【特別寄稿】 終戦記念日に思う

三澤洋史 

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ウクライナ情勢を見ながら気付いたこと
 ロシアによるウクライナへの侵略戦争をこの数ヶ月見ていながら、大事なことに気が付いてしまった。今、世界は、大義も正義もないロシアの数々の蛮行にとても怒っている。だからロシアを、かつての《悪の枢軸国》のように扱い、経済制裁を行ったり、NATO諸国はウクライナへの武器の供与などを積極的に行っている。
 ロシアにも言い分はあるだろう。しかしながら、普通に考えて、あんな広大な国土を持っておきながら、どうしてわざわざ他の主権国家に侵入していって、街をめちゃめちゃに破壊し、そこの住民達を殺し、占領していくのか?暴力的に国を侵略していった後、そこの国民と平和的友好的関係が築けると思っているのか?

日本は侵略国家だった
 そういった疑問を次々とロシアに投げかけながら、ふと考えた。そういえば日本も、かつて、満州や朝鮮半島や中国に出向いて行って、そこを占領した歴史があるのだ。また、どうしてフィリピンやマレー、ジャワなど、わざわざ南方にどんどん侵略していったのだ?さらに、どうしてナチス・ドイツやムッソリーニのイタリアと三国同盟を結んで、わざわざ《悪の枢軸国》となったのだろう?

 理由をいろいろ具体的に挙げることはできる。イギリスをはじめとする欧米列強国による植民地支配から大東和共栄圏の国々を守るという大義があったとされる。さらに、そのお陰で、終戦後それらの国が次々と独立を果たしたという成果が強調されていたりもする。

 それは立派な理由のように見える。では何故、我が国に守られていたアジアの諸国は、日本に感謝していないのだ?何故韓国は、未だに慰安婦問題などでゴネているのだ?何故、首相が靖国神社に参拝すると韓国や中国が反対するのだ?

 1937年12月の南京大虐殺では、中国側は30万人が殺されたと主張し、日本人学者は4万人から20万人だという。でも、4万人虐殺しただけでも、とんでもないことではないか?1985年8月12日の日航機墜落事故で520人犠牲になっただけでも大変な事態なのに・・・。
 善意による支配だったなら、各国から敬われてしかるべきだろう。日本が本当に熱い情熱を持って、それらの国の発展のために尽くしたのだったら、何の負い目も感じる必要はない。でも、事実は違う。所詮それは各国の主権を踏みにじった上から目線の侵略であり、少なくとも、相手国から見れば、強制的支配と搾取以外の何ものでもなかった。

 まず、この点をはっきりさせておきたい。我々は、戦前の日本への反省を、まずここから始めないといけないのである。ここが間違っていたのである。日本は他の主権国家を、現在のロシアのように次々と侵略していったのである。

 それを見ていた米国は、「けしからん!」と思い、日本に対して経済制裁を施した。それまで米国からの鉄や原油の輸入に頼り切っていた日本は、仕方なく資源を求めて油田などのある南方に出向いて行ったといわれる。
 では南方に行って友好的でフェアーな取引をしたのだろうか?ここでも答えは勿論否だ。今、僕たちが“侵略国家”ロシアに対して向けている視線を、欧米列強国がまさに僕たちの国に向けていた。日本は、かつて、そういう国だったのである。

米国との戦争
 さてその後、日本は米国を相手に戦争を開始する。こんなちっぽけな島国の日本が、あの巨大な米国とまともに戦争するなんて狂気の沙汰だと思わないかい。それを止められなかった軍部の愚かさよ。
 特に真珠湾への奇襲攻撃はひどい!ウクライナのゼレンスキー大統領が、米国を相手にスピーチをした時に、真珠湾攻撃を引き合いに出したことに憤慨した日本人が多いと聞くが、真珠湾の“だまし討ち”こそ、結果的にアメリカ国民を奮い立たせてしまったのだ。
 アメリカ人は確かに日本を舐めていただろう。
「まさか本気で俺らの国と戦うつもりではないだろうな」
と思っていたに違いない。
 そこへ日本軍は卑怯な手を使って宣戦布告もせずに真珠湾に奇襲攻撃を仕掛け、予想をはるかに越えた損害をもたらした。まさに愚策中の愚策。これによって日本は、“どんなに叩いても構わない大義なき悪の権化”に成り下がってしまったのだ。つまり、米国を“本気”にさせてしまったというわけだ。

 そして、ミッドウェイ海戦から後の日本軍の惨状は、両国の力の差が導き出す当然の結果である。にも関わらず、大本営発表という徹底したプロパガンダによって、日本国民は決して現実を把握することができなかった。
 中には気付いていた人も少なくなかっただろう。家の中では、
「勝てるわけないよな・・・」
と呟くことはできても、外で言ったら大変な目に遭う空気に支配されていたのは、2月、3月あたりのロシアと一緒だ。

戦争末期と一億総玉砕への洗脳
 さて戦争も末期に入って、どう考えても日本に勝ち目がないと分かっても、日本は終結させる(すなわち降伏)そぶりも見せない。一方の米国側では、
「こんなに叩いているのに、いつまで戦い続けるつもりか?」
というのが本音だったのではないか。

 そもそも日本は、米国にとっては、広い太平洋をはさんだ限りなく遠い国だ。本当はあんな遠い処にわざわざ攻撃を仕掛けになんて行きたくはない。でも彼らは、南方で勝利しただけでは、日本との戦争は終わらないだろうと判断し、降伏に導くためには、戦地だけではなく、本土への空爆が不可避であると結論づけた。もっとも、南方の戦地はすでにほとんど米軍の手によって奪還されていたのだ。

 本土への攻撃は、空爆の下に住んでいる一般民間人を虐殺することを意味する。この点に関しては、ロシアがウクライナにおいて、軍事施設以外の民間人居住区域をミサイル攻撃した際に我々が反応しているように、現代の視点からすると人道的に許しがたいことである。
「南京大虐殺とどこが違うんだ!」
と今なら言えるかもしれない。しかし当時はまだ、そこの線引きも明確ではなかった。はっきりしているのは、悪の枢軸国日本の暴挙に対する制裁と米国が思っていたこと。つまり向こうにとっては、それが“善”であるという意識があったと思う。

 1945年3月10日の東京空襲の一日だけでも、死者は10万人以上に及び、被災者は100万人を越えたと言われている。沖縄への無差別攻撃は1945年3月26日から始まり、6月23日に、ほぼ全土の玉砕をもって終了した。
 しかし、日本は戦争終結に向けて動き出そうともしない。
「もう勝てる希望はゼロなのに、何故まだ降伏しない?頭おかしいのではないか?」
と米軍は誰しも思っていたのではないかな。

 戦争末期。日本軍は一体どう戦っていたのだろうか?それは絶望的な戦いであった。まだ年端もいかない若者を学徒動員として戦地に行かせ始めた。大人達が南方などでどんどん戦死するので、人が足りないのだ。
 そして何をするかと思ったら、出発したら二度と帰ってこれない神風特別攻撃隊や、時には「回天」という、人がひとり横になるスペースしかない人間魚雷・・・また、昨晩遅く(8月14日)、テレビではマルレという特攻艇の番組をやっていた・・・このような、兵士の命をどこまでも軽く見た愚かな戦い方を強要していたのだ。
 本土においては、竹槍を持った訓練などしていた。そんなもので戦えるはずないではないか。しかも“一億玉砕”をスローガンに掲げながら・・・。
 理性的に考えればあり得ない。けれど、本当に最後のひとりになるまで、当時の日本人は戦うつもりだったのだ。この洗脳の恐ろしさよ。軍部は、その状態になっても降伏という選択肢を考えていなかったのである。これこそ狂気である。

飾りものの偶像と忖度
 昭和天皇は、その惨状を見るに見かねて、初めて自らの意志で動き始める。軍部が表向き最大限にあがめ、国民にも絶対服従を強要しつつ、実は最大限利用していた“偶像中の偶像”である天皇は、プーチン大統領のような独裁者であったのか?
 答えは否。天皇陛下は、これまで実際には何も決断しない影のような人物だったのだ。ところが、この方を頂点としたヒエラルキーが歴然と存在しており、軍部はこの人への“忖度”を装いつつ、実は彼の意見など全く聞かず、全てのことを勝手に決めて、天皇の名で命令していたのである。
 この“忖度”の体制こそ、外国人が全く理解できない点であり、実は最も我が国が反省するべき点なのであるが、巷を見ている限り、ここを本当に反省している人はごく少なく、我が国は未だに“忖度”の国であり続けている。

終戦へと
 広島や長崎の原爆記念日には、誰しもが、
「二度とこのような惨状を世界が起こさないように祈ります」
と言う。そのことに関しては、勿論僕も同感だ。しかし僕はそこに、
「アメリカに原爆を落とされた」
という被害者意識のニュアンスを感じるし、それ故に、「これは由々しきことだ」という上から目線も感じる。
 その一方で米国人の中には、
「原爆投下があったからこそ終戦を早めることができた」
という意見がある。これも極論であって簡単に同意するわけにはいかない。
 しかし、次のスケジュールを見てみると、日本への降伏要求の最終宣言であるポツダム宣言の発表から、原爆投下、ソ連の宣戦布告を通って終戦までの期間は、あまりにも短いことが分かる。
1945年
7月26日:英米中三国の連盟でポツダム宣言が発表されるが、日本はこれを無視
8月6日:広島に原爆投下
8月8日:ソ連が日本に宣戦布告
8月9日:長崎に原爆投下
8月10日深夜:御前会議にて天皇はこう仰せられ、ポツダム宣言受諾の意を示された。
以下昭和天皇の発言。
「之でどうして戦争に勝つことが出来るか。
勿論忠勇なる軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰等、其等の者は忠誠を尽した人々で、それを思うと実に忍び難きものがある。
而し今日は忍び難きを忍ばねばならぬ時と思ふ。
明治天皇の三国干渉の際の御心持を偲び奉り、自分は涙をのんで、ポツダム宣言受諾に賛成する。」 
8月12日:連合国側からはすぐ返事が来た。
8月15日正午:終戦宣言。
9月2日:連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、戦艦ミズーリ艦上において我が国の降伏調印式を行う。
9月27日:昭和天皇はマッカーサーと会見。
以下は、藤田侍従長の回想録より。
「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。
『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。
文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。
私の一身はどうなろうと構わない。
私はあなたにお委せする。
この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』 

戦後の180度転換
 ともかく戦争が終わった。東京裁判などはあったが、僕は戦後の米軍の態度は立派だったと思う。どこの国でも普通、戦争が終わって勝利国の軍隊が乗り込んできたり傀儡政権が発足した時には紛争が絶えないものだ。敗戦を受け入れない反乱軍のようなものが占領軍に武力攻撃を仕掛けたり、あるいは占領軍も敗戦国の住民を虐待したりレイプをしたりなど・・・。
 ところが、進駐軍の兵士たちが反乱を覚悟しながら用心深く乗り込んできても、我が国民は、天皇陛下の言葉をよく聞いて、驚くほど従順に敗戦を認め、誰も米軍に逆らわなかった。子ども達は米軍兵士に群がって喜んでチョコレートをもらい、大人達も米国にならって、
「これからは民主主義だ」
なんて言って、コツコツと復興に向けて精を出している。だから米軍も一般的には優しかったという。

 何なんでしょうね、日本人って?あんなに頑なだった人たちが、終戦後くるっと180度方向転換して、
「やっぱり、暗号だってみんな読まれていたし、あの近代兵器にかなうわけなかったよな。アメさんに勝てるわけないよな」
と、僕の父親なんかも、素直に米軍や米国人を尊敬していた。

アメリカン・ドリーム
 その頃の米国は、アメリカン・ドリームに向かってまっしぐらだったが、それにあこがれ、どの国民よりも、それを享受しようと努力していた国民こそ、日本人だよね。

 僕は、終戦から10年経った昭和30年(1955年)に生まれた。「ルーシー・ショー」や「奥様は魔女」なんかで、輝くようなマイホームが描かれ、旦那様が階段をスルスルと降りて来て、奥様を抱きしめ、
「愛してるよ!」
とキスをする。
「うわあ、なんていう世界だ!」
と目を丸くした覚えがある。

触れることを許されない憲法第九条
 こういう日本人って、要するに謙虚ってことなのかな?かつての権威主義と頑なさも日本人の一面ならば、このような素直さと従順さ、そして勤勉さこそ、日本人の美徳なのかも知れない。ただ、ある点に関しては、その従順さが、物事の正しい理解を妨げていることも事実だ。それは、憲法第九条に対する考え方だ。

 憲法第九条は美しい。僕は誰よりも平和主義者だけれど、どの国でもこの理想で生きていければ、素晴らしい世界が生まれると思う。
次の文章を読んでみよう。

第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 でも、この文章は残念ながら欺瞞だ。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」というのは、普通に考えて嘘でしょう。我が国には、実際に武器を持っている自衛隊がいる。それどころか、さらに米軍が駐留している。「これを保持しない」どころか、「陸海空軍その他の戦力は二重に保持している」と言わなければならない。こんな大嘘をそのまま放置しているのが、我々の憲法第九条なのだ。

 そして、もしかして国民の何パーセントかは、狡猾にもこう思っている可能性がある。
「いざ日本が他国から攻撃を受けたら、きっと米軍が守ってくれるだろう。核攻撃に対してさえ・・・」
こんな甘ったれた考えを持つ国は、どこにもない。ないほずのものをふたつも持っていて、それに期待しているなんて・・・。

 共産党などは、ロシアがウクライナに侵攻する前は、
「米軍を我が国から排除するのは勿論のこと、憲法第九条を守るために、自衛隊も徐々になくしていこう」
なんて言っていたんだよ。
 ところがウクライナ戦争が始まって、ロシアが我が国にも侵攻してくる可能性が生まれるやいなや、志位和夫さんは、
「主権侵害が起こった時は、自衛隊を含めてあらゆる手段を行使し、国民の命と日本の主権を守りぬくのが日本共産党」
と述べたのだ。おいおい、どの口が言う?なくしていこうと言っていた自衛隊に、今更頼るつもりかよ?
 いやいや、僕はこう思う。志位さんはむしろ、やっとものの道理が分かり、正論を思わず口にしたのだ。

本当に反省しなければならないこと
 つまり僕たちには、戦前の反省が本当にはできていないのだ。無条件降伏をして以来、「全て悪うございました!」と言いながら、何が悪かったのかということについて、思考に蓋をしているだけなのだ。
 戦前の日本が一番誤った点は、「軍隊を持つこと」ではなくて、「他国に攻めて行って侵略したところ」にあるのだ。今の僕たちがロシアを見ているように、かつての日本は、欧米諸国に「ならずもの国家」と映っていて、どんどん各国を侵略し、領土を広げていった。ここが悪かったのである。
 韓国や中国の人たちがいつまでも日本に恨みを持っているだろう。それは当然なのだ。それだけのことをかつての日本はしたのである。それは僕たち自身ではなくて、僕たちの先祖がしたことだけれど、同じ日本人として、そのそしりを受ける覚悟は持っているべきだと思う。こうした“国としての反省”から逃げてはいけないと思う。

 では、現代の日本が、こういう愚行を再び犯す可能性って、一体どのくらいあるのだろうか?朝鮮半島や中国や南アジアに今後侵略していくと思っている人ってどのくらいいるのだろうか?もしその可能性がほとんどないのだったら、その点についての反省はこれ以上必要ないでしょう。靖国神社に首相が参拝したから、再び軍国主義だ、と騒ぎ立てることが、いかにナンセンスか分かるでしょう。

主権国家としての防衛
 物事はいろいろ整理して考えるべきだ。その反省の話と、ひとつの主権国家が最低限の防衛力を持つという話は分けて考えないといけない。ウクライナのように、ある日突然、隣国から攻められる可能性は、我が国だって皆無とはいえない。その時、丸腰でいて本当にいいのか?という話である。

 武器を持たないで平和が維持できることは理想だ。対話ですべてが解決できればこんな良いことはない。でも、たとえば日常生活においても、お巡りさんがピストルを持たないで、対話だけで、どんな凶悪犯からも市民を守れるのだったら、苦労は要らない。ピストルは、発砲しなくとも、凶悪犯の行動を制する“抑止力”を確実に持っているということも理解しないといけない。
 プーチン大統領を対話で説得できたら、ウクライナは今頃平和だ。だが、残念ながら世界にはプーチンのような話の分からない人が現実にいるのだ。これを書いている今この時も、ウクライナでは戦闘が起きていて、沢山の人が死んだり怪我をしたりしている。これを誰も止めさせることはできない。

 ウクライナはロシアの向こう側だけれど、もしプーチンが関心を国土の東側に向けたらどうだ。我が国はロシアと国境でつながっているのだ。北方領土に・・・あるいは北海道にさえ、ロシアが決して侵攻しないと断言できるのか?
 また習近平は、いつ台湾に侵攻するか分からない。先日もナンシー・ペロシ下院議長が挑発しに行って、中国は実弾演習をした。まさに一触即発の事態ともいえる。すると、たとえば石垣島や竹富島なんてすぐ近くなのだ。それを誰がどう守ってくれる?
 金正恩はミサイルをどんどん飛ばしている。もしたまたま日本の国土に落ちて人が死んだりしたらどうする?対話ですべて解決できるのか?

アメリカはあてにならない
 ウクライナの戦争が始まる直前に、バイデン大統領は早々と、
「ウクライナに米軍を送って戦わせることはしない」
と宣言した。これで分かっただろう。米軍は、恐らく日本のためにも、血を流してくれるつもりはない。あるいは、何もしてくれなくとも我々には不服を言う権利がない。このことは肝に銘じておくべきだ。

ひとつの提案
 だから、この終戦記念日に、僕はひとつのことだけ提案したい。それは、憲法第九条を「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」から「これを保持する」に変えることだ。
 国際社会に対して、平和憲法だと歌いながら、こんな幼稚な嘘をつき続けることはもうやめないといけない。
 同時に、自衛隊をもう少し敬って欲しい。国を護る、という組織には尊敬と敬意を払って欲しい。自衛隊は災害救助隊ではない。組織立って動けるから災害救助も上手だが、本来は国防の組織である。それと、先ほど言ったように、米軍には期待してはいけない。

 ある日、どこかの国から核ミサイルが飛んできて、たとえば高崎という市が全滅したとする。明日は東京がターゲットになると知らされた。しかし今の憲法ではそれに対して何も対処できない。ただやられるのを手をこまねいて待つだけである。

 日本国民が、永久に武器を持たないものとして、その犠牲をすべて受け入れる覚悟があるというのであれば、それは世界に対するひとつのメッセージと成り得る。僕には、それを受け入れる覚悟はある。では、みなさんは?
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」
という日本国憲法第九条は、その覚悟を僕たちに問うている。

それを、この終戦記念日にもう一度考えてみようではないか。



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