東大で講義してきました

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

東大で講義してきました
 5月19日木曜日。僕は、いつもにはない緊張感を抱きながら、本郷三丁目のスターバックスを出て、東京大学本郷キャンパスに向かった。途中、赤門を通った。気が付いたらi-Phoneで写真を撮っていた。東大アカデミカ・コールの練習などでいつも普通に通っている時には、見てもなんとも思わないのに、どうしてこんな時ばかりミーハーな観光客しているの?

写真 東大の赤門
東大赤門

 講義をする工学部の校舎に行くと、コーディネーターの六川修一先生(東京大学名誉教授)が待っていた。一目見て、あ、そうか、と思った。こんな音楽家の僕が、どうして東京大学などに呼ばれたの?と思っていた疑問があっさり解けた。この先生、アカデミカ・コールの団員だ。念のために聞いた。
「どういういきさつで、私なんかが呼ばれたのですか?」
「私ね、音楽部の部長をやっていましてね。アカデミカ・コールの練習の合間に三澤先生がなさるお話しに興味を持ちまして、是非この講座にお呼びして、若い学生達に語っていただきたいと思って、私の独断と偏見で先生をお呼びしました」
「なるほど」

 この講座は、主として大学院生のためにZoomで行われるものだ。学部生も聴講できるけれど単位は取得できないという。チラシを見てもらえると分かるけれど、いろんな分野の方達がお話しするが、音楽についてお話しするのは勿論僕だけだ。そ、それで、単位?なんか申し訳ない感じがする。

写真 東大の講演会のチラシ
東大エグゼクティブ・プログラム

 準備は周到にしなければ、ということで、前の週の宮崎にノート・パソコンをせっかく重たい思いして持って行ったのに、なんと滞在中に、無料セキュリティ・ソフトをインストールしようとしたら、そのまま固まってクラッシュしてしまった。何度試しても戻らず、これは初期化する他に方法がなかったので、そもそも準備を始めたのが東京に帰ってから。
 当初は、講義に自分のノート・パソコンを持って行ってPowerpointを操作しながら進めるつもりだったが、パソコンを初期化する手間があったらPowerpointファイルの作成を先に進めたかったので、講義には先方のパソコンを借りた。

 事務の方から、
「160名ほど参加者がいらっしゃいます」
と言われた。ゲッ!ヤベエな、どうしよう・・・。
 講義内容は、前もって学生達に配っていたレジュメに従って進めていった。80分の講義と、約20分の質疑応答。その質疑応答では、講義中にチャットで送られてくる質問を、六川先生が前もって整理してくれておいて、読み上げて僕が答える。

 そもそも、どんな質問が来るのかな?と思っていたが、一番多かったのが、作曲あるいは演奏する時に、僕が「降りてくる」と言ったことについてだった。
僕は答えた。
「頭(知性)で音を組み合わせたりしても、傑作というものはできないのです。作曲家も、素晴らしいものができている時には、自分で感動しているはずです。そして、その感動が演奏者を動かし聴衆に伝わるのです」
また、
「演奏者が譜面を読むと、そこに演奏者の解釈が生まれるでしょう。そうすると、作曲家の意図からハズれてしまいますよね。そこのところは、どうなんでしょうか?」
という質問は何人からも出ていたという。
僕は答える。
「ジャズみたいな即興演奏が入る音楽はともかくとして、クラシック音楽では、作曲家の設計図(スコア)というものは、オーケストラの個々の楽器に対してまで綿密に書かれています。テンポも指定されていますし、dolce(柔らかく)とか、表情記号も細かく書いてあります。
通常は、多少の表現の幅があっても、少なくとも作曲家が基本的に意図した音楽は、かなり忠実に実現されているのではないでしょうか。その上で、具体的には、リタルダンドの割合をどうするかとか、mfをどのくらいの音量で再現するかとか、演奏家は決めなければなりません。
勿論、作曲家の意図を全く無視して演奏しても、おまわりさんに逮捕されることはありませんが、あまり逸脱した演奏は、そのまま演奏者への評価、場合によっては強い批判として帰って来ます。
『この楽曲をどう読むのか』というのも同じです。作曲家の意図に反して極端に独りよがりにやると、結局誰からも賛同を得ることはできません。そんなことを長年やっていたら、音楽家として生きていくのが難しいでしょう。
だから、音楽家は基本的に、作曲家の本心に迫ることを前提として『楽曲を読む』ことをします。ここに作曲家へのリスペクトがないと、結果的にはうまくいきません。それでも、楽曲を理解するのは結局“感性”でしかできないので、演奏者による違いは自ずと出てくるわけです」

 面白い質問があった。
「私はギターをやっていて、弾きながら作曲するのですが、いつも同じような感じの曲になってしまってワンパターンに陥ってしまいます。どうしたらよいでしょうか?」
それにたいしてはこう答えておいた。
「その問題への解決ははっきりしています。言葉で言えば語彙(ボキャブラリー)が少ないからです。音楽で具体的に言うと、和声進行の幅を広げることです。一度ギターから離れて、いろんな曲の和声進行を調べてみてください。それとメロディーと和声との関係も。あなたが思っている以上に、いろんな可能性があるのに驚くと思います。喋る時でも、ものを書く時でも、語彙が豊富だと、いろいろ使ってみたくなるでしょう。音楽も一緒です。ボキャブラリーを豊富に。これに尽きると思います」

 質問は、沢山あったので、予定時間を15分以上伸びて講義は終わった。
「いつもは、講義が始まってからすぐにツッコミを入れる学生とかいるのに、後半まで質問がほとんど出なかったのが印象的でした。みんな興味津々というか、ビックリしていたのかも知れませんね」
とスタッフの方達が言っていた。
 六川先生と挨拶して別れ、工学部の建物を出て、僕はひとりでゆっくりと、もう真っ暗になってひんやりとしたキャンパスを歩き、帰りは東大前駅から帰ってきた。

僕の週末「ヨハネ受難曲」&「トリスタン」
 5月21日土曜日は、朝から東京バロック・スコラーズの練習。「ヨハネ受難曲」全曲を止めながら通した。合唱の間をつなぐレシタティーヴォは僕が全て歌った。こうしないとドラマがつながっていかないから。
 その上で、群衆合唱の心理として、どう切り込んで表現していくのがふさわしいか指導する。逆に気持ちが先走ると、発声が浅くなったりすることもある。しっかりと腹圧をかけてお腹の底から表現させることを指導した。

 たとえば27番bの「この衣服は分けないでくじ引きで誰のものにするか決めよう」という合唱曲は、戦場における兵士達の無感覚ぶりを表現しなければならない。3人も十字架に掛かって喘いでいる側で、人が死ぬことに無関心になって、
「おっ、勝った!これトッピー!」
「ゲッ、負けた。くやしい!」
なんてお気楽な会話がなされているのだ。イエスの受難の真っ只中にある、この違和感を表現しないといけない。

 さて、12時から、バスの萩原潤さんが練習に加わった。彼は、バスのアリアのソリストだけでなく、第1部ではペトロを、第2部ではピラトを演じてもらう。同じレシタティーヴォでは役人や女中なども団員から歌う。

「あんた、あの人の弟子じゃなかったかい?」
と言われてペテロが、
「お、俺じゃない!」
と歌うのを、萩原さんの声で聞くと、それだけで団員達の気持ちが引き締まる。

 第2部では、ローマ帝国の司令官ポンツィオ・ピラトが様々な表現をする。
「お前はユダヤの王なのか?」
という問いにイエスは、
「あなた自身がそう思うのか?それとも誰かが私のことをそう言うので聞いているのか?」
と答える。するとピラトは少し苛立って。
「俺は、ユダヤ人とは違って、そんなことはどっちでもいいんだよ。いいか、お前がユダヤの王ならば、みんながお前を支持してローマに刃向かおうとするのが普通じゃないか。それだったら俺だって捕まえようとするさ。だがな、ユダヤ人達は、お前を『ユダヤの王』と言いながら、なんで俺の所に連れて来るんだよ?変じゃないか?」
「私の王国は、この地上のものじゃない。もしそうだったら、私を捕まえに来た人たちに対して、弟子たちがそれを阻止しようと必死で戦うだろう」
「それもそうだ」
「私は真理を示すためにこの世に来た。真理から出たものはみな私の声を聞く」
「真理?真理とは何だ?」
 それからピラトは外に出てユダヤ人達に告げる。
「私は、この男に何の罪も認められない」
ところが群衆は叫ぶ。
「殺せ!殺せ!我々にはローマの皇帝以外には王はいないのです!」

 全く、どの口が言う?という感じだが、萩原さんの迫真の歌唱表現で、合唱団の表現も一段と迫力を増してきた。

 僕は聴衆の、
「バッハの『ヨハネ受難曲』を聴きました」
という感想を聞きたいのではない。そうではなくて、
「人間のドラマを観ました。人間って本当に罪深いのですね」
という感想こそ求めている。
 聖書って“聖なる書”と書くけれど、この書物の大部分は“人間の悪徳”で満ちている。だからこそ、人は神を求めるのである。

 その後、萩原さんと共に、合唱付きのバスのアリアを2曲ほど練習した。イエスが十字架を自ら背負ってゴルゴタへ行く記述の直後の怒りに満ちたアリア。これは「マタイ受難曲」の「来たれ甘き十字架」のアリアとなんと遠く隔たっているであろうか。合唱が「何処へ?何処へ?」と問い、バス独唱が「ゴルゴタへ」と答える。
 またイエスが息を引き取った直後の合唱付きのバスのアリア。これは、僕の場合、とってもゆっくりと演奏する。コラールを歌う合唱団は座ったまま歌う。
「これは永遠に時間が止まったかのように歌います。これを聴いて聴衆が『遅い!まだかあ~?』と思ったら僕たちの敗北。『このままずっとこの空間に浸っていたい』と思ってもらえたら成功」
萩原さんの息の長い歌唱は、すでに成功を予感させるものであった。

 さて、その日は、16時から、ソプラノの國光ともこさんとの合わせをした。國光さんとの一回目のセッションは、毎回思うのだけれど、
「この人、うまいのかヘタなのか分からない(笑)」
という感じ。
「私は歓びに満ちた足取りであなたの後をついていきます」
というアリアが、生真面目に歌いすぎて面白くない。そこで、
「とにかく、これが受難曲であることを忘れて、楽しく軽やかに歌って。音は1音1音切るつもりで!」
と言い、それから説明をする。
「この直前の福音書の言葉、『ペテロはイエスの後を付いて行った。そしてもうひとりの弟子も』の“もうひとりの弟子”って誰だか分かるかい?」
「・・・・」
「これはね、この福音書を書いたヨハネなんだよ。ヨハネは、まだとても若かったのだ。だから、他の弟子がみんな逃げてしまったとしても脅威ではなかったため、ひとりイエスの十字架まで付いて行って、その最期を見届けただけでなく、十字架上のイエスに言われて、母マリアの息子となったと書いてある。このアリアは、そのヨハネに捧げられているんだ。つまり、どこまでもどこまでも付いて行きますっていう歌なんだよ」
 すると、ああ分かった!という顔をして、國光さんの歌が、見違えるように変わった。こういうところは彼女は本当に“天才”!僕はその瞬間感動して、今回も國光さんに頼んで良かった、と思った。
 ただ、では最初からそれができるかというと、彼女は「ひと手間」かかるのだ。いいじゃないか、そのひと手間!喜んでかけてあげよう。ところが、現代社会では、そのひと手間を厭うのだ。みんなどうしてそんなに忙しいんだろうねえ?
みなさん、楽しみにしてください。國光さんの歌唱!

 さてその合わせの後、僕は名古屋に行った。翌日5月22日日曜日は、愛知祝祭管弦楽団の練習。ここでは「トリスタンとイゾルデ」の初めての歌合わせ。イゾルデ役ソプラノの飯田みち代さん、ブランゲーネ役メゾ・ソプラノの三輪陽子さん、そしてクルヴェナール役バリトンの初鹿野剛さん。
 飯田さんは愛知祝祭管弦楽団初登場。事前に僕は言っておいた。
「オケ合わせだと思って緊張しなくて良いですよ。まだオケはきちんとしたバランスで鳴っていないし、弾けていないのでインテンポで出来ないところもあるから、とにかく競っていたずらに声を消費しないでね。好きな音量で歌っていいし、歌わないでオケの響きを聴くだけでも良い。少しずつ自分の歌を擦り合わせて行って、だんだん本番まで持って行けばいいよ。まだまだ時間があるからね。このオケは、そうやって作ってきたんだ」
 三輪さんと初鹿野君は、もう何度もやっているから、そこんとこはよく分かっている。一方、オケのメンバーにとっては、歌が入ることで、沢山のことを吸収する機会なのだ。彼らの吸収力は、実際もの凄いのだ。

 プロのオケでは、オケ合わせはほとんど1回通しするだけで、もう次は劇場で通し、みたいな感じだろう。だから、オケ合わせでは、本番のように歌わなければ、という雰囲気じゃない。
 でも、僕の主義はそうじゃない。ゆっくり時間かけて、双方からだんだん創り上げていくのだ。今日はその出発点。とはいいながら、飯田さんは、けっして力で押したりはしない、しなやかな声で伸び伸びと歌唱している。僕にはもう、8月の本番の彼女の歌唱がイメージできているし、それに合わせてオケをどう持って行けばいいか、道筋が見えてきた。

ゆるっとした出発ながら、それがある日飛翔する。それが愛知祝祭管弦楽団の挑戦。



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