マエストロ・キャンプ大盛況の内に終了

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

2月24日金曜日
 今日は、朝から忙しかった。10時にイタリア語のレッスンに行き、14時からは新国立劇場で「ホフマン物語」の音楽練習。それから大宮に向かい。北陸新幹線で長野に行った。長野駅周辺の回転寿司で生ビールのジョッキを2つ空けながらゆっくり食べて、20時10分の高速バスで白馬に向かった。

 僕が、ガラガラを引いて、上着だけスキー・ウェアーを着て新国立劇場の練習場エリアに入ると、合唱団員達がニヤニヤ笑いながら、
「おっ、スキーですね。練習後行くんですか?」
「じゃあ、練習は早く終わった方がいいですね」
などとからかってくる。
 「ホフマン物語」は、あと2回で立ち稽古に入るので、今日はもっぱら暗譜のための反復練習だが、ところどころまだフランス語の発音が徹底していないので、それを修正する。鼻母音や、ドイツ語でウムラウトにあたる曖昧母音など、日本人にはなかなか手ごわいが、発音オタクでもある僕は、それを丁寧に直すのが楽しくて、さらにみんなが理想的な発音に近づいてくると、なおのこと嬉しい。

 明日から「マエストロ、私をスキーに連れてって」Bキャンプが始まる。次女の杏奈は、午後にもう白馬入りしていて、明日に備えてナイター・スキーをしていた。高速バスが、21時15分に五竜停留所に着くと、もうペンション・カーサビアンカのマスターの大野正吾さんが車で迎えに来てくれた。
 お風呂に入って出てきたら、ナイターから帰って来た杏奈が、
「何人かの人がパパのこと待っているよ」
と言う。
 そこで、すぐにロビーに行って、僕の到着を待っていた数名の皆さんと会い、一緒に地下の呑み処“おおの”に行った。
大野さんが、
「明日があるので、11時までにしてくださいね」
というので、十九などの美味しい冷や酒を飲みながら、楽しい語らいをして、11時にお部屋に戻り、ベッドに入ったら、もう3秒後には意識がなくなっていた。

2月25日土曜日
 いよいよBキャンプが始まった。今回は、杏奈も入れて大人が14名、未成年が3名という大所帯となった。僕は出られなかったが、24日金曜日午後のプレ・キャンプにも数名参加したようで、大盛況だ。さらに2月最後の週末ということで、ゲレンデも一杯。リフトにも沢山並んでいる。

写真 マエストロキャンプのメンバー
マエストロキャンプのメンバー

キャンプを始める時と終わる時に、いつもやっているセレモニーがある。それはみんなで輪を作って、互いのストックを叩き合いながらSki Heil !「シー・ハイル!」と叫ぶ儀式だ。
 Heilという言葉は、かつてのハイル・ヒットラーなどで、あまり良いイメージがないが、元来は、「平安、無事、健康、繁栄、幸福」という究極的にポジティブな単語で、アルペンスキーの世界では、レッスンや練習が滞りなく進行して、実りある結果で終わるように祈り願うわけだ。

写真 恒例のシーハイル
恒例のシーハイル

 さて、講演会であるが、今回は、1日目のキャンプが15時前に終わってから、少しインターバルを置いて、エスカルプラザのレストラン「ハル」の一画で16時から行われた。今回の僕のお話の内容であるが、その準備にあたって、僕は、「自分はスキーと音楽のどこに共通点を見出しているのか?」という事を、もう一度熟考してみた。
 スキーと音楽が精神的なところでつながっている点も、もちろん沢山あるし、これまでの講演でも語ってきた。けれど、今回はもっと実質的なところ、すなわち、演奏者としての実践的な演奏感覚と、スキーの滑走感覚の共通性に的を絞って考え、発表してみた。

 初日の準備運動の際に、僕は、集まった全員に向かって言っておいた。
「皆さん、各グループの講師の皆さんにも頼んでおきましたが、まず、どのレベルにおいても、恐がることなく、落ち着いてスピード・コントロールができて、滑走そのものを常に楽しむことができる状態でいてください。
その上で、滑走している最中に、『今何が起こっているか』というのをどうか見つめてください。たとえば、雪の状態を足裏でどう感じているか?自分の体に、どのような抵抗がかかってくるか?その抵抗が外れるのはどんな時か?心地良いと思う時はどんな時か?など、何でも良いから、とにかく何が起こっているかを感じてください」

写真 講演会
講演会

 そして講演になった。最初はスキーの話で、そもそもどのようにしてスピード・コントロールというのは行われているのか、について詳しく話した。スキーにはブレーキが付いていない。だから真っ直ぐ降りながらブレーキを掛けて止まるということはできない。
 スキーのブレーキはただひとつ、ドイツ語でPflugすること。この単語はプフルークと読むが、一般的には英語的にプルークと言って畑などで使う鋤(すき)という意味だ。動詞はpflügenで「耕す」という意味。つまり鋤で土をググッと耕すように、雪に抵抗を与えて止まるのである。
 初心者は、板を“ハの字”にするボーゲンで滑るが、これが最もpflügenし易いわけだ。何故なら、二つの板は斜めにあるけれど、体は真下を向いているからだ。ここで板と体との間に“迎え角”と言われるものが生じる。それで、スピードコントロールをしたければ、この迎え角を作りさえすれば、いつでも自由にできるのだけれど、パラレルになって自分が中級者だと思う人に限って、谷底を向くのが怖くて、スキー板の進む方向、ないしは山側を向いてしまう人が多ので、逆にツルンと滑ってしまって板に置いて行かれる。

 ヘッド・コーチの角皆優人(つのかい まさひと)君は、僕が今よりずっと下手な時に、よく言っていた。
「あのね、三澤君、ゲレンデの一番下には、スキーの神様がいるんだ。だから板が横を向いていても、必ず腰から上は神様の方を向いて、その神様にお辞儀すること。そしてストックを突くんだ」
 そこで僕は、そのゲレンデの神様の画像をネットで拾ってきて、ゲレンデの画像と合成して皆さんに見せながら、足は横を向いても上半身はずっと前を向けるようなメソードを実行した。

図表 谷底のスキーの神様
谷底のスキーの神様

何をしたかというと、何のことはない、サンバステップを教えて、みんなに渡辺貞夫のCD「モーニング・アイランド」から「マルコスのサンバ」を鳴らして、みんなでサンバを踊ったのだ。そして僕は叫んだ。
「みんなひねって!ねじって!足は横を向いても、腰から上は常に正面!」
あははははは!でもね、後で、沢山の人が、
「あのサンバステップで良く分かりました!いつも体は谷を向いているんですね」
と言ってきた。

写真 外向傾のためにサンバを踊る
外向傾のためにサンバを踊る

 さて、後半は、滑走感覚と音楽の演奏感覚とをつなげる話だった。まず、スキーの“ズレ”でスピード調整をしながら“キレ”で板を走らせる感覚は、声楽で言えば、まず横隔膜を下げて腹圧をしっかりかけること。それから、息の供給や口の中での共鳴のあり方を調整しながら、強弱や音色を操ってフレーズを仕上げていく感覚と共通性があるし、たとえば弦楽器では、弓に掛ける圧力を調整し、あるいは弓の走らせる速度をコントロールしながら、重量感や逆に伸びやかさなどの音楽的表情に対応していることと共通性がある。
 イツァーク・パールマンの弾くベートーヴェンのスプリング・ソナタを聴かせながら、弓の弦に掛ける圧力と、走らせ方との両方が適切だから、このような伸びやかな音が聴けて、さらにそのフレーズ処理の素晴らしさは、スキーで言えば、整地を気持ち良い速さで駆け抜けていく感じがしませんか、と問いかけてみた。

図表 弓と弦の力関係
弓と弦の力関係

 それから、運命交響曲の冒頭を聴かせながら、僕はあえて言う。
「これは、本当のことを言うと、演奏としては適切な“圧”ではないのです。具体的に言うと、弓に圧が掛かりすぎているのです。何故なら、ベートーヴェンがそれを要求しているから。
ベートーヴェンの音楽は、演奏としての理想的なフォームでは、物足りないのです。だからこそ、演奏者は気を付けなければいけない。本来の理想的なポジションを意識化して覚えておいて、いつでも戻れるようにしておかないと、ベートーヴェンを演奏した後、ベスト・フォームがブレて、他の音楽をやっても力んでしまう危険性があるのです。
一方、スポーツの世界では、それは起こりません、何故なら、理想的なフォームでないとベスト・パフォーマンスが実現できないからです」
 こういう風に、音楽の世界でもいろんな“意識化”が必要なのだ。そのためにも、スキーなど、別の分野での体験を通して、
「こうすればバランスが崩れる」
などの、よりシビアな“フォームと結果との因果関係”を体験し、それを音楽にも応用していってもらいたいのである。

 孫娘の杏樹(小学校3年生)の学校では、土曜日の午前中まで授業があって、シュタイナー教育の方針で、病気などのやむを得ない事情以外では、安易に休むことが許されないため、彼女は、25日の授業終了後、妻の車で白馬に駆けつけた。
 今回のキャンプでは、バリトン歌手の町英和(まち ひでかず)さんの娘さん(小学校2年生)と、別の参加者のお孫さん(小学校1年生)がいて、講演会直前に着いた杏樹と、たちまち3人で仲良しになった。子供って凄いね。
 町さんは、2年前に僕のミュージカル「おにころ」の主役を演じてくれたが、その時、娘さんも連れてきて、その時、杏樹とは出遭っているが、今回は本当に気が合って超仲良くなった。

 その杏樹は、26日日曜日の午前中、このマエストロ・キャンプではなくて、一般の五竜スクールのキッズ&ジュニアレッスンに半日だけ入れた。何故かというと、ある目的があったからだ。このキッズレッスンはABCDというクラスに分かれていて、Aが一番低いレベルだが、彼女は最初Cクラスから始めて、すぐにDクラスに移った。
 実はその上にスーパーと言われる、「オリンピックを目指せ」的なガチなクラスがある。何度かDクラスでレッスンを受けていながら、彼女は、次こそスーパーに移してもらえないかなと期待していたが、インストラクターからは、
「かなり良いレベルだけど、スーパーはもう一歩」
と言われていた。
 
 キャンプ2日目のお昼休み。彼女は僕の所に走って来て、
「ジージ!スーパーに行ったよ!」
といきなり言ってきたので、一瞬、ああ、スーパーマーケットに行ってきたのか?で、何買ったのかい?と言おうとしたら、彼女がレッスン・カードを僕の鼻先に差し出した。「次はスーパー」と書いてある。
「え?あ、そうか。おおっ!凄いじゃない!やったね!」

 それから午後のマエストロ・キャンプに参加した。

 2日目の午後。キャンプ全員に著しい進歩が見られた。ビデオ撮影は2日目の午後に行われたので、後から観ても皆さんの成長度の高さが分かる。その理由のひとつに、今回このキャンプへの初参加の人が半分以上いたけれど、それらの人たちのかなりの割合で、昔、熱心にスキーをやっていて、その後長いブランクがあった人がいたのだ。
 その人たちが、この2日間で思い出してきたということが大きいような気がする。それを導き出すことを可能にしたのは、角皆君をはじめとした指導陣の優秀さが挙げられる。

 また来年も勿論マエストロ・キャンプは続けますから、長いブランクで復帰するのを億劫(おっくう)に思っているアナタ!万全の体制でサポートしますから、是非、勇気を持って参加してください。
10月の最初の「今日この頃」を目指して募集案内を出します。年内に申し込めば1割引の早割があります。



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