僕の夏が無事終わった

三澤洋史 

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僕の夏が無事終わった!
 かねてから、
「志木第九の会の《メサイア》演奏会が終わると僕の夏が終わる」
と僕は言ってきた。その間に、この夏はオミクロン新種株感染が信じられないくらいに拡大して、どの演奏会でも参加メンバーに、公演前ないしは公演後に何人かの感染者が出た。それでもギリギリの状態で公演中止とかに追い込まれず、無事に全ての公演をこなすことができたのは、まさに奇蹟としか思えない。その夏を、もう一度振り返ってみたい。

ギリギリの各公演
 7月13日水曜日に初日の幕が開いた二期会「パルジファル」公演では、舞台稽古初日のために上野駅公園口を出て、真向かいにある東京文化会館に向かった時、胸がキューンと痛んだ。
 昨年2021年の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で、キャストなどに数人の感染者が出たことで、公演直前に突然の中止に追い込まれた時の胸の痛みが甦ってきたからだ。オペラでは、長い音楽稽古から立ち稽古を経て劇場に入るという、本当に長期間を経て、やっと公演初日を迎えられるので、中止の時の落胆振りはコンサートの比ではないのだ。
 でも、今回の「パルジファル」は違った。初日を迎えられたのが何より嬉しかったが、その後の3回に渡る公演の毎回、恐る恐る文化会館の楽屋に入った時点で、みんなが普通に公演開始に向けて準備しながら行き交っているのを見て、
「ああ、今日も無事に公演ができる!」
と胸を撫で下ろしたものだった。

 コロナは、東京都だけ見ても、7月28日に新規感染者数が4万人を越え、その後の8月上旬が全国的にも感染のピークであったという。

 そんな中、7月31日日曜日の東京混声合唱団と新国立劇場合唱団との合同演奏会Dream Concertでは、東混からテノール1名、新国からやはりテノール1名が、練習時ですでにコロナ感染のため欠員となった。
 さらに演奏会後、数名の感染者が双方から出たと聞いている。その原因が、果たして演奏会なのか、100パーセント追跡調査をすることはできないが、いずれにしても、そういう状況下での演奏会開催を余儀なくされている時期であった。

 8月6日日曜日の高崎における「おにっころの冒険」でも、感染のため演奏会に出演できない残念な団員が出たし、やはり演奏会後発症したという団員もいたという。まさにピーク時なので、もういつ誰がどこで感染してもおかしくはない状況であった。事実、感染した人に後で聞いても、みんなどこで感染したか思い当たるふしがないという。

 8月28日日曜日。愛知祝祭管弦楽団「トリスタンとイゾルデ」公演では、すでに以前の「今日この頃」で書いた通り、冒頭の裏歌の水夫と羊飼いを兼ねる大久保亮さんが感染して出演できなくなり、慌てて公演前日にメーロト役の神田豊壽(かんだ とよひさ)さんには水夫を、舵取り役の奥村心太郎さん(愛知県立芸術大学大学院在学中)には羊飼いの役を割り振って、楽屋でピアニカで練習して本番に臨んだ。
 主役の歌手達だけではなく、イングリッシュ・ホルンやバス・クラリネットなど、もし本番当日出演不能になったとしたら、それだけで公演そのものが不可能となってしまう。「トリスタン」全曲経験者なんて、プロですら日本全国探したって、数えるほどしかいない。そうしたプロを呼び寄せようにも手立てがない。
 だから「トリスタン」が無事終わっただけでも、凄いことなのだと後で思い返す度にドキドキする。

この1週間
 9月に入り、9月11日日曜日のモーツァルト200合唱団定期演奏会も無事終了できた。その次の12日月曜日には、午前中、「今日この頃」の更新原稿を書き、午後に、国立駅近くのスタジオに、「メサイア」のソリスト達の内の3人を呼んで、コレペティ稽古の予定だった。
 でもねえ、僕は、演奏会の次の日というのは、基本頭がボーッとしていて、あんまり集中力がないんだ。更新原稿は、考えながらゆっくりやるからまだ書けるが、午後のソリストのコレペティ稽古は大丈夫かな、と思っていた。

 だって、ヤバイことに、実は、コレペティ稽古をするためのピアノを全然練習できていなかったのだ。その前の週は、編曲などの仕事があったり、いろいろ忙しく、9日金曜日から名古屋に行っていたりして、「メサイア」のスコアを見ることは新幹線の中などでもできたのだが、ピアノは何日もさわっていない。
 アルトの佐々木昌子さんだけは、前の週にコレペティ稽古を終わっていた。こちらの方は、忙しくなる直前だったので、アルト・アリアだけは落ち着いてピアノをさらい、コレペティ稽古も完了していた。

 さて、12日の午後になった。
ソプラノの國光ともこさんが3時頃来られると聞いていたし、初谷敬史君も大森いちえいさんも、その前に仕事があると聞いていたので、僕は2時ちょっと前にスタジオに着いて、
「さあて、1時間指慣らしも兼ねて練習すれば、いろいろ思い出すだろう」
と思いながら練習を始めたら、あろうことかその直後に初谷君が、
「おはようございまーす!」
と元気な声で入ってきてしまった。
「前が早く終わったので、来ました」
あはははは・・・そうかい・・・前が早く終わったんかい・・・よ、よかったねえ・・・。

 僕は前もって弁解しておく。
「あのさあ、初谷君!僕、ピアノしばらく触っていないんだよね。うまく弾けないかも知れないよ」
「あ、大丈夫です。お願いします!
「・・・・・」
ということで、勿論初見ではないんだけど、あっちこっちボロボロで稽古した。

 すると、またまた國光さんが2時半くらいに入ってきた。うわぉ!少なくともRejoiceのオブリガートだけでも練習してから稽古したかったのに・・・・。すると今後は大森さんも入ってきた。
「《ジュリオ・チェーザレ》の音楽稽古が(コロナで)トリになったので、早く来たんです」
 あ・・・そ・・・それはよかったねえ。これで事前練習は完全に不可能になったね・・・・あはははは。みんな僕のピアノを下手っぴいだと思うだろうな。ただテンポや解釈でブレのないようにしなければね。

 結果的には、僕はRejoiceのオブリガートはダバダバで歌ってごまかした(笑)。國光さんは、僕の指揮で「メサイア」はもう4回くらい歌っているが、さらなる研鑽を積んでいて、前打音とトリラーの扱いが絶妙。そしてその前をスーッとノンヴィブラートで歌って、フッと陰のようにトリラーする方法が良く体に入っている。

 初谷君は、記録を見ると、2001年の志木第九の会で「メサイア」のソロを歌って以来、なんと21年ぶりだ。ということは今より21歳若かったということだね。今回、コロラトゥーラの歌い方がとても進歩している。大森さんは、いつも通り豊かな声量と安定した歌い方でほとんど言うことない。

悪の誘惑
 さて、月曜日のコレペティ稽古の緊張もあって、週の中程は、モーツァルト200演奏会の疲れがちょっと出て、プールに行くこともちょっとやめてみた。暗譜で指揮をするというのは、特別な恵みもあるのだけれど、本番中の集中というのがハンパないみたいで、演奏後の疲労というのが出るものである。久し振りにそれを味わった。労力的には、「トリスタンとイゾルデ」全曲振るより全然楽なはずなんだけどね。

 それよりも、
「あと志木第九の会の演奏会だけできれば、僕の夏は終わる」
と思いすぎてしまって、もし、僕が発熱したり、オミクロンにかかってしまったら、2年前に「メサイア」演奏会を中止してから、これまでみんなが努力してきたのが水の泡になってしまうんだよな。それだけは避けたいな、と思えば思うほど、
「大丈夫かな?」
という悪の誘惑のようなものにさらされてしまった。
「ここでお前が発熱したら、全てが終わる」

 ある日は一日何度も検温をした。その日は、朝起きてからずっと、いつもの平熱よりも0.2度くらいなのだけど、高いのだ。これが上がるような気がしてならなかった。
 でもね、そんな時こそ“祈りの力”が必要だ。僕は、その週は祈って過ごした。すべて神の御心のままに。なるようにしかならないでしょう。心配しても仕方ないでしょう。公演の責任を負っている立場ではあるけれど、自分の力ではどうにもならないでしょう。だから委ねるしか方法はないでしょう。

だから、演奏会でのスピーチで「音楽は祈り」という言葉が、ごくごく自然に出たのだ。

いよいよ「メサイア」本番
 そしてオケ練習及びオケ歌合わせを経て、いよいよ本番の日がやってきた。実は、志木第九の会は、コロナ禍の間にいろいろあって、演奏会にエントリーできる人数が少なくなってしまったため、僕が東京バロック・スコラーズと相談して、メンバーを各パート3人ずつエキストラとして呼んで参加してもらっている。
 その最終合わせは9月17日土曜日の夜の合唱稽古で行ったが、それを通して、志木第九の会のメンバーの音色の中に彼らエキストラ達の音色がだんだん溶け合ってきた。さらにゲネプロを通して、あたかも昔からひとつの団体だったかのようになってきた。

 オーケストラは、原田陽(あきら)さんが集めてくれたプレイヤー達で、多くのメンバーは、オリジナル楽器でコレギウム・ジャパンなどに参加しているという。勿論今回はモダン楽器での演奏になるが、僕が東京バロック・スコラーズで演奏しているスタンスよりも、ずっと古楽奏法に近く、弦楽器などはほとんどノンヴィブラートで演奏している。
 それを、自分の本来のバロック演奏のスタンス、すなわち近藤薫さん達と作る“もっとモダン寄りハイブリッド奏法”に直すこともできたが、今回はバッハの受難曲に代表されるような、「内容的にもサウンド的にも重厚な作品」ではなく、ヘンデルなので、いっそのこと、このすっきりさを楽しんじゃえ、と思って、彼らのスタンスに任せた。勿論、自分なりの音楽的方向や要望はあますことなく伝えた。

 プレイヤーの中では、レシタティーヴォなどの通奏低音を担うチェロの懸田貴嗣さんが、適切なテンポ感で全体を仕切ってくれて、とても有り難かった。素晴らしいプレイヤーである。それと、大森さんの歌う48番アリアでトランペットを吹いてくれた齊藤秀範さんの輝かしい音とフレージング感は圧倒的であった。勿論、大森さんもね。

 合唱からソロへの受け渡し、あるいはレシタティーヴォからアリアを通って、合唱への受け渡しもスムーズに行き、ヘンデルの音楽の持つ、良い意味での楽天的な面が出てきて、本番中、演奏しているのがどんどん楽しくなってきた。終わってから、ソリスト達もみんな同じ事を言っていた。

 ソリスト達は、「誰がどう?」というよりも、全員がそれぞれ、《メサイア》全曲の中で、自分の持ち場を責任を持って果たしていた。その中でも特に、僕が大切にしている20番の2重唱で、佐々木昌子さんとその後の國光ともこさんの音色が、ふたりともとても優しく、ふくよかなアルトからより輝かしいソプラノに受け継がれていって、キリストの大きな包容力と慈愛をあますことなく表現しているのに心打たれた。まさにこの優しさこそがヘンデルの音楽の神髄であり、そしてイエスという救世主の本質でもあるのだ。

 合唱団は、最初、オケ後方のひな壇の上に全員乗って歌うつもりだったが、僕が土曜日の夜に本番会場に行ってみたら、とてもソーシャル・ディスタンスが稼げる状態ではない。そこで、両サイド4席ずつ2列をひな壇から下ろして、オケ後方の反響板の前ギリギリに並べた。それでも、残念ながらマスクを外して歌う距離は稼げなかったので、本番はマスク付きで歌唱しなければならなかった。
 ただね、それは客席から聴いた場合、決してマイナス要素ばかりではなかった。オケを合唱全体が囲むような状態になったため、合唱とオケが一体となって、舞台全体に響き渡り、マスクの柔らかミュート効果も手伝って、僕の意図した柔らかく暖かいヘンデルの音が、客席に響き渡っていたのである。

祈りの力
 僕は、始まる前のプレトークで、
「音楽は、それ自体が祈りです。このパンデミックやウクライナ戦争で数え切れない人たちの心が傷つき、悲しみや絶望が蔓延しているこの世界に、音楽の持つ祈りの力を信じる私は、タクトを持ち、《メサイア》の音楽を全世界に解き放ちます。みなさんも、その力を信じてくれるならば、それはすべてを包んでいくでしょう」
と結んだが、最後のアーメンを、ソリストも声を合わせて会場一杯に響かせた時、僕はその想いが確かに叶ったことを全身で感じていた。

ただただそこには“感謝”しかなかった!

 さて、明日から僕は久し振りに新国立劇場に出勤し、今週は毎日、昼夜の合唱音楽稽古をする生活になります。



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