茨城への旅~スクールコンサート

三澤洋史 

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茨城への旅~スクールコンサート
 9月26日火曜日。10時つくば駅集合なのに、朝6時過ぎに家を出て、妻に送ってもらって国立駅から中央線に乗った。スーツケースがあるので、ギュウギュウのラッシュアワーだけは避けたかったから。
 朝早いのは全然平気なのだが、「この時間だったら座れるのではないの」という期待は見事に裏切られて、目の前に座っているサラリーマン達はみんな無防備な顔をして熟睡している。・・・・いくらなんでも新宿ではみんな降りるでしょうと思っていたが、ちぇっ、お茶の水までずっと立ちっぱなしだったよ。

 総武線に乗り換えて7時半前にもう秋葉原駅に着いてしまった。乗ろうとする電車まで1時間以上も時間がある。どこかゆったりできるところで朝ご飯を食べようと見渡して・・・気が付いたら朝Macでソーセージエッグマックマフィンとハッシュポテトとコーヒーのセットを頼んでいた。でも、秋葉原東口のマクドナルドの3階席は大きくてのびのびしている。

 今日は、文化庁主催の石下西中学校でのコンサート。つくば駅前からチャーターしたバスに乗り、石下方面に向かう。コロナ禍でスクールコンサートを申し込んでくれる学校が激減したため、通常だと1週間以上の旅行メニューを組むのが普通なのに、今秋はわずか2校。でもね、昨年とか一昨年とかはほぼ皆無だったから、まだいいのだ。

 嬉しかったことが二つある。ひとつは、後半で校歌を生徒達が歌った時、6月にワークショップで行った時にサジェスチョンをしたことをみんながよく守ってくれて、とても良い声ではっきり歌ってくれたこと。それと、コンサートが終わっての生徒2人からの御礼の言葉。きちんと自分の言葉で率直に感想を語ってくれて、最後に、
「もうすぐ学校全体での合唱祭がありますが、私たちは新国立劇場のみなさんの歌声と、発声のポイントをしっかり忘れずに、取り組んでいきたいと思います」
と言ってくれた。
 僕は思わず、
「合唱祭があるのですか?このコロナ禍に、よく合唱祭を行ってくれますね。先生達、ありがとうございます!音楽は、決して世の中の不要不急のものなどではなく、私たちの人生になくてはならないものです。ワクワクしたり感激したりしないで、人生をただ長く生きるだけなんて残念です。みなさん、これからいろんなことにチャレンジして、悔いのない人生を生きていってくださいね」
と結んだ。
 合唱団のみんなも、生徒代表の挨拶に胸を打たれていた。団員達もみんな素直で暖かい。僕は、こんなメンバーに囲まれて仕事しているのをとても嬉しく思う。

 その日は、再びバスで水戸に向かい。水戸で1泊した。夕食は、マネージャーのTさんとピアニストの小埜寺美樹さんを誘って、ビールの後、日本酒を飲みながら、カツオやあんこう鍋に舌鼓を打った。

写真 水戸の居酒屋でのカツオのたたき
水戸居酒屋のカツオ


 次の日の早朝。前回のワークショップの時と同様、お散歩に出て千波湖の周りを一周し、それから歩道橋を昇って、梅林で有名な偕楽園(かいらくえん)に行った。梅は季節外れなので、入り口は開けっぱなしで勝手に入れる。緑に溢れて心が安らぎ、高台からの千波湖の眺めは素晴らしい。

写真 早朝の千波湖
早朝の千波湖

写真 朝日を受ける偕楽園
水戸偕楽園

写真 偕楽園から木々越に見える仙波湖
偕楽園から千波湖を望む


 それから、偕楽園の横にある常磐(ときわ)神社にお参りした。人気の神社らしく、参拝客が絶えない。そしてあたりの気がとても良い。

写真 朝日を受ける水戸常磐神社
水戸常磐神社


 それで、スクール・コンサートは水戸ではなく、ちょっと遠い鉾田までバスで行き、鉾田南中学校で行った。合唱団員達が「茨城県民の歌」の僕のロマンチックな編曲を気に入ってくれたが、この鉾田を最後に、しばらく使わないかと思うと、ちょっと残念だ。

 石下西中学校同様、みんなが新国立劇場合唱団の声量と音色に驚き、目をキラキラさせて演奏に耳を傾ける時、中央でのシビアな公演やコンサートとはまた違った種類の、音楽家としての歓びや生き甲斐を感じる。この音楽の力は、確実にひとりひとりの心に届いている。そう信じられる瞬間、僕は音楽家としての道を選び、音楽家として生きてきたことを、とても誇りに思うのである。

僕の体と愚かな戦争展開
 先週、自分の体のことを書いたが、その後、ふたつ目の台風が過ぎ去っていったと同時に、まるで嘘のように蕁麻疹(じんましん)が僕の体から去って行った。あれは一体何だったのだろう?
 蕁麻疹が出ている時は片時も落ち着かなくて、
「ああ掻きたいなあ・・・でも掻いたらダメなんだよな。でも、ああ、掻きたい!」
とずっと思っている。まるで、思いっきり掻くことだけが「人生のしあわせの全て」みたいに感じられるが、引っ込んでみると、いつの間にか蕁麻疹のこと自体を忘れている。
「ああ、人間の欲望もそうだなあ」
と思う。欲望に捕らわれている時には、そのことばかりを考え、それさえ達成されたら、もう何も要らないと思う。でも、その欲望が過ぎ去ってみると、何をたわいのないことにムキになっていたのだろう、と気が付く。人生には、もっと価値のあることがあり、世界は、本来見つめるべき沢山の真実に満ちている。

 ともあれ、平穏な日々が戻ってきた。先週の「今日この頃」を書いていた日には、まだ少し余韻のような痒みが体に残っていたが、次の日には全くなくなった。茨城から帰ってきた翌日の29日木曜日。恐る恐る立川柴崎体育館に泳ぎに行ってみた。泳ぎ初めるやいなや体中にブワッと出たらどうしようと思っていたが、全く問題ない。不思議だ。今年の3月以来、こんなにきれいに去ったのは初めてだ。恐くて水泳どころじゃなかったのに・・・。

 先のことは分からないけれど、何故か、もう出ないような気がする。それは、僕の胸の中が、これまでと違って平穏なことと関係している。アレルギーをウクライナ侵攻と関連付けて考えるのも乱暴だが、プーチン大統領が、国民にかけた兵士の部分的動員令や、ウクライナ4州併合のための住民投票の強行という、こんな分かり易い愚行を行ったことによって、この戦争が、いよいよ将棋で言うところの“詰んできた”状態に入ったのと関係あるような気がする。

 部分的動員令は、プロパガンダに騙されていた国民にも、さすがに、この戦争がうまくいっていないことが明るみになり、たった1通の召集令状で無差別に「戦地に送られる」というまさかの現実が、自分たちに降りかかってくることで、大きな反発を国民にもたらしている。
 一方、強引な「併合への住民投票」は、半年前の「ネオナチからロシア人を助ける」という侵攻当初の大義が真っ赤な嘘であったことをプーチンが自分で言っているに等しい。
「要するに国土を取りたかっただけじゃん」
とバレてしまった。
人間は、1回でも嘘をつくと、
「あの人は嘘つき」
というレッテルを貼られてしまう。ましてやひとつの国家が(それもこれだけの大国が)、子供でも見破れる嘘を何度もつき続けている。もはやロシアは国際社会から完全に見離されてしまった。
 さらに、わざとらしいことに、併合という既成事実を作ったことによって、
「ここはロシアなんだから、おまえ達ウクライナ軍は、今やロシアに侵攻しているのだ」
と位置づけようとしている。
 いやいや、子供だってね、そんな姑息な手を使ったら、みんなから仲間はずれにされるよ。僕が「プーチンが詰み始めた」と言ったのは、彼が一国の指導者として絶対に越えてはならない一線を越えてしまったところにある。

それは、“尊敬”を失ったこと。

 これまでは、プロパガンダのせいもあって、一応表向きには国民から尊敬されていた。しかし、今回ばかりは、どんな鈍感な人でも、これらが全て茶番であることに気が付かないことはあるまい。
 それどころか、自分の国が、そんな卑怯な手を使うことに、情けない気持ちにならないロシア人はいないだろう。さらに、たとえば「暴動を起こした者は、その場で徴兵の同意書にサインさせられ戦地に送られる」や「偽情報を流した者や投降ロシア兵には10年あるいは15年の禁固刑」などと力で脅せば脅すほど、プーチンへの信頼は国民から遠のいていく。少なくとも、ロシア人のほとんどが、
「この人に付いて行っても、この国に輝く未来は決して来ない」
と思っているだろう。

プーチンが「国民から愛される」日は、もはや二度と訪れないのだ。

 残念ながら、今日、今この時でも、戦いが行われ、人が死んでいるかも知れない。戦争は、そう簡単には終わらない。その間に、ロクに訓練も受けていないロシアの兵士達がウクライナ軍の近代兵器の格好の的にされ、ボコボコにされる可能性もある。
 そのひとりひとりに家族がいて愛する人がいる。それを思うと、本当に心が晴れたわけではない。しかしながら、プーチンが、ここまで自分の愚かさを曝露してしまった今となっては、あとは時間の問題だ。

 将棋の名人は、何手も前を読んでいて、素人が全然気が付かない時点で「負けた!」と気付く。この先、どのように打とうとも、必ず自分の王将の前に敵の最後の駒が突きつけられる瞬間が来るのが分かるからだ。

「これはおどしではない!」
と核攻撃を示唆したところで、
「わあ、カッコいい!」
と思う人はいない。
「いいぞ、やっちまえ!」
と思う国民もいない。
 確かに戦術核を使ってキーウの住民全員を皆殺しにすることだってできるだろう。でも、それって“勝ち”なの?むしろ最悪の“負け”なんじゃない?将棋の名人がやけになって将棋台をひっくり返して駒がバラバラになって、今までの試合をなかったことにして挨拶もしないで帰るのに等しいよね。称賛する人は誰もいない。
だから、彼がそこまでバカじゃないことを祈るばかりの今日この頃です。



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