NHKでの収録
6月25日(日)早朝4時からNHKラジオ第一とFMで「夜明けのオペラ」という番組に出演する。先日6月2日金曜日に、嵐の中、収録に行った。NHKは駅から遠いので、結構足下が濡れた。
まあ、早朝4時に起きなくても「聴き逃し番組」で、後から聴けるので、どうかみなさん聴いて下さい。主としてオペラについて語るのだけれど、インタビューする女性が、僕のことを調べていて、僕がクリスチャンであったり、バッハの音楽が好きなことを知っていて、インタビュー冒頭は、その辺のことから始まっている。
つまり思春期になり、異性への想いに目覚めた僕は、自分の心の中に醜いものがあるのを感じたが、それと反比例するように、美しいもの、汚れなきもの、崇高なものに強いあこがれを感じ、それを追い求めて、音楽の道を志すことに至った。教会の扉を叩いたのも同じ理由による。
日常生活で崇高なものに接することは難しいが、音楽は、それを聴いただけで、そうした境地に自分を持って行ってくれる。その例として、「ロ短調ミサ曲」のDona nobis pacemを流した。
それからベルリン芸術大学指揮科の話となり、続いて、オペラの音楽は何を表現するのかという話題になった。僕は、「蝶々夫人」の第1幕登場の女声合唱とハミングコーラスを流してもらいながら、蝶々夫人の登場の時、ピンカートンの目に映った彼女の艶やかさと清らかさが、蝶々夫人を包み込む女声合唱で表現されていること、また第2幕ラストで、ピンカートンが来るのを、今か今かと待ちわびている蝶々夫人の心情が、1秒が永遠にも感じられる美しいハミングコーラスを通して描かれていることを説明した。
最後に、オペラの音楽の決定的な例として僕が挙げたのは、ヴェルディが作った最後のオペラ「ファルスタッフ」の最終フーガ。ここでヴェルディは、最晩年において、なんと「この世はみな道化」と言い切っているのだ。
僕が語ったのは、宗教音楽の世界に清らかなものを求めた僕が、何故オペラの世界にこうしてドップリと浸かっているかというと、やはり“人間”というものが面白いということ。
人間は愚かで欲が深く、ずる賢く、自己チューで、どうしようもない存在だけれど、それでもやはり愛すべき存在だ。それを、あえてヴェルディはフーガというい形式で描き切った。人間を、人生を彼はそれだけ愛していたんだね。やっぱり凄いと思う・・・などなど・・・いろいろ話しました。みなさん、是非聴いて下さい。
また、今週の6月7日水曜日には、またまたNHKに行く。今度は新国立劇場合唱団を連れて。
よく分かってないのだけれど、清塚信也さんと鈴木愛理さんが司会するクラシックTVという番組で、ヴェルディ作曲「ナブッコ」の「行け、想いよ、金色の翼に乗って」を指揮してくる。放送日は7月6日だそうですが、このことはまた収録に行ってきてから書くね。
なにかと露出が多い、今日この頃です。
名古屋での週末
人で溢れた東京駅ホーム
6月3日土曜日。「リゴレット」千穐楽の公演を終わると、僕はのんびり東京駅に向かった。いつものようにEXで名古屋までの新幹線の指定券を予約しようとしたら、全部×が付いている。
「えっ?」
と思って、あわててi-Phoneで「新幹線~遅延」と検索したら、大変なことになっている。
勿論、台風の影響で午前中まで新幹線の運行に問題があることは知っていたが、もう夕方の6時過ぎだから、いくらなんでもそこまで引っ張るとは思っていなかった。
とりあえず指定席はあきらめて、EXは東京名古屋間の自由席を予約して東京駅に急いだ。東京駅に着くと、コンコースは人で溢れていて、特に、新幹線口改札をくぐると、もう黒山の人だかり。ヤベえ、これでは下手したら乗ることすら出来ない状態なのか?
うんにゃ!何としてでも乗るぞ!それぞれの列車がどれだけ遅れていても、次に来た列車に乗れば名古屋には行ける。立っていても、仮にすし詰めでも行くことは行ける。何としても名古屋に行くぞ!とにかく、兎に角、ウサギにツノがあろうとなかろうと、名古屋に行くんだ!
なになに・・・?みんなだいたい1時間半遅れで、次の列車はこのホームだな。それに「のぞみ」ではなくて「ひかり」だ。こちらの方が座れる可能性が高い。階段を1段抜かしでホームに出てみた(若いなあ。あはははは)。
うわあ、人がうじゃうじゃいる。各入り口の前に列を作っているのだが、その列がそれぞれ長すぎて、しかも超蛇行していて、どの列がどの入り口のものなのか?最後尾はどこなのか?全く見当がつかないほどなのだ。
とりあえず1号車の一番前に行ってみよう!自由席でホームの端っこの端っこだし・・・。人をかき分けるようにして時間かけて苦労して辿り着いた。これが結果的に良かったんだな!さすがに1号車まで来ると、列は他の所より短かかった。東京駅は始発なのだから、これから到着する列車から乗客全員が降りて、空になった列車に我々は乗り込むわけだ。ということは・・・この人数ならば座れるぞ!
6月3日18時30分あたり東京駅
バッハのお勉強
テーブルが大きいので、カンタータ67番のスコアを広げて、No.1の合唱曲の勉強を始めた。この冒頭合唱曲は、一見、コラール幻想曲のように見えるが、使っているテーマはたった一つで、しかも驚くほど単純。
歌詞も、テーマの旋律には、
Halt im Gedächtnis Jesum Christ.「イエス・キリストを心に留めよ」
しか与えられていない。その対位のメロディーにも、
der auferstanden ist von den Toten.「死者の内から蘇った」
しかない。
つまり、
「死者の内から甦ったイエス・キリストを心に留めよ」
だけの歌詞につけられた音楽が、いろんなパートに渡り、いろんな調に乗って、果てしなく繰り返されるっていう変わった曲。ところがね、バッハの手にかかると、決して単調にもならず、
「おっ!」
という綱渡り的転調もさりげなく行われていたりして(さりげなくだよ。ニクいね)、全く驚いてしまう。
スコアを読みながらこの曲としばし戯れた後は、同じカンタータの第6番Ariaと、その音楽をパロディーとして作り直した「ミサ曲イ長調Gloria」とを、ラフな気持ちで見比べてみた。
原曲はAriaと呼ばれていて、途中に何度も挿入される舞曲風の3拍子は、ひたすらバスが担当している一方で、4拍子の部分はソプラノ、アルト、テノールの3声のみによって歌われる。恐らく4人のソリストの重唱を想定して書かれたように思われる。その後、単純なコラールを終曲としてカンタータ全曲を終わる。
しかしながら、この曲をパロディとしてイ長調ミサ曲のGloriaとして生まれ変わった時、あっと驚くほど輝かしい合唱曲になるんだ。舞曲風の3拍子も、バスだけでなく、いろんなパートを巡っていくし、4拍子の部分もしっかりした4声で、しかも対位法的処理も、まるで新しく作られた曲のように完璧だ。同じ素材を使いながら、何でこんな芸当が出来るんだ?天才って凄い!新幹線の一番前の席で、ひとりで大興奮!
と驚いている内に、あっという間に名古屋に着いた。座れたし、お勉強もできたし、満足な旅。
イタリアンで独り打ち上げ
今日の宿泊は金山で、明日は音楽プラザ5階の合奏室で愛知祝祭管弦楽団の練習。ホテルに着いて荷物を置くと、僕はすぐに金山駅前のアスナル金山というショッピングモールに向かった。向かう先は「Salvatore Cuomo & Bar金山」というイタリア料理屋。すでに何度か来ている。
まず生ビールを頼んでゴクゴク飲み、前菜盛り合わせを頼み、ハウス・ワインをデキャンタで注文。いろいろ高いワインもあるが、ハウス・ワインで充分おいしい。生ハムやルッコラなどをつまみながらグリッシーニをポリポリかじっていると、揚げ茄子のペンネ・アラビアータが来た。ここはむしろ本格的ナポリピッツァで有名だが、今日はパスタの気分。
Salvatore Cuomo & Bar金山
熱田神宮
翌朝6時起床。快晴。ホテルを出て熱田神宮に向かう。今日は午前午後と「ローエングリン」オケ練習をした後、夜に合唱団の練習がある。ずっと立ちっぱなしが予想されるので、普通は、散歩なんてしないで体力温存したら・・・なんて考えるだろうが、いやいや・・・アクティブな日は、いつもよりずっとアクティブな状態から始めるのさ。
6月4日早朝の熱田神宮
ポジティブであることが大事
ノーテンキなんだよ。でも、ノーテンキであることを揺るぎなく確信できる人間には、ノーテンキな1日のみ訪れる。仮に、自分にとって好ましくないことが起こっても、その好ましくない事に決して意識をフォーカスしてはいけない。むしろ、その事からどんなポジティブな結果を引き出せるかを全力を尽くしてイメージする。
歩いていて石に躓いたならば、腹立てて蹴っ飛ばしたりしないで、その石を家に持ち帰って飾っておけば、不思議なことに、その石が役に立つような事が起こり続ける。
そして最後には、その石に感謝したくなる結末が導き出されるのだ。
「ありがとうございます!」
と言い続けていると、必ず、
「ありがとうございました!」
と言えるような状況が次々と導き出される。そしてまた、
「ありがとうございます!」
と言う。するとまた・・・・・果てしない感謝の連鎖。
これをイエスも仏陀も本当は伝えたかったのだ。
愛知祝祭管弦楽団の練習
「ローエングリン」を練習している愛知祝祭管弦楽団は、午前中に神谷知佐子さんというプロのハープ奏者が来たので、ハープの個所を中心に練習した。いつもやってもらっているが、とても優秀なハープ奏者で、ハープって時々しか演奏しないのに、彼女が入り損なったり間違ったりしたのを聴いたことがない。テンポの読みも的確で、オケの一番良いところにフィットして、アルペジオで支えたりしてくれる。
「ローエングリン」では、ハープの場所は本当に限られている。まず有名なところでは第3幕「結婚行進曲」なので、練習は第3幕前奏曲から始め、そのまま「結婚行進曲」に流れ込んで行った。それから第1幕で、エルザが弟殺しの容疑でみんなの前に呼び出されたのに、恐れながら弁解するどころか、
「見知らぬ戦士が自分を助けに来てくれる」
と、憧れを込めながら語る場面で集中的にハープが登場する。第2幕では、たった一個所。「エルザの聖堂への入場」の直前のみ。
つまり、エルザのローエングリンへの想いにハープは関係しているわけだ。
谷口洋介さんとの合わせ
午後からは、ローエングリン役の谷口洋介さんが来た。谷口さんを知る人は、彼の抜擢に驚く人も多いだろう。僕も以前に共演したのは東京バロック・スコラーズでのバッハの演奏会であった。つい最近(5月27日)も鎌倉芸術館で、ヨハネ受難曲の福音史家を歌ったばかりだという。いわゆるバッハ歌手として知られている。
実は谷口さんに決める前に、畑儀文さんに打診していた。これも、驚く人がいるだろう。そうなのだ。僕のローエングリン像というのは、恐らく一般の方の想像するものとは違うのだ。
前奏曲を聴いてみると、ワーグナーの「ローエングリン」のコンセプトが分かる。ヴァイオリンのハイポジションやフルートの高音域から始まり、次第に音像が下に降りて来て、クライマックスを迎え、再び超高音に向かって登って行く。
ローエングリンは、そもそもイエス・キリストのような、本来この地上に生まれるはずもない気高い存在なのだ。それが、あえてこの地上にやってきたが、愚かで天上的価値観など持たない人間社会に翻弄され、やがて本来の世界に戻っていくというドラマなのである。
表向きは、その前の「さまよえるオランダ人」や「タンホイザー」と違って“カタルシスのない悲劇”なのだけれど、ローエングリン自身に焦点を当てると、決して、傷つきも汚れもせずに、ただ清らかな存在でい続けるわけで、だから、いわゆるオペラ歌いといわれるギラギラしたテノールは、僕のイメージと違うのだ。
畑さんには、その旨を伝えておいたのだが、彼は謙虚で、
「もう私は歳なので、ワーグナーの声は出ませんから・・・」
と辞退してきたのを、何度となく、
「いや、フルヴォイスなど出さなくていいから・・・ちなみに僕の理想のローエングリン像はクラウス・フローリアン・フォークトで、フォークトでも最近のバイロイトの録音など聴くと、声を張りすぎて嫌だなあと思うほどなんですよ」
と説得したのだが、なかなかYesと言ってくれなくて、そうこうする内に畑さんの方から推薦してきたのが、谷口さんだったのだ。最初、
「え?」
と思ったのだが、さすが畑さんの見る目が違う。
谷口さんとは、先日コレペティ稽古を行って、僕がピアノを弾きながら一緒に合わせたが、その時、僕は確信した。今回の公演で一般の人たちの「ローエングリン」のイメージを変えて、僕の世界観を示すことができる!
これに、飯田みち代さんのエルザ、青山貴君のフリードリヒ、清水華澄ちゃんのオルトルート、成田眞君のハインリヒ国王、初鹿野剛君の伝令を加えれば、もう成功したも同然じゃないか。
どうかみなさん、楽しみにしていてください。今年の夏は熱いぞう!
合唱団をシゴきまくり
午後の練習後半は、合唱団も加わったが、合唱団はまだ仕上がっているわけではなくて、とにかくオケと合わせることで雰囲気を掴んでもらうことに徹した。
オケの練習が終わったら、一度休憩を取って、晩にはピアノ伴奏で合唱音楽稽古。ドイツ語の発音からビシビシ直してシゴキまくったよ。ところがね、朝から自分で歌手のパートを歌いながら稽古を付けていたでしょう。合唱の練習でも、自分で喋って歌って、悪い例と良い例を提示しながら一生懸命練習をしていたら、気が付いたら、喉がかなり疲れている。それで、9時近くまでの練習を8時過ぎに切り上げた。ああ、しんどい1日だったけれど、かなり成果はあった。
それでも、家に着いたのは深夜に近かった。お風呂にチャポンと入って、すぐ寝ようと思ったけれど、まだ興奮している。ビールの350mlを飲んで、霧島のお湯割りを一杯だけ飲んで、ベッドに入ったら、次の瞬間にはもう朝が来た。
2023.6.5