瞞されたと思って観て!「ファルスタッフ」

 

三澤洋史 

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ただ今「タンホイザー」ロス中
 新国立劇場では「タンホイザー」と「ファルスタッフ」が同時進行していたし、今日(2月13日月曜日)は、午後から「ホフマン物語」と「アイーダ」の合唱音楽練習がある。
 プロなんだから、別に公演が終了したからといって打ち上げをするわけでもないし、通常は、淡々と次の演目に取りかかっていくわけだが、時々、終了すると、とても淋しく思う演目がある。

 「タンホイザー」が2月11日土曜日に終わった。今ちょっとタンホイザー・ロス。合唱指揮者とすると、やり甲斐のある仕事だったし、久し振りに新国立劇場合唱団とガッツリ取り組んだ作品だった。プロの声楽家を相手に、発声法から容赦なく指導し、ドイツ語の発音についても、単語のニュアンスに至るまでこだわって指導した。
 男声合唱の響きについては、ひとつのスタンダードを築いた自負がある。女声合唱の裏コーラスに関しても、ビブラートを抑え目には指導したものの、シレーヌの裏コーラスに関しては、清潔過ぎずにある種の妖艶さも必要だ。その一方で、第2幕最後の若き巡礼者達のアカペラ裏コーラスでは、純粋な響きを目指した。
 第2幕の、行進曲から始まる歌合戦の場面の混声合唱では、ひとりひとりが完全にコントロールできる範囲での声量と声質にこだわった。合唱は群舞と同じで、100パーセント出してしまったら、もう密なアンサンブルは望めない。むしろ、それぞれが完全制御できる声で出すことこそ、合唱全体から、音量及び質感も含めて、最大限のキャパシティを引き出すコツなのである。
 僕は、このことをバイロイト音楽祭合唱指揮者を28年務め、1999年に引退した、故ノルベルト・バラッチュ氏から教わった。これこそ僕の財産だ。バラッチュにバイロイトへ呼んでもらえなかったら、今の僕はないなあ。その意味では、どんなに感謝しても足りない。

 2月8日水曜日の公演を次女の杏奈が観に行って、こんな感想を家族共通LINEで送ってきた。
「タンホイザーの合唱、素晴らしかったけど、パパが生きている内に、あと何度この合唱が聴けるんだろうと思うと、ママにも是非行って欲しい」
僕は書き込んだ。
「まだしばらくは死なないと思うんだけど」
すると、
「パパは、まだ死なないにしても(笑)、ママには是非聴いて欲しいなあ」
そこで、妻が11日の千穐楽に観に来た。

身内に褒めてもらうと素直に嬉しい!  

瞞されたと思って観て!「ファルスタッフ」
 誰かが「ファルスタッフ」の感想を書いているかな、とネットで探っていたら、興味深いサイトを見つけた。「美術展ナビ」というホームページでは、「アムステルダムに行かなくても見られる?」というタイトルで、演出家ジョナサン・ミラーが、「ファルスタッフ」の舞台に、オランダ絵画の要素を取り入れたことに言及していて、具体的にフェルメールの絵画と舞台美術とを見比べている
 ジョナサン・ミラーは次のようにプログラム用のノートに書いている。
「舞台は17世紀オランダ絵画の描写に基づいて、当時の生活を細部にわたって表現しました。というのも、シェイクスピアの時代のルネサンス家屋の内部描写を詳細に行ったのはオランダ絵画しかないからです」

 客席一階後方の監督室から観ていると、お客さんの反応が肌で感じられるが、みんな予想外に面白かった、と驚いているように感じられる。人気の高い「椿姫」や「アイーダ」などと違って、ヴェルディ晩年の、やや複雑な作品という印象があるのかも知れないが、ジョナサン・ミラーのツボを心得た演出と、なんといってもネイティブの歌手達の演ずる、腹の底からおかしさが込み上げてくるような自然な歌唱と演技が、物語の内容を実にクリアに描き出しているのだ。
「タンホイザー」と同時上演で、財布の中も厳しいかも知れないが、瞞されたと思って是非出掛けてみてください。
絶対に損はしません!  

軍事侵攻から1年経って思うこと
 ロシアがウクライナに軍事侵攻を始めた2月24日が近づいている。この一年間、僕の心の奥底には、いつも憂愁の想いがベールのように掛かっていて晴れることがない。地球の裏側に、恐怖、不安、絶望、慟哭、痛みに満ちている場所があると思うだけで、時々居ても立ってもいられない気持ちになる。

 一時期「アセンション」という言葉がよく聞かれた。人類の魂が次元上昇を遂げるという意味だが、今は誰も言わない。本来、人類は、もっともっと進歩して、愛と平和の世界を構築しなければならない使命を帯びている。でもきっと、パンデミックや戦争などによって、今はどこかに迷い込んでしまったのだろうな。
 バシャールは言う。この宇宙には、この地球で言うところの救世主レベルの人が、一般市民として住んでいる世界があり、パラダイスが日常として実現している。しかし、どのレベルまで行っても、まだまだ目指す目標があり、人々はそれに向けて努力している・・・・と。
 それはそうだろう。音楽家だって、アマチュアの人には見えないものがプロには見える。そしてプロにおいても、さらなる目標が掲げられ、それを目指して無限の努力が求められている。
 でも、僕がこんな世界にいるということは、より高い並行宇宙に入れてもらえないということなんだろうな。まだまだ修行が足りないんだ。

 この戦争に関して言うと、話は簡単だ。すでにこの「今日この頃」でも何度も書いているけれど、ロシアが攻撃をやめれば、戦争は今日にでも終わる。侵攻はロシア側から一方的に行われたから。
 一方、「不当に侵略された」という立場を取っているウクライナは、あくまで受け身であり、仮に反撃が全面的に成功したとしても、そのままロシアに逆侵入して行って「やられた分仕返し」などということはできない。だからロシアの侵略さえストップすれば、戦う必要はなくなるのだ。

 鈴木宗男氏は、
「『武器をくれ、時間がない』とウクライナゼレンスキー大統領は声高に訴えるが、ならば自前で戦えない以上、戦いを止めることが筋」
と主張している。鈴木氏は、この一方的侵攻を“通常のフェアーな戦争”だと勘違いしているようだ。デビー夫人に馬鹿にされても仕方ないよね。
 他の国が何故ウクライナに武器を与えるのだろうかというと、それは、みんな義憤にかられているからだ。こんな大義も正義もない戦争を仕掛けた国を、万が一勝たせたならば、世界の正義や秩序はどうなる、と信じているからだ。
 危険な武器を持った強盗や凶悪犯を捕まえるのに、警察官が弱かったら、彼らは堂々と世の中にのさばってしまう。何としてでも、どんな武器を使っても、それを阻止しなければならない。それなのに鈴木氏は、警察官の武器がなくなったら、補充しないで凶悪犯をのさばらせましょうと言っているに等しい。
 仮にロシアが勝った場合、すでに良心の箍(たが)が外れて「何でもアリ」になっているロシアは、今度は他の隣国、たとえば日本にだって攻めてくるかも知れないじゃないか。鈴木氏の論理に従えば、そうなった時に、他国からの援助は要らないんだね。自衛隊の持ってる武器だけで戦って、負けたら喜んでロシアに蹂躙されるんだね。

 一方で、この1年の間に僕もいろいろ調べてみた。
「ロシアが一方的に悪くて、ウクライナが100パーセント潔白だ」
という、マスコミが流す一般的な見解を疑ってもみた。ロシア側にも歴史的背景や言い分があることも分かった。
 ディープステートの陰謀に従って、バイデン大統領が侵攻開始前に早々と、
「アメリカは、この件に関して軍事介入はしない」
と宣言してしまったが故に、プーチンが安心してこの侵攻を現実化させた・・・つまり、プーチンは、仕掛けられ、ハメられた、という見解にも真実味がある。でも、悪いのはNATOだ、というのは、どうかな?

 百歩譲って、侵攻までのプロセスにおいて、仮にロシアの側にも言い分があったとしよう。しかしながら、実際に侵攻が始まった後のロシアの戦い方を見て思うことは、やはり人権を軽んじ、モラルの欠如した国という印象しかない。ウクライナを蹂躙するだけではなく、自国民の命をも軽視している。
 ロシア人も気の毒だ。実際の戦闘の指揮系統が限りなくずさんで、意味なく兵士が犠牲になっている。民間軍事会社ワグネルは、満足に訓練を受けていない囚人達を“人間の盾”として、何人戦死させようが構わず突撃させ、その事でウクライナ軍の所在を確認し、後の精鋭部隊が戦い易いための肥やしにする。
 人海戦術を取って、
「たとえどんなに死んでも、沢山の兵士を送り込み続ければ、その内ウクライナ軍が疲弊してくるだろう、そこを狙え!」
などと言っている。広大なロシアには、いくらでも戦う者はいると思っている。でも一人一人の命は、かけがえのないものであり、それを軽んじる者は、必ずいつかその報いを受ける。

 鈴木宗男氏も森喜朗元総理も、口を揃えて言う。
「ロシアが負けるはずがない」
 勿論、そんな人海戦術を取っていれば、いつかはどこかの地域では勝つのかも知れない。けれど考えてみよう。戦死者の数で勝ち負けを決めるとしたら、ロシアは明らかに“負けいくさ”をしている。日々の戦死者を正直に国民に発表してみればいい。それでも国民が、「もっとやれーっ!」
と言うかだ。

 根本に戻ろう。「ロシアが負けるはずがない」じゃなくて、そもそもこの侵攻は、行う必要のなかったものだった。だから“負ける”という選択肢はない。その代わり、“勝てなかったらその時点で終わり”なんだよ。勝てないと意味がなかったんだよ。
 本当は、侵攻から1週間経ってキーウを制圧出来なかった時点で、もう“終わっているんだ”よ。それなのに、一年もグズグズ戦って、いまだにどんどん犠牲者を出しているのに、その無意味さにまだ気が付かないなんて・・・。
 もし、この1年、侵攻をしてなかったとしたら、ロシアは一体何を失っていたというのだろうか?反対に、この侵攻を行ったことで、ロシアは、この1年間で何を失ったか?経済封鎖による経済基盤。おびただしい兵士の命。おびただしい武器、弾薬。プーチンへの国民の信頼感・・・etc。

それでも、まだ続けるつもり?  

新雪のガーラ湯沢
 2月9日木曜日。ガーラ湯沢。雪。大粒の雪がかなりしっかり降っている。圧雪された整地にもどんどん新雪が積もり、初、中級コースのエンターテイメントも中級コースのジジも、見る見るデコボコになってきて足元が安定しない。初心者は、あちこちで転んでいる。
 この二つのゲレンデでウォーミングアップをした僕は、今日の本来の目的である南エリアの非圧雪地帯に向かった。

 辿り着いたのは260万ダラー。ここは、以前は、中級ゲレンデのグルノーブル上部である高津倉山頂と繋がっていて、長く魅力的なコースだったが、数年前に雪崩が発生してから、上部が閉じて、ワゴネット・リフトの上からとなった。

図表 ガーラ湯沢・石打丸山スキー場のコースマップ
ガーラ湯沢CourseMap

 260万ダラーの新雪はかなり深く、しかも自然コブの上に積もっているので、簡単ではない。反対に言うと練習には最適。両面の板で新雪を押すように体を乗せると、まるで雲の上に乗っているようにフワッフワな感じで心地良い。でも、うっかりしていると次の瞬間、突然、人が滑った跡の硬い雪がむき出しになっている処に出る。すると、板がツルンと滑って超スピードになる。ここでは、しっかり前傾姿勢を取らないと板に置いておかれる。
 ところが前傾姿勢のまま再び新雪に入ってしまうと、今度はもっと大変!スキーのトップから雪の中にめり込んで失速してしまう。さらに新雪では縦長のターンをしないと、雪に止められてまたまた失速してしまう。転ばなくとも、板が深く雪に潜り込んでしまうため、今度は板を雪から引っ張り出すのにひと苦労。

 こうした新雪は久し振りなので、何度か失敗している内に、いろいろ思い出してきた。体って馬鹿だねえ。失敗しないと思い出さないんだからね。

 新雪だからといって後傾でいるのは危険なので、僕は足首を鋭角に曲げて、ブーツのベロを軽くスネが押している状態を意図的に作り出しておく。意図的なスネベロ。すると、板がやさしく雪面に45度くらいで入り込んでも体は後傾しないで済むから、次に硬い場所に出ても対応が早い。
 コツが分かったら、むしろ雪質の変化に対応するのが楽しくなり、僕は何度もリフトに乗っては260万ダラーで練習した。こんな時って、極端な集中状態に入っているので、時間の経つのを忘れるよね。

 しかし、一度中腹の休憩所チアーズに戻ってきて、お茶を飲むために座ったら、体がめっちゃ疲れていて、二度と起き上がれないような気がする。新雪なので、いつもは使わない筋肉を使っているためだ。目をつむったら、そのまま眠ってしまう感じ。ふうっ!もう若くないんだね。3月が来ると68歳だもんね。

「70歳が近づいて来ると、ああ、歳取って来たな、って思うんですよ。70歳がひとつの節目です」
と、以前、何人もの人に言われた。
 その時は人事(ひとごと)だと思っていたが、こうして言われた年齢になってくると分かってきた。つまりだな、今後、基本的体力そのものが向上することは期待できないんだ。ということは、スキーも、早くうまくならないと、上達と体力の衰えの“イタチごっこ”が始まっているということだ。
 幸い僕は、元が下手っぴいだったお陰で、まだまだ“伸びしろ”があるが、同時に老化が後ろから追い掛けてくる。上手になるお陰で無駄な力が抜ける面と、上手になることでより難しい斜面にチャレンジするにあたって必要な筋力や持久力との双方が、両面から迫ってくるのだ。ぐずぐずしてはいられない。

 休憩後は、北エリアに行ってみた。いつものスーパースワンという非圧雪斜面。前回もそうだったが、上から見て左側に出来ているコブは、行き当たりばったりの不規則で下手くそなコブ。ここって、いつもそう。誰か、きちんと練習できるコブを作ってくれない?
 そこで、自分で新雪に入って、次にそれをなぞって、マイ・コブを作って滑っていた。このゲレンデの新雪は浅いし、こちらの方が自分のピッチで滑れる。

 下山コースファルコンは、お昼前と最後の2回滑った。今回は、両板を揃えて縦長に滑る昔ながらの滑り方と、逆に、板を開いて外足を伸ばし内足をたたみ込むフルカービングの滑り方との両方を交互に試しながら2500メートルを滑り降りた。
 縦長の滑り方では、両ブーツ及び両板を完全に合わせてみた。100パーセント外足に乗り、必要に応じて自由にキレたりズレたり出来るので、安定性がある。一方、フルカーヴィングは、減速の要素はないものの、外足を突っ張ることで円周が狭くなり、ターンの後半が勝手に回り込むことになるので、これも別の意味で安定性がある。
 スキー雑誌などでは、今でも「内足にも乗りましょう」なんて言っている記事を見るが、絶対的に外足加重です。でも、たたみ込んだ内足の角度は重要だ。
 
 こうして、ふたつの異なったメソードがあるのは、分かってみると使い分けて楽しいのだが、初心者は、外向傾をきちんと学習するまで、混乱するので、あまりフルカービングには手を出さない方が良いと思う。

 さて、もうスキー・キャンプまで、ひとりでゲレンデに行く日はない。淋しいな。この2週間をどう過ごそうか・・・・。



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