「パルジファル」初日間近

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

「パルジファル」初日間近
 今更ながら言うのもおこがましいけど、読売日本交響楽団は本当に上手なオーケストラだ。セバスティアン・ヴァイグレ氏は、こんな短期間でよくオーケストラをここまでまとめた。
 こんなに長い曲なのに、オケ練習がなんと2日間しかなくて、それからAB両組のオケ合わせ、そして東京文化会館のオーケストラ・ピットに入って、オケ付き舞台稽古が7月8金曜日と9日土曜日。それで10日日曜日と11日月曜日にはもうゲネプロになってしまうのだ。

 こういう言い方をすると、上から目線と感じられてしまうけれど、僕はかつて、丸々1年かけて「パルジファル」全曲をアマチュア・オケで仕上げて本番まで持っていった経験を持つ。 
 各モチーフの意味を解き明かし、モチーフの中での楽器の受け渡しを指示し、早くから歌手と共演させて、
「ここは歌手を伴奏するので歌をよく聴いて」
とか、反対に、
「ここはむしろオケがイニシアティヴを取るので、歌手についてこさせる」
とか、長い時間を掛けて仕上げていったのだ。
 だから、今回のような少ない日数で、プロといえども、一体どういう状態で演奏するんだろうと、ちょっと半信半疑であった。

 確かに、オケ付き舞台稽古初日には、まだまだオケは自分のパートを弾くのに精一杯で、とても周りを見る余裕なんてなかった。変なところで臨時記号を読み間違える・・・ということはモチーフの意味を理解していない証拠だ。
 歌との関係も、相互のテンポ感やフレージングあるいはニュアンスの意味で、まだまだギクシャクしているし、弦楽器と管楽器のバランスも悪い・・・しかし・・・しかしですよ、その後、舞台稽古2日目、そしてゲネプロと進む内に、わずかな期間でのオケのメンバーの吸収力が凄い!凄すぎる!前日出来なかったことが、次の日、見事に出来ている。プロの実力と意地をまざまざと見せつけられた。

 それに、読響のメンバーは、とても勉強熱心なのだと思う。メンバーの中に、スコアを手元に置いている人がとても多いし、目の前のパート譜を見て弾いているだけでは絶対に成し得ないようなアプローチ(つまりCDを聴くとか、ライトモチーフを調べるとか)をしていることが如実に分かる進歩の仕方をしている。

 また、彼らを率いるヴァイグレ氏のやり方にも驚く。とはいえ、彼は細かく返したり、言葉多く説明したりはしない・・・まあ、その時間もないのだが・・・たとえば、ある個所だけをピンポイントで返して、モチーフ内での音程や楽器間のバランスなどを時間かけて丁寧に修正する。
 すると今度はオケの方で気を利かせて、同じモチーフや、似たようなオーケストレーションの個所が出てきた時に、そちらの方のバランスやサウンドが自然に直っている!という風に、オケとマエストロとの連係プレーが見事に成立している。
 こうなると、プロ・オケの凄さと、そのプロ・オケを操るマエストロの凄さに、ただただ驚くばかりだ。たとえば第3幕のティトレルの葬列の前の間奏音楽のオケのサウンドの厚みと音響の素晴らしさ!金管楽器はどんなにパワフルに吹いても、深みとしなやかさを失っていない。弦楽器の艶やかさと厚み!オケに加えてサウンド・エフェクトの鐘の音も会場いっぱいに響き渡り、圧倒的な世界が展開する。これを聴くだけでも、みなさんは東京文化会館に足を運ぶ価値がありますよ。

 今日はこれからゲネプロ2日目。きっと読響は、さらにツルリと一皮むけて、ヴァイグレ氏と相まって「パルジファル」のワールドに迫っていくんだろうな。そして7月13日水曜日の初日の幕が開く頃には、もう何年も「パルジファル」を演奏し続けているオケのような顔をして、彼らは涼しい顔をして素晴らしい演奏を繰り広げるんだろうな。

 僕は8月28日日曜日に愛知祝祭管弦楽団で「トリスタンとイゾルデ」を指揮するけれど、1年かけてじっくりやったからプロには負けない、なんて呑気な自己満足に浸っている場合ではない。相手はプロ中のプロなんだから実力の差はいかんともし難いが、こちらはこちらで謙虚に地道にいきましょう。でも、このタイミングで、素晴らしいプロの業を見せつけられたことは良かった。僕自身、気が引き締まり、新たなエネルギーが体内に溢れてきた。
 次に7月24日に名古屋に行くときには、鞭を持って、
「おりゃあ!何やってんだ、おめえら!読響のようにできねえか!」
と怒鳴りながら練習したりして・・・いやいや、そんなことは絶対にしませんからね。こちらはこちらで、自分たちに出来ることをやりましょう。時間をかけてじっくり創り上げることが愛知祝祭管弦楽団のウリなんです。

 ということで二期会「パルジファル」。もうすぐ初日を迎えます!公演は7月13日水曜日、14日木曜日。1日おいて、16日土曜日、17日日曜日です。内容は保証します!

長谷川顕さんのこと
 7月8日金曜日は、ふたつの意味で、とても重い一日であった。ひとつは、みなさんもよく知っている安倍晋三元内閣総理大臣の暗殺事件。そしてもうひとつは、バス歌手の長谷川顕(はせがわ あきら)さん逝去の知らせである。
 その日は「パルジファル」オケ付き舞台稽古1日目だったので、東京文化会館に詰めていたため、休憩時間に楽屋に戻って来た時に、マネージャーから長谷川顕(あきら)さんの知らせを先に知らされた。
 その後、昼の練習が終わって、1時間の大休憩の時に、上野駅構内のアンデルセンでパンをかじりながら、iPadを開けて、世の中何が起こっているかなと見て初めて、安倍元総理のことに気付いて、
「今日は一体何という日だ!」
と思った。
 安倍元総理のことについては、まだ心の整理ができていないし、僕が言わなくても様々なコメントが上がっているので、次の機会に回したい。

 とにかく僕は、長谷川顕さんのことについて語りたい。彼との付き合いは長い。知っているということだけだったら、国立音楽大学声楽科の後輩だったので、1970年代後半から・・・ということは、もう45年以上前から知っていることになる・・・とはいえ、僕が長谷川さんと話し始めるのは、二期会というオペラ団体に出入りして、当時二期会合唱バス団員だった彼と一緒に仕事をするようになってからだ。
 二期会では、最初副指揮者として働いていたが、90年代前後から、しだいに合唱指揮者としてオペラやスクール・コンサートに関わるようになってきたので、それにつられて彼とはどんどん仲良くなっていった。
 また長谷川さん一家は僕と同じ国立市の住民で、さらに彼はクリスチャンで、日本基督教団国立教会の信者さんだ。一方、僕のふたりの娘は、幼い頃、国立の“さゆり幼稚園”に通っていたが、そこは日本基督教団国立教会の管轄であった。
 ある時、国立教会のコンサートで長谷川さんが歌うのを聴きに行った。すると、長谷川さんの独唱があまりに素晴らしかったので、僕は、終演後即座に、
「合唱団にいるのはもったいないよ。ソリストになりなよ」
と言ったのを覚えている。そうしたら彼は、
「いや、俺は、合唱団みたいなのに向いているんで・・・」
と答えたのだ。その時、
「なんて欲のない奴だ!」
と思ったのを忘れない。みんなソリストになりたくて虎視眈々としていて、時には人を蹴落としてでもと思っている人ばかりなのに・・・。

 あれは90年代真ん中くらいかな。ある時、TBSから二期会合唱団へ、年末の夜の報道番組で第九の“歓喜の歌”の部分をピアノ伴奏で生出演して欲しいという依頼が来た。指揮は僕で、ソリストも二期会合唱団から出して欲しいという依頼であった。そこで僕は真っ先に長谷川さんにバス・ソロをお願いした。二つ返事で引き受けてくれると思ったが、意外にも彼は、
「こんな年の瀬には、むしろみんなが歌ってるところを炬燵でのんびり見たいよ」
と言って断ってきた。テレビだよ!自分の名前と顔が売れるいいチャンスじゃないか!奥さんの長谷川光栄(みつえ)さんは、喜んでアルト・メンバーとして出演していたというのに・・・・。

 こんな風に、彼は、自分の仕事に関しては、無欲というか、とても慎重派であった。普通の人だったら、若い頃なんて、必ずしも自分の声質に合わない役の仕事が来たって、次にいつ仕事をもらえるか分からないから、つい受けてしまったりするだろう。
 でも、彼は自分の声に合わない仕事は絶対に受けなかった。2016年から愛知祝祭管弦楽団で始まった楽劇「ニーベルングの指環」全4作の連続上演では、2016年「ラインの黄金」での巨人ファフナーを演じ、2017年「ワルキューレ」ではフンディングを演じてくれたが、2019年の「神々の黄昏」のハーゲンを頼んだら、
「済みません。でも・・・俺のキャラじゃないから」
と断ってきた。
 ハーゲンは、確かに究極のワルで、ギラギラした表現を求められるのだ。長谷川さんの力量をもってすれば、やれば勿論できただろうが、きっと納得のいくものを作れないと自分で判断したのだろう。
 そんな時、僕は彼らしいなと思い、怒る気持ちどころか、つい微笑んでしまう。自分の作るものにそこまで誠実でありたいと思っているのだ。

 それが彼の喉を守り、声の鮮度を保ち、歌手生命を長らえる最大限の秘密であったと思う。だからさあ、60代半ばになったって、衰えるどころか本当はこれからだったんじゃないか!現に、今僕が関わっている二期会「パルジファル」でティトレル役を演じるはずだったのだ。
 長谷川さんと僕のセッションで最も幸福だったのは、2013年、愛知祝祭管弦楽団での「パルジファル」公演。僕の指揮でグルネマンツを歌ってくれた彼とは、何度も何度もコレペティ稽古を重ね、ひとつひとつの表現までお互いに吟味して、周到に仕上げて、彼でなければできない内面的かつ堂々としたグルネマンツを見せてくれたのだった。
 この役って、これまでで聴いた長谷川さんの様々な役の中でベスト・フィッティングな役だったかも知れない。宗教的な意味でも彼のキャラクターにピッタリだった。それに比べると、乱暴なファフナーや冷酷なフンディングでさえ、もしかしたら、やや不本意ながら引き受けてくれたのかな、と今では勘ぐってしまう。

 それだけに、今回の二期会で、長谷川さんの演じるはずだった「年老いた先代王」ティトレル役は、彼の年齢ならではの味わい深い歌唱が聴けると思っていたのに残念だ。降板の知らせを突然受けたのは確か5月前半だった。ちょうど、宮崎国際音楽祭のヴェルディ・レクイエムの合唱団に、奥さんの光栄さんが乗っていたので、様子を伺ったところ、思わぬ返事が返ってきた。
「血液の病気で骨も骨折しやすくなっているし、治療のしようがないんです」
というのを聞いて言葉を失ってしまった。

 二期会マネージャーの話では、降板が決まった後も、療養中の6月初旬に、
「ベッドの上でパルジファルのCDを聴いています。今回の『パルジファル』に想いを馳せたいと思います」
という前向きなメールが届いたので、関係者一同喜んでいたという。

それにしても、こんな早く逝ってしまうなんて!

 でも、信仰深い長谷川さんのこと。今頃彼の魂は、こんな疫病や戦争などの混沌とした世の中から解放されて、至福に包まれながら輝く世界を飛翔しているに違いない。

ありがとう!長谷川さん!天国でまた必ず会おうね!



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA