「パルジファル」通し稽古まで来ました
7月1日金曜日と2日土曜日でABそれぞれのキャスト組の通し稽古が滞りなく終わった。1日は、途中、第2幕「花の乙女たち」のシーンが終わった後、第3幕「ティトレルの葬列」シーンまで、合唱団にとってはかなり待ち時間があるため、その時間を利用して、別の練習場で合唱音楽稽古を行った。
特に裏コーラスは、稽古場では、アクティング・エリア以外に、充分にソーシャル・ディスタンスを取って合唱団全員を歌わせるスペースが確保出来ないため、通し稽古でも、合唱団はいるのに歌えない。
さらにこの先オケ合わせでも、同様の理由で、黒川の読売日本交響楽団練習場に、合唱団を呼ぶことはできない。ということは、本番会場である東京文化会館の舞台稽古までおあずけなんだよね。ということで、遠い昔に音楽稽古をやって以来の、久しぶりの練習となった。
合唱音楽稽古は、裏コーラスだけでなく、合唱団が舞台に登場するシーンも、これまでのダメ出しを含めての練習を行った。立ち稽古の合間では、演出のダメ出しを止めて音楽の注意を延々と出すのは望ましくないからね。
オペラの合唱団を始動していて面白いのは、立ち稽古が進んでくるにつれて、合唱団のメンバーが、ドラマをだんだん理解してきて、それにつれて、みんなから自発的な表情が付いてくること。これが好きだから、オペラ合唱の合唱指揮者がやめられないんだ。
ただ、気を付けないと、演技に気持ちが傾いてくる分、音楽が荒くなっている部分も出てくるのだ。だから、立ち稽古から離れて、もう一度音楽に落ち着いて向かい合うことで、クオリティを戻すことは必要なんだ。それには、この時期にすることが、最も大きな効果をあげる。
一方、7月2日のB組通し稽古は、合唱練習で抜けることがないため、久しぶりに「パルジファル」全曲を通しで聴いた。セバスティアン・ヴァイグレ氏の解釈やテンポ感は、僕のと似ていて、決して間延びしたりしないし、それでいて必要な空間性があり、随所でドラマチックな盛り上げが充分にありながら、「パルジファル」独特の神聖さを醸し出している。
いやあ、やっぱり感動するなあ。第1幕転換音楽なんて、ピアノ伴奏でもこんなに感動させるんだもの、ワーグナーって本当に凄い!陰影の付いた和声進行、積み上げていくフレーズ!一体、どこからこんな音楽が生み出せるのだろうか?
それから神殿でのイニシエーション(秘儀参入)が始まる。僕たち、日常生活を営んでいて、「神聖さに触れる」ってこと、滅多にないでしょう。でも、こうしてワーグナーの音楽が鳴り響くところでは、人は、ある意味即座に聖なる体験が出来て、スピリチュアルな世界に入り込んでいけるのだ。音楽って、なんて不思議なんだろう。
第2幕では、一転して、幻惑の世界。ソロの花の乙女たちがアラベスクのような装飾された音符を歌い、次々にパルジファルを誘惑しようとする。その時に鳴り響くクンドリの、
「パルジファル!」
と名前を呼ぶ引き延ばされたG♭音と、それを支えるD♭のバス音に支えられたA♭マイナ7thコードの素晴らしさ。それがD♭の持続バス音はそのままにDディミニッシュに行き、さらにバス音がGに変わってWeile!「留まりなさい」とクンドリは歌う。
それからパルジファルが歌うときにはGマイナー6thから、バスだけF♯に下がる。こうやって言葉で言うと、なんだか分からないが、このわずかな音の移行が、えも言われぬ色彩感を変化させ、独特の音楽的表情を醸し出す。この部分だけでも、まさに天才のみが成し得る神業である。
第3幕では、聖金曜日の奇跡とティトレルの葬列が対照的だ。神からの恩寵の降り注ぐ空間と、神から見放されたかのような“人類の絶望”の表現。そしてそれが、槍を手にしたパルジファルの登場と共に、舞台全体が一種の“解脱”を体験する。そこから終景までは、もうただただ法悦の世界です。はい、参りました。
宮本亜門さん演出では、いろいろ新しいキャラクターが登場したり、なるほどなと思うような楽しいアイデアが盛り込んである。とっても良く作り込んであると思う。
ただ僕は、その日は、音楽に浸りたかったので、半分目を閉じ、斜め後ろからヴァイグレ氏の音楽作りを味わったり、キャストたちの歌に感心したりしていた。いずれ、東京文化会館に行けば、舞台装置もあり衣装もありで、もっとダイレクトに演出を堪能できるでしょう。ともあれ、ワーグナーの歌詞には一字一句の変更もないし、紛れもなくワーグナーの音楽があたりに響き渡っているのだから、聴覚的には、ワーグナー・ワールドなんだ!
主役達は、みんな粒が揃っている。若手の活躍が目覚ましいが、その中で福井敬さんのパルジファルや黒田博さんのアンフォルタスなどベテランが、揺るぎない地位を保っているのが嬉しい限りだ。
「おにっころの冒険」演奏会の準備
7月だ!
気が付かない間に、するっと7月に滑り込んでしまった。すると、まだまだ遠くに思っていた愛知祝祭管弦楽団の「トリスタンとイゾルデ」演奏会や、志木第九の会の「メサイア」全曲演奏会など、この夏から秋にかけてのそれぞれのイヴェントが突然現実味を帯びて迫ってきたのを感じる。その中でも、子ども達だけで演じる「おにっころの冒険」の最初のワークショップが7月18日に迫ってきているのに気付き、ちょっと焦りだした。
楽しい「音取り音源」の録音
そこでまず、すでに子ども達の手に渡っている楽譜から、彼らが音を取って覚えるための「音取り音源」を作ろうと思って、先週は作業をしていた。 譜面作成ソフトFinaleからmidiファイルを作り、それを、録音もできるシーケンス・ソフトのSinger Song Writerで編集し、そこに僕自身の歌声をマイクで録音してWaveファイルを作り、最終的に5枚のCD-Rに焼いて事務局に渡した。これをダビングして子ども達に渡るようにしてもらう。その一部を、ちょっと皆さんに紹介しよう。
おにころが神流川の水をふたつに分けたまま岩になることで、上州と武州との間の水取争いがなくなり、みんな仲良くなってめでたしめでたしということで「おにころ」の物語が終わった。ところがある時突然、みかぼ山の鬼が降りて来て、3ヶ月に一度ずつ村の子供をひとりずつさらっていくようになった。もうすぐ月の15日がやって来る。また誰かを捧げなければならない。
そこでM2「困った」では、村人達の困った様子が描かれ、M3「みかぼのおには」では、鬼にとても太刀打ちできないというので、くじびきで生け贄の子供を決めようとしているところだ。M3は、自分でも笑っちゃうくらいコテコテの演歌調で作ってみた。
ワークショップの進め方
ワークショップでは、孫の杏樹が通っているシュタイナー学校のやり方を参考にして、大人の練習の仕方とは全く違うやり方で進めていこうと思っている。シュタイナー学校では通知表というものはない。その代わり、学年の終わりに、各生徒に詩を配る。そしてその詩を、次の学年に進んでも、折ある毎にそれぞれ朗読させる。それを他の生徒は聞いて自然に覚える。各々の詩は、各生徒の性格や性向を見事に言い当てている。そして杏樹は、クラスメート19名全員の詩をそらで言える。
文科省が考えているような、「子供は未熟な大人」などではないのだ。むしろ大人の方が「ある能力を失ってしまった子供」なのだ。従って、子供へのアプローチは、子供の能力を最大限に生かすようなやり方で行われるべきである。詰め込み教育などはもっての外というのがシュタイナー教育である。
「おにっころの冒険」の最初のワークショップで、僕がチャレンジしてみようと思っていることはこうだ。たとえば、村人が、村の子供を鬼にさらわれるのを嘆いているシーンでは、あえて役を最初に決めないで、みんなのセリフをみんなで何度も言わせる。つまり、それぞれのシーンの内容全体を把握させる。それからランダムに役を割り振り、誰でもどのセリフでも言えるようにしておき、それからだんだんキャラクターに相応しい人を当て込んでいく。
1994年に子供を集めてワークショップをやった時に気付いたことがある。子供の集中力はもの凄いが、同じ事を長時間続けると、ある時からガクッと能率が下がる。むしろ短時間でグーッと集中させ、それから突然別のことに切り替えるのがベターだ。大人の流れる時間と子供のそれとでは、スピードと凝縮度が違うのだ。
体力も違う。大人は、休み時間というと、
「ああ疲れた!」
と腰掛けて、フーッと一息ついてお茶飲んだりするが、子供は反対で、休み時間には有り余っている体力を発散させようと、
「休憩!」
と言った途端、あたりを走り回るのだ。つまり、子供にとっては、練習は疲れるものではなく、むしろ行動を制限されるのが苦手なのである。
ということで、つい大人の尺度でものを考えてしまうことをあらため、自分も子供になったつもりで、セリフ、音楽練習、ダンス、立ち稽古などの進め方を考えあぐねている今日この頃である。でも、きっとワークショップがいざ始まったら、悩んでいる間すらないだろうな。
新町歌劇団集中練習
さて、7月3日日曜日は、朝、国立駅から7時34分発「むさしの号」という、大宮まで直通の電車に乗って、それから新町に向かった。この日は、子ども達の練習ではなく、新町歌劇団の第2部コンサートのための練習。後半で田中誠さんがイタリアのカンツォーネやナポリ民謡を歌うが、その最後で、歌劇団と合同で「フニクリ・フニクラ」を歌う。
その編曲を先日完成させて渡したばかりなので、練習はその曲から始まった。「フニクリ・フニクラ」の最初は、合唱団を従えたテノール独唱という感じで始まるのだが、途中で、僕のミュージカル「ナディーヌ」の地の精グノーム達登場の音楽に乗って、「おにっころの冒険」に出演していた子ども達が全員、鬼のツノを付けて鬼のパンツを履いて、変な踊りをしながら登場する。
それで、大人達を蹴散らせて、自分たちがステージの真ん中に陣取り、同じ音楽で、
「おに~のパンツはいいパンツ~、強いぞ~・・・」
と歌う。大人達はその後、再び子ども達をどかそうとするが、最後は根負けして、大人と子供が入り乱れて、
「履こう~履こう~鬼のパンツ、あなたもわたしもあなたもわたしも~みんなで履こう、鬼のパンツ!」
と歌う。これで第1部「おにっころの冒険」と第2部との整合性が取れるというものだ。あははははは!
フニクリ・フニクラについて
ところで、「フニクリ・フニクラ」を編曲している際、ナポリ方言の意味や発音の仕方が分からないので、毎週通っているイタリア語のレッスンで、先生に訊いてみた。先生の出身は、ナポリそのものではないけれど、ナポリ湾に浮かんでいるイスキア島出身なので、言語はまさにナポリ方言のエリアなのだ。
まず、
「Jammo, jammoは多くの場合jammeと書いてあるけれど、ヤンメーと言うのですか?」
と訊いたところ、
「だいたいね、ナポリ人は語尾をちゃんと言わないのよ。だからヤンメーって言ってるつもりで、口がなんとなく開いちゃってヤンマーに近いかも知れないし・・・う~~ん・・・そこまでも開かなくて・・・結局、もしかしたらヤンモーが一番近いかも知れない・・・」
と、なんだか要領を得ない返事。一緒にレッスンをシェアーしているバリトン歌手の川村章仁君もナポリに留学していたから、その辺をよく知っていて、横で笑っていた。
それで、いろいろ具体的に歌詞の意味を聞いていく内に、「カタリ カタリ」などでも使われるcore 'ngrato「無慈悲な心」あるいは「つれない心」や、ti lascia stare「君を置いて逃げる」などという単語が出てくるので、
「これってさあ、もしかして失恋の歌?」
という感じになって、さらに2番3番の意味を一緒に調べていった。
結論を言うと、最後には恋が成就する歌なんだけど、通常この曲って、長くて2番までしか歌わないし、1番だけのことも多い。そうするとね、歌詞の内容は、どうみても失恋の歌に見えるのだ。川村君は、
「これって、ヴェズヴィオ火山に登山電車が出来たことを記念に作ったコマーシャルソングでしょう。それなのにこんな恋歌なんだね。さすがイタリアだね」
などと妙に感心している。
それで、レッスンから帰って来て、落ち着いてネットでいろいろ調べてみた。ナポリ方言の他に標準イタリア語を並記してあるのもあったので、それを元に僕も自分で落ち着いて3番まで訳してみた。
つれない心のアンナにしびれを切らした男の子は、登山電車に乗って逃げるように山頂に行く。山頂からの景色は素晴らしいが、彼にはやっぱり彼女しか見えない。それで今度は彼女を誘って山頂に行く。そこでついに彼は、
「結婚しよう!」
と告白して、(きっと)めでたしめでたし・・・なんだろうね。un giorno 「いつの日か」というのが気になるけど・・・・。 (参考 「フニクリ・フニクラ」)
和声もメロディーも単純な曲だけど、個性的で名曲だと思います。ちなみに新町歌劇団の演奏会では、後半「おにのパンツ」を歌うので、ナポリ方言では1番しか歌いません。
歌詞は最初がナポリ方言、段落を下げて標準イタリア語、そして僕の日本語訳の順に並んでいます。
funiculì, funiculà 1番 | ||
Aieressera, Nanninè, me ne sagliette, tu saie addó? | ||
Ieri sera, Annina, me ne salii, tu sai dove? | ||
昨晩ね アンニーナ 僕は登ったんだ 何処に登ったと思う? | ||
Addó 'stu core 'ngrato cchiù dispiette farme nun pò! | ||
Dove questo cuore ingrato non può farmi più dispetto | ||
つれない心が僕に意地悪しない処 | ||
Addó lo fuoco coce, ma si fuje te lassa stà! | ||
Dove il fuoco scotta, ma se fuggi ti lascia stare! | ||
火がとっても熱くたぎっている処 でも逃げようと思ったら 君から逃げられる処 | ||
E nun te corre appriesso, nun te struje, 'ncielo a guardà!... | ||
E non ti corre appresso, non ti stanca, a guardare in cielo! | ||
君を追い掛けたり 君をうんざりさせたりしないよ 空を見ているだけでいいんだ | ||
Jammo, jammo, 'ncoppa, jammo ja', funiculì, funiculà! | ||
Andiamo su, andiamo andiamo, funiculì, funiculà! | ||
行こう 行こう 頂上へ行こう 登山電車に乗って |
2番 | ||
Ne'... jammo da la terra a la montagna! no passo nc'e'! | ||
Andiamo dalla terra alla montagna! non c'è un passo! | ||
ふもとから山頂まで 歩かずに行けるんだ | ||
Se vede Francia, Proceta e la Spagna... Io veco a tte! | ||
Si vede Francia, Procida e la Spagna... Io vedo te! | ||
フランスが見える プローチダ島も スペインだって でも・・・僕が見ているのは 君なんだ | ||
Tirate co la fune, ditto 'nfatto, 'ncielo se va. | ||
Tirati con la fune, detto e fatto, in cielo si va. | ||
ケーブルに引っ張られ あっという間に 天空に昇って行く | ||
Se va comm' a lu viento a l'intrasatto, gue', saglie sa'! | ||
Si va come il vento all'improvviso, sali sali! | ||
風のように突然 昇って行く | ||
Jammo, jammo 'ncoppa, jammo ja', funiculì, funiculà! | ||
Andiamo su, andiamo andiamo, funiculì, funiculà! | ||
行こう 行こう 頂上へ行こう 登山電車に乗って |
3番 | ||
Se n'è sagliuta, oi Nè, se n'è sagliuta la capa già! | ||
Se n'e' salita, Annina, se n'è salita la testa già! | ||
昇ったよ アンニーナ 昇ったよ もう頂上だ | ||
È gghiuta, po' è turnata, po' è venuta... sta sempe 'ccà! | ||
È andata, poi è tornata, poi è venuta... sta sempre qua! | ||
(登山電車は)昇ったら また 戻ってくる またやって来る いつもここに | ||
La capa vota, vota, attuorno, attuorno, attuorno a tte! | ||
La testa gira, gira, intorno, intorno, intorno a te! | ||
頂上は 回る 回る 周囲を 周囲を 君の周囲を | ||
Sto core canta sempe nu taluorno Sposammo, oi Nè! | ||
Questo cuore canta sempre un giorno Sposami, Annina! | ||
僕の心は いつも歌ってる いつの日か 結婚しようよ アンニーナ! | ||
Jammo 'ncoppa, jammo ja', funiculì, funiculà! | ||
Andiamo su, andiamo andiamo, funiculì, funiculà! | ||
行こう 行こう 頂上へ行こう 登山電車に乗って |