「トリスタンとイゾルデ」演奏会を終えて

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

成功のデジャブ
 こんなオミクロン大流行の最中、「トリスタンとイゾルデ」公演なんてホントに出来るのかいな、なんて誰しもが思うだろう。バンダや合唱団も合わせると軽く100人を越える大所帯の誰も感染しないなんてあり得ないだろう。
 主要歌手達の健康状態は勿論心配だが、極端な話、バス・クラリネットやイングリッシュ・ホルンひとり抜けても、こんな長く難しい曲の代役は決して探せるはずもなく、従って公演の開催そのものが危ぶまれるわけだ。なんてリスキーな世界に今僕たちは生きているのだろう!演奏会が近づいてくるほど、普通みんな心配するよね。

 ところが今回は違った。僕は公演の10日前の8月18日から4日間、「トリスタンとイゾルデ」公演の練習のために名古屋の金山(かなやま)に宿泊していた。18日、19日は、ピアニストの木下志津子さんを東京から呼んで、ソリスト達の音楽稽古。20日、21日は愛知祝祭管弦楽団のソリスト入り練習であった。その間、毎朝6時前に起きて、僕は熱田神宮に通ってお祈りをしていた。
 20日土曜日の早朝のことだ。その日は熱田神宮に敬意を表して、金山とは反対側なので遠いが、正門の最初の鳥居から入って行った。そして本殿で感謝の祈りをしている時に、ポンと降りてきたのだ。
「この演奏会は成功裏に終わる」

 それは啓示というより、一種のデジャブdéjà vuのようなもの。といっても、通常のデジャブのような、何かの情景を夢とかでvu(見た)というのではなく、むしろ“ある喜びと安堵の感情”を胸の中に受け取ったのだ。
 それを言葉で言うのは難しい。しかし、一週間後の演奏会当日の夜8時過ぎ、終幕の「愛の死」の最後の和音が無事終わり、カーテンコールが終わって楽屋に戻ってきた時に、それは実現したのである。
 僕は楽屋に入るなり、汗びっしょりの衣装を脱ごうと思ったけれど、まずはソファに倒れ込むように座り、
「ああ、終わったあ!」
と大きく深呼吸した。その瞬間僕は気が付いた。
「あ、これだ!まさにこの感情だ!これを一週間前、時を超えてすでに受け取っていたのだ」

啓示を人に言っていいのか?
 今回、僕は、ひとつだけ試してみたいと思ったことがあった。それは、この啓示を人にしゃべったらどうなるのだろうか?ということである。もしかしたら、人に告げた瞬間、まるで魔法が消えたみたいに初期化して、デジャブ消滅となっちゃったりして・・・そして、主役の歌手とかが何人も感染及び発症して、演奏会が中止に追い込まれちゃったりして・・・。
 そうなったら、
「なんだ三澤は、演奏会できると言ってたけどできなかったじゃん!」
と詐欺師か嘘つき扱いにされるかも・・・でも、どうなんだろう?自分がデジャブに確信があるならば、言ったっていいんじゃないの?大事なことは、僕自身、どこまでそれを信じ切れるか、ということではないの?それをむしろ試されているのではないの?

 そこで8月21日オケ練習終了間際に、僕は愛知祝祭管弦楽団のメンバーに向かって言ってみた。
「みんな聞いてね。この演奏会は必ず成功します。僕はそのメッセージを、熱田神宮で受け取りました。演奏会が無事終わった時の、安堵と喜びの感情をすでに得ているのです。だからみんな、心配しないでね。この演奏会は必ずできます。」
 ああ、言っちゃった。これって、どうなるのかな?みんなどう思っているのかな?怪しい指揮者と思っているかな?と、思っていたら、いつもお弁当を運んでくれたり飲み物を置いてくれたりするKさんが、
「先生の、さっきの言葉、感動しちゃいました。演奏会、できますよね!」
と、あっけらかんと言ってくれたので、
「おお、案外みんな素直に受け取ってくれるんだ」
と、こっちがむしろ感動した。

 それで結局こうして演奏会ができたわけでしょう。まさに「信じる者は救われる」だね。それと、信じる者は「より強く信じなければいけない」ということでもある。

フィジカル及び知的アプローチ両面からの準備
 8月22日月曜日から始まる週は、毎日プールに通った。水泳をすると腕の動きがなめらかになる。特に最近は、親友の角皆優人(つのかい まさひと)君が薦める、クロールの“X軸”と言われる泳ぎ方を試している。
 まず、ストロークする時に、身体を水面に対して横のままではなく、結構縦に回転させる(ローテーション)。同時に、反対側の伸ばしている腕を、肩甲骨を意識してもっとグーッとできるだけ前に伸ばすようにする。その腕の先は、内側に向くと水の抵抗が生まれるので、少し外側に広げるような意識を持つ。すると体が面白いようにスーッと前に進む。 この肩甲骨の意識化が、指揮の運動にとても役立つのである。特に「トリスタンとイゾルデ」のようなテンションの高いレガートの音楽では必要不可欠ともいえる。

 プールに通うと共にスコアの勉強にも、当然のことながらいそしんだ。ワーグナーのスコアは深い。複雑というだけでなく、読み込めば読み込むほど、表面的なものの陰に隠された様々な意味に気付かされる。
 しかしながら、そこに夢中になり過ぎると、これはこれでハマリ込んでしまい、謎が謎を呼び、とても数日後に本番という雰囲気ではなくなるため、とりあえずアナリーゼは学者さんに任せて、こちらは演奏家としての立場からスコアにアプローチしないと埒が明かない。

 という感じで、フィジカルと知的アプローチという両方の面から、この一週間は、まるで「トリスタンとイゾルデ」を指揮するためのマシーンを仕上げているようで楽しかった。

ギリギリ・セーフ
 デジャブで成功と言われたからって、これだけの感染力を誇るオミクロン新種株の蔓延している中で、全く誰も感染しないということは勿論なかった。弦楽器奏者の中に感染者が出たし、その中でも、特に残念なのは、冒頭の裏歌の若い水夫と第3幕の羊飼いを兼ねていたテノールの大久保亮さんが発熱し、PCR検査の結果陽性のため出演できなくなってしまったことだ。

 本番前日の27日土曜日オケ合わせの時は大変だった。大久保さんの発熱の話を聞いたときは、
「来たな!」
と思った。同時に、ここで動揺してはいけないな、とも思った。

 まず、メーロト役の神田豊壽(かんだ とよひさ)さんと、舵取り役の奥村心太郎さん(愛知県立芸術大学大学院在学中)を呼び寄せて相談した。メーロトは、アクの強い役なので、第3幕の羊飼いと兼ねるわけにはいかない。ただ第1幕冒頭の若い水夫だったら、陰歌なので、歌い方を工夫すればできるだろう。ということで神田さんに若い水夫の役を急遽お願いした。オケ合わせの合間に、僕の控え室でピアニカで音を取りながら何度も練習し、本番にやっと間に合わせた。
 一方、第3幕の羊飼いは、奥村心太郎さんが引き受けてくれた。元来彼が担当していた舵取り役はわずか4小節しかない役だったので、若い彼は、出番が増えてむしろ喜んでいた。しかし、僕には、この羊飼いの役造りに対しては、とても強いこだわりがあったので、それを大急ぎで伝えなければならなかった。

 第3幕は、荒涼とした失意の雰囲気の音楽から始まる。メーロトの剣に刺され、深い傷を負ったトリスタンの意識は未だ戻らない。ふとつぶやく羊飼いのセリフが、この場の全ての状況を説明している。
Öd' und leer das Meer!
海は、荒涼とし、空虚な眺めだ!
 実に重要な役なのだ。これを、僕は大久保さんに、とてもきれいなSotto voceで美しく歌いながら、決して感情過多にならないよう何度も要求し、彼は答えてくれていた。それが僕の密かな自慢だった。
 しかし、本番前日にいきなり譜面を見せられた奥村さんに、同じレベルを望むのは酷というものだ。勿論、頭では分かっていたよ。でも僕は諦めなかった。何度も彼に説明し、何度も歌わせた。実は、こんな風にしつこく諦めなかったのも、実はあのデジャブがあったから。その甲斐あって、奥村さん、本番はよく頑張ってくれたよ。ブラボー!ありがとう!

という風にヒヤヒヤでギリギリ・セーフだったのよ。

そして迎えた本番
 本番で、一体何を考えていたかというと、ただひとこと。
「ああ、楽しい!」
これだけだった。

 「トリスタンとイゾルデ」全曲を演奏するのは勿論楽ではない。でも、今の僕には、健康な体があり、スコアを頭に叩き込む頭脳があり、歳は取っても、まだまだ音楽を感じる感性は健在。それらを総動員して、心を無心にして音楽とドラマに向かうことができた。
 ワーグナーの書いたひとつひとつの和音、管弦楽の色彩などをイメージし、身体表現で具体的な音に変換していく。エネルギッシュな躍動感、情熱や焦燥感などがあるかと思えば、静謐なる叙情性、失意や絶望感もある。そして崇高なるフィナーレに昇華していく。 全ての表現にきめ細かく寄り添い、共感し、バトンで紡ぎ出していった。自分の手から導き出していきながら、歌手達や管弦楽から返ってくる音に、いちいち新たな要素を発見し、驚きながら享受する喜び。

 こんな楽しいことをやっていていいのか?・・・・勿論、いいのである。いや、それどころか、こう思う。愛知祝祭管弦楽団という“スピリチュアルな場”は、そうした僕の「ワクワクするべし」という使命の周りに「面白そうだな」と集まった人たちで成り立っている。そして彼らは、僕の使命を助けている内に、いつしかそれが彼ら自身の使命へと飛び火し、しだいに僕個人の小さい器などはるかに超えて、ソリストもオケも合唱もバンダも、みんな自主的に一丸となって、気が付いたら、大きな火だるまとなってコンサートホールを焼き尽くしていったって感じ。

 この出遭いはたまたまではないのだ。それをはるか上から見下ろしていて、僕にデジャブdéjà vuとして教えてくれている存在が確かにいるのだ。

これをあなたは信じますか?




Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA