國光ともこさんの「声」

三澤洋史 

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國光ともこさんの「声」
 1984年の秋、ベルリン留学から帰った僕は、恩師であるバリトン歌手の原田茂生先生の家を訪れ、
「何か仕事があったらよろしく頼みます」
とお願いした。
 すると先生は、その場で東京オペラ・プロデュースに電話を掛けてくれて、(記憶が定かではないが、恐らくその足で)代表の松尾洋さんに逢いに行った。

こうして僕は、留学後初めてのオペラの仕事をゲットした。

 それは1985年1月のオペラ公演のピアニスト兼副指揮者の仕事で、練習開始約10日前にヴォーカル譜のコピーが送られてきた。プーランク作曲「声」と、ラベル作曲「スペインの時」の二本立てで、一見して両方ともとても難しそうで焦った。
 死ぬ気で一日中ピアノに向かって練習したが、プーランクとラベルという近代フランス音楽の楽曲だから、無調ではないけれど、和声も複雑だし、テクニックも要求される音楽で、練習しても練習しても、なかなか弾けるようにならなくて、稽古の日は迫ってくるし、どうしようと悶々とした思い出がある。

 ソプラノひとりだけで歌い演じる、プーランク作曲のモノオペラ「声」の原題は、La Voix Humaine「人間の声」。人間の声の表現力を突き詰めたジャン・コクトーの台本に基づいている。東京オペラ・プロデュースでは、藤原歌劇団の名プリマドンナである本宮寛子さんが、ご自分で日本語に訳し、歌い演じた。

 アパートの一室で(元?)彼氏からの電話を待っている女性。当時の電話は、よく混線したり突然切れたりして思うように会話ができない。彼氏との通話の中で、最初は気丈に振る舞って、
「あたし、全然平気で、元気にやっているわ」
と言っているけれど、本当は全く正反対で、絶望に打ちひしがれながら、彼氏からの電話だけを祈るようにして待っている悲惨な状況だ。最後は(ト書きによると)、電話線を首に巻き付けながら死んでいく、という凄惨な終わり方。

 稽古開始の前日あたり。やっとピアノが弾けるようになってきた僕は、本宮さんが訳した日本語の歌詞を歌いながら、ひとりで通し稽古をしていたが、終わりまで行ったら、突然妻が部屋に入ってきた。彼女は泣いていた。
「何よ。このオペラ。ひどいじゃないの、この彼氏!」
おいおい、怒るなよ・・・。でも、そのくらい説得力のある台本と音楽なのだ。

 そんな思い出のあるモノオペラを、ソプラノの國光ともこさんが演じるというので、4月28日金曜日、僕は新国立劇場の「リゴレット」の立ち稽古を16時に早退して、紀尾井町サロンホールに向かった。

写真 國光ともこ「声」チラシ表
國光ともこ「声」表

 結論から言うと、言葉が出ないくらい素晴らしかった!何度も涙腺がゆるんだ。國光さんがここまでやるとは!いやいや、あなどっていたわけでは決してないが、カンタービレ・オペラと違って、語る要素が強く、しかも囁くようなピアノから絶叫までダイナミックレンジの広さと表現の幅とが求められるこの難曲を、よくぞここまでこなしました!何より、彼女の全身から出る激しいオーラに圧倒された!
 今回、原語のフランス語で初めて生で聴いたのだが、僕も、ある時期、フランス語に本気で取り組んだ期間があり、先日の「ホフマン物語」の原語指導もできるほどになっている。その僕から見て、國光さんのフランス語の発音と、フランス語的表現は完璧であった。彼女は、フランスに在住していたソプラノの浜田理恵さんの弟子なんだね。
伴奏の経種美和子(いだね みわこ)さんとの息もピッタリ。この作品のオリジナルはオーケストラ伴奏だが、細かいニュアンスを生かして緊密なやり取りを行うためには、かえってピアノ伴奏の方がいいね。

写真 國光ともこ「声」チラシ裏
國光ともこ「声」裏

 この公演の後、セッティングのための休憩をはさんで、ワインパーティーが行われた。昔からとても親しい演出家の岩田達宗さんと、いろいろ話した。僕は1999年からバイロイト音楽祭で働くようになるのだが、その前の年の1998年にゲネプロを見学に行った際、ちょうど留学中の岩田さんがバイロイトに来ていて、ヴォルフガング・ワーグナー氏がゲネプロの幕間にお客さんを呼ぶパーティーに、僕たち2人を招待してくれた。
 彼は、ドイツ語は自由自在に話せなかったが、近くに居た招待客の人たちがフランス語を話せたので、彼は流暢にフランス語を話していた。僕も、その頃はフランス語を集中的に勉強していた時期だったので、一緒に会話に加わったのがなつかしい。まあ、そもそも彼は、東京外国語大学フランス語学科出身だからね。
彼は言う。
「稽古している時にね、相手の彼氏の台詞を僕が勝手に作ってしゃべり、それに対してのリアクションとして彼女の演技を構築していったんだ」
「ええっ?凄いね」
「ピアニストの経種さんも含めて、クラブ活動のように3人でとことん膝をつき合わせるようにして、突き詰めて突き詰めて今日に至っているんだよ」
なるほど。やっぱりそうか。いや、そうでなくっちゃ、ここまでできないよね。

僕がとっても嬉しいことがある。それは、岩田さんが、國光さんの特性を見抜き、がっつり取り組んでくれたこと。

 4月22日に浜松バッハ研究会演奏会で、國光さんと一緒にバッハ作曲「ロ短調ミサ曲」を一緒にやったばかりだけれど、彼女って、他の器用なソプラノの人たちと違って「ひと手間」かかるんだ。
 ところがね、そのひと手間をかけるとね、ある時「あっ、分かった!」という感じになって、そこから見違えるようになって、本番に素晴らしいものを出してくれるんだ。

 「ロ短調ミサ曲」でも、本番一週間前のオケ付き練習で、まあまあ良かったんだけど、もうひとつ詰めが甘い気がしていたところ、彼女の方から、
「済みません。もういちど稽古していただけないでしょうか?」
と言ってきたので、初台のスタジオ・リリカで稽古を付けた。重唱が3曲とアリアが1曲だけなので、すぐ済むだろうと思ったが、結局1時間半たっぷりかかった。何故かというと、やる毎にどんどん良くなるから、止まらなくなるのだ。
 彼女はとっても正直で、分かっていない時には分かってないように歌う。分かった時には、明らかに違う。それが面白くて、こっちも病みつきになるわけ。でも、忙しい日本の場合、事前の稽古なんかなくて、1回のオケ合わせでゲネプロ&本番で格好つけないと仕事にならないって感じじゃない。

 そういう環境の中、岩田さん、よくぞ國光さんから、これだけのものを引き出してくれました。その國光さんの特性(一見短所に見えるかけがえのない長所)を発見し、最大限に生かしてくれました。

 この公演の後、僕は東京駅に向かい、新幹線で名古屋に向かった。EXで指定席の予約を取ろうと思ったら、電車が遅れていたので自由席にした。連休に突入する前の夜であるが、かなり込んでいた。名古屋からは名鉄に乗り換えて知立(ちりゅう)まで行く。次の2日間は愛知祝祭管弦楽団の練習。  

「ローエングリン」のオケ練習
 4月29日土曜日。朝早く起きてお散歩した。途中知立神社に立ち寄ってお参り。ここは本当に気が良い神社だ。

写真 知立(ちりゅう)神社
知立(ちりゅう)神社

 その日は弦楽器の分奏。「ローエングリン」全曲の中から、難しい個所を抜き出し、テンポを変えて何度も何度も練習する。トレモロの16分音符を8分音符で練習したり、気の長い作業だが、僕はこういう練習は嫌いじゃない。練習を終わる頃には、目に見える進歩が感じられた。

とっちらかった来年の話
 練習後は、コンサートマスターの高橋広君と、地方からの参加者などを交えての懇親会が知立駅前の焼き鳥屋で久し振りに行われた。コロナ禍でずっとこういうのが避けられてきたからね。
 その時に発覚したのだけれど、実は誰も僕に報告しないまま、愛知祝祭管弦楽団では、来年の8月18日に「パルジファル」を上演することが決まっていたという。ただ合唱団を集めるのが難しいので、どうしようかとも思っていたという。

 僕は逆に、これまで誰も「ローエングリン」以降の話をしてこないので、ひとりで勝手に、
「来年のことは決まっていないのかなあ。来年はやらないのかなあ」
と思っていたので、すでにいくつかの予定を入れてしまっていた。

 たとえば、僕の作曲した曲を歌ってくれる合唱団を連れてアッシジに行く計画(7月後半。これは、間もなく公に、このホームページでも発表します)や、ルドルフ・シュタイナーの作った一種の舞踏であるオイリュトミーの公演の指揮の話などだ。9月15日には、モーツァルト200で僕の作曲したMissa pro Pace混声合唱&二管編成バージョンの世界初演をやるし・・・それがあるため、モーツァルト200合唱団は「パルジファル」の話を断ってきたのだろう。

 ただ、「パルジファル」をやらないとなると、過去の愛知祝祭管弦楽団の実績を元にした優先的な先行予約の枠組みに支障をきたすことになるため、さらなる検討が必要になる。これまで僕は、
「愛知祝祭管弦楽団と一緒にやる最後の演目は、どうしても『パルジファル』にしたい」
と言ってきたから、「パルジファル」をやったら終わりじゃん、と思っているのに、もう来年かい?という感じだ。
 みんなだって、来年「パルジファル」で解散とは思ってないだろうし、う~ん・・・・。

「だったらさあ、いっそのことマーラーやらない?」
と僕が切り出したら、マーラー大好きな高橋広君が即座に乗ってきた。
「僕ねえ。この間マーラーの3番交響曲をやったでしょ。その前に復活をやってウィーンに行って、その前は4番だったじゃない。次はね、絶対5番がやりたい!」
で、一気に盛り上がったんだが、
「まあ、この酒の席で、『パルジファル』からいきなりマーラー5番をここで決めてしまうわけにはいかないよね」
と誰かが言って、その話は保留になりました。

「ローエングリン」の独特なワールド
 翌日の30日日曜日はTutti(全合奏)の練習。午前中で第1幕が通り、続いて第2幕の第3場から終わりまでと、第3幕は長大な間奏曲の第3場から終わりまでで1日を終わった。
 「ローエングリン」は、まだ「ニーベルングの指環」のようなライトモチーフを駆使した音楽ではないので、複雑ではないのだが、独特の難しさがある。その一方で、エルザの入堂など、他の作品にはない美しい音楽に満ちている。
 管楽器は伸ばしが多い一方で、弦楽器には細かいパッセージが多い。でも、前日の弦分奏が功を奏して、練習が思ったよりスムースに運んだ。弦楽器のパッセージが、管楽器の和声で包まれると、えも言われぬ豊かな響きになる。「ローエングリン」には独特のワールドがあるなあ!



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