「パルジファル」無事終了

三澤洋史 

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「パルジファル」無事終了
 昨年夏の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が、公演直前で中止に追い込まれたので、そのトラウマが心のどこかに残っていた。中止になった後、楽譜やペンライトなどを取りに行くために、上野駅公園口を出て東京文化会館に向かっている時の、あのやりきれない気持ちが、「パルジファル」の本番が近づいてくるにつれて甦ってきて、今回もそんな風になったらどうしよう、という不安と、
「そんなことないさ、今度は大丈夫!」
というポジティブな気持ちとが交差したまま、ゲネプロを終わった。

 「マイスタージンガー」は、秋の新国立劇場公演では無事できたし、そもそも新国立劇場での様々な公演は全て滞りなく行われていた。けれども、僕のトラウマは、オペラ公演そのものではなく、むしろ夏の東京文化会館と結びついていたのだ。

 初日の朝になった。特別な連絡がなかったのを僕は喜び、検温の報告をこちらから送り、昼前に家を出て東京文化会館に向かった。公園口を出ると、またドキドキしてきた。けれども、楽屋に入ると、みんな普通に動き回っているので、初めて、
「ああ、無事公演ができるんだ!」
と胸を撫で下ろした。

 Zoomレッスンの生徒である小山祥太郎君は、こんな大規模な公演のアシスタントをするのが初めてながら、舞台下手裏で、第1幕冒頭と転換音楽の終わりのバンダ(トランペット2本、トロンボーン4本)の指揮をし、裏合唱を指揮し、第3幕では例の荘厳なる鐘をキーボードでドソラミと演奏し、最後の裏合唱を指揮していた。
 僕は、彼の仕事にはずっと付き合って、指揮の仕方とか、音符の切り方とか演奏前の小節の数え方とか、いろいろダメを出したが、本番で、落ち着いて事にあたっていた彼を見て、ホッとした。

 セバスティアン・ヴァイグレ氏は、始終穏やかで、読売日本交響楽団との関係はすこぶる良好。初日、オーケストラ・ピット内の電源が落ちるというあり得ないアクシデントがあったが、よく演奏が止まらず、滞りなく進んだものだ。ヴァイグレ氏は、「○番から!」と怒鳴って、オケもよくついてきた。
 個人的な好みとすると、もう少し随所で音楽が粘ってもいいかなと思うヴァイグレ氏の音楽造り(第1幕90分弱で僕の知っている限り最短)ではあるが、楽員との信頼関係は、音色の美しさやフレージングの伸びやかさなどによく現れている。その日の気分でテンポを変えたりしないので、歌手達はみんな落ち着いて自分の持ち場に専念出来るし、いろんな意味で、オペラ劇場における揺るぎないマイスターである。

 あれよあれよと思う間に千穐楽が来て、プロダクションが終了した。二期会合唱団もよく頑張ってくれた。ソプラノの高音もきれいだったよ。みんな、ありがとう!

フル稼働の僕の1日
 「パルジファル」公演2日目と3日目の間の7月15日金曜日は、僕にとってめちゃめちゃ忙しい1日だった。

 その日は、元々、イタリア語のレッスンが10時から入っていて、その後、13時から始まる新国立劇場の高校生のための鑑賞教室「蝶々夫人」の本番に駆けつけて、出演中の合唱団員たちにシーズン最後の挨拶をして、妻の手作りのロウソクを渡そうと思っていた。 それから終演後は、ボンゾ役で出演中の伊藤貴之さんが、愛知祝祭管弦楽団「トリスタンとイゾルデ」のマルケ王役で出演するので、劇場内のスタジオでコレペティ稽古をつけた。さらに、18時30分からは、初台のスタジオ・リリカにおいて、トリスタン役の小原啓楼さんのコレペティ稽古を、木下志津子さんのピアノで行うことになっていた。

 さて、それだけでも充分なのに、そこにさらに15日12時から長谷川顕さんの葬儀が入ったのだ。どうしても行けない時間なら諦めるのだけれど、なんとか行けるので、行こうと決心した。ただそのためには、いろいろアレンジしないといけない。

 一番の問題は「蝶々夫人」だった。国立駅に近い日本基督教団国立教会で12時から始まる葬儀は、早くとも13時まではかかるだろうし、その一方で、13時から始まる「蝶々夫人」の合唱は第1幕に集中しているので、もう客席で聴いてもあまり意味はない。あわよくば、ハミングコーラスには間に合いたい。でも、その後のコレペティ稽古のことを考えると、喪服は脱ぎたいし、ロウソクの贈り物はどうする?と考えていたら、妻が助け船を出してくれた。
 まず彼女は、車を出してくれて、午前中に新国立劇場楽屋口にロウソクを預けてくれた。それをマネージャーが受け取って、開演前にみんなに渡してくれた。そして国立にとんぼ返りをした彼女は、今度は葬儀を終わった僕を国立駅近辺で拾い、自宅に戻ってくれたので、僕は喪服を脱ぐことができた。その日は雨だったので、また車を出してくれて府中まで乗せてくれた。

長谷川さんの葬儀
 長谷川顕さんの葬儀は、とっても悲しかったし、奥さんの光栄(みつえ)さんの挨拶も、涙々というものであった。けれども、その中にも、ある種の清らかさと明るさを感じさせるものであり、本当に行って良かった・・・というより、行くことができて、ただただ感謝というものであった。

 長谷川さんを想いながら、カンタータ第80番の原曲であるマルティン・ルター作詞作曲の「神は我が砦」の聖歌を会衆として歌えたのも良かったし、なにより、牧師さんの説教がとても心に染みるものであった。亡くなる数日前に聖餐式を施すために長谷川宅を訪れたときのことなど語っておられたが、長谷川さんが自分の運命を受け入れていく様子を、同じ信仰者として澄み切った心で見つめている視線に感動した。

 光栄さんのお話では、意外な一面を聞かせてもらった。彼はソリストとして楽屋から舞台に登るまでの間に、大地震でも起きて、公演が中止になればどんなにかいいだろうと、毎回思っていたというのだ。
 特に、ザラストロを演じた時などは、長年合唱団員として務めてきて、合唱団員達が、それぞれのザラストロについて、どんな視線で見つめていたかつぶさに見てきた経験から、自分もきっとあんな目で見られているんだろうな、と思うといたたまれなかったというのだ。そのことは、先週書いたように、彼が役を引き受けるにあたって、どれだけ慎重だったかということの裏付けにもなる。
 また、そういう事とは別に、光栄さんは、長谷川さんという人が、奥さんや娘さんにとって、どれだけ家族想いの優しい人だったかということを語ってくれた。それを聞いて僕はとても嬉しい気持ちになった。

「トリスタンとイゾルデ」のキャスト
 さて、コレペティ稽古の話をしよう。マルケ王役の伊藤貴之さんは、実に繊細で知性溢れる人だ。前回合わせた時の僕の指示をしっかり受け止めて、しかも自分の中で何度も咀嚼して、自分の表現として出してくれたことに僕はとても驚いた。
 藤原歌劇団出身の彼は、
「イタリア・オペラばかり専門にやってきたので、ドイツものは本当に初心者なので、新しいことばかりで理解が追いついていません」
と謙遜しているが、どうしてどうして・・・長年ドイツものばかりやってきた人だって、なかなかこんな風に歌えません。彼は、声はとっても豊かだけれど、声に溺れたり、声に任せて歌ったりしないで、マルケ王の寂寥感が感じられる歌い方で、心にしみじみと訴えかけてくる。いやあ、希有な歌手である。

 また、トリスタン初役の小原啓楼さんも、なかなかの掘り出し物でっせ。彼は、なんといっても発声法が抜群に良い。実に合理的に喉も体も使っていて無駄がないから、ホルツ・トランペットが鳴ってぬか喜びしている箇所などで、
「俺、もうヘロヘロですよ。先生!」
などと言っていたって、ポジションは決して乱れないし、安定した美声を出し続けている。その日は、第3幕全体をやって、しかもあの壮絶な第2幕2場の早くて高いところも平気で歌った。

 むしろ僕の方が、忙しい一日の最後で、終わるともう目はしょぼしょぼ。小原さんは、なんと車で僕を自宅まで送ってくれたが、僕は帰宅すると、自分があまりにも疲れていたのに気が付き、御飯も食べないでベッドに横になったら、3秒後に意識がなくなった。

「おにっころの冒険」ワークショップ始まる
 「パルジファル」の疲れも抜けるまもなく、7月18日月曜日の7時34分国立発の「むさしの号」に乗って、僕は群馬に向かった。月曜日午前中というと、本当は「今日この頃」の更新原稿を書いている時だが、その日は、藤岡市みかもみらい館ギャラリーで、10時から新町歌劇団団員のための練習。そして13時から、いよいよ子ども達を集めての「おにっころの冒険」のためのワークショップが始まった。

 最終的に16人の参加者の内、なんと9人が小学校3年生!ということは、孫の杏樹と同じ学年。だから、僕にとっては杏樹のような子供を集めて指導する感じで、ある意味とってもやりやすい。何より、この年齢の子ども達が、何を考え、どんな時に集中力が増し、どんな時に飽きるのかが手に取るように分かるから。

 子供の指導は、大人にするのと全く違うアプローチでやるべし。まず音楽稽古を、椅子に座らせたりしないで、立ってやる。みんなだいたい、あんまり譜面を真面目に見ていない。僕がまずひとフレーズ歌い、
「はい!」
というと、みんなが同じフレーズを歌う。そうやってどんどん歌っていくと、もうみんな覚えている。
 実は、事務局がトチって、最後の曲M12「鬼と人間の鬼祭り」を印刷し忘れた。でも、誰も気にしない。同じように僕の歌を耳コピーして、1回歌ったらもうみんな覚えているのだ。

 休憩時間をはさんで次の時間は振り付け。オーディションの時にやった「村に平和をとりもどせ」の振り付けも、1回でできちゃった。「困った」という曲は、僕がヘンテコな振り付けをつけたが、子ども達、面白がってやっている。

 「おにっころの冒険」の中ではないのだが、コンサートの最後、カーテンコールでサプライズとして演奏する(これを知らせちゃったら、もうサプライズではないか?)「パプリカ」に、子ども達にはダンスで参加してもらおうと思っていた。
 歌劇団の団員で保育士の女の子達3人が振り付け要員として呼ばれている。彼女たち、まだ子ども達が来る前のお昼休みに、めちゃめちゃ緊張して、何度も練習していた。だって、「パプリカ」の振り付けって、細かくてとても難しいのだ。勿論オーディションが終わってから今日までの間に、事務局から連絡が行っていて、「パプリカ」踊りますということはみんな知ってはいたのだがね。
 この振り付けの時間にパプリカの振り付けもやり始めた。そうしたら、驚いたことに、みんなもう半分以上出来ていて、3度くらい通す間に、完璧にできちゃったよ!本当に、子供っていうのは、なんていう生き物なんだ!

 最後はセリフの稽古。さすがにセリフになると、声が小さい子などいたが、まず、みんなでベターッと重なっているセリフの部分を読み、それからランダムにひとりづつ読ませていった。今日は、まだ決めないでおいた。それで僕はこう言った。
「この部分のセリフは、誰のセリフであれ、全部次までに覚えてくること。それで、セリフの割り振りが決まっても。もし稽古で、割り振られた子のセリフが1秒以上止まったら、その時は、もう誰がそのセリフを言ってもいいです。それで、そんなことが何度も続いたら、次に一番早くセリフを言った人のものになります。いいね。だから誰になってもいいように全部覚えてくるんだ。分かったあ?」
「はーい!」
ということで全員を解散させ、それから主役のおにっころ、桃花、庄屋、鬼の大将などのソリストのセリフの読み合わせをやった。

 ふうっ!初回が終わった。めっちゃ疲れたけれど、いやあ、面白かった!やはり杏樹の通っているシュタイナー学校の教育方針ではないけれど、子供というものは「未熟な大人」などでは全然ない。ある意味、別な生き物であり、大人が失っているものをもの凄く沢山持っているのだ。何より、楽しいものを求める心と、集中力と、輝くような感性に、僕もすっごーくエネルギーをもらったぜ!

 あと3回のワークショップで、舞台に乗せるものに仕上げなければならない。1回1回が戦場のように大変だけれど、きっとやり遂げて、素晴らしい舞台を作ってみせる。

これが67歳の僕の挑戦!



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