「ロ短調ミサ曲」演奏会無事終了

三澤洋史 

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終わって欲しくないDona nobis pacem
 4月22日土曜日。浜松アクトシティ中ホール。バッハ作曲「ロ短調ミサ曲」のAgnus Deiを三輪陽子さんが心を込めて歌っている。僕はそんなに大仰に指揮をしなくてよいので、三輪さんの歌に表情豊かに合わせている弦楽器に寄り添っているだけ。
この曲が終ってしまったら、大好きなDona nobis pacemになって・・・そして、この演奏会が終了してしまうのか・・・。

 そして、いよいよ合唱のバスからD-E-Fis-Gというゆるやかな上行音型のテーマが始まった。信仰のふたつの大切な要素が同じ音楽で表現される。すなわち「感謝」と「祈願」。「感謝」はGloriaのGratias agimus tibiであり、「祈願」がこの終曲。

 「祈願」については、実生活では、それぞれの人によるそれぞれの時の、個別な「願い」や「要求」があるであろうに、心を無にして突き詰めたら、究極的にはDona nobis pacem「我らに平和を」に全て落ち着くのではないか・・・というか・・・人間の「祈願」は、とどのつまり、これしかないのかも知れない。

 世の中で、どんな素晴らしいものを得ても、心に「平和」がなければ意味がない。「平和の中でぬくぬくと落ち着きますように」ではなくて、むしろ無条件に、どんな激動の人生の最中(さなか)においても、「絶えず心に平和がありますように」である。
 典礼全体ではなく、いわゆる「ミサ曲」全体の言葉がDona nobis pacemで終わるのは、単なる偶然である。というのは、ミサ曲の歌詞となるのは、ミサという典礼の中のごく一部であるから。
 それは、各主日のテーマによって変わる種々の祈りの言葉ではなく、年間を通して変化しない言葉から取られている。この言葉の後、聖体拝領が行われ、司祭によって派遣の祝福が行われてミサが終わる。
でも、たまたまとはいえ、Dona nobis pacemでミサ曲が終わるのは、決して悪くないと思う。

 それに、この音楽の持つ崇高さ!指揮しながら、まさに至福の絶頂を体験する。真の天才以外には絶対に誰も作れない音楽。重なり合う上行順次進行を自分の腕で導いて行く内に、気が付いたら、もう最後の数小節を残すのみとなってしまった。
「ああ、終わってしまう!このかけがえのないひとときが・・・・」
 最後のフェルマータ。弦楽器奏者が弓を返す。まだまだ伸ばすよ・・・「合唱団のみんな、そろそろ息がなくなるかな?」なんて下世話なことを、こんな大切な時にチラッと考えるんだ。腕を振り上げ、その放物運動と同じ割合の加速運動で点に向かい、その美しい響きを自分で叩き切った。

一期一会の合唱団
 考えてみると、最近の僕にはない、珍しいシチュエーションだった。浜松バッハ研究会(以下、バッハ研)主催の演奏会というのは間違いないのだが、合唱団の中身は、ある意味、一期一会のものであった。というのは、正規の団員に混じって、各地からのエキストラが大量に加わって、本番の日になるまで、果たしてできあがった響きがどのようなものになるのか予測がつかなかったからである。

 新型コロナ・ウィルス感染拡大の影響で、2021年2月に予定されていた演奏会の中断を余儀なくされ、練習もしばらく中止していたバッハ研が、この日の演奏会を目指して練習を立ち上げ、僕を呼んだ時、テノールは、わずか3人しかいなかったし、ソプラノⅡもとても薄かった。
 そこで、団長の河野周平さんが、各団体からエキストラを募集したわけだが、「この日には誰と誰が来るが、この日にはこの人は来ない」という状態が続いて、結局全員そろうのは、本番の日のみとなったわけだ。
 テノールなんて、3人どころかとっても大人数に膨れ上がって、前の晩の練習でも、
「テノール、うるさいですよ!」
と僕に怒られるほど。
 全体的にバランスは悪いし、音色も合わないし、テンポも、ソプラノとバスの両端ではズレていて、もし僕がとっても神経質な指揮者だったら、こんな精密なバッハのミサ曲に取り組むのに、こんな状態で出来るか!と匙を投げてしまった可能性もある・・・いやいや、僕はないな。僕は、オペラ指揮者でもあるからね。こういう時には、逆にゲーム感覚になってしまって、ようし、やってやろうじゃないの、と、めっちゃ張り切っちゃう・・・で・・・張り切りました。

 終演後の打ち上げに変わるミーティングで、何人かの人たちが、
「Kyrie冒頭の和音が響き渡った時、ウルッときました」
と言ってくれたけれど、僕もその瞬間、
「よし、この音だ!神様ありがとうございます。これで、この演奏会はいただきました!」と確信に満ちた。
それからは、ただただ至福のひとときだった。

霊的体験déjà bu?
 話は遡って、ゲネプロが終了した時、僕はみんなに向かって、
「みなさん、はっきり言いますが、この演奏会は成功します。何故なら、演奏会が終わった後のビールのうまさが今感じられたからです。よくあるんです。早い時には1週間前くらい前に突然それが感じられて・・・・ああ、これはうまくいくな・・・と確信するんです。だから信じて頑張りましょうね!」

 しかし楽屋方面に戻ると、河野さんが言ってきた。
「あのう・・・すみません三澤先生。今日の終演後は、みんなでアルコールフリーで乾杯する予定なんです。なんなら先生の分だけビールを買ってきましょうか?」
「ん?あ、いえいえ、そんな気を遣わないでください。僕も同じもので乾杯します」
と、何も考えないで言った。ま、それはそれ。これはこれ、なんちゃって・・・。

 それで終演後の集まり。舞台袖から出てきたところのちょっとした広場で、打ち上げが始まった。河野さんは、コロナ禍を考慮して、サンドウィッチとサントリーAll-Freeの入った袋をみんなに配っただけで、最初に乾杯することもなく、プロの演奏者やソリスト達の挨拶から打ち上げを始めた。
 それが予想以上に長引いたので、午後7時近くに河野さんは挨拶を一度中断して、
「19時17分の新幹線で東京方面に向かう方達には、時間がなくなってきてしまったので、ここで乾杯を一度しましょう。でも、飲むのではなくて形だけのものです。それで電車の時間の迫っている方はお急ぎください!」
と言った。それで、サントリーのAll-Freeの缶を互いにカチンと合わせても、そこで飲む人は誰もいなかったし、サンドウィッチを食べ始める人もいなかった。

 僕も19時17分に急げば間に合うと思った。しかし、何故かその気にならなかった。それより、もう1本新幹線を遅らせてもいいから、みんなと離れて、この演奏会の余韻にひとりで浸りたかった。
 そこで河野さんにAll-Freeとサンドウィッチの袋を返し、
「済みません。僕は逆に新幹線を遅らせて、これからひとり打ち上げをするので、これで帰ります」
と言って別れた。

 道路に立ってi-PhoneからEXで1時間遅い20時17分発「ひかり」を予約すると、駅に向かう東京バロック・スコラーズのメンバーなどとは正反対に、足はごく自然にドイツ・レストランMein Schlossに向かった。
 Mein Schlossでは、スマホでQRコードを読み込み、ホームページから注文をするので、料理が来るのはとても早い。僕はまずヴァイツェン・ビール300mlを頼み。それからメニューを見て、焼きソーセージ、それにブレッツェルを頼んだ。後からジャーマン・ポテトと黒ビール300mlを追加した。ビールはウエイトレスが持ってきたが、料理はロボットが運んできた。
 ヴァイツェン・ビールは頼んだらすぐ来た。とにかく喉が渇いていたので、何も考えずにグラスを傾け、唇から中ジョッキーを舐めるようにしてゴクゴク喉を鳴らした。
「おお、うまい!この味・・・・このヴァイツェンの味・・・・まてよ・・・そうだ、この味!」

 今まで忘れていた!まさにこの渇いた喉にしみ渡る味こそ、僕がゲネプロ終了時に前もって味わっていたビールの味だった!まてよ・・・これこそ、仕組まれていたものではないか。河野さんが心配するまでもなく、All-Freeを僕が飲むことはなかったし、何故か突然たったひとりでMein Schlossに向かったし~「その時、これは、もしかして予言の成就をしに行くのか?」と気が付いてもよさそうなものなのに、そういう時って、そういう記憶ってむしろ封印されるものなんだね。

 そして僕に起こったのは映像ではなくて、まさに味だけのdéjà vu(デジャ・ヴュ)既視感・・・ではなくてdéjà bu(デジャ・ビュ)既飲感だったのだ。

これからはスコアを置いて指揮します
 スコアの裏には、ロ短調ミサ曲の指揮をした記録が書いてあるが、全曲演奏を、これまでの生涯で11回行っている。その内の4回は浜松の地で浜松バッハ研究会によって行われているが、2001年の1月2日のドイツのエアフルトと1月4日のハレの公演も、実は浜松バッハ研究会の演奏旅行によるものである。90年代は、名古屋バッハ・アンサンブル・コールで2回。それから東京バロック・スコラーズを立ち上げ、2006年にロ短調ミサ曲で旗揚げ公演を行い、10年後の2016年に再び公演を行っている。僕のバッハ演奏の歴史がここにある。


ロ短調ミサ曲 公演記録

 さて、その11回公演中、これまでの10回は、譜面を置かずに暗譜で指揮をしていたが、今回は初めて本番で譜面を置いた。勿論、スコアは頭に入っている。では何故、暗譜で指揮をしなかったか、という訳であるが、逆から言うと、何故暗譜で指揮をしなければいけないのか?と思い始めたからだ。

 それを語る前に、今回の演奏会プログラムの僕のエッセイ「私は在る」を読んでいただきたい。2020年春からの新型コロナウィルス感染拡大の影響で、全ての演奏活動がストップしていた間に、僕の世界観はかなり変化を遂げた。

「私は在る」
三澤洋史
 2020年春。新型コロナ・ウィルス感染拡大の波が瞬く間に全世界規模で広がり、僕の周囲からオペラ公演や演奏会が全て消えた。当然そのための練習もなくなったので、あれだけ忙しかった僕の手帳は真っ白になり、約半年間、全く仕事のない日々が続いた。

 最初は教会も聖堂の扉を硬く閉ざしてしまったけれど、間もなく解放されたので、僕は毎日教会に通った。誰もいない聖堂には午後の光が差し込んで美しかった。カトリック教徒としては不謹慎かもしれないが、僕は座禅でするような結跏趺坐(けっかふざ)を組み、瞑想をした。最初は約15分。それが日ごとに長くなり、最後は1時間程度の長さに落ち着いた。

 禅の本を読むと、
「自分をなくして完全に無になれ」
と書いてあるが、僕にはそれができなかったし、するつもりもなかった。

 目をつむって静かにしていると、最初はいろんな日常の事柄が無秩序に頭の中を通り過ぎていくが、それらはしだいに遠のいていく。自我だと思っていたものが、だんだん削ぎ落とされていって、まず欲望が自分から離れ、意志が離れ、感情が離れ、暑さ寒さの感覚や組んでいる手足の感覚とかもなくなってくる。息は睡眠時のような深い腹式呼吸になっていくが、上半身が重力に垂直になっているので、眠り込んでしまうことはない。
 瞑想が深くなるにつれて、自我はさらに小さくなり、自分自身が抽象的な存在になって、やがてひとつの点に凝縮する。それは、言ってみれば、
「私は在る」
という意識のみだ。

 しかし、この意識は強烈だ。何故なら、それは絶対的至福感を伴った“法悦体験”であるから。この点が禅宗と袂を分かつところだが、僕は逆に不思議に思う。何故禅は、せっかく瞑想していながら、それを目指さないのだろう?
 「私は在る」という意識は、僕が物心ついてからずっと僕自身の中心にあったことに気が付いたが、実は生まれる前からあり、これからも未来永劫あり続けると思われる。同時に、その意識の中には、「僕という存在を生みだした霊的エネルギー」が、同心円状に幾重にも重なっている。それをある人は「神」と呼び、別の人は「守護霊」と呼び、また別の人は「聖霊」と呼んだのかも知れない。

 「時間は過去から未来に向かって流れていく」と一般には思われている。しかしながら、時の制約からはずれている「私は在る」を認識すると、「時が勝手に動いている」ことに気が付く。つまり、未来は自分に向かってやって来て、自分を通り過ぎ、過去に消えて行くのである。
 「私は在る」は傍観者であるが、肉体を持った僕は行為者でもあるから、自分に向かってきた現象に出遭うと、様々な感情を持ったり考えたりしながら何らかのリアクションを起こす。すると、そのリアクションの影響を受けた未来が、新たに自分に向かってやって来る。これが、お釈迦様の説いた「因果応報」の法則。
 ということは、過去の「トラウマ」などというものに囚われる事は無意味なのだ。つまり過去なんてないのだ。自分は未来に向かって百パーセント自由であり、どんな未来をも作り出すことが出来る“未来の創造主”なのだ。コロナでさえ、明日のより良い自分を創造するきっかけとなり得る。現に、自分は、コロナを縁として、この気付きを得ているではないか!

 浜松バッハ研究会は、コロナによって、2021年2月の「ロ短調ミサ曲」演奏会のキャンセルを余儀なくされ、その後しばらく活動を休止していたが、このコンサートのための練習を再び立ち上げたので、僕は久し振りに「ロ短調ミサ曲」のスコアと向かい合った。
 すると、即座に気が付いた。
「これは、『私は在る』を知っている人が作った音楽だ!」
ちょっと言葉では説明出来ないが、Kyrieのロ短調で滔々と流れる響きの中にも、Cum Sancto Spirituの弾け飛ぶ光の舞踏の中にも、「私は在る」のきらめきが宿っているのだ。
 それよりも、バッハの音楽自体に満ち充ちている“崇高美”は、歴史上のどの作曲家も及ばない。それはバッハという人物の霊的認識力の高さから来るものだ。

 コロナ禍、そして瞑想体験を経て世界の神秘を知った僕は、今、満を持して、巨匠バッハの「ロ短調ミサ曲」に向かう。それを、今日この演奏会に集って下さった皆様と共に体験したいと思います。

 一番変わったのは、全ての名誉欲のようなものが、体からスルッと肌が一枚剥がれたようになくなったことだ。つまり、人から褒められようがけなされようが、全く気にならなくなったのだ。
 僕は常に自分のワクワクに従って行動するようになった。何かのフリをしたり、嘘をついたり、自画自賛したり、見栄を張ったり、ということが全くなくなったので、心は常に自分に対しても人に対してもオープンで、肩の力が抜けている。
 ロ短調ミサ曲の勉強をしている時は、ことのほか楽しく、曲の構造のアナリーゼから始まって、和声構造やモチーフの発展など、徹底的に頭に入れる。勿論、何度もやっているので思い出すだけ、ということもあるが、新しい発見もある。

 譜面を置いてというのだったら、勉強を再開した時点ですでに何の迷いもなくすぐにでも演奏会本番で振れる状態であったが、譜面を置かない場合は、暗譜で指揮をする特別な勉強をする。
 正直白状すると、それはあまり音楽的とは言えない作業なのだ。たとえば、
「テノールがこの主題で4小節歌うのを指揮してから、アルトへアインザッツを出す。それから3小節後にバスへ合図を出す。そして6小節後にティンパニーやトランペットが入ってくる」
 といった、とても事務的な暗記作業。テーマが鳴っている時に並行して進行する対旋律は、作曲家の腕の見せ所だし、味わう聴衆(僕)も一番楽しいところだ。けれども、暗譜で指揮する時には、一度それらの至近距離の楽しみを見棄てて、大通りから幾つの交差点を過ぎたところで曲がるか、という全体を俯瞰した設計図で動かないと、大事なところで見失う(つまり振り間違える)のだ。
 ね、つまんないでしょう。たとえばSymbolum Nicenumの1曲目Credoなんか、拡大したり縮小したりのテーマがイレギュラーに重なり合うので、そちらを間違えないようにさばかなければならない。だからとっても対旋律なんか聞いて楽しんでいられない。多分、暗譜で指揮する人は、みんなそうだと思うよ。

 それで全体を指揮し終わって、残るのは、
「見ろよ、僕はまた暗譜で指揮したんだぜ」
という達成感。
「凄い!」
って、人に言われたいという名誉欲。
 なんか、そういうのが空しくなってきたんだ。それで、昨年の東京バロック・スコラーズの「ヨハネ受難曲」演奏会で、一度暗譜をやめて譜面を置いて指揮することを試してみた。
 実は、みんなから、
「なんだ三澤先生、暗譜で降らないのか?」
とガッカリされるのかなと、ちょっと躊躇している自分がいた。

 でもやってみたら、チャレンジブルではないとか、そういうネガティブな面よりも、むしろ演奏会自体を心からエンジョイすることができた。畑儀文さんの福音史家とのやり取りも、伴奏のコンティヌオをここで出す、なんていうことに囚われずに、本当に密なやり取りができた。
 なんだ、これでいいじゃん。と思った。実生活においては、人の名前なんか全然出なくなったし、いろいろが忘れっぽくなっている。音楽も、新しい曲に向かう時、飲み込みが遅くなっているのを感じる。
 すでに親しんでいる音楽には、影響はまだほとんど感じないけれど、これだったら、今後、どんなに歳を取って記憶力が衰えてきても、百歳まで「マタイ」でも「ヨハネ」でも何でも振れるぞ!

 演奏会毎に、スコアをきちんと頭に叩き込むことは決してやめない。新しい曲であっても、99%暗譜を試みることもやめない。もし長くない曲で、全ての音を暗譜したなら、譜面を置かないという選択肢も残しておこう。
 でも、囚われない。目印は、僕のワクワクが心にあるかどうか?人からの評価ではなく、自分が心から納得し、心からエンジョイできるかどうかにあるんだ。

枕元での読書
 2020年の春には、コロナでなかなか授業が始まらなくて、二ヶ月も家に居てやっと6月1日から小学校1年生に上がることができた孫娘の杏樹は、今や4月からサクッと4年生になって、楽しくシュタイナー学校に通っている。
 一方、コロナ前は午後9時までの練習が当たり前だった、新国立劇場を中心とした僕の職場では、変化が起きていて、特に大勢の合唱団は、いつまでも練習場に居させて感染したら大変、ということで、昼と夜の間の1時間の休憩を取らないように配慮されている。ということで、今週から始まる「リゴレット」の立ち稽古も、合唱団は14時から17時という風にまとめられている。

 さらに今日は立ち稽古初日が中止になった。原因は、演出家の来日が遅れていて、今日の午後に成田に着くということだ。ヤッター!そこで、久し振りに杏樹の学校にお迎えに行って、一緒に立川のジュンク堂に行くことにした。
 杏樹の学校では、ルドルフ・シュタイナーの方針で(というかドイツではどこの家庭もそう)、子供は午後8時までに寝かせないといけない。僕が晩に家に居る時は、お風呂と夕食を、どんなに遅くとも午後7時半までには済ませて、お布団に行き、8時近くまでの間に本を読んであげるのが習慣になっている。ひとりで読める年齢にはなっているけれど、寝る前は興奮してしまうので良くない。現に、僕に読んでもらった後は、とても満ち足りて落ち着いていて、電気を消すと間もなく寝息が聞こえる。この寝息を聞くのが僕の至福の時間。

 さて、最近読み終わった、櫻井とりお著「虹いろ図書館のへびおとこ」(河出書房新社)が、児童文学というジャンルを超えた、とっても良い本だったので紹介したい。冒頭の文章はこうだ。

「へびおとこを見に行こう、ほのかちゃん」
転校したてで人気者だったあたしは、そういってかおり姫に誘われた。

 主人公は火村ほのか6年生。ほのかは、大勢の子分を従えているかおり姫に突然嫌われ、クラスメートに無視されたり、椅子に木工用ボンドをつけられたり、くつ箱のうわばきを盗まれたり、机と椅子自体を廊下に放り出されたり、というひどいイジメに遭うようになった。先生も見て見ぬ振りをしたため、学校に行くのが嫌になってしまい、彼女はいつしか図書館に行って、そこで、学校で授業をしている時間を過ごすようになった。

 そこには、かおり姫がへびおとこと呼んでいる体の半分が緑色の男の人がいた。その人は、かおりが授業をさぼって図書館で毎日勉強をしていることに気が付いていたけれど、何も言わずに、そっとしてくれていた。
 同じ図書館の保存書庫には、イヌガミさん(緑色の人)に「スタビンズ君」と呼ばれている、中学生の男の子が作業していた。彼も同級生にユスられたりして、ここに逃げ込んできている。

 こうしたちょっと地味な物語だから、杏樹は最初、
「いつもの本のようには面白くない!」
と言っていたのだが、読み進める内に、しだいに物語に引き込まれていって、結末では一緒に感動を共有することができた。こうした杏樹の成長を目の当たりにできるのは嬉しい。

 この本は、徹底的に弱者の立場に寄り添っている。義務教育なんだから学校に行かなくてはいけないのは当たり前だが、そういう建前はともかく、行きたくても行けない子供が現実にはいるし、体が緑色で、みんなに気味悪がられているイヌガミさんだって、生きていかなくてはならない。お金の使い込みを疑われて会社を追い出されたお父さんだって、食っていかなくてはならない。
 そういうお話しが、最後にとっても良い形で展開し、爽やかな読後感を与える。そして、それらの主人公の気持ちに、時には強く感情移入しながら寄り添って読み進めていった自分が、読後に、ひとつ良い人間になったという充足感を与えてくれる本である。大人でも・・・ではなくて、大人にこそ読んでもらいたい本として、ここに紹介したい。

 さあ、この原稿を仕上げたら、午後には杏樹を迎えに行って、ジュンク堂でまた新しい本を買って、今晩からそれを読んであげるのだ。
楽しみ、楽しみ!


「虹いろ図書館のへびおとこ」表紙




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