68歳になりました~僕の3月3日
3月3日金曜日。新国立劇場のAリハーサル室に行くと、すでにduで呼び合うほど仲良しになっている「ホフマン物語」のマエストロ、マルコ・レトーニャが、僕を見るなり、
「あ、ヒロ、ちょっと待って!」
と言い、一度リハ室から出て行って、何か持ってきた。
「はい!」
「えっ?」
「お誕生日おめでとう!」
見ると縦長の紙袋に入った赤ワインだ。
「ええっ?ありがとう!」
そういえば昨日、ふたりで歳の話をしていたっけ。マルコが、
「僕はもう61歳だよ」
と言うから、
「まだ全然若いじゃないか。僕なんて明日68歳の誕生日だよ」
と言ったら、
「え?そうなの」
と驚いていた。そもそも歳の話をしてきたのは、恐らく僕のことを自分と同じ歳くらいに思っていたのかも知れない。日本人は若く見られるもんな。
マエストロからもらったワイン
Birthday Menu
角上魚類からの具
バースデーケーキ
バッハ三昧の週末
3月4日土曜日。午前中は東京バロック・スコラーズの練習。今日の練習曲目はバッハの小ミサ曲イ長調からKyrie。キリエの冒頭のアイデアは、カンタータ67番の第6曲目から取られている。
第6曲目そのものは、次のGloriaでほぼそのまま採用されているが、バッハは、そのフランス序曲風の付点音符に満ちた3拍子の音楽のアイデアを、キリエ冒頭でも使って、グローリアと共通性を持たせようとした。
ただパロディーにするだけでなく、こうしてひとひねりするところが、バッハの天才性の証明である。練習すればするほどバッハの創造性の深さを知り、驚いてしまう。
午後は、新国立劇場に行って「ホフマン物語」の立ち稽古。その後、浜松に向かう。今日は泊まるだけで、明日の朝から「ロ短調ミサ曲」の合唱稽古と、午後からオーケストラ合わせ。
午後8時半に浜松に着くと、ホテルにチェックインしてから、そそくさと、いつものドイツレストランMein Schlossに向かう。ここでヴァイツェン・ビールと黒ビールを飲みながら、焼きソーセージ、ザウワー・クラウト、プレッツェルなどを食べる。ああ、しあわせ!
翌3月5日日曜日、午前9時50分からの合唱練習に、東京から数人のエキストラ・メンバーが加わった。コロナの影響で「ロ短調ミサ曲」演奏会が延期になり、活動も完全にストップしていたが、久々に練習再開して演奏会を目指してみたものの、僕が行った昨年の練習初日などは、テノールがわずか3名しかいなかったりと、とてもアクト・シティ中ホールで演奏会を行う状態ではなかった。
演奏会用にとっておいた活動資金もあったため、本番日の交通費を出すということで、主として東京バロック・スコラーズのメンバーに、団長の河野周平さんがエキストラを依頼したわけである。そうしたら、熱心なメンバーは、本番直前だけでなく、交通費の自腹を切ってまでも、こうして事前練習に駆けつけてくれた。その熱心さには本当に頭が下がる。ちなみに、そのエキストラ・メンバーの中には、このCafe MDRのコンシェルジュ夫妻も名を連ねている。
午後からオーケストラも入って、まず合唱曲のオケ合わせ。15時までやって、合唱団は解散。その後独唱者の曲をオケ練習。曲によって編成が違うため、必ず待つ人が出てしまって練習曲目順を決めるのが大変。
浜松バッハ研究会管弦楽団は、アマチュアだけれど、僕と長年一緒に演奏していて、バロック音楽の文法に長けている。それに今回は、コンサートミストレスにプロの川原千真さんが加わって、弓の運び方など、いろいろ相談してくるし、真摯な気持ちで関わってくれているので、仕上がりはとても期待できそうだ。
こんな風に、大好きなバッハ三昧の週末を過ごせる自分は、本当に恵まれている。
ちなみに、浜松バッハ研究会の本番は4月22日土曜日15時からアクトシティ浜松中ホールにて。
東京バロック・スコラーズの演奏会「巨匠の創作の足跡 バッハとパロディ Part3」は6月18日日曜日14時からティアラ江東にて。
大川隆法の死
今回の、この話を読んで、僕のことを頭おかしいと思っても仕方ないと思うし、本気にしなくても全然いいです。でも、これは一度書いておかないと、僕という人間の本質を皆さんが知らないままでいることになるので、批判を恐れずあえて書きます。
幸福の科学の総裁である大川隆法氏が突然亡くなった。本当は、もっと悲しんでいいはずなのに、全然悲しくない。その理由はだんだん説明していくが、一度は彼の説く広大な宇宙観に傾倒し、ある年の7月7日、東京ドームにおける生誕祭では、大川氏の講演前のイベントとして、“二河白道(にがびゃくどう)”の大合唱団の練習をつけて、指揮したこともある。
その過去を否定するつもりも後悔するつもりもない。これも僕の個人的な精神史の貴重な1ページであり、現在の僕が辿り着いた宗教的見解の一部を形作っている。ただ、今は大川氏の語ることに何の興味も感じないし、幸福の科学はとっくに退会している。
よく統一教会などと混同されるが、幸福の科学の一般会員でいるためには、ひと月千円の会費を払えばいいだけで、いろいろな祈願のためのお布施や寄付などに“誘われること”はあっても、強要されたことは一度もないし、払わないから何か「地獄に行くぞ」などと脅されたりしたこともない。その意味では、とってもクリーンな宗教団体であることは強調しておきたい。
熱心なカトリック信者の妻とは、幸福の科学の会員の時代に、よく喧嘩をした。幼い頃から従順に教会に通っていた彼女にとっては、異端宗教以外のなにものでもなかっただろう。
ただ、彼女だって、カトリック教義的には微妙なシュターナーの思想に僕以上にのめり込んでいて、オイリュトミーをやったり、長女の志保が娘の杏樹をシュタイナー学校に入れたことを喜んでいるので、人のことはあんまり言えない。
さて、僕は(みなさんのそしりを覚悟の上で)言いたい。初期の大川氏が説いていた教えのレベルは、インチキとかそんなものではなく、本当に高次の世界からもたらされたものであると、僕は今でも断言する。
大川氏に出遭う前、僕は、ある機会を得て高橋信次氏の本に夢中になり、高橋氏の説く真理を本物だと思って、それに沿って生きようと努めていた。ただひとつ残念だったのは、僕が高橋氏のことを知った時、短命の高橋氏はすでにこの世の人ではなかったこと。晩年の高橋氏の講演会では、沢山の人たちが過去生の言葉をしゃべったり、会場に金粉が降り注いだり、といった奇跡的な事が相次いで起きていたという。
僕は思った。
「どうして、こんな偉大な宗教者をこの目で見ることが許されなかったのか?こんなニアミス的な行き違いで遭えなかったなんて、よっぽど僕は過去生において悪いことをしたのか?」
すると、ある人からこう言われた。
「高橋信次先生は、次のもっと偉大な大川隆法氏が世に出るための露払い的な存在だったのです。高橋氏は、その役目を立派に果たしたのでこの世を去りましたが、これからは大川氏の時代です。大川氏こそ、仏陀の生まれ変わりです」
そこで僕は、半信半疑ながら、大川氏の著書「太陽の法」を読んでみた。衝撃的だった。即座に思ったのは、
「仏陀が説き切れなかったこと、あるいは仏陀が説いても弟子のレベルが低過ぎて全く理解されなかった真理が、ここに表現されている!」
ということであった。
我々人間は、時間や空間に制約されている三次元世界に生きていて、他の世界を知らないが、一般に“あの世”と呼ばれる四次元の世界が実際にあるという。ただ、その四次元世界の一画には“地獄界”といわれる暗い世界もある。生前に自分の本来成すべきことを果たさず、欲望や暗い波動に支配され、曲がった人生を生きてしまった者達の魂が住んでいるのだ。
でも彼らは、永久にそこにいるわけではなく、しかるべき反省をして心に光が入ってくれば、天国と呼ばれる四次元世界にいつでも戻れるという。
また、天国と呼ばれる世界にも、いろいろなレベルがあると大川氏は主張する。元来その人間が持って生まれてきた霊格、あるいは生前頑張って辿り着いた覚醒の高さに応じて、魂の次元上昇は可能だ。亡くなった時には、とりあえずみんな四次元に行くが、しだいにいろいろを思い出してきて、あるいは生前の罪の反省が済んで、それぞれが本来の世界に戻っていくという。
大雑把に言って、善人が住む五次元、梵天が住む六次元、菩薩が住む七次元、如来が住む八次元、そして仏陀、イエスなどの救世主が住む九次元、さらにその上に、もう人間として転生することのできない惑星意識の十次元以上の存在があるという話である。
「そうか!」
と僕は思った。
かつてインドにおいて、お釈迦様は悟って仏陀となったが、それから長生きして、彼の悟りはどんどん深まっていき、生きながらにしてまさに壮大な宇宙の悟りに到達した。だから仏陀は法華経の中でこう言った。
「これまでの説教の内容は、みな方便に過ぎなかった。今から、本当の宇宙の奥義(おうぎ)を話そう」
しかしながら、その宇宙の奥義に関する具体的な内容は、ついぞ法華経の中には書き記されていない。ということは・・・要するに・・・誰も当時の人たちのレベルでは分からなかったということだ。
それを僕たちは今、この「太陽の法」の中から読み理解することが出来る。たとえば「1千億年前からの宇宙創造」「多次元宇宙の構造論」「人類誕生の秘密」「人類4億年の歴史と、過去100万年の文明の流転」「人間の生命体の真実、永遠の生命」そして、「愛の大河の中で」「心の諸相と悟りへの道」など驚くべきものだ。
日蓮は、せっかく法華経を紐解きながら、結局、その内容がよく分からず、とにかく法華経的世界観に帰依すれば全てがうまくいく、と考えて、「南無・妙法蓮華経(妙法蓮華経は法華経だから、法華経に帰依します、という意味)」という呪文をみんなに唱えさせた。今日の創価学会も含めて、日蓮宗は、結局みんなただ煙に巻かれているに過ぎない。今こそ「太陽の法」を読んで、皆さんは大宇宙の奥義を理解するべきです。
さらに大川氏は、二番目の著書である「黄金の法」で、数々の偉人達が、太古の昔から人々に道を説こうと、輪廻転生を繰り返してきた歴史に触れている。誰々の過去生は誰々・・・などという風に・・・ホントかな、と思うところもあるけれど、反論する材料もないので、これはこれで楽しんでもらえばいい。
さて、これから大事なことを言おう。大いなる救世主の使命を帯びてこの世に下生した大川隆法氏であったが、彼は残念ながら事半ばで、さまざまな欲に心が奪われ、あっけなく“堕落”していく。僕が彼の堕落に気が付いたのは、かなり前のこと。
大川氏は、過去のいろんな偉人による霊言を沢山本にしていたが、ある時からパッタリと、キリストや仏陀レベルの高級霊が、彼に降りてこなくなったのだ。「イエスの霊言」などと名を打っていても、中身はガラクタになってしまっていた。僕にはすぐ分かった。
「これは違う。救世主レベルの霊言ではない。どうしたんだろう?大川氏に何か変化があったに違いない」
さらに決定的だったのは大川きょう子夫人との離婚と、29歳若い紫央さんとの再婚だ。お釈迦様もイエス・キリストも、結婚することと家族を作ることができなかったので、僕は、きょう子夫人と一緒に暮らす大川氏に、今生でこそ結婚生活あるいは家族生活の模範を示して欲しいと思っていた。それが、離婚してただちに若い奥さんをもらうなんて、
「なあんだ、ただの凡人の中年男に成り下がってしまった」
とガッカリした。
会員には毎月月刊誌が送られてきたが、その内容も、どんどん日常的なつまらないものになってきた。こんなこと、なにも救世主がわざわざ言わなくてもいいだろう、という内容ばかりだったので、とうとう幸福の科学を退会した。
そうしたら、僕の地区の信者さんが、
「三澤さんが当会に戻られるまで、自分の責任で月刊誌を寄付し続けます」
と言って、いまだに毎月、月刊誌が届く。いや、申し訳ないんだけどね、そんなに熱心に布教活動してくれても、もう二度と戻る気ないんだけど・・・と言っても続いている。大川氏の死の知らせが届いた次の日にも今月号の月刊誌が届いた。
月刊誌の中の説法は、ますます内容のないくだらないものになっている。「色情地獄について」「呪いについて」なんて、こんなこと救世主が語らなくていいよ。
ある時「アマーリエの霊言」というのを本屋で見つけた。アマーリエと呼ばれる女性は、自らはそんなに高いレベルの霊格を持つ人間ではないと言いつつ、高級霊とチャネリング出来るということで、沢山の霊言集を出している。
その理由として、大きな使命を帯びて地上にやって来たエル・カンターレ大川隆法氏の堕落は、地球の未来を左右するほど危機的状況を作り出しているため、背に腹は代えられず、必死で“時代の危機”を告げ知らせるために、巫女の能力を最大限に発揮して、高橋信次、大天使ミカエル、大天使ガブリエル、天照大神、聖母マリア、イエス・キリストなどの霊言書を次々に出した。その活動はレムリア・ルネッサンスと呼ばれたが、2013年に、アマーリエ自身がそのために体力を消耗し、力尽きてこの世を去った。
僕も少なからぬ霊言集をKindleなどに入れて読んでいたが、それらは、大川氏の初期の霊言の霊的レベルを保っていて、さらに悲しみと悲観的色合いを帯びている。そうした運動があるくらい、大川氏の出現は、この末法の世において重要だったし、彼の堕落は、今後の世界の行方を左右するものであったと思われる。
実際、世界はますます混迷を深めていて、新型コロナ・ウィルスが全世界に蔓延してから3年、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始してから、もう1年も経っている。そして、このタイミングで、大川氏の死去の知らせがもたらされた。
大川氏の長男である大川宏洋(おおかわ ひろし)さんは、息子であるにもかかわらず、Youtuberとして、父親に対して否定的な事をずっと言い続けてきた。ある時からYoutubeでそれを発見した僕は、たまにそれを見て、大川家の内部の様子を知った。
それについては、特にガッカリしたとかいうことはない。ただ、大川氏は特別に学歴尊重主義であったことを知った。これは周囲の人たちの間では有名なことらしい。東大とかに進学できずに青山学院大学に進んだ宏洋氏を「高卒」や「専門大学ね」などと呼んでいたという。そういえば、僕もそういう人を(特に東大卒の人)身近で何人か知っている。
大川氏が亡くなったので、そういえば宏洋さんは、どうしているかなと思って、久し振りに彼のYoutubeを観た。すると亡くなった直後に出しているのは、
「これが最後のYoutubeです。もしかしたら私は消されるかも知れない」
とマジで恐がっている映像であった。