「タンホイザー」今週末初日
「タンホイザー」がオケ付き舞台稽古BOに入っている。BOという言葉は、ドイツ語でBühnen Orchester-probeの略だ。いわゆるSitzprobeと呼ばれる「オケ合わせ」がない代わりに、BOが3回ある。といっても、3回目は衣装付きで、事実上ゲネプロ扱いだから、基本的に途中止められない。
最初の2回のBOについては、指揮者の意向次第なので、マエストロによっては、1日目は前半、2日目は後半と分けて練習することもあるが、今回のアレホ・ペレス氏は3回とも全曲やる方針。
まあ、やってみると、丁寧に止めながらやるのもいいけれど、ズレた処はみんな自覚があるので、あまり止めないで3回通しに近い状態でやるのは、プロの場合、能率的だ。
エリーザベト役のサビーナ・ツヴィラクがいい。発声も良いが、清楚なエリーザベトの味を出している。それと、最近、妻屋秀和さんが、ますます円熟度を深めている。何をやってもその役になり切っているのはさすが。牧童には、新国立劇場合唱団メンバーの前川依子さんが、すっきりとした歌唱を聴かせている。
さすがに舞台になると、男声合唱の第1幕及び第3幕の巡礼の歌は、カゲ・コーラスから始まって、しだいに舞台上に列を作って行進してくる間に、響きのムラやテンポのわずかなズレがあって難しいが、何度もやっている内にだんだん慣れてきた。
ライトモチーフ(指導動機)が縦横に張り巡らされた中期以降の楽劇もいいけど、前期のメロディーに溢れた和声音楽は、分かりやすくていいね。ワーグナーの入門にはぴったりの作品です。
とはいいながら「霊肉の戦い」というワーグナーの追求した基本テーマが最も濃厚に表現されているので、入門でありながら、本丸であるともいえる。
初日は1月28日土曜日。2月11日まで5回公演。
今日もこれからBOの2日目に行ってきます!
僕のホーム・ゲレンデ~ガーラ湯沢
1月18日水曜日。ガーラ湯沢に“還って来た!”大宮から新幹線で約1時間。駅に直結しているガーラ湯沢は、僕にとって最も手軽に行けるホーム・ゲレンデだ。親友の角皆優人君のいる白馬五竜も勿論、ある意味ホーム・ゲレンデといえるが、日帰りで行ける距離ではないし、大抵家族を伴っていくとか、キャンプで大勢で滑る環境である。
それに対して、忙しい仕事の合間に一日だけオフがあって、たった独りで行って、シコシコとコソ練する環境がガーラ湯沢。ここに来ると、いよいよ自分のスキー・シーズンが、序曲ではなく本編に入ったな、と感じる。
ガーラ湯沢に行くためには、いつも「JR SKISKI/びゅうトラベル」というサイトから入って、新幹線チケット付きリフト券を購入している。以前は自宅にチケットとリフト券引換券が郵送されてきたが、今回は手続きをしてから、i-Phoneに送られてきた受付番号を頼りに、新宿のえきねっと自動券売機で受け取ろうとした。このやり方が結構複雑で分からず、えきねっと窓口のお姉さんに聞いた。
すると、お姉さんもよく分かっていなくて、本部に電話をかけて聞いてくれた。お姉さんに分からないことが、こんなじーさんに分かるわけねーよな。新幹線チケットは、認証番号と携帯電話番号の下4桁でゲットできたけれど、リフト券のゲットの仕方が分からない。お姉さんが本部から聞いてきた情報では、ガーラ湯沢に行ってから、IDとパスワードで携帯電話からログインして、出てきたQRコードを器械にかざしてゲットするという。
で、行ってみた。すると新しい器械が何台か立っていて、受付カウンターを通さなくても、これでリフト券やガーラの湯の割引券がゲットできた。そういえば、今年から電子読み取りのリフト券になったのか。その意味では、他のスキー場よりむしろ遅い方だ。
コロナ禍も加勢して、世界がみんなネット、スマホ、自動になっていく。別に悪いことではないが、人との接触がだんだんなくなっていくのは、少し寂しい気がする。そういえば、最近、料理を注文するのに、そもそもテーブルにメニューがなくて、スマホでQRコードを読み取ってホームページにログインさせ、自分のスマホ経由で料理を注文させるレストランが増えた。
名古屋の「バーデンバーデン栄」や浜松の「マインシュロス」というドイツ・レストランは、以前は年配のドイツ料理好きの人たちでごったがえしていたが、この方式になってからは閑古鳥が鳴き、ドイツ料理なんて全く興味なさそうな若者達ばかりが、鶏の唐揚げなんか食べている。あのドイツ料理好きのおじさんたち、何処へ行ったんだろう?
まあ、そんなことはどーでもいいわ。僕が心配しているのは、コロナが終わっても、コミュニケーションの喪失状態が加速していくのかも知れないということ。そういえば、マインシュロスでは、ロボットがザウワクラウト付き焼きソーセージやブレッツェルを運んできたな。百円ショップなどでは、レジーも自分でするだろう。その内、全く無人のレストランなんかが出来るかも知れない。
スネベロ
「スネベロ」って、本当に大事なんだと思った。前のターンが終わって切り替えた瞬間、試しに、新しい外足のスネを強くブーツのベロに押しつけてみた。すると、即座に新しい外足に完全に乗り切ったのを感じ、ターン前半の円がきれいに描けるではないか!
年末の角皆優人(つのかい まさひと)君の個人レッスンとAキャンプで、彼は僕のターンの「左右差」を指摘してくれた。僕は、左ターンが弱い。特に右ターンが終わって左ターンへの切り替え時に、即座に新しい外足に完全に乗り切れていないし、外向傾が徹底していない。それをただ今矯正中。
切り替えた直後の、新しく重心を乗せた足は、外足とは呼ばれるものの、スキー板はまだ山側にあり、真横を向いている。だから、とても不安定な状態だ。すぐに板を下を向かせて落ち着いた状態にしたいのだが、そこをグッと我慢して、円の上部といえども遠心力が働くよう丁寧に働きかけ、フォールラインまでの時間を長くすると、上部の円が充実してターン弧自体が丸く美しくなるのだ。
ショート・ターンのピッチとコブ
「スネベロ」を強めることによって、切り替え時に即座に安定感を得られることは、僕に、よりクイックリーなショート・ターンを可能にした。ショート・ターンのピッチを速めていく練習は、そのままコブ滑走の精度を上げることにつながる。
整地では、ターンの大きさや細かさは自分でどうとでも決められるが、コブでは、コブ自体がターンの細かさを強制的に決定する。自分にとって速すぎるピッチのコブでは、自分の肉体以前に“意識が付いて行かない”。
それは、
「整地で自分が出来るショート・ターン以上の速いピッチのコブは滑れない」
という風に言い換えることもできる。
だから、整地で細かいショート・ターンを練習することが不可欠だが、そのために「スネベロ」は欠かせないのだ。それを前提にさらに言うと、
「切り替え時、即座にスネベロで板のトップで雪面を捉えるべく前傾姿勢を作る。ショートターンをしながら、《前から後ろの縦の重心移動》を素早く行い、カカトでターンを仕上げる~また切り替えてつま先加重」
という一連の速い動きが大事なのだ。
ターンの初めでつま先に乗っていた重心は、仕上げではカカトに来るが、では、スネベロが外れて後傾になるかというと、ここを勘違いしてはいけない。カカトには重心が乗るのだが、膝を曲げてかがむことによって、依然スネベロは失われていないのだ。特にコブでは、抜重はコブの盛り上がりで行うため、伸身ではなく自然に屈伸抜重となる。要するにスネベロの強弱の変化はあっても、スネベロ自体が解ける瞬間はほとんどない。
という感じで、ショート・ターンの精度は上がったのだけれど、その日の北斜面のスーパースワンに出来ていたコブは、誰が作ったのか知らないけれど、不規則で下手なコブで全然練習にならなかったので、新雪のまま放置してある場所で、自分でコブを作って滑っていた。
それよりも、2.5Kmの下山コース・ファルコンを3回も滑り降りてはゴンドラで上がってきた。スネベロのお陰で、スピードを出しても安定していて怖くないため、板の真ん中を強く押してたわませながらフルカーヴィングで滑る。スラロームの選手のように、両足を開いて、内側の足をたたみ込ませ、外足を突っ張ってみる。キュイーン!
恐らく僕のこれまでの生涯における最速で滑り降りる瞬間が何度かあり、体中の毛穴が開いた感じがした。こんなの、スキーでないと絶対に味わえないね!
ゲレンデと音楽
スキーを履いてゲレンデ全体を滑っていく感覚を、音楽的に表現するならば、一番近いのは、ジャズ・ピアノでアドリブをしていく感覚だ。ゲレンデ上部に立った時、自分の前には空間的にも時間的にも自由が広がっている。これからどうアプローチしてもいい一方で、逆に何が待っているか分からない。全てが一期一会で、転倒するかも知れないし、素晴らしいシュプールを描けるかも知れない。
では、クラシック音楽的な感覚はないのか?と問われたら、勿論あると答える。ゲレンデを一目見れば、そこが整地なのかコブなのか、急斜面なのか緩斜面なのか分かるじゃないか。それを譜面にたとえてもいい。譜面は完成されているように見えるけれど、単なる設計図に過ぎない。実際の演奏の中には、普通の人が考えるよりもずっと大きな可能性と自由がある。テンポ、強弱、バランス・・・そしてフレージング。
ひとつのメロディーを演奏するにあたって、どのダイナミックで始め、どのくらいふくらませたり、どのくらい音圧をかけたり、といったフレーズ感は、まさに自分がターンをどのように仕掛けて、そして仕上げていくのか、ということと完全に一致していく。先ほど述べたように、《円を美しく仕上げる》というのも、フレーズ的に重要なことなのだ。
また、実際の滑走及び演奏には機能美の追求というものがある。優れたスキーヤーのフォームや動きそのものは、優れたピアニストやヴァイオリニストの、肩から腕のラインや指の動きや、声楽家の腹圧やジラーレやソット・ヴォーチェに、僕の感性の中でリンクする。効率性とムダを省いたものがひとつのフォームに結集する。スポーツも音楽も同じ。
最近気が付いたのだが、僕は、宗教観も音楽的に受けとめているようだ。バッハの音楽とか、そういうことではなくて・・・神という存在を、どうも“音楽的に”受けとめているらしい。そして、それらが、ゲレンデでは、圧倒的に感じられるのである。
つまりゲレンデでは、スキーと音楽と宗教などが渾然と混じり合って、聖霊あるいは至高なるものの臨在のように、自分に迫ってくるのだ・・・う~~~ん・・・なんか違うな・・・あのね・・・そういう真面目なものではなくて・・・遊びなんだな。遊び。そう遊び!!
遊びをせんとや 生まれけん音楽もスキーもplayすると言うだろう。ところがね、playというものは本来、至高なる存在そのものなのだ。宇宙は“遊び”というものの具現化。“遊び”から3次元に滲み出てきたもの。僕たちの生命は何故あるのか?別になくてもいいのだけれど、僕たちがそれぞれ勝手にplayできるように、至高なる存在から“個”として分かれて来たんだ。
戯れせんとや 生まれけん
後白河院 編纂「梁塵秘抄」より
ベルリンは晴れているか
NHK・FMの解説の仕事の準備などに追われていて、ここのところ小説というものを読む余裕がなかった。資料としての文章には数多く接していたが、心のどこかで、「まとまった文章を時間の制約なしに読むこと」に飢えている自分を感じていた。
年が明けて、ふと府中の本屋さんで見かけた一冊の文庫本。そのまま通り過ぎてしまおうとする視線のはずれに、ふとかすめた「ベルリン」という言葉。
「ん?」
振り返り、足を止める。
「ベルリンは晴れているか」(ちくま文庫)。著者は深緑野分。知らない人。どう読むのかも分からない(ふかみどり のわきと読むらしい)。表紙カバーには、こんな解説が書いてあった。
1945年7月、ナチス・ドイツの敗戦で米ソ英仏の4カ国統治下におかれたベルリン。ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が米国製の歯磨き粉に含まれた毒による不審死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、なぜか陽気な泥棒を道連れに彼の甥に訃報を伝えに旅立つ―。圧倒的密度で書かれた歴史ミステリの傑作。待望の文庫化!中身をパラパラとめくっただけで、すぐ目に飛び込んできたのが、ウンター・デン・リンデン(ブランデンブルグ門から始まり、フンボルト大学や国立歌劇場などのある大通り)や、クアフュルステンダム(動物園駅の近くの目抜き通り)、あるいは、シャルロッテンブルグ地区(僕が指揮科在学中、アルバイトで指揮をしていた、アマチュアのシャルロッテンブルグ室内管弦楽団のあった地区)というなつかしい言葉の数々。それ以上の内容を確認する間もなく、気が付いたら本を持ってレジーに並んでいた。
「ベルリンは晴れているか」
ヒトラーの演説―わが国の崩壊の原因を除去し、この崩壊から不当に利益を得た輩を絶滅させよ―この輩が何を指すかは、ヒトラーの言説から明らかだった。それから、さまざまな弾圧と排除の詳細な描写が始まる。人間が同じ人間に対し、こんなことまで出来てしまうのか?というやり切れなさで胸がいっぱいになる。僕たちは、ドイツ人が大量のユダヤ人を死に追いやったことを知っているが、そういう“数”とか結果とか、そういうことではなく・・・たとえば、この小説の中に出てくるイーダという、母親を目の前で亡くした盲目の少女のように、たったひとりの悲劇を語る方が、事の悲惨さのリアリティを感じさせる。
すなわち共産主義者とユダヤ人。
聞く者の憎悪を焚きつけるだけではなくヒトラー自身が信じきっていたこの主張を、人々もまた信じた。
ヒトラーの緩急のついた巧みな弁舌は(中略)わかりやすく、多くの国民の胸を打ち興奮させ、涙さえ誘う。
(幕間Ⅰより)