演奏会を行うというわけ。

護國神社
 3日の晩に、本番会場で練習を行い、その晩は僕も高崎駅前のホテルに泊まった。次の日の朝6時に起きてお散歩に出る。

写真 遠景左に高崎白衣観音が見える
観音山に向かう

高層ビルの高崎市役所を左に見ながら通り越し、烏川(からすがわ)を下に見ながら和田橋を渡る。榛名山が眼前に迫っていて、ちっぽけな僕の存在そのものが、この山の懐に包まれているよう。そのまま観音山方面に真っ直ぐ向かう。白衣大観音が朝日に輝いている。やがて母校高崎高校を右に見ながら、目的地に着いた。群馬縣護國神社である。

写真 道正面遠方に護国神社の鳥居が見える
護国神社の大鳥居が見えてきた

 大鳥居をくぐって、玉砂利の坂を上がっていく。在学中、よく授業を抜け出して、何気なく来ていたこの神社。あらためて訪れてみると、なんともいえない清冽な気が漂っている。本殿の前に辿り着いた。ええっ?こんな素晴らしい神社だったのか?

写真 護国神社本殿の鳥居前
護国神社本殿

 見ると左側の建物が、そのまま残っている。ここで、合唱部は毎夏合宿していたんだ。夕食後は布団蒸しなんかしていたっけ。生け贄になる部員を物色し、誰かが押し倒して、その上に布団を果てしなく掛けていく。自分が生け贄になった時の布団の中の暑さと、身動き一つ出来ない絶望的な苦しさも思い出されてきた。
みんなは自分たちで布団を掛けておきながら、その後、剥がしながら、わざとらしく呼ぶ。
「おーい、ミサワ、大丈夫か?」
「生きてるか?」
生きてるかじゃねーよ、まったく!もう50年も経っているが、怒りが込み上げてきた。

 おっとっと・・・神社の前で怒っている場合じゃない。
本殿の前で、
「はらい給え、浄め給え、神(かむ)ながら、守り給え、幸(さきわ)え給え」
を3度唱える。
 それから2礼して、手をパンパンと叩く。空気がキンと鳴るような気がして、あたりが浄められる。

 それから僕の場合は、
「ありがとうございます!」
を何度も唱える。その朝は100回唱えた。
 その間はたいてい、僕の顔をそよ風が右上から左下に撫でていくが、その朝の風は、そよ風どころか、結構強く、しかも限りなく爽やかであった。

「今日も、お散歩とお祈りで一日を始めることができたことを感謝します。この健康を心から感謝します。今日一日、自分の成すべき事を滞りなく成すことができますように」
それから、家族ひとりひとりのことを祈り、いろんな人のことを祈り、最後に、
「全世界が平和でありますように」
と祈って、僕は神社を後にした。
 高崎高校の近くにある「山田かまち美術館」の横を通り、今度は聖石橋(ひじりしばし)を通ってホテルまで帰って来た。

写真 山田かまち美術館前
山田かまち美術館

モツ勉発表会
 発表会前半では、僕がプチ講演を行って、モツレクにまつわるお話しをした。
「1791年の夏、モーツァルトの処に見知らぬ男が現れ、レクィエムを依頼しました。ところが男は、依頼主は匿名にして欲しいと言い、かなりの報酬を約束し、その一部を前払いして去っていきました。モーツァルトは、これはもしかしたら自分のためのレクィエムではないかと思いはじめ、死への予感を抱きながら作曲を進めたと言われています。そして実際に、彼は体調を崩しはじめ、この曲を完成することができないまま、帰らぬ人となってしまいました」

 そして、具体的にどのような過程を経て、このレクィエムが作曲され、どこまでが正真正銘モーツァルトの手によって作られたのか?Sanctus以降は補筆をした弟子のジュスマイヤーが作曲されたとも言われているが、たとえば、あんな素晴らしいBenedictusの4人のソリストのアンサンブルを作るほどに、ジュスマイヤーの作曲の腕は卓越していたのか?などについて語ってみた。
ちなみに、ジュスマイヤーは、補筆の中でも、数々の和声進行上の過ちを犯していて、音大作曲科の入試には絶対落ちるレベルであった。

 また、レクィエムでは、モーツァルトが、それまでにない新境地を切り開いた、という声も聞くが、それは本当か?などを、簡単ではあるが語ってみた。今ここで説明し始めると長くなってしまうので、この内容をね、その内、Youtubeで発表してみるつもり。みなさん、楽しみにしていてね。

 さて5月4日の発表会そのものは、伴奏こそオーケストラではなくピアノによる4手の連弾だったが、ほとんど手弁当でソロを務めてくれたソリスト達も、そして合唱団の人たちも、本当に真摯に作品に向かい合い、かなり感動的なモツレクが響き渡った。みんな、ありがとう!それにしても、これは本当に名曲だ!

ヴェル・レク最終稽古
 5月6日金曜日は、宮崎「ヴェルディ・レクィエム」の最終稽古。みんなは、僕の強圧的ともいえる指導に、反発もせずに、それどころか真剣に向かい合ってくれて、声楽的にも、音楽的表現の面でも、かなり仕上がってきた。
 さあ、これから宮崎に行って、うまいもん食べて・・・ではなくて・・・ええと・・・マエストロ大野和士さんの前で、この創り上げた僕たちのヴェルレクを披露する。今度は、彼の料理方法に合わせて軌道修正し、本番にまで持って行く。こうしたことは、一見、中間管理職のようにも見えるけれど、実は、こういうことこそ合唱指揮者の醍醐味よ!

東京バロック・スコラーズと新町歌劇団
 5月7日土曜日は、午前中、東京バロック・スコラーズで「ヨハネ受難曲」の練習。その後またまた高崎方面に向かう。新町公民館で、8月7日のコンサートのための新町歌劇団の練習。僕が編曲した日本各地のご当地ソング。それでね、ご当地ソングではないのだけれど、どうしても加えたい曲があって、その日の練習にSDカードに入れて持って行った。

 それは、みんな知っていると思うけれど、米津玄師作詞作曲「パプリカ」という曲。これは2020年応援ソングとしてNHK「みんなの歌」をはじめとして、何度も何度も流された曲だ。東京オリンピックを意識して書かれた応援歌。
 それが、新型コロナ・ウィルス蔓延のため、緊急事態宣言が発令され、東京オリンピックも中止になってしまった。次の年にオリンピックは強行されたが、もうこの曲を歌う雰囲気ではなく、結局お蔵入りとなってしまった曲だ。

 あの年、すなわち2020年の4月。新国立劇場では「ホフマン物語」公演が中止になり、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」など、全ての公演がなくなっていく中で、僕は合唱団員達が気の毒で仕方なくて、あることを決心して芸術監督の大野和士さんに頼みに行った。
「大野さん。緊急事態宣言が解けたら、合唱団員のために何かできることをしてやっていただけませんか?」
「何かって、たとえば?」
「コンサートとかです。このまま秋まで全ての公演が消えてしまうでしょう。オペラは動きがあるから無理でしょうが、コンサートならば、団員同士が距離を取って動かないで歌ったなら出来るのではないでしょうか?」
「三澤さんは、本当に団員のことを思ってくれているんだね。よし、企画してみよう!楽しいコンサートがいいね。じゃあ、三澤さん、曲目出してくれない?」
それで、その中に僕は「パプリカ」も入れて、合唱曲用に編曲していたのだ。

 結果的には、緊急事態宣言が終わっても、コロナの蔓延状態は鎮まることもなく、それどころか夏場になってもコンサートそのものが世間からパッタリ途絶えてしまったので、企画は立ち消えになってしまったし、そもそも劇場内では、
「三澤が大野さんとなにやら勝手に何かもくろんでいる」
という目で見られて、敬遠されていたのだ。でも、僕は、僕の相談をきちんと受けとめてくれた大野さんの人間性を、今もこれからも最大限に評価している。

さて、そんなわけで新町歌劇団も、これから夏に向かってアクセルをふかしていく。

僕は明日から宮崎です。5月14日土曜日まで滞在し、夜の飛行機で帰ってきます。



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA