大興奮の「リゴレット」

三澤洋史 

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ブラボーが戻ってきました
 新国立劇場の「リゴレット」は、昨日5月21日日曜日の午後に第2回目の公演を終えたところ。指揮者のマウリツィオ・ベニーニ氏をはじめキャスト達もみんな粒が揃っているため、信じられないほどの名演に仕上がっている。

 お客さんは大喜びで、しかもブラボーも解禁になったため、テノールのイヴァン・アヨン・リヴァスのアリアの直後などは、Ottimo!「最高!」という掛け声まで飛んで会場中を湧かせている。
 カーテン・コールの時も、ベニーニ氏が合唱指揮者として僕をソリスト達の列に呼んでくれるので、ブラボーの歓声を直接受けるし、立ち上がって大きな拍手をしている聴衆を目の当たりにする。
 いいねえ。これが健全な姿だ。コロナ禍で、一時はブラボーだけでなく、こうした高揚した感情を抱くことすら、まるで罪悪のように押さえつけられてきたものね。

「リゴレット」のドラマは本当に“呪いの成就”か?
 さて、「リゴレット」全体の筋立ては“呪いの成就”を中心に成り立っている。それは、我が国にも昔はあった、いわゆる“言霊(ことだま)信仰”から来るもので、良い例を挙げると、たとえばイタリア語のBuon giorno!は「良い一日を!」という意味で、良い言葉を相手に投げると、それが実現すると信じられているのだ。
 律儀なドイツ人は、通常はGuten Tag!だが、ちょっとあらたまった相手に言う時には、Ich wünsche Ihnen einen guten Tag.(私はあなたに良い一日を望みます)とわざわざ言うので、gut(良い)をgutenと活用するのは、目的格「良い・・・を」の形であることが分かる。

 「リゴレット」のストーリーでは、好色なマントヴァ公爵のパーティーの最中に、自分の娘を陵辱されたモンテローネ伯爵が登場し、まず一同に対して、
Oh siate entrambi voi maledetti.
「おお、あんたら一同、呪われてあれ!」
と呪いの言葉を浴びせ、そして、とりわけ、そんな彼を茶化し、揶揄した道化リゴレットに対しては、個人的に、
e tu serpente, そしてお前、蛇め
tu che d'un padre ridi al dolore, 苦悩する父親をあざ笑うお前は
sii maledetto! 呪われるがいい!
と呪う。
 こうした言葉を発する時は、先のドイツ語の例のように、Ich wünscheのような直接法ではなく、特別にあらたまって、英語でいうところのbe動詞にあたるessereの接続法命令形siate(君たちは・・・であれ)及びsii(君は・・・であれ)と、maledire(呪う)の過去分詞maledettoを組み合わせて受け身形として用いる。すなわち「呪われてあれ」となるが、恐らくよほどの事が無い限りわざわざ用いないこのコンビネーションが、呪いの威力を発揮すると、当時は信じられていたのだろう(ヴェルディ自身、とても信じていたと、ある書物には書いてあった)。

 こうした呪いの言葉を聞いたって、現代では軽く「こんちくしょう!」くらいに取れないこともないが、むしろ我々が驚くのは、それを聞いたリゴレットの反応だ。この先、彼は何度もそのことに触れる。すなわち、
「自分は呪いの言葉を人から浴びせられた。自分は呪われていて、いつかその呪いが現実化するに違いない」
と信じているのだ。

 彼の最愛の娘ジルダは、自分の元に現れる貧乏学生Gualtier Maldèグァルティエール・マルデを密かに慕っているが、その男は実は貧乏学生なんかじゃなくて、公爵その人だった。そんなことは関係ない公爵の家臣達は、ジルダをさらって公爵の元へ届ける。ジルダは裏切られたことを知り、父親の前でそれを告白する。
Ah l'onta, padre mio! ああ、恥辱です。お父様!
 これだけしか言わないので、onta(羞恥、恥辱、汚辱、不名誉)が何を意味するのかちょっと曖昧だ。単に家臣達にさらわれて宮殿に行ってみたら、目の前にいるのは貧乏学生なんかじゃなくて、公爵その人だったのが発覚して「裏切られた!」と思っただけなのか、あるいはそこで強姦のような行為が行われたのか?

 僕は、どちらかというと善意に解釈する。何故なら、ジルダはその後もこう言っているから。
Mi tradiva, pur l'amo: gran Dio! あの人はあたしを裏切りました。でも神様!
per i'ingrato ti chiedo pietà! あたしはあのひどい方にお慈悲をお願いします!
 リゴレットは、そんな娘の気持ちをよそに、公爵への復讐を決意し、殺し屋スパラフチーレを雇って、公爵殺害を計画する。

 なんと勝手な奴だ。このオペラの冒頭では、公爵が、
「チェプラーノ伯爵はうるさいヤツだ。夫人は天使のようだというのに」
と言ったことに対して、
「じゃあ夫人をヤッちまいましょうよ。夫は追放するか、首をはねるかして・・・」
などとけしかけていたんだよ。自分は太鼓持ちで公爵の悪事をさんざ煽っておいて、自分の娘に降りかかってきたら、公爵を殺そうとするなんて・・・。
 それで、いろいろあって、結局公爵の代わりにジルダがスパラフチーレの手に掛かって殺されることになるのだが、これって本当に呪いの力なの?むしろ僕は「自業自得」とか「因果応報」と言った方が近いのではないかと思う。

 最後の歌詞は、
Ah! la maledizione! ああ、あの呪いだ!
ではなくて、僕だったら、
「ああ、俺の生き方が全て間違っていた。だから、こんな結末を引き起こしたのだ!」
と言わせるね。

 つまりこのドラマの本質は、
「人を呪えば穴ふたつ」
ということ。
 公爵に陵辱を薦めたリゴレットの娘が辱めを受け、公爵を殺そうとしたら最愛の娘が殺された。呪われたからではなく、自分の行為が巡り巡って自分の運命に降りかかってきたのだ。

 まあ、こんな風にアラを探し出したらキリがないが、ともあれ、ヴェルディがこうした暗いテーマをあえて選んで、人間の内に潜む闇の部分をえぐり出す彫りの深いドラマを描くことに成功したことだけは大いに評価したい。

これから公演を観に行く皆さんは、僕のたわごとなど忘れて、大いに楽しんで下さいね。

カトリック生活7月号の原稿
 ドン・ボスコ社から月刊誌「カトリック生活」7月号の原稿を頼まれていたが、いろいろな用が重なって、なかなか書く時間が稼げないでいる内に、締め切りが近づいてきて焦っていた。
 来月に迫った東京バロック・スコラーズ演奏会のために、パート譜にボーイングや諸注意を書き込んで、なるべく早く奏者に送らなければいけないし、ソリストとのアリア合わせのためのピアノ練習に時間を取られていた。テノールの寺田宗永さんと大森いちえいさんとは先日合わせをして、コンサートの準備に見通しがついてきた。まだ國光ともこさんと高橋ちはるさんとの合わせが残っている。

 「カトリック生活」の締め切りは、まさにこの原稿を仕上げている5月22日月曜日の今日だったが、昨日清書して送った。実は書き始めたのは5月20日土曜日。その日は朝から東京バロック・スコラーズの練習。その後群馬に行って、夜は新町歌劇団の練習。
 その間の午後の時間に、まず大宮駅構内のベーカリーでノートパソコンを使ってWordで書き始め、高崎線の電車はSuicaで指定席を取り、さらに書き進めて行った。内容は、頭の中ではほぼ決まっていたので、書き始めたらスイスイいって、新町駅に着く頃には、指定された3200字あたりでひとまず終わった。

 新町歌劇団の練習は午後9時まで。来年6月に予定しているミュージカル「ナディーヌ」の練習が進んでいる。
「早い内から、だんだん立ち稽古に入って行きましょう、次に僕が来る時には、ナンバー1の『大都会』の立ち稽古をします。それから、曲を次々に指定するから、『そこだけ覚えては立ち稽古』という風に進めていきますよ。そうすれば本番近くにバタバタする心配がなくなりますからね」
と言い残して練習場を後にした。

 21時15分新町駅発の電車に乗って、またノートパソコンを開く。今度は推敲。家に着いたのは23時40分くらい。それからお風呂に入ってすぐ寝ようったって、興奮していて眠れない。
 ビールをプシュッと開けて、それがすぐに焼酎のソーダ割りに変わっていったが、深夜のテレビはどれもつまらない。その内なんとなく原稿が気になってきた。そういえば、あそこの表現はあんまし良くないなあ・・・と、気が付いたらテレビを消して、またまたノートパソコンを開いている。
 真夜中に酔っ払いながら文章をチマチマ直し始めた。ひとつの文章をふたつに分けてみたり、同じ表現でも言葉を変えてみたり・・・こういう作業って、案外ほろ酔い気分でやるのがリラックスしていていいかもね・・・おっとっと・・・1時過ぎた。寝よう。USBに納めて明日デスクトップで開けて、出来たら提出しよう。

 で、翌日起きてデスクトップであらためて見たら、おお!きちんと出来てる!句読点だけ整理して直して、ドン・ボスコ社に送った。

 テーマは「賛美と感謝」で、原稿は、4月22日に行われた浜松バッハ研究会の「ロ短調ミサ曲」演奏会を取り上げ、音楽の持つ崇高性について語った。我々が日常生活において崇高なるものに触れる機会は滅多にないが、音楽は、それを聴くだけで、様々な境地に我々を即座に連れて行ってくれる。

 高校生時代からバッハの音楽に深い感銘を受けていた僕は、バッハの音楽から一生離れないでいられますようにとお祈りしていた。ベルリンの留学から帰って、指揮者として仕事をし始めて間もなく、日本オラトリオ連盟を率いていた濱田徳昭(はまだ のりてる)氏が急逝し、その後任として僕に依頼が来た。
 それがきっかけで、僕はクリストファー・ホグウッドからバロック演奏法を詳しく習ったし、北九州聖楽研究会の「マタイ受難曲」では、エルンスト・ヘフリガーとの共演も経験した。カトリック生活の記事には詳しく書いてあるが、紆余曲折を経て、結局、祈りは叶って、今日に至るまで僕は複数の団体で途切れること無くバッハを演奏し続けている。本当に感謝しかない。

 「カトリック生活」7月号(ドン・ボスコ社)が出るのは6月15日あたり。もう今から楽しみにしている。浜松バッハ研究会「ロ短調ミサ曲」に出演した人や関係者は必見です。

写真 浜松バッハ研究会「ロ短調ミサ曲」演奏会(2023.4.22)
浜松バッハ研究会「ロ短調ミサ曲」演奏会(2023.4.22)


2023.5.22



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